26 逆賊の公開処刑
焼け焦げた庭木を抜いて、新しい草花を植え、ネッサの庭は賑やかさを取り戻しつつある。
今日はその真ん中に、みんなで作った新しいテーブルと椅子がお目見えした。
キャンが嬉しそうにぐるぐると周囲を走り回り、ネッサがテーブルに体重をかけて具合を見ている。
「よしよし、ガタつきもないね。上出来じゃないか」
「これでまた、皆で勉学に励めますね」
「椅子もいい感じだ。……いや、俺にはちょっと小さいかな?」
フレーゲルが椅子に座り、冗談めかして笑った。他の生徒たちもワイワイと席につき、テーブルに勉強道具を広げ始める。
やんちゃな少年トリオ、ピスカ、プカ、パックが、はしゃいだ声でエリーゼを呼んだ。
「リセ先生~! 宿題見て宿題!」
「学校ない間も、ちゃんとやったよ!」
「わかんないとこ教えてー!」
テーブルに乗り出す三人に混ざって、フレーゲルもいつもの本を取り出し、こちらへ見せてきた。
「こういうのは年長者が先だ! 見てよリセ、俺のこの頑張りを! あと少しで読破だ」
「あっ、フレーゲルずるいぞ!」
「大人のくせに割り込みすんな!」
「先生を独り占めすんなよー!」
ギャーギャーと言い争いを始めた男子三人……いや、四人を前にして、エリーゼは困りながらも笑みをこぼす。
実に平和な光景だ。気安く声を交わし合う人々を、柔らかな日差しが照らしている。
心がほどける心地がする。けれど、同時に、どうにも例えられない切なさも込み上げてきて、少し言葉に詰まってしまった。
「……? リセ? どうしたの、ぼうっとして」
「いえ、何でもありませんよ。少し考え事をしていて――……」
心配そうに目を向けてきたフレーゲルに、返事をした時――。表の方からバタバタと足音が聞こえてきた。
小太りのちょび髭男――領主フィデリオが、慌てた様子で転がりこんできて、エリーゼを呼んだ。
「エリー……じゃなかった! リセ様! ご報告が……!」
「うかがいましょう」
生徒たちのいるテーブルから離れて、庭の端に移動する。フィデリオは小声の早口で事を告げた。
「先ほど、街道の見張り兵から知らせを受けました! 騎馬兵の小隊が街に向かっている、と! 率いているのは金髪の若い男。隊はバルド王家の紋章を掲げているそうで、恐らくは……」
「お知らせいただき感謝します。きっと、陛下と私兵隊でしょうね」
兄から知らせを受けたのが、先週のこと。父の時間稼ぎを経て、エリーゼの墓が暴かれたのだろう。そうして即、兵を差し向けた、といったところか。
動きの早さから推察するに、小隊とやらは、ソーベルビアの私兵隊だ。彼の直属の兵たちなので、面倒な手続きなどを必要とせず、思いのまま、好き勝手に動かすことができる。
その正体は、元囚人の成れの果て。強力な魔法を受けて、完全に自我を破壊された、操り人形の兵である。
他の、通常の臣や兵たちならば、たとえ王の命令であったとしても、エリーゼへの暴力は躊躇い、できる限り、抗ってみせるだろうが……心を失った私兵隊は違う。命じられれば、エリーゼを容赦なく、すんなりと、なぶり殺すだろう。
(話し合いの余地はない、か。まぁ、わかってはいたけれど)
はなから期待などはしていなかったが、これで確実に、凄惨な死が確定した。
「正面の大広場で迎えます。――ネッサ博士、出掛けて参りますね」
フィデリオに答えた後、テーブルの方にいるネッサに声を掛けた。彼女は肩をすくめながら、こちらに歩み寄ってきた。
「やれやれ、やっぱり行くのかい?」
「えぇ。華々しく、公開処刑で幕を閉めてやろうかと」
「森に隠れちまうって道もあるだろうに」
ネッサは裏手の森へと目を向けた。が、エリーゼは首を振る。
「そんなことをしたら、あの男は森中に火を放つわ。視野の狭さと気性の荒さは、わたくしが一番よく知っている」
そう答えると、ネッサはもう何も言わずに、ただ見守るような眼差しを送ってくれた。
エリーゼはネッサに微笑みを返す。
「ネッサ博士、あなたと出会えて本当によかった。お世話になりました。心からお慕いしております。ずっと、ずっと」
「ははっ、次はあの世で会おうじゃないか。あんたが待っているなら、寿命を迎えるのも楽しみだ。……行っておいで」
「フィデリオ様も、巻き込んでしまったことをお詫び申し上げます。厚い忠心に感謝いたします」
「光栄でございます。……うぅ……ちょっと、目にゴミが……」
フィデリオは潤んでしまった目元を、袖で乱暴に拭った。
感謝を伝え、二人の顔をしっかりと、網膜に焼き付けた後――……エリーゼは表情と声音を改めて、命令を口にした。
リセ・クルーガーとしての自分は、もうおしまい。悪妃エリーゼへと戻る時がきた。
「ネッサ・クルーガーよ、あなたはいつも通りに過ごすこと。生徒たちを広場に近づけないよう、頼みます。万が一、何かあった時には、すぐさま森へと身を隠しなさい。どうか、つつがなく」
「はいよ」
「フィデリオ・ハイコ、そなたは一度、屋敷へ戻り、事が済んでから何も知らぬ顔をして、広場へ来るよう。陛下を迎えて、媚びへつらい、丁重にもてなすように。わたくしと接触があったことは、絶対に内密に。機嫌を損ねないように振る舞えば、彼も魔法は使わないだろう。街への滞在を勧めて、なるべく長く足止めを頼みます」
「はっ!」
フィデリオは苦い顔をしながらも、敬礼を返した。
リュミエラは縁を繋いだオトフリート家の助けを借りることだろう。都の戦慣れしていない兵よりも、彼の勇猛な騎士隊を使って、王殺しを行うに違いない。
(わたくしだったら、そうする。きっとリュミエラも――……)
申し合わせたわけではない。勘の賭けである。外した時は、地獄の底で相応の罰をくらってやろう。
エリーゼはパンと手を打ち鳴らして、場を締めた。
「それでは、皆、そのように」
名残惜しそうな足取りで、フィデリオは庭を後にする。エリーゼはネッサと連れ立ってテーブルへと戻り、足元で寛いでいるキャンを存分に撫で回した。お別れの挨拶だ。
そうして、『何だ何だ?』と呆けている生徒たち――特に、一際、怪訝な表情を浮かべているフレーゲルにも、声をかけた。
「お待たせしました。宿題を見たいところですが……わたくしは少し用事ができたので、出掛けてきます。今日はネッサ博士に見てもらうように」
「用事って何? 急ぎの買い物? 俺も行くよ」
フレーゲルは即座に立ち上がって、エリーゼのもとに寄った。が、その胸元をポンと押し返して、エリーゼは小声を返す。
「一人でこなしたい用事があるのです。離婚のための手続きみたいなものでして」
「……そう、なの?」
「えぇ。気持ちを整理したいから、今日は一人で街を散歩してくるわ」
最後に飛び切りの笑顔を作って、フレーゲルへと贈った。ちゃんと笑えていたかはわからないけれど、彼は目を瞠って、正面から受け止めてくれた。
城を出て、生まれて初めて気安い言葉を交わした、平民の男の人。妃としての仮面を被らずに、笑顔や泣き顔を晒すことになった相手。
『幸せ』という、たまらなく素晴らしい心地を教えてくれた相手。心ときめかせてくれた人――。
本当はもう少し丁寧なお別れをしたかった。ありがとう、と心からの想いを伝えたかった。もう一度、温かな抱擁を交わしてみたかった。
……――けれど、これくらいがちょうど良いのかもしれない。あまり、想いに浸ると、名残惜しくなってしまうから。
「じゃあね、フレーゲル。行ってきます」
「え、あぁ……」
「皆さんも、よい一日を」
努めて明るい声音で別れを告げて、エリーゼはテーブルから離れた。
ネッサが引き継ぎ、生徒たちへ声をかける。
「さぁて、久しぶりの授業だ。学校の再開を記念して、今日はあたしが特別講義をしてやろう。これ、フレーゲル! よそ見してるんじゃないよ! まったく、若い女の尻を目で追って」
「なっ! 別に尻を見てたわけじゃない!!」
フレーゲルはエリーゼを目で追っていたようだ。ネッサに茶化されて、彼は動揺の大声を上げていた。悪ガキトリオが、『やーい! スケベ男~!』と、これ見よがしに、からかい始める。
そんなやり取りに、他の生徒たちは大笑いしている様子。
みんなの笑い声を背にして、エリーゼは庭を出た。
一人、広場に向かって歩いていく。
小隊の大所帯を率いているなら、恐らくソーベルビアは、街道から逸れることなく、街の正面から入ってくるだろう。そのまま大通りを進むと、街で一番大きな広場へとたどり着く。
(そこで迎えるとしようか)
ほどなくして到着した広場の中央で、エリーゼは通りの向こうを睨んだ。
街はいつも通りの様子だったが――……少し待った頃、遠くの方からざわめきが聞こえてきた。
騒がしさは、次第に広場の中心にも伝わってきて、人々の興奮した声が耳に届いた。
「なんか、すごい兵隊が来たらしいぞ」
「王家の騎士隊じゃないかって! 紋章がそうらしい!」
「領主様のお客様かい? 待ってたら見られるかね?」
噂はドッと広がり、広場の空気は高揚したものへと変わる。そんな民たちの期待に応えるかのように、小隊は颯爽と姿を現したのだった。
『わぁ、すごい! 格好良い!』と、人々は口々に、感嘆の声を上げた。
エリーゼも人の波の間から、隊の姿を目に入れた。二十人はいるだろうか。ソーベルビアも馬車ではなく、騎乗している。
美しい白馬に跨る姿を見て、街の人々はため息をこぼしていた。
「まぁ、立派な身なりのお方!」
「なんて素敵な殿方でしょう……! 王子様みたい……!」
「どこの兵隊さん? 王都の人かしら? 煌びやかだこと!」
金髪碧眼の優れた容姿に、白い騎士服をまとい、マントを翻す姿は絵画のようだ。見た目だけは大変立派で麗しい、我がバルド王国の主。地方の平民は見える機会などないのだから、黄色い声を上げてしまうのも仕方ない。
この男が国王だということも、さらにはとんでもない暴君だということも、知る由がないのだ。
(民たちには、これから知ってもらおうじゃないか。現王が悪逆非道の愚者だということを)
エリーゼは深く呼吸をした後、大声で、その名を呼んだ。
さぁ、公開処刑の始まりだ――と、自ら宣言するかのように、広場中に響く高らかな声で言い放った。
「これはこれは! ソーベルビア陛下ではありませんか! ご機嫌麗しく存じます。地方視察でございますか? それとも、愛想を尽かして出て行ってしまった妻を、未練たらしく追ってこられたとか?」
おっほっほ、と高い笑い声を添えてやる。
ソーベルビアは弾かれたように顔を向けて、エリーゼを視線で射抜いた。
「エリーゼ――――っ!!」
凄まじい憎悪を宿した睨みと、怒声。彼は馬上で剣を抜き、剣先をこちらに掲げた。
「貴様ぁっ、ぬけぬけと!! 兵よ! この逆賊女を囲め! 決して逃がすな!!」
ソーベルビアが命を下すと、兵は馬から飛び降りて剣を抜いた。
突如もたらされた雷のような怒声と、荒々しい振る舞いに、周囲の民たちは面食らって身を引いた。
高揚感に満たされていた広場の空気は、一転して、ただならぬ雰囲気へと変わる。兵に囲まれたエリーゼと、対峙するソーベルビアを遠巻きにして、民たちはどよめいていた。
あっという間に、広場の真ん中に舞台が出来上がってしまった。いや、処刑場と言った方が正しいが……舞台ということにしておこう。
今から始まるのは、王の本性を暴く茶番劇だ。
エリーゼはすくみそうになる足を無理やり前に出し、剣を向けるソーベルビアと対峙した。
「ソーベルビア・バルド国王陛下、ジル=ハイコへようこそ。よくここがわかりましたね。領主の手引きもなく、一人で転がり込んで潜んでおりましたのに。まさか見つかってしまうとは」
「貴様の父親を拷問にかけたら、すぐに吐いたぞ。ははっ、肉親に裏切られるとは、ざまぁないな。最期の様を教えてやろうか。顔は人相がわからぬほどに腫れあがり、肌の色は土よりも汚らしく変色していたな。仕舞いには自らの胸を剣で貫き、私を讃えながら地に伏した。実に愉快な死に様であった!」
父の惨たらしい最期を語って、彼は肩を揺らして笑った。エリーゼはスカートを握りしめて耐える。
(お父様……ごめんなさい……。わたくしもすぐに、そちらへ向かいます)
胸の内で祈りを捧げながら、スカートの脇ポケットへと手を入れ、携帯していた小刀を握りしめた。
「なんだ、つまらんな。泣き顔でも見せてみればよいものを、顔色一つ変えないとは。しばらくぶりに顔を見たが、相変わらず可愛げのない女だ!」
「可愛げなど、なくて結構!」
「……っ!」
ソーベルビアはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、大股で歩み寄ってきたが――……エリーゼはその胸を目掛けて、飛び込むようにして、小刀を振り抜いた。
が、刃先が届く前に、手首を捻り上げられた。小刀を取り落とすと同時に、顔面に容赦のない拳をくらって、倒れ込んだ。
最後に、一撃くらいは食らわせてやりたかったのだけれど……駄目だったみたいだ。
間髪をいれずに蹴り飛ばされて、エリーゼの体は石畳の上を転がった。血が点々と飛び散り、見ていた人々はギョッとして悲鳴を上げる。
『誰か止めて!』とか、『警吏を呼べ!』とか、色々なざわめきが上がったが、民の声にソーベルビアは機嫌を損ねたようで、苛立ちに任せて暴言を吐き散らした。
「黙れ愚民ども! 私を誰と心得る! ソーベルビア王の名を知らぬとは言わせぬぞ! 逆賊を直々に捕らえに来たのだ! 不敬な野次を口にした者は、同じように処刑する!」
民たちは目をむいてどよめく。顔を見合わせながら、震えた小声を交わしていた。
「嘘……!? 王様……!?」
「あの女の人も、さっき陛下って呼んでたわ……」
「兵隊も連れてるし、本当に……?」
ざわつく周囲をよそに、ソーベルビアはエリーゼの髪を乱暴に掴み上げた。無理やり上体を起こされて、呻き声がこぼれた。
「陛下……品のない……暴力行為は慎んでくださいませ……」
「生意気な口は健在のようだな! 死に損ないの悪妃め!」
剣の柄でこめかみを殴られ、皮膚が切れて、また鮮血が飛んだ。倒れ伏したところを踏みつけられる。口と鼻からも血が流れ出し、打ち付けた肌が紫色に変わっていく。
「よくも私を謀ってくれたな! 貴様のせいでどれほどの面倒を被ったか!! このっ、クソ女がっ!!」
何度も、何度も、罵声と共に、嵐のような暴力が繰り出される。うずくまって耐えながら、初めて殴られた、あの日のことを思い出した。
同じような状況だが、決定的に暴力の質が違う。あの日の暴力は、脅しと腹いせの意味合いが強かったが……今は、まったく加減なしの、殺しを目的とした暴力だ。
体中の骨が軋んで、息が苦しい。強烈な眩暈と耳鳴りで、前後がわからなくなっていく。腹を蹴り上げられて、たまらず、胃液と血を吐き出した。
――でも、これでいい。これでいいのだ。これこそが目的なのだから。
民たちはいよいよ騒ぎ出した。広場の大騒ぎを聞きつけて、さらに人が集まってきている様子。すっかり大観衆の真ん中だ。これでいい――。
すべては王の評価を下げるための演目に過ぎないのだ。この茶番劇は、新王権へ手向ける花である。
大衆の前で女をなぶり殺した、暴虐の王の噂は、尾ひれを付けて広まることだろう。ただでさえ、ジル=ハイコは人の出入りが盛んな街だ。刺激的な話は各地で語られるはず。
真偽なんてものは、さして重要ではない。新王権へと切り替わった時に、人々が何となくでも、『前の悪い王が死んで、新しい良い王が立った』と、理解すれば御の字である。
民の支持と支えを受けて、新しい国は滑らかに走り出す。――そうあって欲しい。そうなれば、報われるというものだ。
(……わたくしの痛みも、苦しみも……怖れも……きっと報われる……)
大丈夫、報われる――。と、心の中で呪文のように唱え続ける。唱え続けていないと、別の想いが湧き上がってしまいそうだから。
『この痛みは、苦しみは、死ぬまで続くのか。途方もなくて、怖ろしくてたまらない。とてもじゃないが、耐えられない。誰か、助けてほしい――……』
そんな想いが、涙と一緒にあふれ出してしまいそうなので……押し留めるために、ひたすら、国の未来へと思いを馳せた。




