24 新たなる女王
「……正妃殿下は……エリーゼは、生きております……。私が……逃がしたのです……」
一体何事か、と騒然としている城のロビーの真ん中で、見る影もなくなったベルホルト宰相が呻き声を上げた。
どれほどの暴行を受けたのか。顔は判別できないほど腫れあがり、衣服はおびただしい量の血を吸って、真っ赤に染まっている。
ソーベルビアに首根っこを掴まれ、引きずられてきた宰相は、騒ぎを聞きつけて集まってきた城人たちに囲まれていた。
そうして皆の前で白状させられるに至ったのだ。
乱暴に髪を掴んで、頭を石床へと叩きつけながら、ソーベルビアは城中に響き渡るような怒声を発した。
「聞いたか、皆の者!! 悪妃エリーゼ、ならびにベルホルト家は、史上稀なる逆賊である!! 貴様らが女王と慕ったあの女は、王たる私を謀って逃げ出した大馬鹿者だっ!!」
人々は動揺にざわめき、各々、言葉にならない声を発していた。が、誰かと会話をしようとする者は一人もいない。今、不用意に何かを口走って、王に見咎められたら……巻き添えを食って殺されかねない。
震える息を吐くに留め、遠巻きに立ち尽くす。人々の視線を一身に浴びながら、宰相は息も絶え絶えに白状を続ける。
「……エリーゼは……ジル=ハイコに……。……街娘として……潜伏を、して…………うぐ……っ……」
力なく床に転がる宰相を、何度も、何度も踏みつけながら、ソーベルビアは魔物のような邪悪な顔で笑った。
「魔法もなしに自ら吐くとは、殊勝な心掛けだな! 今更、私に媚びようって魂胆か! ははっ、反吐が出る! 命乞いには応じぬぞ! 貴様は今ここで死ぬのだ!! さぁ、死ね!! この剣で、自らの胸を貫いてみせよ!!」
ソーベルビアは命令と共に魔法を放った。連れている側近の腰から護身の短剣を抜き、宰相へと投げ渡す。
宰相は全身を震わせながら身を起こし、剣を手にして、刃先を自らの胸にあてた。
怯みきっている周囲の人々は、誰も動けずにいる。今まさに、城の重鎮の一人が異様な自死を遂げようとしているのに、誰の助けも入らない。
そんな、世も末といった雰囲気のロビーの端で、リュミエラも事態を見届けようとしていた。
魔法に犯されているはずだが……ベルホルト宰相の目の奥には、揺るぎない熱が宿っているように見えた。
彼の心の叫びが聞こえてくるようだ。
『皆、心して見よ! 私が王になぶられ、殺される姿を! 大いに恐怖し、危機を覚えるといい。この王の下にいれば、明日は我が身なのだと心得よ。さぁ、どうだ、皆の者。この暴君を見限り、新しい王権を歓迎するべきであろう? そろそろ目を覚まし、覚悟を決めたらどうだ』
人々を諭し、激を飛ばすように、宰相は熱をたぎらせた目で周囲をぐるりと見遣る。
遠くで見守るリュミエラとも目が合った。その瞬間、彼はわずかに口の端を上げた。
『新しい風は、既に我らの手の中にある。我らの新しき女王が、きっと導いてくださる。後はお願い申し上げます、リュミエラ妃殿下』
想いを微笑に乗せて、彼はリュミエラへと語りかけてきた。
(お受けいたします。必ずや、わたくしが、人々を光ある未来へと導きましょう)
そっと胸に手を当てて、敬礼を返した。
宰相が自らエリーゼの居場所を白状したのは、ソーベルビアの意識をそちらへ向けるためだ。王の性格から考えるに、きっと怒りに任せて、手ずからエリーゼを殺しに行くだろう。エリーゼを囮にすれば、王を城から締め出せる。
そうして王が不在となれば、リュミエラが女王として立つ隙ができる――。
エリーゼも、宰相も、リュミエラのための駒と為ったのだ。その覚悟と、託された想いを、自分は受け止めなければいけない。受け止めてみせる――。
丁重な敬礼で、『心得た』と返事をすると、宰相は剣を大きく振りかぶった。
「我らがソーベルビア王に、栄光あれ……!!」
目を見開き、大声で礼賛の叫び声を上げて、胸へと短剣を突き刺した。
血を流して倒れ込んだ宰相を見下ろし、ソーベルビアはフンと鼻を鳴らして踵を返す。恐々としている側近に命を出した。
「至急、私の兵たちに伝えろ。明日の早朝、ジル=ハイコへ発つ!」
「……陛下も遠征なさるのですか……?」
「当然だ! この手で逆賊女の首を落としてやるのだ!! そうでもしないと気が収まらん!!」
「し、しかし……その間のご公務は……」
「リュミエラに任せればいいだろう! まだつまらん問答が必要か!?」
「はっ、失礼いたしました……! 兵に命じて参ります!」
王が魔石の指輪を赤く光らせて怒声を飛ばすと、側近は冷や汗を流しながら駆け出す。
ソーベルビアは怒り収まらぬ様子で靴音を鳴らし、ロビーを後にした。
そうして暴君が去った後も、人々は立ち尽くして動けずにいたが……リュミエラは我先にと歩き出し、倒れ伏したベルホルト宰相のもとへと寄った。
「ベルホルト様……」
「…………うぅ……」
見るも無残に変貌してしまった顔へと手を伸ばす。触れると、彼はわずかに身じろいだ。まだ息があるようだが……あとどれほど、もつだろう。
胸に刺さった短剣を見て、顔を歪めながら、リュミエラは周囲に命令を飛ばす。
「そこの部屋で宰相の手当てを。陛下が発ち次第、議会を開きます。今後に関わる大切な話がありますので、皆、必ず集まるように。陛下は今、心を荒らしていらっしゃいますから……決してお耳には入れぬよう、議会まで、密やかに過ごすように」
念を押してから、運ばれていく宰相を追って場を後にした。
ロビーに連なる小部屋で、使用人たちが慌ただしく応急処置を施す。医者が駆けつける前に、宰相は虚ろながらも意識を取り戻した。
腫れた目を薄く開けて、傍らで様子を見守っているリュミエラを見上げる。
「……妃殿下……」
「お助けできずに、申し訳ございません……。陛下は明日の朝、私兵隊と共にジル=ハイコへ発つそうです。わたくしが留守を預かります」
「……そうですか……よかった……陛下を上手く動かせたようで……」
「えぇ。陛下はもう、城へ戻ることはないでしょう」
彼の小さな呻き声は、リュミエラにしか聞こえていない。たとえ使用人たちに聞かれたところで、彼らには意味もわからない会話だ。問題はない。
リュミエラは宰相と、最後に苦笑を交わした。
「わたくしもすっかり悪妃ですわね。正妃たるエリーゼ様を囮に使って、謀反を企てようだなんて……」
「気負わずに……。逆の立場だったら、きっとエリーゼも同じことをするでしょう……」
「えぇ、そうでしょうね。そう思います」
きっとエリーゼも同じ策を講じるに違いない。そして自分が踏み台にした者たちを想い、犠牲を悔やみ、悲しみ、陰で密かに涙をこぼすのだろう。
そんな言葉を交わしたすぐ後に、宰相は多量の血を吐き、意識を手放した。今、交わした言葉が、最後になるかもしれない……。
到着した医者に彼を託して、リュミエラは部屋を出た。
自室へと戻り、棚に置いたままになっていた箱を手に取った。中にはエリーゼのティアラが収められている。
美しい装飾がほどこされた、正妃の証の冠。丁重に取り出して、鏡の前に立った。
「……唯一無二の友よ……。ごめんなさい……。ごめんね……。わたくしは、大好きなあなたを見殺しにしてしまう。王を仕留めるための捨て駒として使ってしまう……」
堪えていた涙があふれ出てきた。
生まれた時から側にいた人。大好きな人。愛する姉であり、先を歩む師であり、ただ一人の、友達。
甘え切って、困らせて、何も返せないまま、挙句には殺してしまうことになった。
「あなたが悪妃として処刑され、地獄に落ちるなら……わたくしも悪妃として生き、同じ地獄を目指します」
涙を指先で拭って、ティアラを自身の頭に飾った。
泣くのはこれで最後にしよう。
今からリュミエラ・ヴィクトール・バルドは、城に君臨する女王と成るのだから。




