23 犠牲駒の覚悟
火事の事件からいくらか経った、ある日の朝。ジル=ハイコの馬の駅に、数台の馬車が駆け込んできた。
馬車の一団の主らしき男が、『遠くまで走れる、足の速い馬を見繕ってくれ』と命令を寄越し、惜しみなく金貨を渡してきたものだから、馬飼いたちは朝っぱらから大いに色めき立ったのだった。
「一体どこのお貴族様だ!?」
「連れてる馬車馬たちが、ずいぶんと疲れてる。王都から来たんじゃないか?」
「服だって上等だ。違いない」
ヒソヒソ声で盛り上がりながら、馬の用意に取り掛かる同僚たち。フレーゲルも加わろうとしたが、ふいに一行の主――若い男に肩を叩かれた。
「馬車馬とは別で、一頭馬を借りたい。街に急ぎの用事があるんだが、今すぐ乗れる馬は?」
「ええと、どうぞ、こちらを」
ちょうど鞍を付けたままの馬がいたので引き渡すと、男は短く礼を言って金を渡してきた。
「感謝する。私が戻るまでに馬車馬の用意を頼む」
そう命じて颯爽と馬に跨り、彼は大通りへと駆け出した。
銀色の髪と端整な顔立ち、そしてキビキビとした物言い……どことなくリセと似た雰囲気を感じて、後ろ姿をポカンと見送ってしまった。
「ネッサ博士、この荷物も中に運んでいいでしょうか?」
「あぁ、適当に棚に収めといておくれ」
エリーゼは辺りに乱雑に置かれた荷物を、小屋へと搬入していく。
火事の災を被った後、ネッサの家の片付けは、毎日こつこつと進められていた。
家として使っていたメインの建物は焼け落ちてしまったが、残った小屋が使えそうなので、住めるように整えている最中だ。
焼け跡の片付けと引っ越し作業を並行しているので、なかなかに忙しい。学校も、未だ休校が続いているが、生徒たちは手伝いに来てくれたり、宿題を見せに来たり――と、今までと変わらず頻繁に出入りしている。
今日も誰かが訪ねてきたらしく、表の方から靴音が聞こえてきた。――けれど、生徒の来訪ではないことに、すぐに気が付いた。馬のいななき声が聞こえる。
「失礼する! ネッサ・クルーガーの家はここで間違いないだろうか?」
声を張って歩いて来たのは、なんとエリーゼの兄だった。彼は焼け跡の様子に面食らっていたが、エリーゼの姿を見つけると、わき目もふらずに駆け寄ってきた。
作業を中断し、同じように駆け寄って出迎えた。
「お兄様!」
「エリーゼ……! 会えてよかった! 再会を喜びたいところだが……あまり時間がない。用件を伝えるが、心の準備は?」
「あなたの姿を見た瞬間から、できております。城で何か動きがあったのでしょう? お話しくださいませ」
兄自ら、わざわざエリーゼのもとに足を運んだということは……城で何か、良からぬ事が起きたということだろう。一瞬で察せられた。
ネッサに視線を送ると、彼女は気を利かせて側を離れてくれた。
兄は口早に事の次第を語り出す。
「ソーベルビア陛下がエリーゼの墓を改めると言い出した。父上が残って時間を稼いでくれているが……今頃はもう暴かれて、空の棺が露わになっている事だろう。私は一族を率いて遠方へと逃げる。エリーゼも共に来なさい。ここにいては陛下に殺されてしまう」
報告を聞いて、エリーゼは深く息を吐いた。動揺するでもなく、ただ事態を受け入れて、なるほど、と得心する。
(そうか……このルートに入ってしまったか)
新王権の発足を狙うにあたり、いくつかルートを想定していた。穏便に事が進むという良いルートから、数多の犠牲が出る悪いルートまで、考えていた。
そんな、数ある未来のルートの内、このルートに入ったようだ。『王に生存がバレて、自身に怒りと殺意の矛先が向く』というルート。
(……やれやれ。想定はしていたけれど、いざ目の前に迫ると震えてしまうものね)
わずかに震え出した指先を叱咤して、拳を握りしめた。
『さぁ、行こう……!』と差し出された兄の手は取らず、別の問いを返す。
「リュミエラはどうしていますか? 一つ、大きな任を与えていたのですが」
「妃殿下はウルリヒ・オトフリートと密約を交わすに至った。私たちも、これから彼の辺境伯家を目指し、庇護を求めようかと考えている」
「そうですか。ウルリヒ……三男か。ふふっ、そう。彼女は三男を選んだのですね」
リュミエラは見事にオトフリート家と縁を結んでみせたらしい。自分は、次男アルノーと密約を交わせたら、と願って、彼女に縁繋ぎを託したのだが、三男ウルリヒの手を取るに至ったようだ。
以前、エリーゼがオトフリート家を訪ねた時には、まだ少年だった末子だ。どう成長したのかはわからないけれど、リュミエラが選んだのだから、きっと大丈夫だろう。
見定めた彼女の目を、信じている。
「リュミエラは新王権発足への糸口を、しっかりと掴んでくれた。それならば、わたくしのやるべきことは、もう決まっています」
震えの止まった手を胸に当てて、エリーゼは覚悟の笑みを浮かべてみせた。
「わたくしはここに残ります。どうか、わたくしを置いてお逃げください」
「しかし……!」
「陛下の怒りと憎悪はわたくしに向かうはず。あの人のことだから、わたくしを地獄の果てまで追って、手ずから鉄槌を下すことでしょう。一緒に行動していては、家族も巻き添えになってしまう」
顔を歪めて聞き入る兄に、強気の笑顔を向けてやる。
「それに、わたくしのもとに来るのなら、むしろ都合がいい。王の隙を作る、囮となってみせましょう。陛下がわたくしを殺しに来る、ということは、城を空けるということ。愚王を都から締め出す良い機会となりましょう」
城に残った者たちは、この隙を見逃さないだろう。リュミエラだって、きっと――。
(あの子はきっと、正しく選択し、進んでくれる。内に秘めた強さを信じているわ。だって、リュミエラは、わたくしにそっくりだもの)
前に、ソーベルビアがとんでもないことをしでかした時、エリーゼは冷え切った目で彼を見てしまったのだけれど……ふと隣を見ると、リュミエラもまったく同じ眼差しを向けていた。あまりにも似た目をしていたものだから、思わず笑ってしまったくらいに。
ずっとずっと昔から、今に至るまで、そういうことが数えきれないほどあった。唯一無二の妃同士として手を繋いでいる内に、すっかり似てしまったのだろうと思う。
「後のことはリュミエラに任せます。わたくしはここに残り、王を迎える」
これが盤上ゲームならば、駒の操り手はもう自分ではない。今の自分は、置かれた一つの駒だ。リュミエラに操られるべき駒である。
それならば、彼女の手のひらの上で、最後に素晴らしい捨て駒役をまっとうしてやろうじゃないか。これ以上ない、勝利のための犠牲駒を――。
もう一度姿勢を正し、兄へと真っ直ぐに視線を向けた。
「真正面から王を迎えて、今度こそ死んでやります」
エリーゼが逃げ回ったら、ソーベルビアはさらに荒れるだろう。手あたり次第に、近隣領主たちを拷問にかけて回るかもしれない。
(このルートに進んだならば、逃げるという選択肢は、はなからない。もう覚悟は決まっている)
あの日、殴られた時点で、自分は死んでいてもおかしくなかったのだから、こうして猶予の日々をもらえただけで幸いだと思おう。
兄はしばらく口をつぐんた後、諦めの息を吐いて目を細めた。
「……本当に、それでいいのかい」
「えぇ。お父様もその覚悟で城に残られたのでしょう? ならば、わたくしも。愚かな妹の最後のわがままを、どうか、お許しください」
そう答えると、兄はおもむろに腕を回して抱きしめてくれた。この抱擁をもって、今度こそ、本当の別れを迎える。
兄は身を引いて、胸に手を当てて敬礼をした。
「エリーゼ妃殿下。あなたの生き様は国史に残るでしょう」
「そうなれば光栄です。どうか、ベルホルト家を未来に繋いで、その国史を見届けてください」
礼を返すと、兄は踵を返した。見送りに出てきたネッサに声を掛けようとしたが、彼女はひらりと手を振って制した。
「かしこまった挨拶はいらんよ。この強情な娘っ子は最後まで預かってやるから、心配しなさんな」
「お願い申し上げます。では、失礼――」
馬に跨って、兄は通りの向こうへと去っていった。
後姿を見送りながら、つい苦笑をこぼしてしまった。
(玉座に寄り添うより、馬飼いの胸の温もりの方が心地良い――……なんて甘えを抱いたから、神に見限られたのかもしれないわね、わたくしは)
必ず城に戻る、と決めた旅だったが――……自分は、生きて帰ることはないだろう。帰城は屍姿となりそうだ。
ひと時の幸せの中で思い描いた夢や目標、将来のやりたいことなどは、来世で叶えることにしようか。
(友よ、後は頼みましたよ)
今後、城人や民たちはリュミエラが導くだろう。彼女はもう、エリーゼの手を放し、自分が選んだ者の手を取って、自分の足で歩いていける。
遠くの空の下にいる、友へと祈りを飛ばした。そして、いずれ襲い来るであろう王へも、挑発を投げておく。
(さぁ、邪悪な魔王め、おいでなさい。あなたを謀った悪妃エリーゼは、ここにおりますよ)
さて、そうと決まれば、今後の段取りを考えなければ。忠誠を誓ってみせた領主はともかくとして、ネッサのことは巻き込めない。
王が襲い来る日――自分の命日の予定を考えながら、エリーゼは空を仰いだ。




