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21 人形の目覚め

 オトフリート辺境伯家の屋敷を出て、リュミエラは馬車に揺られていた。


 あれから、一応、次男のアルノーとも面会したが、簡単な挨拶をしただけで終わった。アルノーは騎士隊長ともあって、ウルリヒよりもずっと、鋭くて怖い目をしていた。


 怯んでしまって、密約の話などできようはずもなかった。それに、書類は既に燃やされて、なくなってしまっているし……。


 結局、何も手にできず、何の成果もなく、帰途に就くことになった。完全なる敗走だ。


 前線基地の壁の上でウルリヒに言われた言葉が、何度も何度も頭の中に響いている。『あなたに覚悟はあるのか』という、問いかけが――。


(……わたくしは、何の覚悟もできていなかった。これといった意志も持たず、エリーゼ様の人形として操られることを望んでいた。その方が、楽をできるから……。……何という怠慢だろう)


 自分は『エリーゼの指示』を、無意識のうちに言い訳にしていたのだ。自身の頭で物事を考えることを放棄し、自身で選択することを放棄し、ただただ言われた通りに動くことで、楽をしていた。


 そんな怠慢の埋め合わせを、エリーゼに押し付けようとしていた。泣きつけばいいや、という軽い気持ちで、責任や尻ぬぐいすらも、彼女に押し付けようとしていた。


 エリーゼは自分とは違って、強い人だから大丈夫だろう――。と、そう思っていたから。


(どれほど愚かなのでしょう……わたくしは……。エリーゼ様も、ただの一人の人間でしかなかったのに……まるで、完全無欠の女神のように妄信してしまっていた……。わたくしは、間違いを犯していた……)


 馬車の窓から遠くの景色を眺めて、どこかにいるエリーゼのことを想う。


 今までずっと、何も疑うことなく、彼女は自分とは違う特別な人間なのだと思い込んでいた。強くて、頼りがいがあって、何があっても屈しない鉄の女王。


 でも、それは誤りだ。彼女にも、あたり前に弱さがあったのだ。


 魔祓(まばら)いの戦線を見て、怯み、気分を悪くし、涙を流し、挙句の果てに辺境伯家から見限られる、という失態を演じた過去がある。……今の自分と、何ら変わりないじゃないか。


(唯一無二の似た者同士の友……。エリーゼ様はよく、わたくしにそう言いましたね。遅くなってしまったけれど……今なら、真意がわかる気がします)


 彼女は自分のことを友と呼んでいた。よく似ている友だ、と。

 似ているところなど、これっぽっちもないだろうに――と、恐れ多く思っていたのだけれど……今なら何となくわかる。自分たちはやはり、似ているところがあるのだろう。


 思い通りにならない物事が振りかかってきて、翻弄され、不甲斐なさに歯噛みしている。定まらない未来に恐ろしさを感じている。

 今、自分はまさに、そういう心地の中にいるが……きっとエリーゼも、暴君を相手にする日々の中で、ずっと、こういう気持ちを抱え続けてきたに違いない。今なら、そう察せられる。


 でも、弱い部分はひた隠し、見せないようにしてきたのだ。揺らがない強固な柱として、城の皆を支えるために。


 そうやって、見かけは見事に取り繕えていたけれど。内心はどうだったのだろう。日々、大いに揺らいでいたのではないだろうか。


 あの日、殴られた時の彼女はどういう心地だったのか……。痛み、恐怖、焦り――……察するに余りある。死んだふりをして王都を脱するのも、大きな緊張を伴ったに違いない。


 自分はそんな友の隣に立って、支えてやることもせずに、あまつさえベタベタと縋りついて甘えていた。


(あの日だけじゃない……わたくしはずっと、幼い依存心に浸っていた)


 こうしてエリーゼのいない場で、一人、重大な任務にあたり、他者から苦言を呈されて、大きな失敗をして――……ようやく、目が覚めた。自分の未熟なところを直視し、はっきりと認めるに至った。


 盲目の(じゅ)が解かれた心地だ。


(……エリーゼ様は、決して完璧な人ではない。盲目的に頼りにしてよい存在ではない。あの日、エリーゼ様は陛下の逆鱗に触れるという、大きな失敗を犯したのだ……。わたくしは彼女の失敗から学ばなければいけない。過ちを犯した彼女より、良い選択をしなければならない。国を、城を、民たちを、導いていくために――)


 それが、人々の上に立つ自分の役目。もう一人の国母としての役目だ。城から下りたエリーゼに代わって、残った自分が、揺るぎない柱にならないといけない――……。


 ずいぶんと遅い目覚めになってしまったが……ようやく、そこまで思いをめぐらせるに至った。


 もうエリーゼに依存して、エリーゼを言い訳にはできない。国の未来を負う覚悟を決めて、より良き道を選ぶ責任を負わないといけない。


 今までの自分には、その覚悟がなかった。エリーゼにすべて背負わせていた。だからあの日、彼女は無理を押して王に迫り、誤って怒りを買ったのだ。


 今更詫びても、詫び足りないが……今は謝罪の言葉を考えるより、巻き返しの策に頭を回そう。


(考えなければ。何が最良の道なのかを。わたくしが、自分で見定めないと――)


 王は横暴を増していき、城は荒れつつある。不安定極まりない情勢を考えると、悠長に王の寿命を待つのは得策ではないことは明らかだ。


 耐えきれなくなった城内の権力者、または漁夫の利を狙った国内外の権力者が、争い事に血を沸かせたら、見る間に制御できなくなるだろう。


 戦乱の時代が幕を開け、民の生活が脅かされる。これだけは避けないと。


(やっぱり、先立ってオトフリート家と縁を繋いでおくのは、利になるはず。国が荒れる前に、新たな柱を立てておかないと。新王という新たな基軸を。……やはり、若かろうがウルリヒ様を内定しておくべきだわ)


 先に、ここまで考えて覚悟を決めておけば、あの時、密約書を燃やされる事態にはならなかったのに。もう悔やんでも仕方がないことだが、思わず奥歯を噛んでしまった。


 リュミエラは窓から身を乗り出して、馬車の前方にいる御者へと命令を飛ばした。


「ごめんなさい、馬車をオトフリート家へ返してちょうだい! もう一度、お話し合いをしてきます!」

「えっ、は、はぁ……」


 御者は躊躇(ためら)いながらも馬車を停めた。同席している侍女が目をむいている。


「リュミエラ様……!? 城への帰りが遅くなってしまいますよ! きっと陛下がお怒りに……」

「怒られようが、殴られようが、かまいません。オトフリート家へ」


 もう一度命じると、馬車隊は反転して進み始めた。

 侍女の言葉を頭の中で引用して、さらに今後へと思考を回す。


(陛下がお怒りに、か……。どんなに水面下で事を進めようとも、新王を立てる動きは、いずれ陛下に感づかれるでしょうね。あの人は荒れるに違いない。手あたり次第に臣たちを殺しだすかも……。ならば、そうなる前に……彼を、殺してしまうのがよいだろうか。ねぇ、エリーゼ様?)


 あなたはきっと、ここまで考えていたでしょう?


 遠くの空に目を遣り、冷や汗と苦笑を浮かべる。エリーゼのことだから、いくつかのルートを想定しているはずだ。そのうちの一つに、王殺しのルートもあることだろう。


 そしてそのルートの主軸は、恐らく彼女ではない。彼女は()()()()()王を殺す、とは、一言も口にしていなかった。


(このルートの主軸は、恐らく、わたくし。殺すのは、わたくしだ)


 エリーゼはすべてのルートを明かしたわけではない。そこまで、詳細な指示を出されてはいない。でも、リュミエラは自らたどり着いた。そして自ら、意志を決めた。


 大丈夫、思ったより手は震えていない。


「……わたくしも、悪妃の素質があるみたい。誇らしいわ」


 鞄から紙とペンを取り出し、侍女にインク瓶を持たせて、新たな書類を書き上げていく。


 馬車が屋敷へ戻る前に、一枚の書類を仕上げた。新王の内定、ならびに、王殺しの兵を募る依頼書だ。エリーゼの名ではなくリュミエラの名のもとに、新しい密約書が出来上がった。





 これを携えて、再びオトフリート家の屋敷に上がった。


 ウルリヒとアルノーに見送りを受けたのは、つい先日のことだ。戻ってきたリュミエラを前にして、彼らは虚を突かれた顔をしていた。


 応接間にて、改めて向かい合う。書類を差し出したが、受け取る前に、アルノーは厳しい目を向けてきた。


「以前、おいでになったエリーゼ妃殿下(ひでんか)も気にくわなかったが、側妃も同じだな。実に気にくわん。我らを利用しようとするくせに、我らの抱える闇や(けが)れは、見るに堪えんと目を逸らす。軟弱者と手を結ぶなど御免だ」

「お待ちください、どうか今一度、ご縁の機会を! 事の詳細はこちらの書類に――」

「お断りする。妃殿下、どうかお帰り下さい」


 アルノーはソファーから立ち上がり、ウルリヒも後に続く。立ち去ろうと歩き出したが――……一歩を踏み出したところで、リュミエラは足に仕込んでいた小刀を取り出した。


 護身用の小刀を自分の顔に向けて言い放つ。


「待ちなさい! 破談となるようでしたら、わたくしは己の顔を切り裂きます。オトフリート家の刺客にやられた、と、陛下に嘘をつきましょう」

「なっ……!? 何を……」

「寵愛を受けているわたくしが、顔に大怪我を負って帰ったとあらば、あの暴君はどう出るか。良くも悪くも、後先を考えない王です。きっと大事(おおごと)になる。オトフリート領で大魔法をかまして、皆殺しを命じるやも」

「……ほう……我らを脅そうというのか」


 アルノーとウルリヒは神妙な面持ちで席に戻った。


 卑怯だと、なじられようが構わない。健気で可愛らしい妃――なんて役に立たない肩書きなど、今、この交渉の場では一切必要ないのだ。


 二人は険しい顔をしていたが……先ほどとは打って変わって、目の奥に光が見える。好奇心や野心に揺れているような、ギラギラとした目だ。


 そしてリュミエラもまた、同じような目をしている自覚がある。今度は怯むことなく、面と向かって覚悟を口にした。


「こちらの書類にお目通しを。新王権を立てるに伴い、必要であれば、ソーベルビア王を殺すことも(いと)わぬ覚悟でございます」

「どういう風の吹き回しでしょう、妃殿下。先日は僕の手を取ることを躊躇(ちゅうちょ)しておられたのに」

「あなた様のおかげで目が覚めたのです、ウルリヒ様。どうかもう一度、お考え直しを。改めた覚悟の証明に、爪を剥いでみせたってかまいませんわ」

「さすがに、そんなことは……女性を傷つける趣味は持ち合わせておりませんゆえ」


 思わず怯んだウルリヒを横目に、アルノーは口角を上げていた。使用人に筆記具を持ってこさせて、ウルリヒにペンを握らせた。


「先ほどの非礼を詫びよう。どういう心境の変化かわからんが、今のあなたは良い目をしている。再び軟弱者へと身を堕とした時には、我が家はあなたを見限るだろうが、それでも良ければ密約書にサインをしてやろう」

「ありがとうございます……! 心から、感謝申し上げます!」


 腹を決めたリュミエラに、アルノーは応えてくれた。

 ウルリヒは密約書を前にして、目を(みは)りながら、最後の確認をする。


「兄上、僕でよろしいのですか?」

「俺は騎士隊で手一杯だ。お前が適任であろう。父上とフェルス兄様への話は、俺が通しておく」

「では――」


 ウルリヒは書類にペンを走らせた。

 リュミエラとウルリヒの名前が並び、完成された密約書を受け取って、胸をなでおろす。


 これは新王の内定書であり、婚約の内定書でもある。ウルリヒが新王として立ったら、リュミエラは妃として隣に寄り添い、支えるのだ。


 かしこまった表情を崩さないまま、リュミエラは強い声音で告げた。


「王権交代の謀反(むほん)ではありますが、わたくしはこの反乱を、平和のための戦いにしたい。もし今後、ウルリヒ様が私欲による横暴をしたら……わたくしは命を懸けて、夫たるあなたを止めます。殺してでも」


 もう二度と、城に暴君をのさばらせるものか――。


 その覚悟で告げたら、ウルリヒは穏やかながらも凛とした声で返事をくれた。


「強く頼もしい妻を迎えられそうで何よりです。平和を願うあなたのお気持ち、しかと受け止めました。欲で我を忘れた時には、この首をあなたに託します」


 頷き合い、今、ここに密やかな契りが結ばれた。






 契約を交わした後は息つく間もなく、帰りの支度へと動いた。

 王に嘘をついての旅なので、元々旅程はギリギリだったが、これで遅れは決定的なものとなった。


 一応、婚約の内定に至ったのだから、ウルリヒと二人で、ゆっくりと茶会でもしたいところだけれど、もちろんそんな時間はない。


 かろうじて、馬車隊の荷の準備の間に、少し二人で言葉を交わす時間を取れた。


 屋敷の玄関先の庭端で、ウルリヒは表情をゆるめて、摘んだ花を差し出してきた。


「差し上げます。未来の花嫁様へ、プレゼントです」

「ありがとうございます。綺麗なお花……って、何をニヤニヤしておられるのですか」

「いやぁ……なんか、気が抜けてしまって。実はこの数日、妃殿下を前にして、ずっと緊張していたんです。とんでもなく可愛らしいお方でしたので」

「お口がお上手ですこと。でも、目が泳いでおりますよ。本当のところは?」

「……傍若無人と名高い王が寵愛しておられる、と噂を耳にしておりましたので、どんなタガの外れたお妃様なのかと、戦々恐々としておりました……。でも、感性が正常なお方で良かったです。戦地を見て、普通に怯んでおられて……本音を申しますと、少しホッとしました」


 取り繕わずに本音をこぼしたウルリヒに、思わず声を上げて笑ってしまった。


「あっはっは、なんて酷い言い草でしょう! タガが外れた妃だなんて、不敬もいいところだわ! あぁ、可笑しい。久しぶりにこんなに笑いました」

「陛下の前では笑わないのですか?」

「大口を開けて笑ったら、下品だと怒られてしまいますわ。陛下の前ではこう笑うのです。『うふふ』と、(しと)やかに」

「ははっ、器用でいらっしゃる」


 さっと切り替えて演技をしてみせると、今度はウルリヒが笑い声を上げた。


 未だ少年らしさの残る、年相応の笑顔を浮かべる彼を見て、リュミエラは初対面時の謝罪をした。


「最初に話をした時に、わたくしはあなたのことを見下げた物言いをしてしまいましたね。あなたでは頼りないから、アルノー様に代わってほしい、と……。でも、本音を言うと……わたくしはアルノー様より、あなたの方が好ましいと感じております。やわらかな雰囲気をお持ちのあなたは、国の顔として、民からも好かれるだろうと思うのです」


 エリーゼは長男のフェルスか、次男のアルノーと縁を結ぶようにと指示していた。けれど、リュミエラはウルリヒを選んだ。それはもちろん、政略でもあるけれど……胸の内で、物腰柔らかな人柄を好ましく思う気持ちがあったから、というのも、理由の一端だ。


 極めて私的な想いではあるが……実を言うと、雄々しく猛々しい人よりも、穏やかで優し気な人の方が、好きなのだ。


 個人の想いを交えるのは不謹慎だろうと思って、心の底に隠しておこうかと思ったのだけれど。つい、明かしてしまった。


 ウルリヒは照れたように笑い、遠くを見た。


「国の顔、かぁ。僕は良き王になれるでしょうか」

「大丈夫です。わたくしが寄り添い、お支えします」


 そう答えると、彼はわずかに頬を赤くして、手を差し出してきた。


「ありがとう。これから互いに好きになり、良い夫婦になりましょう。あなたとなら、そうなれる気がする」


 リュミエラは迷いなく、差し出された手を取った。彼の手は思っていたよりもずっと温かくて、優しげだった。


 にぎにぎと力を込めて、悪戯をしてくるウルリヒの赤らんだ笑顔と、プレゼントされた花束の良い香り――。

 

 生まれて初めて、胸がときめく心地がした。


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