表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/33

20 空の墓と僥倖

 火は日没を迎える前に消し止められ、翌朝の街には焦げの臭いだけが残されていた。

 

 ネッサの家は七割が倒壊。研究室も半分以上が焼け落ちてしまった。辛うじて、倉庫代わりの小屋が二つばかり残っている。が、敷地の中はずいぶんと寂しい風景になってしまった。


 朝早くから生徒たちが駆けつけてくれて、焼けた家の片づけを手伝ってくれている。皆で瓦礫をどかして、使える器具やらを選別していた。


 ネッサは焦げ付いた書類や、論文の燃えカスをまとめていた。エリーゼも彼女を手伝い、書物の(すす)を払っている。たまらない虚しさに、力なく呟きをこぼしてしまった。


「……言葉もありませんね……。こんなに燃えてしまって……。研究は取り戻せそうですか……?」

「研究書が燃えるくらいはどうってことない。その昔、王家もよく焚書(ふんしょ)をしたそうだよ。でも、学者たちはそんなことでめげたりしなかったそうだ。先人を見習って、あたしもまた、一から論文を綴ってやるさ。……って、学者としては、意地を張れるけど……」


 ネッサは深く息を吐くと、庭の端に設けられた墓標へと目を向けた。


「命が燃え尽きちまうってのは、どうにも、こたえるねぇ……」


 この、盛られた土に棒が立てられているだけの簡易的な墓は、キャンのものだ。買ったばかりの首輪を墓標に掛けて、供えてある。


 ピスカ、プカ、パックの少年トリオとフレーゲルが森に入って、花を摘んでくれている。もうじき帰ってくる頃だろう。


 裏の森は街の際に沿って燃えてしまったが、奥までは火がまわらなかったそう。大規模な山火事にならずに済んだことは、不幸中の幸いだ。


 領主フィデリオは総力を挙げて犯人を捜している最中だとか。家を失った民たちの仮住まいとして、屋敷の一部を開放している。情に厚い領主だ。エリーゼとネッサも、昨夜からお世話になっている。


 ほどなくして、焼け焦げた低木をかき分けて、少年たちが帰ってきた。両腕いっぱいに供花と木の実を抱えている。


「ただいま」

「花いっぱい摘んできたよ」

「あと、キャンが好きだった木の実も」


 片付けの手を休めて、エリーゼとネッサは彼らと一緒に、キャンの墓へと歩み寄った。


「ずいぶんと採ってきたねぇ、野リンゴかい。キャンがよだれを垂らしそうだ」

「ここに供えてあげて。きっと喜ぶわ」


 墓は一気に華やかになり、笑顔を浮かべて走りまわるキャンの姿が見えるようだった。


 これで墓としての体裁は整えられた。……けれど、肝心の亡骸は収められていない。小さな体は、灰に成り果ててしまったのだろう。骨の一つも拾ってやれず、何も、納めることができなかったのだ。


 見かけだけの(から)の墓。まるで、悪妃エリーゼの墓みたいだ。


 重い気持ちを振り切って、子供たちに声を掛ける。


「フレーゲルは? まだ森にいるの?」

「なんかねぇ、もっと奥行っちゃった」

「川の方に行ってくるって」

「川辺イチゴ採りに行ったのかも」


 川辺イチゴという小粒の苺も、キャンの大好物だ。手厚い供養を受けて、キャンの天国への旅は順風満帆であるに違いない。


「先にお祈りしてていい?」

「えぇ。祈りましょう」


 年少トリオは『早く祈りたい!』と、エリーゼとネッサを急かした。後でフレーゲルがそろったら改めて、もう一度、皆で祈りを捧げるとして――……まずは彼らと、先に手を合わせることにした。


「天の神よ、旅立つ者に安らぎと幸福のご加護を」


 胸の位置で両手を組んで目をつぶる。ネッサは祈りもそこそこに、目頭を押さえて文句を言っていた。


「まったく……せっかく首輪を選んでやったのに、付ける前に逝っちまって。似合ってるかどうか、わからず仕舞いじゃないか」


 エリーゼもまぶたの裏を潤ませながら、想いを口にする。


「キャン……ごめんね……」


 一人で旅立たせることになってしまって、ごめんなさい……。


 とめどなくあふれ出てくる後悔と懺悔の言葉を、胸の内で繰り返した。すると、『キャン!』と、応えるかのような声が聞こえた気がした。


『キャンキャン! キャン!』


 幻聴は次第に大きく、はっきりとしてきた。……――あまりにも鮮明に感じられたので、思わず目を開けてしまった。


 ふと隣を見ると、ネッサも同じように怪訝な面持ちで、口を半開きにしていた。


(……あれ……? わたくしの幻聴じゃ……ない……?)


 呆けた顔を見合わせていると、脇の森の方からガサガサと音が聞こえてきた。

 そちらへ目を向けると――……黒く汚れた綿玉を抱えたフレーゲルが、顔を出したのだった。


 綿玉はグリンと首を回してこちらを見た。つぶらな黒い瞳と丸い鼻。ニコリと大きく上がった口角、牙の覗く口からはペロンと舌が垂れている。


 ヘッヘッヘと上がった息の合間に、綿玉はまた、『キャン!』と高らかに鳴いた。


 庭にいた一同は、皆、ポカンとした顔のまま固まってしまった。


 フレーゲルは焦げ木の茂みから出てきて、苦笑まじりに説明する。


「いやぁ~、見てよこれ! よかったよかった! 瓦礫をどかしても遺骸がなかったから、もしかしてって思ってさ~。一応、森の奥とかも探してみたんだ。こいつ、結構すばしっこいし、ちゃっかり難を逃れて、川辺イチゴでも食ってるんじゃないか――って思ったら、本当に貪り食ってたよ!」


 のん気な奴め~! と、彼は飛び切り陽気な声で笑ってみせた。


 抱えられた綿玉は、間違いなくキャンだった。

 体は煤まみれで汚れているし、熱にやられたのか、毛先が縮れているけれど――……まごうことなき、キャンであった。ボロの首輪だって、そのままだ。


「うそ……嘘……っ……キャン!」


 力が抜けきった体を叱咤して、よろめくように歩み寄る。

 綿玉の体に触れた瞬間に、堪える間もなく涙があふれ出てきて……縋りついて、思い切り泣いてしまった。


「……生きてた……! あぁ、キャン……っ! よかった……よかったぁ……っ」

「昨日、俺が両手を貸してあげた時より泣いてるじゃん……犬に負けた」


 フレーゲルが何か呟いていたが、自分の泣き声にかき消されて、耳には届かなかった。


「なんて図太い犬っころなんだ……! さすがあたしの犬だよ! あぁ、よかった……! 墓じゃなくて犬小屋を作らないといかんね!」


 ネッサも大泣きしながらキャンに縋りつき、フレーゲルに代わって抱き留めた。


 胸が喜びに満ち満ちて、あふれ返った気持ちは涙となり、こぼれていく。これほどまでの僥倖(ぎょうこう)に恵まれたことがあっただろうか。


 抑えきれない想いに泣きじゃくっていると、フレーゲルが冗談めかして腕を広げてきた。


「今度こそ胸を貸してあげようか? な~んて――……」

「ありがとう! お借りします!」

「へぇっ!?」


 裏返った悲鳴を無視して、エリーゼは胸の中に飛び込んだ。


 どうやら人間というものは、極限まで気持ちが昂ると、普段しないことを簡単にやってのけてしまう勢いが出るらしい。

 フレーゲルの背中にガバリと腕を回して、力一杯、抱き着いてしまった。


 顔を寄せた彼の胸からは、熱い体温と騒がしい心臓の音を感じる。それがまた、なんとも可笑しくて、こそばゆくて、愛おしく感じられて――……今まで生きてきて、感じたこともないような、たまらなく、良い心地がした。


 エリーゼの背中にも、恐る恐るといった様子で、腕がまわされていく。

 悪ガキトリオはヒューヒューと口笛を吹いて(はや)し立て、他の子どもたちも黄色い声を上げていた。


 今、この場に満ちる空気を、この気持ちを、どう例えたらよいだろう。すべてが心を高鳴らせ、踊らせる。


 城の中で大仕事を成し遂げ、人々に礼賛された時にも、高揚と感慨深さを覚える事はあったけれど……そういう感覚とは違う。根底から異なる種類の、不思議な心地良さだ。これは――……。


(――そうか。きっとこれが、『幸せ』という心地なのだろう) 


 はたと理解して、感じ入ってしまった。


 こんな、至高といってよいほどの、素敵な気持ちがあるなんて……知らなかった。少なくとも、自分とは縁遠いものだと思っていたのだけれど。こうして身をもって享受する日が来るとは。


(わたくしにも、こういう気持ちの享受が許されるのなら……城に戻ってからも、もっと、幸せだと思えることを探して、追い求めて、手にしてみてもいいかしら)


 ふわふわとした心地の中で、ふと、そんなことを思ってしまった。


 課せられた務め、義務――。ひたすらに、そればかりをこなしてきた人生だった。

 それだけを見つめていなければいけないのだと、思ってきた。思い込んで、きたのだ。


 けれど、今、視界が開けた気がした。


 もっと、自分が幸せだと思える物事にも、目を向けてみてよいのかもしれない。心地良いこと、楽しいこと、好きなこと――。己を滅して、それらを拒む必要があるのだろうか。


 義務を果たしながら、同時に、幸せを追うこともできるのでは――。


(そういうことが、可能ならば――……やりたいこと、やってみたいことがたくさんあるわ。まずは、民のための開かれた施設を作ってみたい。学校、図書館、相談所、他にも色々。身分を問わず利用できる、有益な場を作ろう。人々の幸福な暮らしを助ける場を、たくさん――)


 そういう公共施設を、国中に作り上げたならば、きっとここにいる皆も、喜んでくれるに違いない。フレーゲルだって、笑ってくれるはず。

 皆のために、彼のために、何かできるのならば、それは自分にとっての、この上ない幸せだ。


 王の世継ぎを生む、という義務から、新王権の発足へと目標が変わり、そして今、新たな夢ができた。


 この夢に向かって、邁進していきたいけれど――……一つだけ、胸にくすぶる想いがある。


(でも――……この抱擁から抜け出すのは、少し惜しい気もする。玉座よりもこの胸の方が、ずっと温かだわ)


 城に戻り、冷たい玉座に寄り添うよりも……フレーゲルの胸元に身を寄せている方が、ずっと心地良い。

 腕の中にいる、今この瞬間だけは、そんな甘えに浸ってもいいだろうか。


「フレーゲル真っ赤だ!」

「わははっ、トマトみたい!」


 子供たちにからかわれるフレーゲルを見上げて、エリーゼも、今、この瞬間を思い切り楽しむように、弾んだ声を上げて笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ