19 勇敢で、馬鹿な騎士
馬の駅にて――。厩舎の掃除を終えて外に出た時、ふと見上げた空の一角が濁っていることに、フレーゲルは気が付いた。
同僚たちもざわめいていて、駅に入ってきた馬車の御者に話しかけていた。
「向こうの空が暗いが、何かあったのかい?」
「火事だよ火事。街境の森で。民家も燃えてるみたいだ。さっき領主屋敷の前を通ったら、フィデリオ様が兵隊たちを連れて飛び出していったよ。今日は風が強いから、消火も難儀しそうだな」
空の方角、街境の森、焦る領主――。一瞬にして、すべての事柄が頭の中で繋がってしまった。
フレーゲルは掃除道具を投げ出して走り出していた。
「おい、フレーゲル!? どこ行くんだよ!」
「悪い! そっちに知り合いが住んでるんだ! 馬を借りる!」
同僚が誘導していた馬の手綱を奪って、背中の鞍に飛び乗る。休憩に入ろうとしていた馬は面食らっていたが、たたらを踏んだ後、操られるままに走り出した。
「……なんだあいつ。馬術、上手かったのか」
「掃除と餌やりくらいしか能がないと思ってたが……騎兵じみてるな」
猛々しい馬術を目の当たりにして、呆ける同僚たちを横目に、馬を駆って駅を出た。
街中を突っ走り、火元へと向かう。
近づくにつれて煙は量を増し、焦げ臭さが鼻をついた。怯み出した馬を乗り捨てて、野次馬の人垣に分け入った。
(クソッ、嫌な予感が当たっちまった……! 学校は!? 二人は……!?)
人の壁を越えると、一層、熱と煙と火の粉の勢いが増した。
消火隊が水路の水をポンプで引き上げたり、バケツを忙しなく振りかぶって、火をまとった民家に水をかけている。
避難誘導をしている兵もいたが――……誘導される人々の中に、ネッサの姿を見つけた。
「ネッサ博士! リセは……!? 一緒じゃないのか!?」
叫びながら駆け寄ると、彼女は煤で真っ黒になった顔を歪めて、声を絞り出した。
「あの子は……入って行っちまった……煙の中に……。……家にキャンがいるからって……」
「……っ!」
聞き終える前に、もう走り出していた。
博士の家に向かう道中、領主とすれ違った気がした。何か叫ばれたが、聞きとめずに駆けていく。
勢いのまま、家の庭へと飛び込んだ。通い慣れた学校の風景は……もう、そこにはなかった。
炎と煙と、草木の水蒸気とが入り混じって、筆舌に尽くしがたい、不快な空気に満たされている。さながら、魔界の瘴気の中にでもいるみたいだ。
熱風と倒木で壊されたのだろう……小屋の一つが真ん中あたりで潰れ、崩れている。リセとネッサが家として使っている、居住用の建物だ。
(……っ! まさか、中に……っ!?)
むせ返るような煙と熱の中、グッと息を詰めて、倒壊した部分から中へと滑り込んだ。
柱や家具などの木材には火が移っていて、吹き込む風で煽られ、チリチリと肌を焼いてくる。煙に負けた目が痛みだし、息をする度に胸が悲鳴を上げる。
目も耳も鼻も利かない地獄の中で、例えようのない恐怖心が込み上げてきて、体がすくんだ。
長くこの場にいたら、間違いなく、死を迎えることになるだろう。それも、酷く惨たらしい死を――……。
頭が勝手に回り、今、自分が対峙している状況と、最悪の行く末とを照らし合わせ、突きつけてくる。本能が強烈に揺さぶられ、逃げ出したい衝動に襲われた。
けれど――……奥歯を噛み締めて、踏みとどまる。
(ここで尻尾を巻いて逃げ出したら、騎士もクソもない……!)
怖気づきそうになった心を振り切って、前へと踏み出した。
「リセ! リセ!! どこにいる!! リセ――っ!!」
咳き込みながら名前を呼び、瓦礫を除けて探す。
リセの騎士になりたいという想いは、心の底からの願いだった。振られてから、距離と時間を置いてみたけれど……結局、諦めきれるものではなかった。
だから今、自分はここにいるのだ。
一心不乱に、わき目もふらずに突っ走って、こうして地獄の真ん中に転がり込んでしまった。これが証明だ。彼女への気持ちが、未だこれっぽっちも断たれていないことの、何よりの証明――。
そんな、大切な想いを放り出して、今、恐れに負けて逃げ出したら……今度こそ、自分と言う人間は終わりだ――……!
胸の内に気合いをたぎらせて、行く手を阻む大柱を力づくでどかした。
と、その時――。瓦礫の隙間から、輝く銀糸と布が見えた。リセの髪とスカートだ。
「リセ……!」
崩落の下敷きになったのか――。
無我夢中で瓦礫をかき分けた。埃と血で汚れた体が露わになったが……彼女はぐったりとしていて動かない。
人形のように力をなくした体を腕に抱いた。
「そんな……っ! リセ! リセ……っ!!」
「…………うぅ……」
大声で呼びかけると、彼女はわずかに身じろいで呻き声をこぼした。
(生きてる……!!)
へたり込みそうになった自身の体に、再び力がみなぎった。そのまま抱き上げて外を目指す。
「しっかりしろ! 大丈夫だから……!」
絶対に、守り通すから。助け出すから――。
焼け崩れた天井の瓦礫が、肩やら背中やらを叩いたが、もはや痛みも熱さも苦しさも、意識には上らなかった。
■
ふと気が付くと、エリーゼはどこかの草原に立っていた。
広大な敷地には、点々と石板が立てられていて、ここが墓地だということに思い至る。
周囲を見渡した後、おもむろに、足元に目を向けてみると、埋葬途中の棺が横たわっていた。蓋は開かれていて、中の亡骸が露わになっている。
そこで眠っているのはエリーゼだ。
そうか、ここは自分の墓地だったか、と、ようやく気が付いた。
空の棺ではなく、ちゃんと自分の遺体が収められている。その様を見下ろして、しみじみと思った。
あぁ、今度こそ本当に死んだのか、と。
そう思うと同時に、頬に何かが流れる感覚を覚えた。触れてみると、それは涙のよう。どうやら自分は、自分の遺体を見て泣いているらしい。
泣きながらも、自嘲を込めた笑みを浮かべて、呟きをこぼしてしまった。
「……ずるいことをしたから、罰が当たったのね……」
口からこぼれ出てきた言葉は、王都を脱したあの日、心の底の底に封じ込めて鍵をかけた想いの、一端だった。
■
まぶたを震わせて目を開けると、つい今しがた見ていた夢は、跡形もなく消え散った。
かすむ視界の向こうに天井が見える。が、すぐに人の影に遮られた。
ネッサとフレーゲルだ。彼らはエリーゼの顔を覗き込み、慌てた様子で声を掛けてきた。
「起きたかい!? あぁ、良かった……!」
「リセ、大丈夫……!?」
ここはどこか。自分は一体どうなったのか。問いかけようとしたが、喉がひりついて声が出なかった。
身じろいで咳き込むと、フレーゲルが体を支えて起こしてくれた。水のグラスを手渡されて、喉を潤す。
枯れた声をどうにか捻り出して、状況を尋ねた。
「……ここは……病院ですか?」
「中央広場の病院。……火事で家が崩れて、リセは巻き込まれたんだよ。覚えてる?」
「……えぇ……」
「まったく! フレーゲルが助けに入らなかったら、お前は死んじまってたよ! どれだけ肝を冷やしたか……! ――っと、まずは医者を呼んでくるから、待ってな」
「……ご迷惑をおかけして……申し訳ございません……」
席を立ったネッサの背を目で追って、部屋の中へと視線を移す。ここは上等な個室のようだ。ベッドの脇には、道中でエリーゼが放り出したはずの荷物がまとめられていた。
自分の腕には包帯が巻かれている。そしてフレーゲルも、シャツの下から手当ての跡が覗いていた。
朧な記憶だが……凄まじい熱の中で、誰かが守るように、この体を抱きかかえてくれていた気がする。それは、彼だったのか。
「……ありがとうございます、フレーゲル。助けていただいて。……怪我をさせてしまってごめんなさい」
「いいって。怪我の絶えない、やんちゃな男の方がモテるんだ! って、前に同僚が言ってたし」
フレーゲルは茶化すように笑って、テーブルの上に置かれているフルーツを手に取った。見舞いの品のようだ。房から一口大の粒をもぎ取っていく。
「火はまだくすぶってるみたいだけど、夜には片が付くだろうって。領主様が言ってた。家をなくした民は領主屋敷に迎え入れるってさ」
「そう……ですか。……家…………キャンは……」
名前を口にしたことで、途端に、容赦のない現実感に襲われた。エリーゼの様子を見て、フレーゲルも笑みを消し、静かに首を振った。
そう……ネッサの家は失われてしまったのだ。中にいた、キャンもろとも――……燃え落ちてしまった。
顔を伏せると、ベッド脇の荷物が視界に入ってきた。
箱の中のガラス類は、ほとんど割れてしまっている。その上に置かれた紙袋が、エリーゼの胸を締め付けた。
手に取って、中の物を出す。キャンのために買った首輪だ。白い花の革細工が可愛らしい首輪。クリーム色のふわふわの毛に、あの能天気な満面の笑みに、よく似合うだろう首輪。
もう贈る相手は燃えてしまった。やわらかな毛皮は失われ、小さな体は焼け焦げて瓦礫の下敷きになっているだろう。
宛をなくした首輪を手にして、堪えがたい気持ちに身を震わせてしまった。
(……キャンは死んでしまった……。……現実を……罪を、受け止めないと……。わたくしの行動が、あの子に死をもたらしたのだから……)
朝、出掛ける前に時を戻せたなら、どれほどいいだろう。……でも、そんな事は叶わない。ならば受け止めるしかない。胸を締め付ける激情に身を震わせながら、ただ耐えるしかない。自分には、泣くことすらも許されないだろう……。
涙をこらえて項垂れるエリーゼの肩に、そっと、フレーゲルの手が添えられた。
「あのさ……悲しい時は思いっきり泣いてしまった方がいいよ。そうしないと、心が駄目になるから」
彼はどこか遠くを見るような目をして、話し始めた。
「……俺、実は昔、剣を握ってたことがあるんだ。今よりずっと、死に近いところにいてさ……。そういう暮らしの中で、誰かが死んだ時には、仲間と一緒に涙が尽きるまで泣くんだ。そうすると、心の澱みも流れていって、次の日もまた、ちゃんと剣を握れるようになる」
横の椅子からベッドの端へと身を移し、彼は腕を広げてみせた。
「泣くのが苦手なら、胸を貸そうか」
「……殿方の胸で慰めをもらうのは、憚られます……」
「ははっ、しっかりしてるなぁ、リセらしいや。じゃあ、両手の先だけ、貸してあげる」
フレーゲルは大きな手のひらを上に向けて、エリーゼの手を迎えようとしてくれた。促されるまま、彼の手を握ろうと、身じろぎかけて……それでも、思いとどまった。
「借りることなど……できない……。わたくしはあなたの手を払い除けたのに……」
この前、騎士の名乗りを上げたフレーゲルの手を、エリーゼははらってしまった。それを今更借りようなどと、調子が良いにもほどがある。
そう思って躊躇ったのだが、フレーゲルは問答無用でエリーゼの両手を握りしめてきた。
「それ、いつの話? もう忘れたよ。俺、馬鹿だから、全然覚えてないや」
エリーゼの両手は、ずいぶんと大きくて無骨な両手に包み込まれた。
「…………下手な嘘……」
思い切り傷付き、気にして、今日まで顔を見せずにいたくせに。そんなことを言ってのけるなんて。
決して取らないと決めた手なのに。無下に振り払った手なのに。どうしようもなく温かで、優しくて、純然なる愛を感じて――……握りしめたまま、ただただ涙をこぼしてしまった。




