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18 抗えなかった情動

 それから少し経った、とある日の朝のこと。ネッサは食休みもそこそこに、出掛ける支度をしていた。


「あら、珍しい。ネッサ博士、今日は食後のコーヒーをお飲みにならないのですね。どこかに買い物ですか?」

「注文していた道具類が入荷したってんでね。引き取ってくるよ」

「そうですか。……わたくしも同行してはいけませんか?」

「そりゃいい。荷物持ちとして使ってやろう」


 何となく、同行を願い出てしまったのだけれど、彼女は快く許してくれた。


 エリーゼも支度をして、生徒たちへ向けた知らせの紙を走り書く。『本日の学校はお休み』、と。

 ネッサがこちらを見て、やれやれと苦笑をこぼしていた。


「ま~だ気持ちが晴れないかい?」

「え? 何のことでしょう?」

「おや、お前さん、自分で気が付いていないのかい。ここ最近、ずいぶんと腑抜けた顔をしているよ。懐いてた犬がいなくなっちまって、寂しがってるんだろう」

「そんなことは……」


 言い返そうとしたが、口をつぐんで息を吐いた。


「……いえ、そうですね。そうかもしれません。恥ずかしながら……」

 

 ネッサの買い物についていきたい、なんて、今まで一度も言ったことがなかったのに。つい口にしてしまったのは、無意識のうちに、人恋しさを募らせていたからだろう。

 

 掲示の紙を手にして玄関へ向かうと、キャンも走ってきた。綿玉みたいなふわふわの体を弾ませて、『散歩!? 行く行く!』とばかりに、全力の笑顔を浮かべている。


「残念ながら、キャンはお留守番よ。良い子で待ってて」

「ついでに新しい首輪でも買ってくるかね。もうボロボロだろ、それ」


 ボリュームのある毛をかき分けて、確認してみると、革の首輪は端がほころび、毛羽立ってきていた。


「よかったわね、キャン。博士が新しい首輪を買ってくれるって。お土産を楽しみにしてて」


 毛並みをわしゃわしゃと撫でまわすと、キャンキャン! と嬉しそうに鳴き、尻までぷりぷりと振り回していた。


 何もわかってなさそうだが、とにかく楽しくて仕方ない! という姿を見ていると、気持ちが解ける心地がする。


 キャンの、のん気な笑顔に見送られながら、エリーゼはネッサと共に家を後にした。



 二人で他愛もないお喋りをしながら、商店が並ぶ通りを目指す。

 ガラス製品を扱う店に入って、ネッサは老齢の男性店主に注文書の控えを渡した。


「これを引き取りにきたんだが」

「はい、ただいま。――こちらですね。どうぞご確認を」


 店主はカウンターテーブルに品を並べた。


 メモリが刻まれたガラスの容器や、三角形の容器、液体を吸い上げる細いガラス管、などなど。実験器具の類と察せられる。


 未だに、ネッサが何を研究しているのか、エリーゼは知らずにいたが……ちょうど良い機会なので、思い切って探りを入れてみることにした。


「わたくし、博士の研究を未だ知らずにいるのですが……。まだ秘密ですか?」

「潔癖な城人(しろびと)には教えてやるものか。――と思っていたが、あんたも前より柔らかくなってきたし、ちょいと教えてやろうかね」


 柔らかくなった……だろうか。自分ではよくわからないが、考え込む前に、ネッサが話し始めた。


「あたしはね、伝承とか古い魔法やらが専門なのさ」

「魔法? まさか、博士には魔術の心得がおありなのですか?」

「さてね。それは秘密だ」

「今更、正体は魔女でした、と言われても、驚きもしませんけれど」

「ははっ、もっとおぞましい化け物かもしれんよ」


 ネッサはグレーの右目とオレンジがかった左目を細めて、ニヤリと笑った。怪しげなオッドアイでガラス容器を検品しながら、話を続ける。


「呪術なんてのも専門分野でね。最近では、呪術的な風習に悩む、領主の相談に乗ったりしている。それがなかなか、大きな案件で――……。っと、よし。品は確かだね。店主や、サインはここでいいのかい?」


 検品を終えて、彼女は受け取りの書類にサインを入れた。店主が手際よく古紙で品物を包み、箱に収めていく。エリーゼが荷物持ちとして箱を受け取った。


 次はすぐ近くの革細工の店に向かう。


 こぢんまりとした店内には、所狭しと品物が陳列されている。その中から犬の首輪を探し出し、あれこれと手に取って見比べた。


「まぁ、可愛らしい物がたくさん。これなんてどうでしょう。花飾りが素敵だわ」

「あの綿玉犬に花飾り? お洒落を気取りすぎてないかい? こっちのトゲトゲの首輪の方が格好良いだろうよ。強そうで」

「強そうって……見掛け倒しもいいところでしょう。小さな犬っころに何を言っているのだか。絶対、花の方が似合います」


 肩を寄せ合って、遠慮もなしに言い合いをしている二人を見て、店員の中年女性が頬を緩める。が、エリーゼもネッサも品選びに夢中で、気付かずにいた。


「花ねぇ。まぁ、今のボロ首輪が飾りっ気のないデザインだから、次は洒落たのもいいか。でも、真っ赤な花はさすがにないだろう。あたしは白がいい、白」

「そうですか? じゃあ、これはどうです?」

「お、いいじゃないか! いや、待て。こっちもなかなかじゃないか?」

「あら素敵! それにしましょう」


 二人の手の上でクルクルと確認された後、首輪は会計カウンターへと移された。紙袋に入れられて、エリーゼの手元へと渡る。


 店員はふっくらとした目元をゆるめ、ネッサに笑いかけた。


「お孫さんと仲が良くて羨ましいわ」

「そりゃあ、どうも。この子は四十年前のあたしにそっくりだからね、気が合うのさ。おかげさまで楽しいもんだ」


 ネッサはさらりと冗談を飛ばし、店主も楽し気に笑っていた。


 実際はまったく他人であり、血は繋がっていないのだけれど。一緒に生活していると、似てくるものなのか、(はた)から見たら仲の良い祖母と孫に見えるらしい。


 なんとも言えない、むず痒い心地を覚えながら、エリーゼは微笑みを返した。


 店員とネッサは、その後もしばらくお喋りをしていたけれど、エリーゼは、ふと目についた商品の棚へと歩を進めた。


 店内には装飾品だけでなく、色々な革具が置かれているが、眼帯も取り揃えてあるようだ。黒革の帯を見つけて、つい余計な考え事をしてしまった。


(あの人も色男を自称するなら、眼帯をもっと華やかな色にしたらいいのに。真っ黒じゃなくて。……――って、余計なお節介か)


 首を振って考えを振り切り、伸ばそうとしていた手を戻す。


 ほどなくして、お喋りを終えたネッサと並んで店を出た。



 そうして帰りの途に就いて、すぐのこと――。

 歩くにつれて、人々の騒がしさが耳につくようになり、事件を知ったのだった。


「また火事だってよ」

「嫌だねぇ……まだ犯人は捕まってないのかい」


 そんな声を耳に入れながら空を仰ぐと、確かに、遠くの方で煙が上がっているのが見えた。建物の隙間から、チラと見えただけだが――……その方向に思い至った瞬間、ゾクリと悪寒が走った。


 嫌な予感は、通りすがりの人々の会話で肯定されてしまった。


「今度は森の中かい」

「街の端の森だって。際のとこだよ。民家も燃えちまってる」

「あーあー、えらいことだな。気の毒に……」


 ネッサは煙で濁る空を呆然とした面持ちで見上げながら、走り出した。


「嘘だろうよ……おいおいおい……勘弁しておくれよ!」

「……っ!」


 よろめき、転がるように駆け出したネッサに続いて、エリーゼも走り出す。


 今まで生きてきて、初めての、全力疾走だ。前にフレーゲルにからかわれた時とは、比にもならないほどの、本気の力が無意識に出ていた。あっという間に息が上がったが、苦しさすらも忘れてひた走った。


 入り組んだ街の道を最短距離で走り抜け、家の近くの通りまで来ると、野次馬の人だかりができていた。


「ええい、邪魔だ! どかんかい!!」

「通してください! 通して……っ!」


 二人で必死に人の壁をかき分ける。人垣を越えた先は、煙と火の粉の世界と化していた。


 人々が火元の方から逃げてくる。その流れに逆らい、家へと走っていく途中で、人とぶつかって抱えていた荷物を落としてしまったが……構っている余裕などない。


 家の方へと近づくにつれて、煙と熱の猛威に晒されていく。もう認めざるを得ない。火元は間違いなく、裏手の森だ。黒い煙の中に、揺らめく真っ赤な炎がチラついて見える。


 この様だと、ネッサの家も無事ではない――……。


『早く逃げろ!』と、人々が叫びながら、横を駆け抜けていく。ぶわりと風が起きて、凄まじい熱風と火の粉を浴び、エリーゼとネッサはたまらずに足を止めた。


 ネッサは呆然と立ち尽くすに留まったが、エリーゼは風が収まると、また駆け出そうと歩を出した。が、腕を思い切り引っ掴まれて、止められた。


「このままじゃキャンが……! 助けないと!」

「駄目だ! 死んじまうよ! あきらめな!」


 今までにないくらい強い口調で、ネッサは叫びを飛ばした。けれど、彼女の目には、こぼれそうなほど涙が溜まっていた。


 いつも飄々としていて、誰が相手だろうと強気で、ぶっきらぼうな老婆。そんな彼女が泣きそうに顔を歪めて、震える手に無理やり力を込め、縋りつくようにエリーゼの腕を掴んでいる。


 その様子を前にした、この気持ちを、言葉にできようか――。もう、たまらなくなってしまって、制止を振り切り、一心不乱に駆け出していた。


 煙が目にしみて、エリーゼの目にも涙が溜まっていく。


(わたくしが家にいれば良かったのに! 一緒に留守番をしていれば、キャンを連れてすぐに逃げられたのに……!)


 人恋しさなんぞにかまけて、いつもと違うことをしたからこうなった。自分が甘えさえしなければ、火の迫る家の中に、キャンを閉じ込める事にはならなかった――。


(わたくしのせいだ……っ)


 滲む視界の中、転がり込んだ家の庭には、火の粉の雨が降り注いでいた。


 テーブルや椅子は炎をまとっている。せり出していた裏の森の大木が裂けて、火のついた大枝が小屋を潰し、被さっていた。


 石壁の家だが、中の柱や家財はすべて木製だ。火が移りつつあるのが、一目で見て取れた。


 バキバキと木が裂ける音と、ゴウゴウ唸る炎と煙の音の中に紛れて、甲高い鳴き声が聞こえる。キャンキャンと、助けを求めるような声が、家の中から聞こえてきた。


 怯む心を無理やり意識の端に追いやって、エリーゼは小屋へと走る。ハンカチで口を覆い、倒木によって壊された壁の間から中に入った。


 小屋の内側は地獄のように蒸されていて、頭がクラクラする。身を低くして進んでいくと、奥の研究室の方にキャンの姿を見つけた。


「キャン……! おいで!!」


 呼びかけるとキャンも気が付いたようで、丸い目と鼻を勢いよくこちらに向けた。舌を出して息を弾ませながら、弾かれたように駆けてくる。


 良かった、無事だ――……!


 ホッとするあまり、目の端から涙がこぼれた。


 が、その直後――。

 天地を裂くような轟音が聞こえたかと思うと……エリーゼはもう、上下がわからなくなっていた。


 柱が限界を迎え、天井が崩れたのだ。裏の巨木がさらに倒れ込んできて、家を潰したのかもしれない。定かでないが……エリーゼには、もはや考える余裕などはなかった。


 煙と埃で息ができない。真っ暗闇しか見えなくて、もはや目を開けられているのかどうかすらも、わからない。


 自分は今、どうなっているのだろう。体が動かせないのは瓦礫のせいか、それとも怪我のせいか。もしくは、頭を打って意識が虚ろなせいか。


 キャンの声もパタリと聞こえなくなった。自分の耳がおかしくなっているからか、それとも――……。


(……キャン……ごめんね……。……博士も、ごめんなさい……。わたくしは、ただ無力で向こう見ずな、愚か者だ……)


 込み上げてくる、やるせなさと一緒に、しょうもない想いまで胸に湧いてしまった。自分の通り名は、『悪妃』よりも、『愚妃』の方が相応しいのではないか、なんて……。


 情動に任せて、考えなしに飛び込んで、何も為せず、ただ悪戯に炎の生贄となってしまった。これを愚かと呼ばずに、なんと呼ぼうか。


 自分はこれほどまでに、愚かな人間だっただろうか。街暮らしをするうちに、変わってしまったのか……?


(……いや……違うわね……。わたくしは……初めから…………)


 自嘲の笑みをこぼしてしまったが、すぐに咳の苦しさで歪められた。


(…………あぁ……熱い…………)


 猛烈な熱を感じたのを最後に、意識は遠のいていった。


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