14 次の王を定める密談
リュミエラは王都を発ち、とある地方の街へと向かった。
子宝の加護にあずかれる泉があり、バルド王国の歴代の妃たちが、度々、沐浴に訪れたという歴史ある街だ。
が、街の領主に挨拶した後、つじつま合わせに身代わりの侍女を置いて、リュミエラ自身はさらに遠方へと向かう。
目指すのは国の端っこ、最果ての地。『魔物の谷』とも、呼ばれている辺り。国境の広大な領地を持つ、オトフリート辺境伯家を訪ねる。
(オトフリート家、嫡男フェルス様。もしくは次男のアルノー様。どちらかを新王候補として定める密約を交わす――)
都の貴族たちの中には、オトフリート辺境伯家を『田舎貴族』と揶揄する者もいるが、そんなものは取るに足らない悪口だ。
伝承によると、バルド王家とも古い縁があるのだとか。時代を経るうちに、すっかり都とは疎遠の、地方貴族家になってしまったようだが……でも、由緒正しい家柄であることには違いない。
歴史の深さに加えて、財力、軍備も申し分ない家だ。血族と魔法の統治が揺らぎつつある王家よりも、安定感があるといえる。
さらに言うと、彼らは特別な騎士隊を抱えているそうで。豪剣を振るう勇猛な騎士隊は、忠誠を重んじ、死をも恐れず戦い抜くと噂されている。
大それた謀反の主軸として、エリーゼが指定したのも納得だ。
(いざとなったら、エリーゼ様は騎士隊を率いて、王を討つ気でいらっしゃるのでしょうね。わたくしは……なるべく荒事は避けたいけれど)
もし、その時が来てしまったら、指揮をエリーゼに委ねて、自分は地方で身を隠そう。ふむ、と頷き、リュミエラはオトフリート辺境伯家へと急いだ。
変装して関所を通り、彼の領地へと入り込む。街で休むこともせず、屋敷へと馬車を進めた。
王を欺き、公務の間隙を縫った急ぎの密談ということで、事前の約束もなしに押し入る形になってしまったが、丁重に応接間へと通された。
屋敷の面々には驚かれつつも、慣れた対応をされたので、もしかしたら以前にも、こういうことがあったのかもしれない。
緊張しながら応接間で待っていると、ほどなくして、オトフリート家の人間が顔を出した。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、妃殿下。お初にお目にかかります、ウルリヒ・オトフリートと申します」
(ウルリヒ、様……? まぁ……三男坊が出てきてしまいましたか)
当主、長男、もしくは次男――あたりが出てくることを想定していたが、まさか末子の三男と対面することになるとは思わなかった。
長男フェルスは家を継ぐ義務があるため、王城への誘いは断られる可能性がある。その場合は次男アルノーと縁を繋いで、新王権に迎え入れる。――むしろ、こちらの第二案の方が本命だろう、と、リュミエラはエリーゼの策を読んでいた。
次男アルノーは騎士隊の隊長という身分もあり、強き新王として、肩書きの見栄えも良い。
だと言うのに……。まさか名もなき三男、ウルリヒが出てくるとは。
彼はまだ十六歳。少年の面影を残していて、良く言えば、おっとりとした優し気な雰囲気の男だ。けれど、悪く言うと……見るからに頼りない男、といった印象である。
柔らかな長い茶髪を結い上げていて、遠目に見たら女と見間違えるほどの優男だ。
『こんな相手じゃ、話にならない』、と、エリーゼだったら、そう思うだろう。
内心で色々思いつつ……とりあえず挨拶をしておく。
「リュミエラ・ヴィクトール・バルドと申します。突然の訪問となりまして、申し訳ございません」
「何か急ぎのご用事でしょうか? あいにく父と長兄は遠くへ出ておりまして……。次兄は騎士隊の基地におりますので、二日ほど頂ければ屋敷に呼び戻せます。今は僕が屋敷を預かっておりますので、ご用件も僕がお伺いしましょう」
着席をうながされたので、ソファーへと腰を掛ける。
(どうしましょう……。彼に話してしまっていいのかしら。それとも、ご当主や兄君を待った方が……? でも、旅程がギリギリだから、あまり待つことは……)
王に嘘をついて出てきている手前、旅程がずれ込むのは避けたい。帰りが遅いことを不審に思われ、迎えでも出されてしまったら、泉の街に身代わりを置いていることがばれてしまう。
(とりあえず、ウルリヒ様に話しておいて……後から、お家の方に話を通しておいてもらおうかしら)
迷い、躊躇いながらも、リュミエラは鞄から書類を取り出した。エリーゼが書いた密約書だ。
手渡すと、ウルリヒは文面に目を走らせて、息を呑んだ。
「これは……エリーゼ妃殿下は、とんでもないことを考えておられるようで。バルド王家を見限るおつもりか。玉座が空いたら、我が家から新王を立てる、と……?」
「嫡男のフェルス様、もしくは次男のアルノー様と、ご縁を繋ぎたく存じます」
「陛下のお耳に入ったら、殺されてしまいそうですねぇ……」
ウルリヒは眉を下げて苦笑を浮かべた。穏やかで優し気な面持ちからは、やはり腑抜けた印象を受ける。人の上に立つ者としての、威圧感も覇気もない。
(エリーゼ様だったら……きっと、相手にしないに違いないわ)
エリーゼだったら、こう考えるだろう。エリーゼだったら、きっとこうだろう。エリーゼだったら――……。
常に彼女を意識しながら、想像の中の彼女の目を通して、ウルリヒを見る。
(女々しいお方。やっぱり頼りないわね)
リュミエラの中のエリーゼは、ウルリヒのことを見限った。
せっかく、王を騙してハラハラしながら、遠路はるばる足を運んだというのに……目当てじゃない三男坊なんかに時間を取られてしまうなんて。
やれやれ、と息を吐き、密約書を返してもらおうと手を伸ばした。
「やはり、あなたではなく、兄君とお話しをさせていただきたく。アルノー様をお呼びいただいても?」
「……僕では、妃殿下のお眼鏡に適いませんか?」
ウルリヒは困ったように笑っていた。書類を手にしたまま離そうとしない彼に、リュミエラは少し苛立ちを覚えた。
「えぇ。なんと言いますか、あなたは雲のようだわ。ふわふわとしていて、まるで手ごたえを感じません。申し訳ないけれど、わたくしは覚悟のある強き殿方とのみ、お話をさせていただきたく思います。騎士隊長のアルノー様のように、気概のあるお方と。わたくしの相手は、あなたではないわ」
毅然とした態度で、きっぱりと言い放つ。きっとエリーゼなら、こうするのではなかろうか。
こういう態度で接すれば、若い優男なんぞは圧に屈して、すぐに身をすくめるに違いない。
と、そう思ったのだが。ウルリヒはやんわりと受け流し、苦笑したまま言葉を返してきた。
「恐らくですが……次兄アルノーは玉座よりも、戦地の騎士たちと共にあることを望むでしょう。長兄フェルスも家を継がなければいけないし……。というわけで、三男の僕が密約をお受けしたく思うのですが……ご不満でしょうか? 僕では玉座に座るに値しない、と?」
彼は密約書をしっかりと手にしたまま、返す素振りを見せない。穏やかな雰囲気はそのままなのに、どこか、揺るぎない圧を感じるのは気のせいか……。
手ごたえを感じない雲、と評してしまったけれど……立ち上る積乱雲を前にした気分になって、リュミエラは口ごもった。
「ええと、申し訳ございませんが……やはり、あなたでは……」
「そうですか。ならば、僕なりの覚悟を、より詳しくお話ししたく思います。最果ての戦地へ、ご同行願いたく」
「戦地、ですか……?」
「兄もそちらにおりますので。こちらから出向いた方が早いし、いかがでしょう? 戦地といえど安全な場所をご案内しますので、もちろん、御身の無事は保証いたします」
「え、えぇ……では、わかりました。参ります」
次男と会えるのならば、まぁ、いいか。と、努めて澄ました顔をしてみせたけれど……足取りの重さが、怯んだ心を表していた。
結局、密約書は彼の手に握られたままになってしまった。
 




