10 不本意なナンパデート
夜を越え、昼を迎え。また星空の時間が来て、朝日が昇り、沈んでいき――。目まぐるしく日が経っていく。
エリーゼはこの日、ネッサの使いで街を歩いていた。
家事や買い物は日ごとの当番制で分担している。今日は、学校は午後からの予定だ。
(三番通りの市場は野菜売りが多くて、七番通りの魚屋は安くて質が良い。中央広場近くの路地には隠れた名店が多くて、地下通路は治安がよろしくないから要注意。でも、街を横断する時の近道になる)
人混みをすり抜けながら、頭の中で買い出しのルートを選ぶ。少しずつ、街暮らしというものを覚えてきたところだ。
これまでの城暮らしとは、あまりに違っていて、最初の一ヶ月は目を回しそうだった。二ヶ月を経た今、ようやく勝手がわかってきたところである。
買い物も、こうして効率よくまわれるようになってきた。
混み合っている市場通りで、目当ての果物屋を見つけ出し、ネッサに頼まれていた買い物を済ませる。
会計をしている時に、後ろから声をかけられた。
「やぁ、綺麗なお姉さん。俺とデートでもどう?」
こういうナンパには無視を決め込むのが一番らしい。諾否に関わらず、反応したら負けなのだ。釣れたと判断されてしまい、つきまとわれて面倒が起こる。
聞こえなかったふりをして、目も合わせずに去るのが吉。そんな対応方法も、この街で覚えた。
そういうわけで、さっさと立ち去ろうと思ったのだが……思いがけず、肩を叩かれてしまった。
「って、おい! リセ先生~! 無視は酷くない!?」
「あら、あなただったの。どうりで聞いたことのある声だと思ったら」
「じゃあ無視しないでよ!」
ナンパ男の正体はフレーゲルだった。今日は金の曜日、彼は仕事が休みの日だ。
「あなた、今日も午後から学校に来るでしょう?」
「もちろん! 宿題もちゃんとやったよ」
「よろしい。それでは、また学校で」
「ちょっ、待って待って! せっかく会えたのに、即お別れって……。一緒にお買い物どうですか? って流れでしょうに!」
歩き出そうとしたエリーゼの前に立ちふさがって、フレーゲルは身振り手振りで訴えてきた。……やはり、ナンパは無視が一番らしい。相手をしたばかりに、足止めを食うことになってしまった。
「先生って、なんかズレてるよな~。大丈夫? ちゃんと生活できてる? 心配だわ~」
「ナンパ男の心配などご無用です。もうこの街にはすっかり慣れました」
「本当に?」
彼は悪戯めいた、からかいの目を向けて見下ろしてきた。大柄の図体が非常に邪魔……いや、行く手を阻まれて、少々迷惑だ。
「じゃあ、街で人気のデートスポットも知ってる?」
「デートスポット?」
「ほら、知らないじゃないか! よし、フレーゲル先生が案内してやろう! 行こう!」
「勝手に決めないでください! あっ……! こらっ!」
フレーゲルはエリーゼの買い物袋を奪うと、小走りで通りを進み出した。
「泥棒!」
「取り返したけりゃ、ここまでおいで」
「この不届き者……! 誰か! 泥棒を捕まえてちょうだい!」
咄嗟に周囲の通行人に命令を飛ばしてしまったが、人々は軽く笑っているだけだ。『お熱いことで』、なんて声をかけられる始末。
(カップルのじゃれ合いだと思われてる……)
不服極まりない。ここが城の中だったなら、警備兵がすっ飛んできて、見る間に不届き者を縛り上げてくれるというのに。
このまま突っ立って待っていても、誰も動いてはくれない。仕方なく、エリーゼは自ら泥棒を捕らえるべく、走り出した。
「この……っ、待ちなさい! フレーゲル!」
「しっかり、先生! こっちこっち! 街の端の五番広場って行ったことある?」
「ありません……!」
追いついたと思ったら、フレーゲルは軽く身をかわして避け、先へ先へと進んでいってしまう。階段も二段飛ばしだ。長い足が恨めしい。
スカートを持ち上げて、息を切らして追っていく。
(もう……効率よく買い出しを済ませて、早く帰りたかったのに。午後の授業の準備が……)
めちゃくちゃな男のせいで、予定もめちゃくちゃだ。
「まったく、無礼者め……。わたくしを走らせるなんて……!」
階段の踊り場で小休憩を取りつつ、つい、愚痴の呟きを吐いてしまった。
こうして足を晒して、ヒィヒィ言いながら見苦しく走ることなど、今までの人生では考えられないことだったのに。これも平民暮らしの洗礼か……。
そんなエリーゼの心中をよそに、フレーゲルはものすごくご機嫌な笑みを浮かべて、笑い声なんぞをこぼしている。
息が弾んでしまって、喋るのもやっとの状態だというのに、皮肉を言わずにはいられなかった。
「あなた……生きているだけで楽しい! って顔をしていますね。キャンにそっくり。ブンブン揺れる尻尾が見えるわ。首輪でも付けてやろうかしら」
「ははっ、首輪は御免だ。でも、楽しいってのは本当にそう! 街の生活は楽しい! 働いて金を得て、美味い飯を食べて、好きな酒を買って。楽しいことだらけだ! 後は恋人が隣を歩いてくれたら、最高なんだけどな~」
「わたくしが隣を陣取って悪かったですね」
ようやく追い付いた脇腹を小突いてやると、フレーゲルはそれすらも楽しそうに笑っていた。
そうして誘導されるうちに、街の端の広場へとたどり着いた。エリーゼの行動圏内からは外れた場所だ。
初めて訪れた広場を見回して、目を瞬いてしまった。
「まぁ、賑やかだこと。ここは青空レストランの広場ですか?」
「レストランってほど上等なものじゃないけど。食べ物屋が集まってて、小腹を満たすのにいい場所なんだ。ちょうど昼時だし、何かつまんでこうぜ、先生」
フレーゲル曰く、ここはジル=ハイコのカップルたちの定番デートコースだそう。昼は家族連れも多いが、夜になるとロマンチックな雰囲気になるのだとか。
そんな案内を聞き流し、エリーゼはもう、屋台店の料理にくぎ付けになっていた。
ネッサの家庭料理も興味深く、日々勉強させてもらっているが、ここの食べ物屋には、また全然違うメニューが展開されている。見たこともない料理が、それはもう、ずらりと。
(なんという店の数。あちこちから良い香りが――)
始めのうちはフレーゲルの後を追って歩いていたエリーゼだが、次第に歩調が早まり、ついにはフレーゲルを従えて屋台に切り込んでいた。
「この料理は何でしょう? 見たことがないわ」
「え? 普通に串揚げだけど」
「食べてみたい。――失礼、店主様。こちらを四本お願い」
串に刺された揚げ物を購入して、さらに隣の露店へと移る。
「こちらは? 一体何です?」
「蒸し饅頭だよ。中に野菜と肉が入ってる」
「まぁ、美味しそう。食べてみましょう。あ、そちらの丸いのは?」
「丸め焼き? ええと、粉の生地の中にソーセージとかチーズが入ってて……」
「店主様、この丸いのを十個お願い」
興味を引かれた料理を片っ端から購入していき、広場のテーブル一面に並べてしまった。
「か、買い過ぎじゃない……?」
「食べきれなかったら、フレーゲルの胃に収めますので」
「俺の胃は倉庫じゃないぞ……」
エリーゼは食前の祈りをして、近くの料理から手を付け始めた。
(美味しい……!)
優雅に味わいながらも、胸の内では手を打ち鳴らして感嘆する。決して上品な料理ではないが、味付けの濃さや大雑把なうま味が癖になる。
次々に頬張り、屋台店料理を堪能してしまった。
(ドレスのきついコルセットがないと、たくさん食べられて素晴らしいわ)
妃の美しいドレスは、腹回りをきつく絞って着用する。そのため、食事は腹六分目以下に収めるのが、常だったのだけれど。平民のゆるやかな服装だと、心ゆくまで食事を楽しめる。
街に下りてから、明らかに体重が増えているが……今の内だけだから、目をつぶっておこう。
「これは丸め焼き、と言いましたっけ?」
「うん。中熱いから気を付けて。一気に食べない方が――」
「はふっ……ふぁ……っ、あふい……!」
水溶きの生地を、ユニークな形状の鉄板で丸めて焼き、中に具材を入れたもの――を、一口で頬張ったら、中の熱さに呻くことになった。
「あーあー、ほらぁ。言わんこっちゃない。ポットの水足してくるよ。冷たいやつ」
フレーゲルは苦笑しながら席を立つ。厚意に甘えさせてもらうことにしよう。……この感じだと、上顎の火傷は確定だ。
どうにか飲み下そうと、しばらくの間、一人で四苦八苦していると――……ふいに、背後から声をかけられた。
「お姉さん、一人飯かい? よかったら一緒にどう?」
「……」
今度こそ、知らない人からのナンパだ。買い物中ならともかく、食事中のナンパでは無視して歩き去ることもできない。
こういう場合はどうするのが正解なのか――と、考えを回したが、答えを探る前に、フレーゲルが戻ってきた。
彼はいつもの陽気な雰囲気で、ナンパ男に声を掛けた。
「おっと、すまない。俺の妻なんだ。食事の供には別の娘を探しておくれ」
「あぁ、なんだ。悪かったよ。綺麗な奥さんで羨ましいな。お幸せに」
「どうも」
軽い調子で言葉を交わした後、ナンパ男はさっさと身を引いた。それはありがたいけれど……思うところがあって、エリーゼは表情をしかめた。
「妻、って……」
「夫婦って言っておいた方が角が立たないんだよ。友達とか恋人って言うと冷やかされたり、やっかみを買って面倒なんだ。ちなみに、子持ちって言っときゃ、なお良い」
テーブルを挟んで正面に座ったフレーゲルは、ポットの水を注いでくれた。キンキンに冷えた水をすすると、口内の熱が一気に奪われていく。
ひと心地ついたところで、フレーゲルが好奇心に声を弾ませて話題を振ってきた。
「そういや、リセ先生って子供いるの? 男の子? 女の子? 先生の子供だったら、絶対美人だろうな~。こう、猫みたいなパチッとした目元で――……」
「そうですねぇ……。できれば、わたくし似ではなく、夫に似た男子を授かれたら良かったのですけれど」
遠い目をしつつ、何の気なしに返してしまった。
世継ぎとなる男児を授かっていれば、こうも、こじれた事態にはならなかっただろう。ソーベルビアに容姿が似ていれば、なお良い。きっとあの暴君も、我が子には情を向けたに違いない。
何一つ、そうはならなかったのだけれど。
それゆえ、エリーゼは今、こうしてここにいるのだ。
少し声音が暗くなってしまったようで、フレーゲルはハッとした様子で謝ってきた。
「ごめん……! 嫌な話だった? ……そうだ。先生って旦那と仲良くないんだったね……」
「気にせずに。便宜上は『夫婦』ですが、どちらかというと『仕組み』と呼んだ方が適している関係でしたから、情などはありませんので」
ソーベルビアとの関係には、もはや情も未練もないが、王権の仕組みの中で『子を成す義務』を果たせなかったことには、未だ憂いがある。
その不甲斐なさを思って、顔色を曇らせてしまっただけだ。
丸め焼きをフォークの先で切り分けながら、会話を続ける。
「子供ができなかったことで喧嘩をして、わたくしは家を出てきたのです。まぁ、酷いもので、『腹が劣化したババア』などと言われて。殴るやら蹴るやら、凌辱をくらうやら。ずいぶんと品のない夫でしたね」
今、思い返すと、あの時の激高したソーベルビアはあまりにも幼稚で、もはや笑い話の域だ。
呆れた笑みと共に、つい一部始終を明かしてしまったけれど――……苦笑するエリーゼとは反対に、フレーゲルは怒りに顔を歪めた。
テーブルに両手を叩きつけ、勢い余って立ち上がった。
「その馬鹿は今どこにいる! 俺がぶっ殺してやるよ!! 俺ならきっと殺せる! 得意なんだ! 先生の代わりにやってやる!!」
彼の物騒な大声に、周囲は騒然となった。




