生じた誤解
「リリアンさん、あなたが好きだよ」
シオンのこの言葉でリリアンは彼の気持ちをやっと正確に理解できた。
でも、突然の告白に驚きすぎて頭が真っ白になる。
彼とは良い関係を築けたとは思っていた。
お互いの問題のために協力し合った仲だった。
(でも、私のことが好きって、どういうこと!?)
リリアンは異性として好意を持たれる理由がさっぱり分からなかった。
ドキドキと心臓が激しく鼓動して、その音の大きさに自分でもびっくりして、彼にまで聞こえたらと心配するほどだ。
シオンに触れられている状況で、冷静に考えることなんてできない。
「あの、その」
案の定、上手く話せない。
緊張しすぎて密着した状況に耐えられなくなる。
失礼にならないように彼から離れようと身じろぎすると、すぐに彼は抱擁を解いてリリアンの隣に腰を下ろす。
「ごめんね、急に抱きしめて。もしかして嫌だった?」
「そんなことは!」
慌てて首を振る。全く嫌ではなかった。
すると、シオンは安心したように微笑む。
彼の照れくさそうな表情を見て、リリアンは落ち着くどころか、ますます胸の動悸が激しくなる。
こんな状態では、どんな返事をすればいいのか、全く分からなかった。
(でも、何か話さないと!)
「あのっ」
リリアンが勇気を振り絞って口を開いたとき、ドアをノックする音が静かな室内に響く。
リリアンは反射的にソファから立ち上がり、すぐにシオンから離れていた。
この状況を他人に知られてはいけない気がしたからだ。
「どうぞ」
応じながらシオンも起立したので、リリアンは彼に目礼して退室の合図を送る。
リリアンは訪問者とシオンに挨拶をして、入れ替わるように部屋から出ていた。
足早に廊下を歩き、団長室から遠ざかる。
気づいたら騎士団内に用意された大聖女用の個室の前にたどり着いていた。
どうやら帰巣本能のように戻ってきたようだ。
「大聖女様すみません。私は廊下で控えております」
「あっ、はいっ!」
いきなり背後から声をかけられて、飛び上がりそうなほど驚いたが、なんとか返答した。
逃げるように移動したから、廊下で待機していた護衛騎士をうっかり忘れていた。
どうやら何も言わずに去っていくリリアンの後ろを仕事なのでついてきてくれたようだ。
大聖女になってから、護衛として騎士の誰かが一人常に控えるようになり、自分の立場の変化を否応なしに感じる。
「いつもありがとうございます」
忘れていたと正直に話しても相手に失礼なので、リリアンが反省しながら深々と礼を述べると、若い護衛騎士は黙礼した。
入室して一息ついた直後、リリアンは自分のさらなる重大なミスに気づいた。
(私、シオンさんに返事をしないままだったわ。今度、お会いしたときに言わないと)
告白をなかったことにするなんて大変失礼だ。
動揺していたとはいえ、重なる失態に頭を抱えそうになる。
(でも、一体なんて返事をすればいいの!? シオンさんは上司としては、すごく頼りになる人だし、尊敬もしているけど……)
自分のことなのに何も分かっていなかった。
(それにこんなにドキドキするのも、シオンさんみたいな魅力的な異性相手なら当然だわ!)
リリアンは吊り橋効果みたいに緊張のドキドキを好意だと錯覚する心理の説明を過去に騎士団の書庫にあった本で読んだ覚えがあった。
(そもそも自分が好かれる理由が分からない。だって、口下手のせいで、人付き合いまで下手だから)
故郷の領民たちは口下手でも領主の娘であるリリアンを気遣ってくれる。
ところが、貴族社会ではそんな甘えは許されない。欠点は見下される理由になる。
リリアンが王都の騎士団で同僚たちと仲良くできなかったのは、筆頭聖女エマの意地悪も原因にあったらしい。
(でも、私がもう少し他の人と打ち解けていたら、誤解はあんなに広まっていなかったはずよ)
大きな欠点を自覚しているだけに、まだ素直に彼の好意を信じられない。
先ほどの出来事を思い出すだけで、湯気が出そうなほど顔が熱くなるけど、戸惑いのほうがかなり強かった。
(それに、シオンさんは待っていて欲しいと言っていたけど、それは私も同じだわ。私もまだ大聖女になったばかりで未熟だもの)
お互いに恋愛を優先している場合ではない。彼の言葉の意味は、よく理解していた。
(告白の返事は、まずは彼の話をもっと聞いてから考えよう)
リリアンは、胸をドキドキさせながらそう結論づけた。
§
リリアンが去ったあと、シオンは気持ちを切り替え、訪問者から要件を聞き、また職務に専念する。
覚えることが多いので、まだ仕事に振り回されているように感じる。
騎士団長という地位に就いたから、自動的に周囲が認めてくれるわけでもない。
きちんと仕事をこなしたという実績がなによりも重要だと感じていた。
そんな余裕のない中では、恋愛をしている場合ではなかった。
(でも、俺が仕事にかまけているうちに知らない奴に彼女を奪われるのは嫌だったんだ。彼女は大聖女で、それだけで野心がある奴にとって魅力的だから)
本当なら、もっとゆっくりとリリアンと仲良くなっていきたかった。
でも、ライバルが多いと思われる状況では、悪手になってしまう。
過去にも同じような出来事が何度もあったのだ。
(孤児だったときは生活するので精一杯だったから、なんとなく気になっていた子は気がついたら他の男と仲良くなっていた。騎士になったばかりの頃だって、慣れない環境で真面目に働いていたら、可愛いと思っていた子は別の人と結婚していた)
一方で、騎士になってから経済的に安定したおかげで、色んな女性から言い寄られるようにもなった。
まずは相手の人柄を知ろうと、会話から始めたが、何度か色んな女性と会ううちに何か過剰に期待させてしまったのか、恋人になったと勝手に誤解され、別の女性とオープンカフェで会っているときに修羅場になったことがあった。
さらに、シオンが元は平民の孤児というのもあり、貴族相手とは違って近づきやすさも災いした。獲物を狙うかのように積極的に女性に距離を詰められ、その挙句に既成事実を無理やり作らされそうになり、すっかり女性が恐ろしくなった。
つまり、シオンは残念ながらまともに女性と付き合ったことがなかった。
(だから、また別の男に奪われる前にせめて意識だけでもしてもらいたくて……)
玉砕覚悟でシオンはリリアンに告白をしたのだ。
(でも、まさか、色良い返事がもらえたなんて!)
先ほどのやりとりを思い出すだけで、思わず顔がにやけそうになる。
「あなたなしで暮らせない」
「リリアンさんを必要としている」
「公私共に親しくなりたい」
こんな風にリリアンへの好意をしっかりと伝えた上で、彼女の気持ちを確認したところ、彼女も顔を真っ赤にしながら「同じ」だと頷いてくれたのだ。
さらに、シオンが騎士団長として相応しくなるまで待ってくれると約束までしてくれた。
シオンが心奪われた、あの迷いのない真っ直ぐな眼差しで。
彼女に惹かれたのは、腕を治してくれた恩人という理由だけでない。
彼女はまるで当たり前のようにシオンを信じてくれる。
騎士にまで出世はしたものの、元は平民。平気で捨て駒にされ、片腕を切り落とされた。
後ろ盾がないから舐められ、ぞんざいに扱われることが多かったからこそ、自分を認めてくれる存在がとても眩しくて、本当にありがたかった。
そんな大切な存在だから、失いたくないと思った。
だから、足掻くように告白をしたのだ。ところがまさか。思いがけず彼女と想いが通じ合えたではないか。
嬉しすぎて気持ちが高ぶって、思わず彼女を抱きしめていた。
恥ずかしそうなリリアンが、より一層愛しく感じる。
仕事のせいで甘酸っぱい雰囲気が霧散してしまったのは残念だったが、執務室であれ以上羽目を外すのは論外だったから適切な制止だった。
シオンは浮き立つ心を抑えながら、早く仕事に慣れようと意欲的に勤め始めた。
まさか自分が想い人と肝心な部分ですれ違っているとは思いもよらずに。
シオンは苦労してきたからこそ人の顔色を読み、普段は察しの良さを発揮していた。ところが、こと恋愛になると、かなりのポンコツの事実に当の本人は全く気づいておらず、さらに運悪くリリアンも恋愛ごととなると及び腰でヘッポコだったのもお互いの誤解に拍車をかけていた。