ノベルアンソロジー◆聖女編発売記念小話 『花壇の手入れ』
シオンの腕が治った第三話の後、第四話より前の出来事です。
「リリアンさん、何をしているの?」
リリアンがリレルフィール王国騎士団ボーヘン分所の前でしゃがみ込んでいたら、外出から戻ってきたシオンに背後から声をかけられた。
作業の手を止めてリリアンは振り返る。
シオンは騎士の装いでこちらを見下ろしていた。
ポーションで元に戻った左腕は、何の違和感もない。
つい先日まで片腕だったことが嘘のようだ。
目線を下げれば、土でかなり汚れた足元が見える。今日も足場の悪い場所を歩いたようだ。
彼は環境の調査をしているらしい。
ボーヘン男爵領は魔物がおらず平穏とはいえ、詳細な地理を把握しておきたいと彼から説明を聞いていた。
そんな上司の真面目な勤務態度を見て、リリアンも頑張ろうとますます前向きな気持ちになってくる。
「お疲れ様です。実は花壇の手入れをしていました」
分所の敷地内には、小さいながらも花壇があった。日当たりの良い場所で、玄関の正面にあり人目のつく場所にもかかわらず、手入れしていなかったのかレンガで仕切られた地面は雑草が繁茂して荒れ放題だった。本来植えてあった植物が埋もれるくらいに。
「ありがとう。そこまで手が回らなくてね」
「いえ、お気になさらず」
リリアンが好きでやっていることだ。
「ところで、花壇には元々何が植えてあったの?」
シオンは雑草を取り除いたあとに残っていた植物を眺めていた。
他の雑草に負けたのか、茎が細くて弱々しい。葉っぱも萎れかけている。
「花ですよ」
花の種類も教えると、彼は感心したような表情を浮かべる。
「へー、そうだったんだ。こんなに弱って可哀そうなことをしたなぁ。無事に育って咲くといいんだけど」
「大丈夫ですよ。すぐに咲きますよ」
「そうだね。そうだといいね」
うんうんとシオンは頷いている。
リリアンは彼との会話に何か違和感を覚えたが、彼の様子は普段どおりだ。どうやら自分の気のせいだったようだ。
「どうぞ先にお戻りください。この肥料をあげたら、すぐ終わるので」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
彼の言葉に微笑みを返す。
シオンが背を向けた直後からリリアンは家から持ってきた肥料を花の根元にまきながらスコップで土に馴染ませていた。
§
翌日、分所でリリアンが職場の備品の整理をしていたらシオンが外出から戻ってきた。
ところが、彼の様子が明らかにおかしかった。驚いたのか目を見開き丸くしていた。
「どうしたんですか?」
「いやそれが……」
返事の途中でシオンはリリアンを食い入るように見つめてくる。
「昨日リリアンさんがいじっていた花壇の様子がおかしいんだけど、何かしたの?」
「えっ、特に何も……?」
(家からここに来たとき、花壇の様子をチラリと見たけど、特に驚くようなことはなかったわよね?)
シオンの慌てぶりをリリアンは不思議に思って首を傾げる。
「えっ、気づかなかった? 昨日の弱っていた植物があんなに大きくなって花まで咲きそうだったよ!?」
シオンの説明を聞いて、やっとリリアンはやっと合点する。
確かに彼の言うとおり、昨日の植物はみるみる元気になって蕾までついていた。
「はい、肥料をあげましたから」
「いやいやいや、ちょっと待って!? 肥料をあげて一日でここまで普通は育たないよ?」
シオンの慌て具合を見て、リリアンはやっと互いの認識の違いや自分の説明不足に気づいた。
「あの、ごめんなさい。肥料といっても、ポーションを作ったときに出た残りかすなんです」
「ポーションの残りかす?」
「はい」
昨日の違和感はこれが原因だったのかと、リリアンはやっと気が付いた。
ポーションを作るときに薬草も使うが、液体を抽出した後に残るものは廃棄物となる。
リリアンの中では、肥料といえばそのポーションの残りかすで、この肥料の効果はもはや当たり前のものだった。だから、昨日植えた苗の変化に驚くことはなかった。
昨日の会話も、リリアンはすぐに花は咲くと思っていたが、シオンはそうではなかったから、会話に違和感が生じたのだ。
「驚かせてごめんなさい。シオンさんはポーションの肥料について全くご存知なかったのに」
「いや、俺がリリアンさんの凄さに驚いただけで、謝られることではないよ。謎がすぐに解けて良かった」
シオンはさっぱりとした笑みを浮かべる。
彼の心の広さと優しさのおかげで、リリアンは気まずくならずに済んだ。
それからリリアンたちは、休憩がてらお茶を飲むことにした。
散歩の途中で訪ねてきたボンカルと三人でテーブルを囲む。
「ははははっ、お嬢様はやっぱりすげぇな。ポーションだけではなくて肥料ですら王都から来た騎士まで驚かせるほどだ」
先ほどの話を聞いたボンカルは、楽しそうに大笑いする。
「本当にそうだよ。ポーションの残りかすで作った肥料ってすごいんだね。きっと大聖女の資質があるリリアンさんだから、こんな大きな効果が出たんだろうけど。それにしても、なんで今まで広まらなかったんだろうね? すごいんだから、もっと話題になってもいいはずなのに」
「確かにそうだな」
ボンカルも不思議に思ったのか、シオンと一緒にその理由を考え込む。
「実は、私にポーション作成を教えてくれた人が、ポーションの残りかすを材料を採取した場所に返すといいと教えてくれたんですよ」
そこからリリアンは他の植物にも効果の可能性があると考え、肥料として試しに使ってみたら、全然問題なく利用できたのだ。
「あぁ、あの亡くなったナーサ婆さんか。じゃあ、婆さんもお嬢様の肥料の効果を見て驚いたんじゃないのか?」
ボンカルの問いにリリアンは首を横に振る。
「いえ、ナーサさんはだいぶ目が悪くなっていたので、私の説明だけを聞いて判断していたんです」
「なるほど。リリアンさんの作った肥料の効果を実際に見ていなかったと?」
シオンにリリアンは頷いた。
「でもさ、あなたのことだから、肥料も周囲の人たちにお裾分けしていたのでは?」
「そうですけど……」
彼の言うとおり、領民たちにあげたことがあった。
「みんなに配るとなると量が少なかったので、他の肥料に混ぜて使っていたみたいです」
「あぁ、なるほど。元々すごい効果がある肥料だから、薄まっても十分植物の生育が良かったんだね」
「はい、そうなんです」
「なるほど。ひでぇ長雨の中、なんとか食うのに困らなかったのは、お嬢様のおかげだったんだな」
ボンカルがしみじみと呟く。
ポーション肥料を施したところだけ、作物が病気になりにくく、成長も良いからと、地元の人からは大変評判だった。
「王都の騎士団ではポーションの残りかすは、多分他のゴミと共に焼却炉で燃やしていたと思うよ。何かに利用しているなんて聞いたことがない」
「残りかすを一箇所に集めていたので、てっきり何かに活用していると思ったんですが、違ったんですね」
(でも、この事実を王都に報告したら、私が大聖女であることもバレてしまう恐れがあるのよね)
どうしようかと困ったときだ。
「大丈夫だよ。この情報も、機会を見て騎士団に伝えるよ。前にも言ったとおり、リリアンさんの希望に沿えるようにね」
シオンが微笑みながら話す口調はとても頼もしい。
「ありがとうございます」
礼を述べるリリアンの口元にも自然と笑みが浮かんでいた。
§
その後、二人の活躍によってハーマン騎士団長が幽閉処分されたあと、騎士団にポーション肥料のことがシオンによって報告され、リリアンの評価がさらに上がることとなった。
荒れてしまった故郷ボーヘンの土壌回復にも大きく貢献したという。