新たな上司
リリアンが騎士団長の執務室に入ると、新しい上司が腰を上げて出迎えてくれる。
応接用のソファに二人で座った。
「シオンさん、調子はどうですか?」
「相変わらずだよ、制服に着られている」
向かい側に座るシオンは苦笑いを浮かべていた。
騎士団長となった彼の下でリリアンは働いている。
格式高い団長の制服を着たシオンの姿は新鮮に映る。
リリアンも今までの茶色の制服とは違い、新たに大聖女用に作られた青色のワンピース型の制服を身につけていた。
細かい煌びやかな刺繍が入った、贅沢な一品だ。
「上司がシオンさんで、私は嬉しいですよ」
「俺もリリアンさんと働けて嬉しいけどね。でも、いきなり元平民の俺が団長はないと思うんだよね。役職に釣り合うように子爵位までもらっちゃったし。本来ならリリアンさんの護衛騎士くらいが妥当だと思わない?」
「ご、ごめんなさい。私がそのっ、シオンさんが上司じゃなきゃ嫌だって言ったから」
「リリアンさんが原因だったの!?」
王都に戻る話が出たとき、「上司がシオンさんでないと嫌です」と駄々をこねたところ、驚くことに希望が通ったのだ。
「そ、そうですけど、シオンさんは私の上司でいてくれるって約束してくれたから」
「約束? リリアンさんが俺と働きたいっていうあれ?」
「そうです」
「あれって、同僚の意味だと思っていたよ? 大聖女の上司だなんて、それこそ騎士団長……はっ、そうか。そういうことだったんだね」
シオンの目からハイライトが消えていた。
「あのっ、ごめんなさい。私の言葉足らずのせいで。今から取り消してもらいます」
慌てて立ち上がったら、シオンにすかさず止められた。
「いや、リリアンさんの希望を誤解していた俺のせいだから、逆にごめんね。あなたの望みに適うように頑張るよ」
「ううう、すみません。シオンさんなら、大丈夫だと思ったから」
「え?」
なにせ、シオンは竜を二体も討伐し、そのうち水竜はリリアンの応援があったとはいえ、一対一の単独討伐だ。
しかも水竜のときにも竜刻を得たらしく、右手にも痣が増えていた。
リリアンの大聖女の資質を見抜き、しかも竜刻を持ち、ハーマンの悪事を暴いた英雄は、王国のイメージ回復に持ってこいだ。
平民出身なのも、王族の不祥事に憤った国民たちには非常にウケがいい。
彼を騎士団長に抜擢した陛下は、良い仕事をしたと思っている。
(でもシオンさんは、力不足だと思っているみたい)
リリアンは所々言葉を詰まらせながらも、シオンに一所懸命に説明した。
「今は慣れなくても、シオンさんなら、騎士団長に相応しいです」
多分でも、きっとでもない。
真理のような感覚で、迷いなく彼に告げた。
「身分は、そのっ、私だって貴族と言っても、低い地位でしたし」
彼は戦力だけではなく、知力にも優れている。
あとでシオン本人から水竜の件に王都の騎士団を関わらせたくなかった理由を教えてもらったのだ。
元騎士団長ハーマンに手を出させたくなかったのは、火竜のときと同じように手柄を横取りされたくなかったからだと。
シオンは自分が竜にとどめを刺したことを覚えていた。でも、そのあと意識を失い、再び目が覚めれば、彼の認識と異なる事実となっていた。
気を失う前は左腕を切断するほどの傷は負っておらず、ハーマンが討伐の功労者になっていたこともおかしかった。
彼の剣は火竜に全然歯が立たず、役立たずとなって後方で控えていただけだったのだから。
始めから怪しんでいた。しかし、当時の意識がなく、何も証拠がなかったので、リリアンに言えずにいたのだ。
(もしかしたら、大聖女だと判明した私もハーマンの野望のために利用されていたかもしれないわ。彼は息を吐くように嘘を口にしていたから)
「シオンさんは私の恩人です」
あらかじめ敵の動きを先読みして、完璧なまでに防ぎ、さらにはハーマンに復讐までしたのだから、シオンに能力がないわけがなかった。
そう思って彼の才能を認めたら、彼は頬を赤らめて照れくさそうに笑い、リリアンをまっすぐに見つめる。
「リリアンさんにそう言ってもらえたら、心強いよ」
「はい。自信を持っていいですよ」
「そうだね。俺もそろそろ自分の力に自信を持たないとね」
前向きなのは良いことだ。
「でもね、リリアンさんも同じだよ?」
「え?」
理解できず首を傾げると、彼は困ったように笑った。
「過小評価し過ぎってこと。水竜討伐のとき、俺だけで戦えたのはリリアンさんのおかげだからね? 水竜の周囲に浄化をまいてくれたおかげで敵の身動きを封じ、当たっただけで敵が麻痺するくらいの威力だったよ。あれがなかったら、俺だけでは無理だったよ。もっと自信を持ってね?」
「そうだったんですか?」
「うん」
(シオンさんが言うなら、そうなのね)
リリアンは彼に褒められて嬉しかった。
くすぐったい気分になり、自然と笑みが浮かぶ。
お互いに顔を見合わせて微笑んだ。その和やかな空気がとても心地よかった。
それからいつもの浄化作業に入った。
今日も二人きりなのは、彼の腕の浄化のためだ。
竜刻があると魔物の魔力で体が蝕まれるから、定期的に浄化が必要だった。
「本当にあなたなしで暮らせないな」
作業が終わり、給仕されたお茶を飲んでいたら、向かいに座るシオンがとんでもないことを言い出したので、思わず口に含んでいたお茶を吹き出しそうだった。
「そっ、そんなことは!」
意味深な台詞にリリアンまで顔が熱くなってくる。
(きっと彼は浄化のことを言っているのよね。誤解しちゃダメよ!)
カップをテーブルに置き、シオンを見つめる。
騎士団長になった彼は、元々顔立ちも良いので、女性に大人気だ。
多くの若い未婚の令嬢が、彼と知り合いになりたいと、躍起になっていることを知っている。
それを目撃するたびに胸がなぜかモヤモヤしていたが。
すると、シオンが急に真面目な顔つきをして立ち上がると、リリアンに近づき目の前に迫り、しかも膝まで床についていた。
流れるような動きで、なぜか彼によってリリアンの右手は大事そうに彼の両手で包み込まれた。
「さっきの言葉は浄化だけの話でもないし、そのままの意味だからね。俺にはリリアンさんが必要ってこと」
「はっ、はひっ」
言われた台詞の熱烈さにリリアンは顔だけではなく、身体も彼に握られている右手まで熱くなっていた。
多分、湯気が出そうなくらい真っ赤だろう。
(そんな意味深なことを言ったら、誤解しちゃいますよ!)
リリアンは思わず自分の都合の良いように彼の言葉を受け取りそうだった。
「こっ、光栄です!」
(私が必要なのは部下としてって、ことですよね!)
すると、シオンは苦笑いを浮かべる。
「いや、そうじゃなくて、俺個人がリリアンさんを必要としているってこと。公私共に親しくなれたらって願っているけど、リリアンさんはどうかな?」
(ああ、お友達ってことね!)
勘違いが恥ずかしくて、もうこれ以上何も話せず、カクカクと首を縦に振っていた。
「だから、俺が騎士団長の役職に相応しい人間だと周囲に証明できるまで、どうか待っていてほしい」
そう言ってリリアンの顔を覗き込む彼の瞳は、とても真剣で強い意志が込められていた。
(きっと彼なら誰しもが認める立派な騎士団長になるわ)
そう思ったので、リリアンが深く頷けば、彼は花が咲いたように嬉しそう言って笑う。
愛おしそうに彼に手の甲に口づけを落とされ、その熱の熱さに驚いた。
再びリリアンを見上げる彼の目には、愛しさが込められている。
(あれ? なんか雰囲気が違わない?)
そう疑問に思った直後、腰を上げたシオンに抱きしめられていた。
直に感じる彼の身体は、やっぱり予想通り逞しくて、胸が激しいほど高鳴った。
彼の体温がどんどん伝わってきて、全身が茹でられたように熱くなる。
全身に緊張が走って、頭の中が真っ白になったとき、シオンの身体も微かに震えているのに気づいた。
動揺しているのは、リリアンだけではなかった。
間近に感じる彼の乱れた呼吸も、直に伝わる激しい鼓動も、全部彼の気持ちを表していた。
「リリアンさん、あなたが好きだよ」
リリアンはその日、どうやって自分の部屋に戻ったのか覚えていない。
〈完〉
お読みいただき、ありがとうございました!