二人きり
「リリアン様ありがとうございます。お手数をおかけしました」
アザベルの手を治したあとに彼女から申し訳なさそうに礼を言われた。
「もうびっくりですよ。大聖女様、チクッという程度では全然なかったですよ!」
「それについては、本当にごめんなさい!」
メルリは半泣きになっていた。
怪我の具合は、四方からの串刺しだったからだ。
(私のときは本当に針のように少し肌を刺すくらいだったのにどうしてかしら?)
申し訳なく深々と頭を下げながら疑問でいっぱいだった。
「顔をお上げください。もとはといえば、私がリリアン様をみくびっていたのが悪かったのです。今まで失礼な態度をとって申し訳ございませんでした。実は、リリアン様のことを生まれつき治癒力が高いだけの人と思っていたのです。ですが、今回の件で、落ちこぼれだと言われていた身でも地道に努力され、人々から敬われるだけの経験も待ち合わせていたのだと、身に染みて理解しました」
アザベルは次にメルリに向き直る。
「メルリ、今まで間違った指導をして大変申し訳ございませんでした。あなたには辛い思いをさせてしまいました。あなたの優れた観察力にも気づかなかった私は指導者として大変未熟すぎました。許してほしいとは言いません。でも、同じ過ちは二度としないと誓います」
真摯に謝るアザベルにメルリは嬉しそうに微笑んだ。
「いいんです! アザベル様に嫌われてなくて良かったです!」
メルリの無邪気な様子にアザベルは目を潤ませ、堪えきれないといった様子で口元に手をあてる。
「ありがとう」
そう言ってメルリを見つめるアザベルの黒い瞳には、優しさが含まれていた。
「色々あったけど、謎が解けて良かったよ。では解散しようか。そうそうアザベル上級聖女は、今回の罰として反省文を書くようにね」
「懲罰って、まさか反省文が、ですか?」
「そうだよ。きちんと書かないと再提出だからね」
「……はい、承知いたしました」
それぞれが温室から去ろうとするので、リリアンは思わずシオンの袖を掴んでいた。
この機会を逃したら、次に彼と気安く話せるのはいつになるか分からなかったからだ。
「あのっ、シオンさんにお話ししたいことがあるのですが」
「そう? それなら護衛は先に戻っていいよ。俺がついているから」
他の聖女たちや騎士たちが移動していなくなり、温室から賑やかな人の気配が一気に消えた。
シンと静まり返り、そばにいるシオンの気配をよく感じられる。
「久しぶりにリリアンさんと話せて嬉しいよ」
穏やかな彼の眼差しは相変わらずだけど、歓喜と情熱もまっすぐに伝わってくる。
彼の気持ちを知っているので、ただでさえ恥ずかしくて緊張しているのに、さらに動揺したみたいに鼓動がますます激しくなる。
「あのっ、私も嬉しいです。やっと二人きりになれましたね」
前回の告白の件は他人に知られては不都合だと思っていたからこその発言だった。
(シオンさんは付き合うのは待っていてほしいと言っていたから、私への好意はまだ周囲に知られないほうがいいわよね。恋愛面で噂が流れたら、浮ついていると非難する人もいるかもしれないわ)
そう慎重に考えての発言だった。
ところが――。
「そ、そうだね。改めて言われると照れるけど」
シオンの表情が見ているこちらまで恥ずかしくなってしまうくらい嬉しそうに緩んでいる。
リリアンは疑いようもないほどのシオンからの好意を目の当たりにして、茹でられたみたい身体が熱くなる。
(私を好きな理由をまずは質問するはずだったけど、そんなの聞いたらきっと恥ずかし過ぎて耐えられないわ!)
「それで、話って何かな?」
「あのっ、前回話の途中で帰ってしまったので、それをまず謝りたくて……」
「なんだ、そんなことを気にしていたの? 俺のほうこそごめん。変なタイミングで告白なんてしたから」
「いいえ、あの、そんなことはないです!」
リリアンは慌てて否定する。
「シオンさんみたいに素敵でかっこいい方に告白されて、こちらこそ、その、嬉しかったです」
告白の返事なんて、実は初めてだ。
まずは好意を寄せてくれたことへの感謝を伝えるべきだと思い、恋愛小説を参考に前もって台詞を考えていた。
「そ、そう? あなたにそう言ってもらえて、とても嬉しいよ」
顔を赤く染めて照れくさそうに微笑む姿は、元々の端正な顔立ちもあり、魅力的な異性に馴染みはないリリアンには刺激が大きすぎた。
リリアンの胸の鼓動の激しさは増すばかりだ。
「あのっ、先ほどの見事な対応も、素晴らしかったです! さすがです!」
(私にはもう一人前に見えましたよ! 今回、たまたま上手く解決できたのは、サラサ様とシオンさんのおかげだもの)
同じ時期に昇任したのに、シオンのほうがスムーズに仕事をこなしているように見えた。
「ありがとう。今回はたまたま上手くいっただけだよ。内部については、俺も昔いたから経験でなんとかなったし」
「そう、なんですね……」
(内部はってことは、外部の、騎士団以外の対応はまだ慣れてないってことかしら?)
騎士団長という立場なら、王宮にて国王陛下や高位の役職の者たちと会う必要がある。
「リリアンさんも、今回頑張ったと聞いているよ? あなたが見習いのメルリに気遣って声をかけず、さらにサラサ筆頭聖女に相談しなかったら、今でも彼女は苦しんでいたよ。上級聖女のアザベルも自分の間違いに気づけなかった。あなたは適切な対応をきちんとしたんだよ」
自分は今回何も役に立てなかったと密かに思っていた。
でも、シオンはリリアン自身が気づいていなかった行動の価値をきちんと見出して評価してくれる。
改めて彼が上司で良かったとしみじみ感じる。
「ありがとうございます。そう言ってもらえて、ますます頑張れます」
そう前向きに答えると、シオンは褐色の瞳を細め、まるで眩しいものを見るかのように微笑む。
温室に差し込む光が彼の藁色の短髪でちょうど反射して、キラキラと彼自身が輝いて見える。
彼の素敵な笑顔に魅力的な視覚効果まで付与され、凄まじい威力となっていた。
心拍数の上昇に伴い、体温までも上がっていく。
(ど、どうしよう!? なんだか身体が暑すぎて、フラフラしてきたかも。正気のうちに早く告白の返事をしなきゃ!)
「あのっ、シオンさん」
「なんだい?」
先ほどみんなの前で見せた畏まった上司の顔ではなく、無防備で緩み切った楽しそうな顔を向けられる。
そんな彼が親しみやすく映っただけではなく、プライベートな一面を見せてくれて、彼との仲が深まったようで嬉しかった。
「あのっ、私もシオンさんと同じように、そのっ、責任のある役職に就いたばかりです。今はまだ力不足ですけど、私が大聖女に相応しい人間に成長するまで、シオンさんも待っていてくれますか?」
「ああ、もちろんだとも」
当然だと力強く頷いてくれた。その彼の反応に深く安堵する。
これから彼に告白の返事を伝えても、きっと理解してくれると確信が持てたからだ。
「ありがとうございます。では、成長したそのときに、きちんと私の気持ちをお伝えしますね」
「うん、待ってる。そのあいだ、しのぶ愛で申し訳ないけど、俺の気持ちは変わらないから安心してね」
「はっ、はい!」
彼に改めて好意を伝えられて、胸の奥がドキドキしてたまらないけど、快く了承してもらえて一安心だった。
リリアンはまだシオンへの自分の気持ちが分からないから、返事自体を保留にしたのだ。
彼自身が「待っていて欲しい」と言っていたので、実際に交際するのは当分先である。
それまで答えを先送りでも支障はないのではないかと考えたが、それは相手に失礼ではないかとも感じたので、シオンにもきちんと確認したのだ。
(彼はしのぶ愛とも言っていたから、彼の私への好意はみんなには内緒なのも思ったとおりだったわ。誰にも相談しなくて本当に良かった!)
「じゃあ、名残惜しいけど、そろそろあなたを送るよ」
「はい、ありがとうございます」
執務時間中に私的な長話はできない。
羽目を外さないよう気をつけるのは役職上当然だ。
キリッと真面目な顔をして、恥ずかしそうな様子など、少しも感じさせないように意識する。
そんなリリアンの様子をシオンは平静な表情で眺めながら、内心では嬉しさのあまり浮き足立っていた。
(一人前になったら、俺に愛の告白をしてくれるなんて嬉しすぎる! 俺、頑張るよ!)
こっそり付き合っていると思っているシオンと、まだ付き合っていないと思っているリリアンとの変な勘違いは、紆余曲折を経ずに結婚した二人が自分の子供たちに昔の馴れ初め話をしている最中、お互いの交際期間の違いでやっと発覚するのだが、それまでは特に害なく円満に続くのであった。
〈完〉




