上級聖女の呼び出し
次の日、大聖女の執務室に上級聖女アザベルだけが呼び出された。
アザベルはリリアンとサラサに挨拶を堂々と済ませる。
でも、リリアンに対しては、若干彼女の態度が冷たいような気がした。
こちらを見つめる目つきも。
(サラサ様よりも付き合いがまだ短いからかしら?)
「本日は私にどのようなご用件でしょうか」
「新人教育を始めて一ヶ月経つでしょう? 大きな人事異動があったから、色々変わって大変だったと思うけど、何か困ったことはなかったかしら?」
サラサはにこにこと人好きのする笑みを浮かべて友好的に会話を振る。
「いえ、特に困ったところはないですね。予定どおり研修は進んでおります」
「あなたが担当しているメルリの様子はどうかしら? 何か彼女で気になる点はあるかしら?」
「大丈夫です、何も問題はありません。メルリは真面目に取り組んでおります。分からないことがあれば質問してくれます。教えたこともきちんと理解しております」
アザベルは特に動じず対応する。
知的な黒い眼差しは、冷静そのもの。
「ということは、メルリとは特にトラブルもなく、上手く関わっていると」
「当然です」
アザベルの口の端がわずかに上がる。彼女は自信をもって答えていた。
「そういえば、昨日はメルリと薬草園の温室に行かれましたよね?」
「……はい。調合で必要な材料を採取しに行きましたが、それがどうかしましたか?」
「そこでリリアン様に声をかけられたそうね」
「はい。ですが、メルリの研修中でしたので、リリアン様への対応はお断りしました。それが何か問題がありましたか?」
「そうです。問題があったから呼んだんですよ。ここからはリリアン様からお話ししてもらいます」
サラサはリリアンに目配せをしてきた。
当事者の自分がアザベルに真意を尋ねるべきだったからだ。
緊張するが、メルリを守るためだと思えば、覚悟は決まった。
「はい、実はあのとき、私があなたに質問したのは、あなたが見習いのメルリからされた質問に答えてなかったからなんです」
リリアンの問いにアザベルは戸惑いの表情を浮かべる。
「そうだったんですか……? なぜ、そのような分かりにくいことを?」
「あなたがうっかり忘れたと思ったからですよ。責めたいわけではないんですけど、あなたはなぜ答えてあげなかったんですか?」
すると、アザベルは驚くことに鼻で笑い飛ばした。
「培養液は容器に書かれた線まで入れると研修を始めて最初の頃に説明したんですよ。知っていて当たり前なのに、今さら分からないと言うなんておかしいです。それに、私に尋ねなくとも、彼女はメモを取っているので、調べれば分かるはずです。すぐに他人を頼るような、そんな甘ったれた考えでは困ります。だから注意したんです」
アザベルはメルリが間違っていると非難していた。
「……あなたの言い分は理解しました。実はあなたを呼ぶ前にメルリからも話を聞いていたんです」
すると、アザベルの表情が面白くなさそうに少し歪んだ。
「……それで、彼女はなんと言っていたんですか?」
「マンドラゴモドキですが、指示どおりに培養液を与えても、最初の状態よりもどんどん元気がなくなっていくので、心配になったそうです。それでメルリはどのくらいあげたらいいのか再度確認したかったそうです」
アザベルは意外だったのか、眉をわずかに上げる。
「では、最初からそう尋ねれば良かったのでは? あとになって言われても困ります」
ここでもアザベルはメルリを非難していた。
「私はメルリがあなたに言えなかった理由がよく分かります。同じ立場だったら彼女のように何も言えなかったと思います」
リリアンもメルリと同じようにダメ出しばかりされて、すっかり自信を失っていたことがあったから。
「……あなたが何を言いたいのか分かりません。もっと分かりやすく伝えられないんですか?」
アザベルの目つきは、明らかに侮蔑を含んでいた。
まるで針で胸を刺されたみたいにぎゅっと痛みを感じた気がした。
怖くなって、身体が急速に強張っていく。
(でも、ここで私が言い負かされて引き下がったら、メルリの状況は何も変わらなくなる)
なけなしの勇気を奮い立たせた。
「その、メルリですけど、あなたに嫌われていると言っていました。自分が落ちこぼれだからと」
「そんなことありません。確かに理解は私のときよりも遅いですけど、なんとか頑張ってついてきてくれています。なぜ、そのようにメルリに思われたのか、逆に理解できません」
アザベルは困惑し、呆れたような顔をする。
リリアンでは埒があかないと、助けを求めるようにサラサを見た。
リリアンもサラサに視線を送る。
「サラサ様、説明をお願いできますか」
「あら、リリアン様のお話はもういいのですか?」
戸惑った表情をされたが、これ以上はリリアンではアザベルの対応は無理なので、サラサに任せるしかない。
サラサにも呆れられてしまったが、懇願するように黙って頷いた。
「そうですか。では、アザベルの指導は私の仕事なので、引き継ぎますね」
サラサは相変わらず優しい眼差しでアザベルを見つめる。
「あなたがメルリの失敗や未熟な点を責めるから、メルリは萎縮して何も言えなくなるんですよ」
「そんな、私が悪いんですか? しかも、責めているのではなく、ただの注意です。立派な指導の一環です。ダメなところに早く気づけば、早く良くなりますよね?」
サラサは少し呆れたようにため息をつく。
「見習いが未熟なのは当たり前なんです。まだ理解が不足している点を質問したのに、分からないのは困ると責めるのは嫌がらせみたいなものですよ。だから、嫌われていると誤解されたのです」
「嫌がらせなんて、そんなつもりはなかったです。そもそも、私に不満があるなら、私に直接文句を言えばいいではないですか?」
「あなたの言い分が通るのは、立場が対等か、ある程度自分にも地位や立場があるときよ。一から教えてもらう新人は、お世話になっている人に文句は言いづらいものよ。険悪な雰囲気になったら、何も分からない見習いが圧倒的に弱いから逆らえないでしょう? あなたのほうが立場は上なのだから、見習いに配慮しなければならなかったんですよ」
「……はぁ、サラサ様はお優しいですね。すみません、私のやり方は厳しかったようで」
そう答えながらアザベルの顔は不満そうで、いかにも渋々言わされているような、場を収めるための心ない謝罪だった。
サラサは少し痛ましげに彼女を見つめる。
「あなたのこれまでの仕事をとても評価しています。でも、上級聖女になったばかりで指導者として未熟だったのに、いきなり全てあなたに任せた私にも責任はあります。なので、指導に際してはフォローを考えます。先輩から学びながら、指導者として経験を積んでくださいね」
「……はい」
その後、アザベルは不服そうにムッとした顔で退室していった。
こうして見習いのメルリには別の上級聖女がつくことになり、アザベルは補助として関わることになった。
アザベルを指導から外すだけでは彼女のためにはならないとサラサは考えて、こういう形に落ち着いたのだ。
「矜持が高いのも困ったものね。彼女、実は高位な貴族の出身だから……」
サラサが心配そうに呟く。
「確かに、納得していなさそうでしたね」
サラサの指摘は全然彼女の心に響いていないようだった。
果たして彼女が今後指導者として見習いと上手くやっていけるのか不安がまだ残っていた。
「人事の任命は騎士団長のリヒュエル卿にも相談しないとね」
サラサの口からシオンの名前が出て、リリアンの胸がドキドキと騒がしくなる。
まさかシオンの登場により、今よりも大事になるなんて、このときは思いもしなかった。




