見かけた問題
「ふぅ」
シオンの突然の告白から四日後。
薬草園にリリアンは一人で来ていた。
嘆息が思わず出たのは、単に疲れていたのと、シオンにまだ返事ができていない後ろめたさからだ。
お互いに現状は忙しすぎたので、隙間時間になかなか会えなかった。
会えたとしても、騎士団長になった彼の周りには常に部下がいる。
仕事ではなく個人的な話をするために、彼らの仕事を中断させた上に、わざわざ人払いするのも気が進まなかった。
大聖女となったリリアンの今の日常は、主に聖女の研修である。
研修の途中で落ちこぼれとみなされ、最後まで完了していなかったのだ。そのため、他の聖女のもとで急ピッチで指導されている。
でも、一日中付きっきりで、ずっと誰かと会話する状況は口下手なリリアンには正直大変だった。
常に頑張って話す必要があるからだ。
だから休憩時間になったとき、気分転換のために薬草園に来ていた。
落ちこぼれで聖女の仕事を任されなかったとき、誰にでもできる雑用をこなしていたが、その中に植物の世話も含まれていた。
ポツンと一人きりで孤独でも、植物と接しているときは、心穏やかに時間を過ごすことができた。
だから、こうして疲れを感じた今、久しぶりに自然と足を運んでいた。
薬草園は広く、色んな種類の植物が育てられている。一見、普通の手入れの行き届いた庭園のようにも見えるが、よくよく観察すれば薬草として使用できる植物が生えている。
敷地の一角には温室もあり、王都の環境と生育条件が合わない植物までも存在している。
初めて来たときは、珍しい薬草を見て感動したものだ。
栽培方法が難しく、まだ見習いだった頃、先輩聖女たちに取り扱いについて厳しく指導されたこともあった。
「あの、このマンドラゴモドキなんですけど、どのくらい培養液を入れればいいんですか」
先客がいた。聖女が二人。そのうち片方は見習いの制服を着ていた。リリアンよりも年下で、銀髪の三つ編み姿が初々しく見える。
研修中らしく、薬草栽培について質問しているようだ。
マンドラゴモドキの薬草は水耕栽培だ。生育条件が難しく、リリアンも世話していた頃、かなり手がかかった記憶がある。
根腐れしやすいのだ。
現在も半分くらいは元気なく萎れかけている。
指導担当と思わしき聖女は、ムッとしたように見習いを険しい表情で見つめる。
「メルリさん、あなたが見習いになってから、もう一ヶ月も経つのに、分からないでは困ります!」
「……す、すみません!」
見習い聖女は怯えた顔で返事をしていた。
「今まで一体何をやっていたんですか? そんな質問を今さらされても困るんですよ」
「すみません」
先輩のキツイ口調に見習いの子はただ謝るばかりだ。
二人が沈黙するから、温室が一瞬静かになった。
「……それで、このホレンシオの葉ですけど、必要なときは外側から取るようにしてください」
「はいっ!」
話題を変えられた見習い聖女は真剣にメモしている。その様子は必死だ。
「では、実際にやってみてください」
「はい」
緊張でカチカチな動きながらも、指示どおり葉を採取している。
「おおよそ一株分くらい採取したら、乾燥後に粉砕器にかけておいてください」
「はっはい!」
「ではメルリさん、あとはよろしくお願いします」
先輩聖女はそう言うと、見習いを置いて一人で入り口近くにいたリリアンのほうに向かってくる。
彼女の後ろで見習いは何か言いたげな顔をしているのにお構いなしだ。
(あれ? さっきの質問はスルーなの?)
以前のただの落ちこぼれ聖女だったら、二人のやりとりに口出しなんて考えられなかった。しかも、こんな厳しそうな人に。
(でも、今の私は大聖女。地位に相応しい行動をとる必要があるわ)
「あの、少しお時間よろしいですか?」
リリアンが声をかけると、先輩聖女は足を止めた。怪訝そうな顔でこちらに黒い瞳を向ける。彼女は今回の人事で上級聖女に昇格したアザベルという、リリアンよりも一回りほど年上の大先輩だ。
話したことはないが、大聖女になってから会議で何度か顔を合わせたことがある。艶のある黒髪をいつも綺麗にまとめ上げ、知的な黒い瞳が印象に残る彼女をかろうじて知っていた。
なにせ聖女だけでも二百人くらいいる。全員の名前をまだ完全には把握していなかった。
緊張するが、心の奥で勇気を奮い立たせる。
「先ほど見習いの方がマンドラゴモドキの世話について質問されていましたけど、私にもその方法を教えてくれませんか?」
リリアンは努めて明るく声をかけた。
別に質問を無視したことを責めたいわけではなかった。
うっかり忘れただけかもしれない。
ところが、相手はムッとしたような不満そうな顔をする。
「ご自身の指導担当者にお聞きください。では、急いでいるので失礼します」
「えっ」
まさかスルーされるとは思ってもみなかった。
相手の予想外な反応のせいでリリアンの頭は真っ白になる。
その間にアザベルはツカツカと足早に去ってしまう。
見習いの聖女を見れば、彼女は手を止めて不安そうな紫の瞳をリリアンに向けていた。
(ど、どうしたら良かったのかしら……?)
リリアンは思わず泣きそうになった。
何はともあれ見習いを放置できない。まずは彼女に声をかけてみることにした。
「メルリさん大丈夫? 先ほど分からないところがあって質問していたみたいだけど大丈夫ですか?」
すると、見習いの子はうるうると目に涙を溜め始める。
「ぐすん、すみません。大聖女様、良かったら教えてもらえませんか?」
彼女が何か重たい問題を抱えているのは、悲痛そうな表情から明らかだ。
「あの、何か困っているなら、話を聞きますよ」
すると、見習いは堪えきれないと言わんばかりに涙を流し始める。
「さっきのやり取り、ご覧になられましたよね? 私、アザベル様に嫌われているんです。私があまりにも聖女として落ちこぼれだから」
彼女の言葉を聞いて、息をのむ。
リリアンは少し前の自分の境遇を思い出し、他人事とは思えなくなっていた。
§
「と、いうことがあったんです。どうしたらメルリさんを助けられるんでしょうか……」
リリアンは研修が再開したときに、指導担当者であり新しく筆頭聖女になったサラサに真っ先に相談していた。
メルリが苦しんでいて、助けてあげたいが、どうすれば良いのか分からなかったからだ。
「まぁ、リリアン様。見習いの異変によく気づいてくれましたわ。こういうことは双方の意見を聞くべきです。アザベルからも話を聞いてみましょう」
サラサはおっとりとした口調で微笑む。一つに束ねた金髪はゆるふわで、彼女が動くたびに顔の横で後れ毛が軽やかに揺れている。
彼女の碧眼が優しく細められると、その彼女の穏やかな雰囲気につられて心が軽くなる。
彼女は四十過ぎで、聖女の中で一番の年長者だ。結婚や出産後も仕事を続けていたが、家庭を大事にしたいと能力があるにもかかわらず、役付きをずっと断っていたらしい。
でも、今回のハーマンの不祥事で人事改革があったとき、子供が大きくなって手が離れたからと筆頭聖女を引き受けてくれたと聞いている。
「アザベルさんって、普段はどういう方なんですか?」
「真面目で責任感がある人よ。仕事を安心して任せられるから、今回上級聖女に推薦したの。何か誤解でもあったのかしら?」
「そうでしょうか……」
リリアンはサラサの言葉にやんわり否定的に答える。
アザベルの見習いへの冷たい態度は、メルリが自信を失くしても当然だと思ったからだ。
頑張るなら、苦しむよりも、前向きに励めるような環境であってほしかった。
リリアンがシオンに出会ったおかげで、素敵な機会を与えられたように。
メルリと同調して落ち込んでいたけど、彼のことをふと思い出して、なんだか胸の奥がぽかぽかと温かくなった。




