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落ちこぼれ聖女

 リリアンが戻った故郷で出会った上司は、片腕を失くした騎士だった。


「よろしく」


 そう言って人好きのする笑みと共に差し出された彼の手は、とても大きくて、岩のようにゴツゴツしていた。


 彼の年齢は十八歳のリリアンよりも一回りくらい年上に見えた。

 がっしりと鍛え上げられた体は、まだ若いのに歴戦の戦士のよう。


 短い髪は触れたら柔らかそうで、干した藁のような素朴な色をしている。

 顔の左半分にあるひどい火傷のような傷痕はとても痛々しいけど、こちらを見つめる褐色の目は穏やかで優しい。


(でも、彼の友好的な態度はずっとは続かない。きっと私の駄目さ加減に呆れられてしまうから)


 リリアンは聖女をクビ同然で左遷された身だから。



 §



「聖女リリアン・ボーヘン。そなたに任せる仕事はここにはない」

「……」


 リリアンは琥珀色の瞳をわずかに細めた。

 泣きそうな顔は子犬のような愛嬌があって可愛らしかったが、やつれ具合がひどく、顔色はとても悪かった。

 ハーフアップにしていた栗毛には以前のような艶はなく、桃色の果実のようだった唇はすっかり荒れている。


(ああ、ついに来たのね。騎士団長から執務室に呼ばれたとき、予感はしていたの)


 リリアンは涙をこらえるためにグッと唇を噛み締める。

 最近はほとんど仕事を任されず、職場に全然居場所がなかった。


「なんだ、不満なのか?」

「……いえ」


 王族特有の紫の瞳で睨みつけられる。


 王弟の彼に異論なんて全くない。聖女として無能だと、よく分かっていた。

 だから、机から見上げられるハーマン騎士団長の視線が冷たくても仕方がなかった。


 彼の端正な顔が歪む。


「こちらとしてはできる限り丁寧に指導したのだが、そなたのように成果を出せなかった聖女は初めてだ。その原因をきちんと分かっているのか?」

「いえ、あのっ」

「聖女としての資質に慢心し、仕事すらまともにしなかったと聞いている」

「その」

「ポーションは指示通りに作れず、瘴気に汚染された土地の浄化も他の騎士たちの指示に文句をつけ、挙句に仕事は手抜きのようなレベルだと聞いている。個人的にはクビと言いたいところだが、そなたは一応聖女の資質があるからな。そなたの故郷に騎士団の分所があるから、そこに異動してもらう。地元なら親の目もある。今度こそ真面目に頑張りたまえ」

「……はい」


 言いたいこともろくに言えない。返事をするだけで精一杯。

 落ちこぼれだと理解していることすら、上手く伝えられない。


 でも、迷惑をかけていると分かっていても辞めなかったのは、給金がとても良かったからだ。


 実家は地方の貧乏男爵家。

 一年以上前から続く原因不明の天候不良により洪水が発生しただけではなく、農作物は大凶作。

 元々ギリギリ運営の資産をかなり削る羽目になり、家計は火の車だった。


 リリアンには弟が二人いる。この子たちを王都の学校に通わせるには、どうしてもお金が必要だったが、貴族の娘がお金を多く稼ぐ手段は体面もあって非常に限られていた。


 上流貴族の屋敷で奉公を望んでも、競争率が激しく採用はとても厳しい。

 伝手もなく、リリアンの口下手が災いして面接で何度も落ち、もう駄目だと思ったとき、聖女であることが判明した。


 聖女は癒しの力を持ち、魔物の血から生じる瘴気を浄化できる特別な人だ。

 女性だけに現れる。


 聖女として王宮に採用された者は、始めに騎士団付きになって仕事を覚える。

 そこで評価された人は、王宮付きの聖女となり、給金も桁違いと聞いていた。


(死の淵から復活させるような伝説の大聖女は、当時の王太子と結婚までしたらしいけど)


 三百年ほど前の、ポーションすらなかった時代、彼女の献身的な活躍は今でも言い伝えられていた。


 そこまで高望みはしてないが、騎士団に配属になったあと、少しでも実家を助けたくてやる気に満ちていた。


 でも、リリアンは他の聖女と同じように働けなかった。


「おい、返事以外に何か言えないのか?」


 相手のイライラした口調に思わず肩は震えた。


「あのっ、すみません」


 きちんと伝えたいのに、喉が詰まったみたいに話せなくなる。


「その怯えた態度は止めたまえ。私がいじめているみたいではないか。私は普通に会話をしたいだけだが、そう被害者ぶられてもな」

「すみません」


 申し訳なくて顔も上げられない。

 彼は美しい銀髪だけでも人目を惹き、若くて未婚な上に美形なので令嬢たちの憧れの的だが、恐くて直視することもできなかった。


「……もういい。元気でな」


 騎士団長はため息をつくと、追い払うように手を振り、出ていくように指示する。


 リリアンたちが属するリレルフィール王国にて、騎士団長は魔物の特定固有種である火竜を討伐した。その際に竜刻をその身に得た英雄の彼の判断は絶対だ。

 地に落ちたリリアンの評価は今後上がることはない。


 こうして不名誉な帰郷をすることになった。



 §



 ジメジメとした天気がずっと続いている。

 故郷の薄暗い空は、リリアンの境遇そのもの。


 それでも屋敷に帰った彼女を家族は温かく迎えてくれた。

 よほどひどい顔をしていたのか、母には涙ぐまれて抱きしめられた。 


「私、落ちこぼれだったの。ごめんなさい」


 そう口にした途端、これまで我慢していた感情が溢れ出たように涙が止まらなかった。


「こんなに痩せて可哀想に。いいのよ。あなたがいてくれるだけで、私たちは幸せなんだから」

「そうだよ。姉ちゃんがいないとみんな元気なかったんだよ」

「お金があっても、姉ちゃんがいない方がヤダよ」


 弟たちも抱きついて慰めてくれる。


「ゆっくり休みなさい。無理をさせてすまなかった」


 父は遠慮がちにリリアンの頭を昔のように撫でてくれる。

 みんなの優しさがすごく身に染みた。


(私もみんなが大好きよ)


 でも、故郷に赴任する聖女の給金は、家業のついでみたいな兼務扱いで、微々たるものだ。

 収入が減って家族に申し訳なかったが、この地に帰って来れて良かったと心の底から思った。



 一方でリリアンの帰還と同じ頃。


「聖女の人事異動だって……? うわー、評価最低だし、勤務態度は不真面目? 名前がボーヘンって、ここの領主の娘なのか」


 人事異動の連絡を受けた新上司が王都の騎士団での彼女の評価を見て、顔色を変えていた。


「とりあえず、この評価どおりの人物か、調べてみるかー」



 §




 死んだように寝た翌日、リリアンは聖女の制服に着替えて騎士団の分所に向かった。


 他の民家と変わりのない建物が目的地だ。

 扉の横にある看板には、『リレルフィール王国騎士団ボーヘン分所』と刻まれている。


「ボンカルおじさーん」


 扉を開けた先にいたのは、知り合いではなく、全然知らない若い男の人だ。

 しかも上半身裸だった。


「えぇ!?」


 気づいたら、口から悲鳴が出ていた。


「待って! 違う! 俺はここの騎士だから! 誰もいないから着替えてただけだから!」


 すごい早口で必死に弁解をする彼は、慌てて服を着ていた。片手だけで。

 左腕の肘から下が無いが、慣れた様子ですぐに袖を通していた。


 何事もなかったように身支度を整えたあと、誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべる。

 火傷の痕のない右側の目が優しそうに細まった。


「あなたとは初めましてだよね? 俺は一年近く前からここに駐在している騎士なんだ。名前はシオン・リヒュエル」

「あっ、はい」


 初対面の人とは特に話しづらくて、片言しか出ない。

 しかも、彼は他所から来た騎士だ。

 警戒してジロジロと様子を窺ってしまう。


「ボンカルさんは前にいた人だよね? 彼に用があったの?」


 ボンカルが引退していたとは知らなかった。


「いえっ、あのっ、その、私は聖女なんです」


 そう答えると、シオンは破顔した。


「ああ、その服は聖女の制服だったね! 今度聖女が来るって通達が届いてたから話は聞いているよ。君がそうなんだね」


 人好きのする笑みを向けられる。

 その彼の返事で一安心だった。

 一から説明するのは、大変だったから。


(彼が私の格好を見て、すぐに気づかなかったのも仕方がないわね。見習い用の制服だもの)


 聖女の制服には種類がある。

 リリアンの茶色の制服は、本来見習い期間の一年しか使用しない。研修を終えた正式な聖女は緑色の制服だからだ。


(見習いの人数は少ないから、見慣れなくて気付かないのも仕方がないわ)


「あのっ、よ、よろしくお願いします。リリアン・ボーヘンです」

「うん、よろしく。こんなに可愛らしい方だとは知らなくてびっくりだよ」


 そう言って彼は友好的に右手を差し出してくれた。

 リリアンが挨拶を間抜けにも噛んだにもかかわらず、可愛いとフォローまで添えてくれて。


 まさかここまで親しげに接してもらえるとは思ってもみなくて、思わず目が点になる。


 王都の騎士たちは、なぜかリリアンに対して冷たかったから。


 なるべく仲良くしたいのは、リリアンも同じだ。慌てて彼の握手に応じた。


 お互いに微笑み合い、しばらく間ができる。


「あなたに何をしてもらおうかな? 特に急ぎの仕事がなくてね」

「えっ、でも……」


 リリアンたちがいる部屋は職務室っぽい机があり、台所も丸見えだが、荒れ放題だ。

 片付けなら、リリアンでも出来そうなので、手伝いを申し出ようと思ったときだ。

 シオンはハッと何かに気づいた顔をする。


「部屋が汚いのは、俺がただ単に片付けが苦手なだけだから! 忙しさとは全然関係ないからね?」


 彼は慌てて弁解していた。

 わざと仕事を与えないわけではなく、本当に聖女向きの仕事がないらしい。


(この人は王都にいた騎士とは違うみたい?)


 少しだけ肩の力が抜けた気がした。 


「それにしても顔色がずいぶん悪いよね。色々と疲れが残っているんじゃないかな?」


 確かに王都での生活はストレスばかりだった。

 でも、ここで頷けば、暗に元職場を悪く言っていると同義だ。

 自分が落ちこぼれで大変だっただけなのに。

 反応に困っていたら、彼は色々と察してくれたようだ。


「だからね、上長として命ずるよ。一週間休息休暇だ。休み明けにまた会おうね」


(気遣ってくれるなんて、なんて良い人だろう)


 王都生活でかなり痩せて不調だったので、彼の命令を素直に受け入れた。


「はい、ありがとうございます! では、そのっ、失礼します」


 淑女らしく礼をしてリリアンは職場をあとにした。



 リリアンは上司との初顔合わせが終わったあとは、すぐに家に戻るつもりだった。

 ところが、リリアンの存在に気づいた領民たちが声をかけてくれて、寄り道が多くなった。


「これ持って行きなよ」


 お裾分けに野菜や肉を分けてくれる。

 

 その温かい言葉と気遣いがなによりも嬉しい。


 外出した今日一日は、他人の優しさに久しぶりに触れた気がした。


 ちなみに、家族は新しい騎士のことをリリアンに言い忘れたらしく、帰ったら謝られた。


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