(30)
マチルドと母を自分の部屋の前に残して、シルヴィに成りすましたアネットは階段を降りた。
階下のホールでは父や兄たちが待っていたが、母たちの目をごまかすより、彼らをごまかすのは、はるかに簡単である。
アネットは余裕の表情でホールを通り過ぎた。
扉の脇に立っている従僕の一人に「馬車を用意して」と頼む。念のため「シルヴィよ」と言って微笑んだ。
アネットとシルヴィはそれぞれ小型の馬車を持っているので、どちらを用意するかと聞かれてモタモタしないためだ。
「かしこまりました。シルヴィお嬢様」
従僕の返事に満足して微笑んだ時だ。
「どこに行くんだい、アネット」
背中から声を掛けられて飛び上がった。
振り向くとジェラルドが立っている。
「尼僧院に向かう馬車は、すぐそこにとまっているよ」
「に、尼僧院? 私、シルヴィよ。アネットは、まだ部屋に」
「何を言ってるんだ。きみはアネットだろ」
自信たっぷりに言い切られて、動揺した。
父と兄たちがこちらを見ている。
ゆっくりと近づいて来ながら、クレマンが言った。
「アネット? シルヴィだろう? そのドレスは……」
「いいえ。アネットですよ。一度しか会ったことはありませんが、間違いありません。これはシルヴィではない」
テオドールが「シルヴィとだって、数えるほどしか会ってないだろう」と言って笑った。
「二人を見分けるのは、僕たちでも難しい。テランスが間違えるのは無理もない。でも、これは……」
「アネットだよ。シルヴィとは、全然、違うじゃないか」
あまりに当然という言い方でジェラルドが言い切るので、テオドールとクレマン、さらに父まで、しげしげとアネットを観察し始めた。
「うーん……」
「よく、わかんないなぁ……」
ジェラルドは「なんで?」と困惑している。
「どこからどう見たって、シルヴィとは別人だろ? なんで、わかんないんだ?」
「テランス、きみこそ、その自信はどこから」
「テオドール、それでもきみは彼女たちの兄か?」
兄たちも父も困惑気味に顔を見合わせた。
クレマンが言った。
「外に出てみればいい」
「外に?」
「もっと明るいところで見れば、目の色の違いでどちらかわかる」
「ああ、なるほど。そうだな」
「うん。そうしよう」
まずいことになった。
アネットはじりじりと後ろに下がった。
その時、玄関の扉が開いて、従僕が告げた。
「馬車の用意が整いました」
明るい日差しが差し込み、アネットの瞳がきらきら光る。
父たちがじっと覗き込んでくる。
「ん?」
「完全に青いぞ。菫色ではないな」
「アネットか?」
アネットはさっと身をひるがえして玄関を飛び出した。
車止めにとまっているシルヴィの馬車を目指して走る。
しかし……。
「乗せるな!」
父の一声で、御者が馬車の扉を急いで閉めた。
すぐに追いついた父が深いため息を吐く。
「やはりアネットか……、まったく、おまえという娘は……」
アネットは父にすがりついた。
「尼僧院に行くなんて、嫌!」
「知っている。だから、行かせるんだ。喜んで行くようなら罰にはならないからな」
「ひどいわ、お父様!」
「私だって、好きで罰を与えるわけではない。しかし、おまえは少し頭を冷やして反省しなくてはいけない」
「家で反省するわ!」
父は、やれやれというふうに首を振った。
たった今、逃げ出そうとしたのは誰だと言いたげだった。
「これは預かっておこう」
言いながら、宝石を詰めた鞄をアネットの手から取った。
「ずっと、というわけではないのだから、しばらく静かにすごし、自分と向き合って、何が悪かったのか考えてきなさい」
うわあん、と泣きまねではない本当の涙が流れて、アネットは大泣きした。
しかし、無駄だった。
兄たちが口々に「可哀そうだけどね」と言いながら、アネットを尼僧院行きの馬車に乗せる。
「お兄様ぁ~! お父様ぁ~!」
「いい子にしてたら、すぐに迎えに行くから」
「待って。お母様とお姉様たちに会ってから……」
「私たちから、ちゃんと伝えるよ」
優しく宥めながらも、決して方針を変えることなく、アネットを乗せた馬車の扉をバタンと閉め、父が御者に告げる。
「出してくれ」
こうして、アネットはとうとう尼僧院へと送り出されたのだった。
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