僕と彼女、それと便座カバー
教室、今は僕一人で、そこには他に誰もいない。
ここは校舎の三階。二年の教室がある。
僕、四ノ宮 満は、スマホをタップしてメッセージを打っていた。
「今日は、どこで、買い物、するの、と」
SNSの個人チャットを通じて、上の階にいる彼女――、ミヤにそれを確認する。
一分も待たない間に、メッセージが返ってきた。
僕は、画面に目を落として、そこに書かれた内容を確認する。
「えー、デパート寄ってコスメ見て、食品売り場で夕飯の食材買って……」
それは、ほぼいつも通りの買い物コース。
両親が共働きでいつも遅いミヤには、妹と弟がいて、夕飯は彼女の担当だ。
僕も、幾度かお邪魔したことはあるけど、どっちも元気なんだよなぁ、あっちの子。
「あ」
そういえば、ノート新しいの買わなくちゃ。
それを思い出した僕は、文房具店も寄りたい、とミヤに打つ。
「OK、いいよん」
返事は、メッセージではなく声でのものだった。
「あれ、もう準備終わったの」
教室の出入口にいつの間にか立っていたミヤに、僕は首をかしげる。
ミヤ――、明日原 都はこの高校の生徒会の副会長で、毎日、それなりに遅くまで居残っていたりするのだ。今日は早めだけど。
「ん、次の行事の準備、それなりにできたしね。それに」
「それに?」
教室に入ってきたミヤは、僕に近づいてきてにっこりと笑った。
「早く、チルに会いたかったから~。チルゥ~、寂しかったよ~」
「はいはい、詫び寂び詫び寂び」
抱きついて来ようとするミヤの額に、僕は軽く手刀を打ち込む。
全然力を入れてないというのに、ミヤは大仰に「ぐわー!」とのけぞった。
「ひどいよ、チル! 幼馴染のおねーさんに向かって!」
「先輩が乱心したら、それを正してあげるのが後輩の役目だと思いまーす」
三年のミヤに対して、僕は一切表情を変えることなく正論を突き立てた。
別に効いちゃいないだろうに、ミヤはまたしても大げさに胸に手を当てて呻きだす。
「うぐぅ、後輩ちゃんの正論が先輩の臓腑を抉るぅ、しぬぅ~」
「その程度で死ぬような儚い生き物じゃないでしょ、ミヤ」
努めて出した平たい声でのツッコミに、ミヤは「まーねー」と肩をすくめた。
「それより、ほら、帰ろうよ。チル。ね。ね?」
カバンを手にしたミヤに促され、僕は「はいはい」と教室を出ていく。
窓の外に見える空は、そろそろ茜色が濃くなって、夕焼けと呼ぶに相応しい時間帯。
それを見て、僕は歩きながらミヤに尋ねた。
今日の、本題を。
「どこ、行こうか」
「ん」
ミヤからの返事は、ごく短い一声。
そこに含まれるかすかな緊張の色を、僕はもちろん、見逃さない。
「コスメ見て、文房具店寄って、夕飯の材料買って……、それから」
「ん~と」
校門前、まだそこには僕達以外の生徒の姿もある。
彼らに聞こえない程度の小声で、僕とミヤはその会話を続けている。
これは、僕と彼女の秘密の会話。
僕達だけに通じる、二人きりの合言葉みたいなもので――、
「コスメ見て」
「うん」
言うミヤに、僕はうなずく。
「文房具店寄って」
「うん」
言うミヤに、僕はうなずく。
「夕飯の食材買って」
「うん」
言うミヤに、僕はうなずく。
問題はそこから、それから、どこに向かうのか。
それが知りたくて、僕の胸はにわかに高鳴り、僕の身は緊張に固くなる。
「それと――」
ミヤが言う。
「それと……?」
僕がそれに追随する。
そして、待ちわびている僕に、ミヤは言った。
「それと、便座カバー」
「…………もっかい言って?」
「それと、便座カバー」
笑顔で一言一句たがえることなく繰り返すミヤに、僕は軽い頭痛を覚えた。
聞き違いであって欲しかったよ、ミヤ……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ありていに言ってしまえば、僕とミヤは付き合っていた。
ただし、その事実は二人だけの秘密。
幼馴染ではあるけれど、付き合っている事実は互いの家族もまだ知らない。
「だからー、弟がねー」
言い訳するように、ミヤが買い物袋を片手に僕に言い募る。
曰く、弟のせいで便座カバーが汚れて、換えが必要になった、とのこと。
「まぁ、事情は分かったよ。事情は、ね」
言いながら、僕は彼女の二歩前を歩く。
「分かってなーい! も~、待ってってば、チルゥ~!」
後ろから、パタパタと速足で近づいてくるミヤの足音。
僕はその分加速して、彼女との距離を一定に保った。
「あぁん、ひど~い、可愛い彼女がこんなに謝ってるのにー!」
「今までの会話で一回でも謝りの言葉あった!?」
思わず振り向いて、言ってしまった。
「えー?」
ミヤが足を止めて、目線を上げて考え込む。
「あった! ってことにして!」
「ないって確信してなきゃできない物言いやめて!」
全く、本当にミヤはいい性格してるよ……。
僕は息をついた。
僕達がいるのは、学校から十分ほど歩いた場所にあるホームセンター。
そこが、今日の僕とミヤの『デート場所』だ。
「ここなら、さすがに……」
ミヤが、キョロキョロと辺りを見回す。
だが、この時間帯、こんな場所に同じ学校の生徒がいる可能性は低い。
便座カバーが売っている生活用品売り場である。
こんなところに、この時間にやってくる高校生なんて、普通はいるわきゃない。
今ごろはみんな家に帰ってるか、さもなくば溜まり場に赴いてるだろう。
「まぁ、見つからない、っていうならいい場所だけどさぁ……」
「でしょ? でしょ? 結構穴場スポットだよ、ここ!」
僕が認めたら、途端に得意げになる。
ああ、全く。僕の彼女は、お調子者だ。ずっと前から知ってたけど。
「フフ~ン、チ~ル♪」
「はいはい」
僕とミヤは、今まで繋いでいなかった手を繋ぐ。
ここでようやく、僕達二人の恋人としての時間がやってくる。
表面上、あんまり感情は出さないようにしてるけど、さすがに胸が高鳴った。
やっぱり、この時間だけは、僕にとっても特別だと実感する。
僕とミヤが付き合い始めたのは、僕が高校に入学してすぐのこと。
最初は家族には話そうか、という相談はしたものの、それはやめておくことにした。
僕達が入ったのは県内でも知られた進学校で、最悪、恋愛を禁止されかねない。
それを思うと、若干の後ろめたさはあったけど、相談はできなかった。
かといって、二人とも学校を卒業するのを待ってからの交際。
それもやっぱり無理だった。
無理だと思うくらいには、僕はミヤが好きで、ミヤも僕を好いてくれた。
と、いうワケで、隠れてお付き合いスタート。
でも、これが案外上手くいって、付き合い始めて一年半、ここまで順調である。
僕とミヤは手を繋いで、誰もいない生活用品売り場を歩いて回る。
毎日、ミヤの買い物に付き合って、その最後に、見つかりにくい場所へと向かう。
そしてそこでの、一日三十分限定の、二人だけのデート。
普段のミヤと僕は、あくまでも幼馴染で、学校の先輩後輩。
でもここでは、今だけは、ミヤは僕の彼女だ。
「ミヤ」
「なぁに?」
「好きだよ」
「知ってる。……ンフフ♪」
僕の唐突な告白に、ミヤは嬉しそうに笑う。
そして、ミヤも僕に言ってくる。
「好きだよ、チル」
「知ってるよ、僕もだから」
「……にゃはぁ」
ミヤは変な声を出して笑うが、そうして照れる彼女をとてもいとおしく感じる。
一日三十分だけの、甘い甘い、蜜のような時間。
僕の握るミヤの手はしっとりと汗に湿って、彼女の心の高ぶりを僕に教えてくれる。
「チルの手」
「え?」
「汗ばんでるね。すっごい熱い」
「…………はい」
高ぶってるのは、僕もだったらしい。ああ、顔から火が出そうだ。
「それにしても……」
何かに気づいたように、ミヤが辺りに視線を巡らせる。
「何、どうかした?」
「うん、あのね」
「うん」
「便座カバーって、結構、種類あるんだね」
「…………」
真顔で何言いだすんだ、この彼女。
「ほら、見て見て、これ。こんな分厚いの、冬用カバーだって!」
やけに厚みのある便座カバーを指で示して、ミヤが興味深そうに声をあげる。
それに、僕は一体、何と答えればいいというのだろうか。
「ああ、うん。奥が深いね、便座カバー……」
「すごいね! 案外、便座カバーも捨てたものじゃないよね!」
適当に返したら、何か熱を帯びた返事がきた。
やっべーな、僕はまだ、自分の彼女のスペックを測りきれていなかったらしいぞ。
こいつ、僕が思ってたより二回り以上は天然のアホの子だ。
と、思っていたら――、ポケットに入れていたスマホが震え出した。
「あ……」
「三十分、経っちゃった、かぁ」
デートは一日一回、三十分まで。
それが、僕とミヤとの間で決めた、絶対のルールだった。
それ以上に時間をかけてしまえば、家族に怪しまれてしまうかもしれないから。
あくまでも、帰りの寄り道以上にはしないこと。そういう約束だ。
だから、デートは終わって、僕はミヤの手を離そうとする。
でもミヤは僕の手を握ったまま、なかなか離してくれなかった。
「ミヤ」
「……あと五秒だけ」
やめてくれよ、こっちまで離したくなくなるだろ。
「ご~お、よ~ん、さ~ん、に~い……、今何時だっけ」
「時そばはやめなさい。はい、ゼロ!」
「やぁん!」
時計を見ようとするミヤを振り切り、僕は手を離した。
「チルのいじわるぅ!」
「はいはい、帰ろうねー。また明日もあるからねー」
頬を膨らませるミヤを無視して、僕は歩き出す。
その背中に、ミヤが声をかけてきた。
「ねー、チル~、普通にデートしたいよー」
「そりゃ僕もだけど、さ……」
言われて、僕は振り返った。
そのとき僕のスカートがひらりと舞って、大きくめくれてしまいそうになる。
「おっ、とと……」
「ほらぁ、また。そんなスカートの丈短くしてるからだよー」
体勢を直す僕に、ミヤが言ってくる。
しかし、何と言われようと僕はスカートを長くするつもりはない。ダサいし。
「あー、チルと結婚出来たらなー! どっちも十六過ぎてるのになー!」
「はいはい、そのうちできるようになるって。また明日、デートしようね。ミヤ」
「うん!」
溌溂とした恋人の声を耳にしつつ、僕も笑ってうなずいたのだった。
明日は、どこでデートしようかな♪
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