第九話 沈黙の日々 その4(9)
1984年の晩秋、健一が一枚のチラシを元に連絡を取ったアジア料理研究会の和本氏と始めて会い、お互いの思いを語るうちに、年齢が近い事もあり意気投合するのだった。
翌日健一は、予定通り “アジア料理研究会 ”の事務所に向かった。
いったいどんな人がやっているのか、興味津々であった。
現地に到着してわかったことであったが、実は事務所と言ってもマンションの一室であった。
入口のドアのブザーを鳴らすと中から黒縁のメガネをかけた小柄な一人の若い男が出てきた。「始めまして昨日電話したものです」
健一がすかさず挨拶をすると、「おお、あなたですか、事務所と言っても私の自宅を兼ねていて非常に狭いですから、すぐそこでコーヒーでも飲みながら話をしましょう」
男はそういって健一を近くの喫茶店に案内した。
「始めまして、私はアジア料理研究会の代表をしています“和本得男”と申します」と言うと、名刺を健一に差し出した。
「ごめんなさい、僕はまだ大学院生なので名刺は作っていません。大畑健一と申します」
少しあわて気味に挨拶をすると、「いえ、実は私もまだ大学院生なんですよ。△△大学で食を研究しています」和本も自分と同じ学生とわかると少し安心した健一は落ち着きを取り戻し、「あっ△△ですか、僕は○○大学で、中国史を研究しています」と自己紹介をした。
「えっ?それなのにタイ料理が詳しいのですか??」驚きの余り、顔をやや歪めながら、
不審そうな目に変った和本に、健一はこれまでのいきさつを丁寧に説明した。
「なるほどー人生は面白いですね。実はこのアジア料理研究会を立ち上げたのは昨年なんですよ」元の表情に戻った和本は研究会のいきさつを熱く語り始めた。
「もともとは、△△大学でのサークル活動だったんです。
次のオリンピックが88年にソウルで行われることになったように、
これからはアジア各国がどんどん発展していくでしょう。
21世紀は“アジアの世紀”になると確信しているんですよ。
その前提としてそれらの国の文化を知る一環として、“食 ”を知ることが重要だと思い、
研究会を立ち上げたのですが、所詮一大学では、やることが限られるんですね。
当初から大学の近くにあるインド料理屋さんと意気投合し、
インド料理の研究会はそこで活発にやっているんですが、
他のアジアの国々だと、どうしても中華料理屋さんくらしかわからないんですよ。
だから、“アジア”と言うにはあまりにも範囲が狭すぎてつまらなかったんです。
そこで、他の大学や社会人の皆さんにも声をかけて、多くの賛同者を集めることにしました。
おかげさまで現在は会員数が100名近くになり、あなたの○○大学の会員も何名かいます。
恐らくそのメンバーが自主的に配ってくれたチラシを見られたのだと思います。
そういう行動を起こして一年が経過しました。
その間、韓国料理とかフィリピン料理に精通している人たちと出会うことができました。
そして今度はタイ料理!
大畑さん、ぜひ私とアジア料理を日本中に広める活動をしようじゃないですか?
あなたはタイ料理を担当してください。
当会は、今のところ東京都内だけの活動ですが、いずれは日本全国に活動を広めていくつもりです」
健一は、和本の話を聞き大きくうなずくと、
「和本さん、わかりました。僕でよければぜひ参加させてください」
「おお、そうですか、これは話が早い!では、とりあえず一度タイ料理研究会を開催してみましょう。人集めや開催場所はこちらで用意しますから、大畑さんは企画と日程を決めてください」
こうして、健一は、和本が始めたアジア料理研究会に、参加することにした。
ちなみに和本から聞いた話では、電話を取った受付の女性は、
同棲中の恋人だということであった。
また、和本は健一より年が一つ上であった。
健一は、忙しく大きな目標を目指して日々頑張っている和本がうらやましく思った。
本業の研究のほうが最近行き詰まり気味で、将来の目標も白紙同然の状態である健一としては、和本と組んで新しいことを始める事で、目的意識を持って日々行動できる気がしたからであった。




