第21話 恩人の下で再出発 その5(21)
大畑健一は、後輩の大串洋次と共に名古屋の青木貿易本社に研修のために向かった。そこには社長の青木の右腕と言う関西訛りの男、中堀幸治が待ち構えていた。
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「大畑先輩。僕を紹介して下さってありがとうございます。
タイ料理研究会(TFRA)のほうは、野崎が完全に取り仕切っていて、だんだん居場所がなくなってどうしようかと思っていたところでしたので」
健一より、一回りも大柄な大串はそういって嬉しそうに礼を言うと、
「いやいや、大串。立場は同じようなものだよ。
俺は多分、人生ちょっと急ぎすぎたんだよな。
今日から新しい気持ちで青木社長のお世話になるんだ。
研修を終えたら、一緒に東京事務所盛り上げよう」
健一は、そういいながら車窓を眺めると、高速で過ぎ去る風景が、
過去の思い出をどんどん振り切って、新しい人生に向かっているような
気がしてならないのだった。
名古屋に到着し、市の中心部から車で15分くらいのところに
青木貿易の本社があった。
8F建てビルの3Fの一フロアに、
20人近くのスーツ姿や作業着姿の社員が働いていた。
青木のいる社長室だけ別フロアであった。
社長室に入ると、いつも以上に背が高く見える青木が待ち構えていた。
「おう来ましたね、お二人さん」「社長よろしくお願いします」即座に挨拶をする2人。
顔を上げると青木の横には、青木とは対照的に、背が低く小太りで頭髪がやや薄い、青木と同年代と思われる男が立っていた。
青木がその男に、健一ら2人の視線を振り向けさせる。
「紹介しよう、こちらが今回君たちの研修を担当する営業部長の中堀幸治君だ。
彼は私の右腕のような存在でもあるんだ」
「中堀言います。よろしゅうに」中堀はゆっくりと低めの声で、関西訛りの挨拶をした。「大畑です。よろしくお願いします」「大串です。よろしくお願いします」と2人は慌てて挨拶を返した。
青木が話を続ける「東京事務所の責任者は私であるが、7月までの研修期間は、当社のことや業務内容。
また、社会人としてのマナーなどの指導を中堀君にお願いするので、彼の言うことを聞きながら質問なども彼にするように。
私は、健一いや大畑君と大串君に東京事務所に常駐してもらって、主に営業活動を頑張ってもらおうと思っている。期待しているよ」
この日から中堀部長の下で、健一と大串の2人の研修が始まった。
「ほな、ぼちぼち始めましょか。まずは貿易会社がどんな事をするか言う事やけど」
咄嗟に健一は、関西訛りの中堀に質問をした。「部長は名古屋ではなく関西の方ですか?」中堀はじろりと健一のほうに目をやると
「そうやで、出身は、あんたが知ってるかどうかわからんけど、
大阪と京都の中間にある高槻いうところや。
実はな、名古屋弁は出ないけど社長が名古屋出身やから本社が名古屋にあるんや」
健一が、緊張しながら恐る恐る質問する。「実は、僕いや私は、以前大阪に行った時、言い方が高圧的な人が多いもので、実は関西弁が苦手で・・・」
健一は、大叔父が経営している大阪の居酒屋に、中学生のころ一度だけ遊びに行った事があった。
東京生まれの東京育ちの健一にとって、関西弁への印象は、威圧的とも高圧的ともとれる抵抗感を感じてしまい、それ以来関西に対してある種のトラウマを感じていたのだった。
それでも、バンコクで知り合ったオーケン土山も関西訛りでしゃべっていたので、多少慣れている筈であった。
しかし、軽快な語り口調のオーケンとは対照的に、ゆっくりと粘着質で来る中堀のしゃべり方に、再び抵抗感を感じてしまったのだった。
「そりゃ、河内や和泉あたりとか、地域によって多少の違いはあるんやと思います。まあ、その点は多少馴れてもらうしかおまへんな」
とゆっくりとしたペースでさらりと言う中堀。
健一は、中堀の関西弁には抵抗があったものの、今そんなことを言える立場でないこともわかっているのだったが、寮に戻ると、大串に「名古屋と思ったので安心していたのにまさか関西の人が上司とは・・・」
と少し憂鬱につぶやくのだった。
研修内容は、貿易業務の基礎から始まり、倉庫の見学や地元の得意先回りなど、健一にとって今までとは仕事内容が全く異なり、それとは別に社会人としての礼儀・作法などなども教わるなど、毎日が新鮮で非常に楽しい気分であった。
また、心配していた中堀の関西弁も、ゆっくりと丁寧な口調だった事もあって、徐々になれて慣れて行き、健一のトラウマも自然になくなって行くのだった。
休日になると、気晴らしに名古屋市内をはじめ愛知県内各地を大串と2人で観光をしながらすごす事が増えてきた。
あるとき大串が、他の観光客を見ながら「回りはカップルか家族連れがほとんどですね。いつも思うのですが、別に先輩が悪いというわけでなく、やはりこういうところに遊びに行くのは、男2人じゃつまらないですね。」
笑いながらしゃべる大串の横で話を聞いていた健一は、徐々に、大串の声が遠のき、自らの意識の中で千恵子と最も幸せな日の事がよみがえってくるのだった。
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