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第一話 突然の悲劇 その1(1)

1990年4月の半ば、花見のシーズンが終わって、次に控える5月の大型連休に向けて、みんなの気持ちが移りつつあった。

そんな中、東京都内の静かな住宅街には、夕方から小雨が降り始めていた。


その住宅地に囲まれた小さなタイ料理店「曼谷食堂(バンコク食堂)」では、

いつものように一人の男が静かに営業をしていた。


男の名は、大畑健一27歳。2つ年上の妻と3歳になる息子の3人暮らしであった。


店は、昨年の6月に開業。

健一が一人で店の運営を行っていた。

だが、開業以来思うように集客に繋がらず、悩みながらいろいろと試行錯誤を繰り返している日々であった。


とても店の営業だけでは生活費を賄う事が出来なかったので、

開業当初から妻・千恵子が昼間にスーパーのパートで働くことで、

どうにか生活のやりくりをしている状態であった。


しかし、開業して半年経っても、店の営業状態が良くなるわけでもなく、逆に当初の運転資金が目減りし、徐々に資金繰りにも支障をきたし始めてきた。

昨年の暮れには、ついに家賃などの毎月の固定費の支払いなどにも影響が出始めていた。


だが、「タイ料理店を開店して、みんなにタイ料理を広めて必ず成功させたい」という

健一の想いをよく理解していた千恵子は、パート先で知り合った人の紹介で、

夜にスナックのバイトを年明けの1月から始めていた。


当初、健一は心配して反対したが、千恵子の意志は強く、

健一は、自らの不甲斐なさをひしひしと感じながら、黙認せざるを得なかった。


この日から千恵子は朝から夕方までスーパーに、一旦店に戻ってきて少し休憩してから、

スナックに向かうという日々が始まった。

しかしやはり無理が重なったのか、千恵子の表情には、明らかに疲れが見え、

日々やせ細っていき、目にも隈ができるまでになっていた。


この日の夕方も、小雨が降り始めた中、いつものようにスナックに出かける、

疲れた表情の千恵子に、心配した健一が思わず声をかけるのだった。

「千恵子、体調大丈夫?顔色が良くないよ!無理しないで、辛いならいつ辞めてもいいから」

と言って、引きとめようとするものの、それに対して千恵子は無理に作った笑顔で、

「健一、心配しないで。まだ慣れていないだけよ。私は全然大丈夫だから。それより店のほう頑張ってね。夜ごはん楽しみにしているから!」

と明るく声を上げるものの、その表情にも疲労感が嫌と言うほど健一に伝わってくるのだった。


しかし、今の生活が厳しい状態では強引に引き止めることも出来ず、ただ、感謝の気持ちを持ちつつ目に溜まる水をこぼすまいと、無理に作った笑顔で、

「5月の連休には、ゆっくり3人で近くの温泉にいけるように頑張ろう」と千恵子を見送る。

「ありがとう、楽しみにしているわ。泰男の面倒お願いね」と千恵子が精一杯の元気な声を出すと、腰の近くまで到達している長い黒髪をなびかせながら出掛けていった。


「今日こそ頑張ろう」と、いつも気合を入れるものの、この日の夜もお客さんが全く来る気配が無い。


店内では、健一の心配をよそに、一人息子の泰男が無邪気に遊んでいる。

それを見つめながら健一は、泰男に見られないよう暗い表情を隠そうとする。

「今日も、千恵子が帰ってきてからのごはんを作るだけになりそうだなあ。もう店を辞めた方がいいのかなあ。でも泰男、俺が始めてタイ料理の世界を知った8年前と比べれば、ずいぶん変わってきたんだよ。

あの頃は、本当にタイ料理の店も無くてなあ。偶然行ったあの国のあのスープの魅力に取り付かれて、『これだ!』と思ったんだが・・・。


でも、かならず、ブレイクするときがあるさ。

将来お前が、今の俺くらいの年になったら、大きなチェーン店の会社を作って、お前に社長を譲って、俺は千恵子と2人でバンコクでのんびりすごしたいなあ〜。

まあ、夢は大きくないとね」

と泰男に向かって言い聞かせるように一人でしゃべっていると、話の内容がわかったかのように、「パパ!」と、かん高い声を出しながら笑顔で泰男が近づいて来るのだった。

健一は、目の前に来た泰男を抱きかかえると、「お前の名前の泰男の”泰”は、タイの日本語表記から付けたんだ。だからお前もきっとタイが好きになるよ」と静かに語りながら、8年前のことを思い出すのだった。

〜〜〜


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