手袋
僕の伯父さんが亡くなった。
葬儀には多くの人が参列した。
「あんなにいい方だったのに」
「早すぎるわ」
皆は口々に伯父の死を悼んだ。
僕もまったく同じ気持ちだ。
あんなにも僕を可愛がってくれた優しい伯父さんが。
世の中は理不尽だ。
伯父さんは僕の父の兄だ。
僕の祖父は国内でも有数の大企業の創業者だった。
今でもメディアで取り上げられるし、評伝なんかも出版されている。
そんな祖父には三人の子供がいた。まず長男である伯父さん、次男である僕の父、そして長女である叔母さん。
祖父は「私の後継ぎは生まれた順では決めない」と言いだしたんだ。
自分の息子二人に向かって、「子会社で働いて、より業績を上げた方を選ぶ。二人で競え」ってね。
女性の叔母さんが入っていないのは時代を感じるね。
結果、勝ったのは僕の父だった。
周囲の人々は、長男ではなく次男が継ぐことに驚いた。
でも伯父さんは出来た人で、少しも嫌がるそぶりを見せなかったらしい。
むしろ進んで弟を祝福したんだって。
「お前ならきっとできる。従業員のためにもお前が継ぐのが一番だ。
応援してるぞ」ってね。
なかなか出来ることじゃないってみんなで称えたらしい。
だから父と伯父さんの関係は良好で、子供の頃からかわらなかったんだ。
ほんとに伯父さんはすごい。
僕は尊敬する。
父は祖父の跡を継ぎ、事業を盛り上げていった。
伯父さんはその後も子会社で働いた。
どちらかというと仕事よりも家庭と趣味に生きる人だった。
「私にはああいうのは向いていない。こうしているのが本当に楽しいんだ」
僕にそう語りかけたっけ。
周囲は「ああいうのを悠々自適っていうんでしょうね。うらやましいわ」と言った。
伯父さんのことに思いを馳せていると、声をかけられた。
「帰るぞ」
喪服に身を包んだ父だ。傍らには母もいる。
父は忙しい身だが、兄の葬儀のため時間を捻出して駆けつけたのだ。
「わかった」
そうして伯父の葬儀から帰ろうとした時、雪が降り始めた。
「天気予報では雪とは言ってなかったんだけどねぇ」
参列者の会話が聞こえる。
すると伯母さんが手袋を僕に差し出して言ったんだ。
「今日はありがとうね。これ使ってちょうだい。
外は寒いわよ。風邪でもひいたら大変よ」
「え、でもそれ伯父さんのじゃないですか。申し訳ないですよ」
「いいのよ。気にしないで。返さなくいいわ。
主人はあなたのことすごく可愛がってたから、
あなたが使ってくれたら喜ぶと思うわ」
伯母さんは伯父さんの奥さんで、優しい人なんだ。僕にも親切にしてくれる。
「じゃあ、もらいます。ありがとうございます。大事にしますね。
本当に今回のことはなんといったらいいか。僕になにかできることがあったら仰ってください」
「ありがとう。人生なにが起きるかわからないものね。あなたも気をつけてね」
事故で夫をなくした伯母さんの言葉は重い。
ものすごく辛く苦しいだろうに義理の甥を気にかけてくれる。
「そうします。それではさようなら」
僕と両親は伯父さんの家を出て帰路についた。
母は「あら、良いものを頂いたわね。よく手入れされているわ」と言った。
僕も同意した。
でも手袋はつけなかった。
だって雪に触れれば濡れてしまいそうで嫌だったんだ。
僕は手袋をそっとコートのポケットに仕舞い込んだ。
自宅に帰ると、屋根には薄っすらと雪が積もっていた。
弟である父は兄を亡くして本当に辛そうだ。
居間でひとりウイスキーを飲んでいる。
言葉少なだが、背中から悲しみが伝わってくる。
僕は自分の部屋へ入ると、椅子に座って壁を眺めた。
親しい親族の葬儀に参加したことで、柄にもなく人生とか生死について考えこんでしまう。
人が死んだら全てが消えるのか?
いいや、人が亡くなってもその人の思いや絆は消えない。
現に伯母さんも父さんも僕も、他の親族や友人知人たちも伯父さんのことを偲んでいる。
僕らの記憶の中で伯父さんはずっと生きていくだろう。
僕はコートから手袋を取り出した。
そして今となっては伯父さんの形見となった手袋を見つめた。
その柔らかな感触に、在りし日の伯父さんを思い出した。
夏祭りに連れていった時、迷子にならないように手をつないでくれたこと。
あれは幼稚園の時だったか。
一緒に映画を見に行ったら、小学生だった僕には怖すぎて伯父さんにとびついてしまったこと。
その後も人生の節目で僕にアドバイスをくれた良き先輩だった。
「お前ならあいつの跡を継いでうまくやれるさ。
お前を子供の頃からよく見ていたからわかる、お前は父さんに似ているよ。
事業は上手くいくさ。頑張れ、応援するよ」
あの優しい笑顔が忘れられない。
僕は伯父さんの手袋をはめてみた。
柔らかく、温かかった。
きっと手袋に伯父さんの心が宿っているから、こんなにも暖かく僕を包んでくれるんだな。
僕は涙ぐんだ。
「…ん?」
なぜだろう。僕の手が勝手に動きだした。
「なんだ!?」
僕の両手がまるで他人の手のように動いて、僕の正面に手のひらを向けた。
そして両手がクロスすると僕の首を力いっぱい締め始めた。
苦しい。でも助けを呼べない。
息ができない。
椅子から転げ落ちて床に倒れこんだ。
完全防音があだになって誰も気づかない。
天井を見上げる。
だんだん意識が遠のいて視界がぼんやりしてくる。
その時僕は初めて伯父さんの優しい目の奥にあるものに気づいたんだ。
でももう遅い。
僕の意識は---------------