私は今日、自殺を見た
異世界も魔法も、ましてやロマンチックなものもないが、しかし、それは恐らく貴方の感情を動かすだろう。少なくとも、そうであってほしいと私は願って書いている。
午前六時。私はいつもこの時間きっかりに布団から出る。眠りから覚めるのはその一分前で、一分の間は何も考えず、ただぼぅっとしている。
ベッドのすぐ隣に置いてある低いテーブルの上に置かれた黒縁の眼鏡を取り、耳にかける。これでようやっと私の世界は一日の鐘を鳴らすのだ。
眼鏡の横に置かれたワイヤレス充電器の上にあるスマートフォンを手に持って一階へ降りる。この家からは、私以外の気配は全くと言っていい程感じ取れない。あまりの無人さに、少し高揚感を覚える程度には人がいないのだ。それもそのはず。父親は別居中だし、母親は私が起きる前に仕事先へと向かっているのだから、事実、二世帯住宅のこの家には私しかいないのだ。
踊り場のある階段を下りて、二個目の扉の先がリビングだ。ダイニングとキッチンもついているが、矢張り人はいない。
この生活になり始めた頃は”一人で占領している”という感覚があって色々とやってみたが、どうも最近はその気になれない。この生活に慣れてしまったからだろうか。机の上に無造作に置かれている五千円札にももう慣れた。
キッチンに置いてある食パンの袋を開け、トースターに入れる。その間にSNSを覗いてみた。私の好きな漫画家のみをフォローしている、ネット用のアカウントだ。そこで発売予定日や進捗などを見るのが毎朝のルーティンになっている。
親指を動かしている内にどうやらパンが焼けていたようだ。牛乳をコップに注いで、フライパンに雑に置かれていた目玉焼きをパンの上に乗せ、テレビをつけてから椅子に座る。
『えー、悲しいニュースが入ってきました。今日午前零時二十分、××駅にて集団自殺が発生しました。その中には中学生、高校生も入って・・・』
とニュースキャスターは口のみを動かして伝える。テロップが流れて少しして、現場の映像が映し出される。今は全ての残骸を取り出した後なのか、運転再開はしているようだ。
目玉焼きの乗った食パンを食べ終え、口の中の渇きを牛乳で潤す。
それから三十分程度は自由時間だ。あの四角形の箱に入るまでの、比較すれば実に短い時間だ。
私は部屋から持ち出した小説をスピンの所から見始めた。今回の小説は当たりだ。外れの時はその小説が読み終わるまでやる気が上がらないでいる。
私の好きな本は主に狂気殺人や、私小説、全体をまとめて言うなら、暗い雰囲気のものが好きだ。太宰治や芥川龍之介、三島由紀夫など、文豪と呼ばれる作家の、代表作と呼ばれるものの多くは暗く終わる。それは皆が『誰かの不幸』を望むからだ。
現実に不幸はたいして存在しない。ニュースのように淡々と告げられる不幸は不幸ではない。あれは情報だ。知人の不幸をネタにして、前に進む。他人の不幸をネタにして記事を書く。誰かの失敗を見て、誰かの愛別離苦を見て・・・だが、そんなことは数年に一度起きる程度だ。そこで、人間はネットや幻想にそれを求める。だから売れるんだろう。まぁ、私のようにただ純粋に心が落ち着く、という人もいるだろうが。
三十分、十数枚の頁を捲った後に私は部屋に戻り、制服に着替える。そういえば先日、体育で下着姿になった時、もっと女らしい下着を着ればいいのに、と名前も知らぬクラスメイトから言われた。確かに、私は利便性のみで生活用品をそろえる。可愛らしいハートが付いてたり、高級感溢れるカラーをしているものは私の性に合わない。もっと地味で、しかし、しっかりと支えてくれるものしか買うつもりはない。メイクもしたことないし、そもそも学校の規則でしてはいけない、と記載されている。それを守る人の方が可笑しい、という風潮が流れているのは、恐らく日本全土だろう。
スクールバッグの中身を確認して部屋を出る。家の電気は些細な防犯対策としてリビングのみを付けておいておく。
父親が高校入学を記念して買ってくれたクロスバイクの隣に置いてあるママチャリのカゴにスクールバッグを置き、鍵を外す。
学校までは自転車で十五分程度走る。その間はイヤフォンを付けて適当に音楽を流す。私は歌詞で決めたりせずに、殆ど感覚で再生リストに入れている。ただ、あまりアップテンポの曲は入っておらず、静かで、少しメランコリックな音楽が入っていることが多い。一度決めた雰囲気を崩せない、私の悪い癖だ。
学校が見えると、私はイヤフォンを外して首にかける。校門前にいつも立っている教頭が五月蠅いのだ。あいつのせいでホームルームに間に合わず、遅刻扱いされたことだってある。その時は教頭も反省したのか、担任に遅刻扱いにしないように、と言ってくれたが、あれで評価を落とされてしまっては呆れて声も出ないだろう。
校門を通ってすぐ右に駐輪場がある。私はいつも端っこに置く。ここにある自転車の殆どはママチャリだが、所々にクロスバイクやロード、MTBも置いてある。
鞄を持って、二階にある203のクラスに入る。二年生のクラスは全てで十クラスある。八クラスは普通科、もう二クラスは商業科になっている。私のいる203は普通科のクラスだ。
黒板を前にして一番奥の廊下側に座る。二年生になって一か月が経過したが、既にコミュニティ、カーストは完成されており、上位に入る女子たちは皆、ナチュラルメイクを施して今も前方のカースト最上位の女子の周りに屯している。
「でさー、彼氏がさー」
「チョー分かる。アタシの彼氏もー」
正直、こんなのを聞いて脳が汚染されないか、少し心配になる。
私はカーストで言えば最下位・・・というより除外対象だろう。取り巻きになる気もなく、一か月間殆ど話さなければ、最下位になることなく、クラスメイトから無いものとして扱われる。それが私には心地よかった。愛想笑いも、話の種もない私にとって会話は最低限に抑えておきたいし、何より、大概のことは反応もない。だからこのクラスの中で最も自分らしさを確立しているのは、私と言えよう。
「ヨッ」
小説の続きを読んでいる私に声をかけるのはコイツ一人だ。
ワックスで軽く固めた短髪に高身長。顔もいい、運動神経は抜群・・・男子カーストの上位に君臨する渡部裕也だ。小学校からの腐れ縁で、一年の時もクラスは一緒だった。それが彼には特別な糸に見えるのだろう。私も、他の男子よりかは幾分か話しやすいとは思っている。
「おはよう」
「相変わらず元気ねぇなぁ」
「そっちも相変わらず元気あるなぁ。朝練終わるの遅くない?」
「いや~、イノッチの話が長くてさぁ」
イノッチというのは、彼の入部している男子バスケットボール部の顧問の一ノ瀬信矢の事だ。私にとっては、現代社会の先生、という関係性しかないのでどうでもいいが、彼にとってはもうすでに友達の一人なんだろう。
「それで・・・」
と彼が言い出した時、ガラガラと前方の扉が開いて、担任の佐々木真耶が出席簿を片手に入ってきた。
「あっ、先生来た。じゃ、またな」
何を言い出そうとしたのか、少し疑問に感じたが、まぁ放っておこう。
大体これの繰り返しだ。こうやって、拘束の時間、騒音の時間は始まり、そして夕刻まで終わることはない。
この物語はフィクションです。実際の人物、団体とは一切関係がありません。あった場合、それは偶然の一致と思い、その偶然の一致をお楽しみください。