お勉強の時間
ジジイがおこした騒動が収束し、あたしは、屋敷の中へと連れてかれていた。
「そこにお座りになって」
みやびに言われ、不本意だが腰を落ち着ける。
すると、みやびがアンジェラとミシェルに呼び掛けた。
「アンジェラ、ミシェル、あれを」
『かしこまりました、みやび様』
二人はとてとてとてと出ていった。
と思ったら、すぐに大量の書物を抱えて戻ってきた。それをあたしの前のテーブルに置く。
――ドンッ! ドンッ!! ドーン!!
目の前に築かれたのはテキストの山。
おえっ……。条件反射的にあたしは口を覆う。それを一目見ただけで拒絶反応がおき、吐き気を催した。勉強は大嫌いなのだ。
「胡桃さん。あなたには、ボディーガードということで、わたくしと同じ高校へと入学してもらいます」
――デデドン。
絶望の始まりが訪れた、そんな気がした。
「――は!?」
「お分かりでしょうか? これを頭に短期間で詰め込んでいただきます」
「ワカラナイデス」
片言で返すあたしをスルーし、続けるみやび。
「詰め込んで忘れては、本末転倒ですので。お勉強大好きよろしく、偏差値を魔改造しますわ」
魔改造って……。
てか、お嬢様が、なんでそんな言葉知ってるんだよ!?
そんなことはどうでもいいが……。
勉強はイヤだ!
「嫌だよ! 勉強だけはやめてくれ!! それだけは、絶対嫌なんだ!」
あたしは、みっともなくすがり付く。
「もはや胡桃さんに拒否権はありません。外堀は既に埋めているのですから」
つまり、あたしが断れば援助を打ち切るということだろう。脅迫としか思えなかった。
「ふざけるな! 財閥の令嬢だか、なんだか知らないが。あたしの人生だ!! なんであんたの気まぐれに左右されなきゃならない!!」
「けれど、胡桃さんの『人生』。よい方向に向かいますわよ?」
……ぐぬぬ。
まったくもって正論であった。
こうして、勉強の時間が始まりを告げたのだった。
三十分が経過した。その間、みやびに知識をみっちり叩き込まれた。ご丁寧に補足説明……というか、蘊蓄までついていた。偏差値が高いだけあって、教えるのも上手く、あたしもある程度は吸収したのだが、慣れない勉強に、あたしの忍耐力はもう限界だ!
「うぐわぁ……つれぇえ」
あたしは根をあげた。我ながら情けないとは思うが、こればかりはしょうがない。そもそもが偏差値魔改造を目標としたタイムスケジュールなのだ、膨大な知識があたしの脳みそに詰め込まれていって苦しくなった。むしろ、集中力が30分も続いたことを褒めてほしいくらいだ。
「頑張ってくださいな」
あたしを苦しめる張本人――みやびが声援を送ってくる。
「とは言ってもだな……」
あたしが駄々を捏ねようとすると、メイド姉妹が戻って来た。さっきまで何かしていたようだ。メイドは仕事で忙しいらしい。
アンジェラがあたしの惨状をみて嘆息する。
「うるさいわね。しょうがない……、私も教えてあげるから、頑張りなさいよ。これは胡桃の将来のためでもあるのよ」
将来のためか……そうだよな、頑張らなきゃダメだよな……。考えてみれば、お嬢様と同じ高校と行くというのは、あたしにとっては、かなりのレベルアップなのだ。
「私も手伝いますので、合格してください」
ミシェルが優しい。
アンジェラとミシェルが援軍に来た。皆、あたしのことを期待してくれているのだ。こういうのも悪くないかもしれないな。
熱く燃え滾るのはスポーツだけじゃない、勉強も熱血だ!
うおおおお!! 漲ってきたああ!!
「しゃーねえ、やってやるよ! あたしの底力を見してやる!!」
あたしは合格のために、めっちゃ頑張ると決意を決めた。
「その意気です。胡桃さんならその気になってくれると信じていましたわ……ええ、信じていましたとも……」
みやびがあたしの決意に、感銘を受けたように瞳を潤ませた。あたしの決意に感化されたのだろうか、みやびはガシッ、とあたしの手を取り、
「わたくしも頑張りますので、共にこの試練を乗り越えましょう!! 絶対に! 一緒に同じ高校へ通いますわよ!!」
熱く語った。あたしは、ドキッとしてしまう。だって、両手を包まれていて、至近距離だぞ……。こういう触れ合いは慣れてねーんだ……。
「私が協力してあげてるのに、受からなかったら承知しないから」
アンジェラが横合いからそんなことを言った。なんともまあ、素直じゃない……ういやつめ。
「お姉さまの言う通りです。受からなかった場合の罰を考えなくては……」
ミシェルが何かを計画し出す。
受からなかったら勉強からもこいつらからも解放されるんだけど、おそらく資金援助は打ち切られるっぽくて、女手一つで育ててくれた母さんを苦しめることになる。それ故にあたしは――
「受かるに決まってるだろ? 本気のあたしはすごいんだ!」
全力で受験へと望むことにする。引き下がれない、負けられない、戦いの火蓋が切っておとされたのだ。
「で、みやび、手、離してくんない……」
「あら! これは、失礼いたしました……!!」
みやびの頬が朱に染まる。不変だった表情が大きく崩れていた。口に指を当てて、もじもじしている。
顔を隠せばいいのに……。とは思ったが、そんなことをしたら、《羞恥に悶えている》というのが、つまびらかとなりあからさますぎて逆に恥ずかしくなってしまうのだろう……なんとなくわかる気がする。
……それにしても。
――みやびの手、柔らかかったな……。
みやびの手の感触を名残惜しみながら、そんなことを思うあたしは、満更でもない感じだった。
「お似合いだわ。まるで付き合って間もないカップルみたい」
「はい、お姉様。もう初夜を終えておりますね」
アンジェラとミシェルがあたしたちの様を見て、ひやかしたが、みやびとの接触のことばかり気にかかり、それどころではなかった。