妖怪道中「百鬼夜行も恋の内」
陽が落ちた橋のたもと、百は欄干の擬宝珠に手を掛け道行く人々を目で追うておった。
陽が落ちたとはいえ、まだ空には陽の名残りがたゆたい、なりたて幽霊の百の姿をぼんやりと浮かべる。
材木問屋に生まれた百が、花を盛りの十三ばかりで材木商の荷車に積まれた材木の荷崩れに巻き込まれたのが半年も前。
未練が残って鬼と成るのも無理はあるまい。
稀に通りすがる人が百の姿に気付くが、触らぬ神になんとやらと、みな気付かぬふりして歩みを早めるだけ。
たまに野良犬が近づいて歯を剥いてみせるが、百が裾を翻して蹴る素振りを見せると、鼻を鳴らしながら去っていく。
百には想い人がいた。
手代の三助という男じゃ。
何処の出かは知らぬが、丁稚奉公に寄越された男だという。
力仕事の多い材木問屋にありがちなむくつけき男衆に似合わぬじつにすんとした面立ちに、まだおぼこの百は片思いしていた。
「そろそろお使いから三助さんが戻ってくる頃だなあ」
百は袂に手を入れて忍び寄る夜の寒さに備える。
いや、幽霊に寒さなぞ無いのだが、百はまだ十三、物思う年頃なのだ。
幽霊に年を考慮する必要があるのかなど、ここでのツッコミは無粋という物だろう。大人の真似をして悦に入りたい乙女心に水を差すのは大人げないというものだ。
「お嬢様」
今際の際、百が覚えているのは三助の百を心配する声だけだ。
あの世へ旅立つ際にはそれまでの人生が走馬灯の様に思い出されると言うが、百はあんなのは嘘だと思う。
思い出したのは三助との初対面。
初めて聞いた三助の声の柔らかさ。
すれ違った時の三助の絣の着物の乾いた匂い。
親の事よりも片恋の相手を考える百を叱ってはいけない。十三の娘の思う事は春の事と決まっておる。
神仏といえども変えられぬこの世の定めという物じゃ。
顔を上げた百は視界の端に見慣れた絣の模様を捉え飛び上がる。
「いけない。物思いにふけって三助さん見逃しちゃった」
百は大慌てで下駄を脱ぎ両手にぶら下げて走り出す。
足が無いのが常道の幽霊に下駄が、とか。
お年頃の鬼には鬼ならではの拘りが有るのだろう。
いちいち五月蠅く言うのは鬼をむくれさせるだけだ。
今時の少女にも、包帯を意味なく巻いてみたり、痛くも無いのに眼帯をしたがる者がおるじゃろ。
成りたて鬼百にその素養が有っても笑えまい。
昨今耳にする中二病とかいう者のはしりだったかもしれないではないか。