狼たちの出会い
凍京NECRO《SUICIDE MISSION》の配信を祝い書きました。
雪積もる白。逝き積もる屍。
踏みしめ歩む道のりは純白と真紅の這いずり道。
生きて歩む者は死に平伏し、生き返り歩む者は地に懺悔を乞う。
「……はぁ……」
男は溜息とも吐息ともつかない息を鉛色の空へと向かって吐いた。
分厚く覆われた灰色の空が見下ろすこの世界で、男はただ眠れない人生に虚無を感じた。
「待ってくれッ。待ってくれーッ!!」
高い音程の声に呼びかけられ男は振り向いた。
真っ赤。その少女の第一印象はとにかく赤い。それだけだった。
真っ赤なフード付き上着。フードには犬の耳のような飾りは衣服内蔵型のエクスブレイン。
それ以外は半裸といっていい。かなり切り詰められたホットパンツ。
乳房は上着に収まりきらないのか半分放り出していた。
体中に巻かれたショットシェルベルトはすべて使い果たされており、手に握る真紅の散弾銃ももう残り少ないだろう。
「……なんだ」
男は無機質な声で答えた。答えはとうに決まっている。
どんな返答が来ようとノーともしくは否定し関わり合いを持たないようにしようと。
しかし、少女の問いかけに思わず思いとどまった。
「お前は、あなたは――人狼という殺人鬼をしっているか?」
錆び朽ち果てた人生の歯車が歪な音を立てて回り始めた。
俺の大亥綉 仁楼と、イングリット・グラウゼンの。
赤い紅い、血で染められた紅い血の物語が。
『はーい。こちら継鵺生死者追跡警備事務所です。ああどうも……そりゃもう。軍警察のご依頼ならいつでも。はい……はい、《グループ:ワーウルフ》ですか。ハッハハハ。ミルグラムが死んでいこう凍京でのネクロマンサー同士の抗争が絶えませんからねえ。ええ、先んじてもう人員を配していますよ。え? 手はずが良い? それはもう、戦局を見るのも私の仕事ですからねえ――』
夜の二時を回ろうとしている時間帯。凍京の街は眠ることを知らなかった。
あちこちに這い伸びるホットパイプは植物の蔓を彷彿とさせた。
ネオンの光に蒸気の蒸し暑さ、ほんの少し先にも靄のかかった景色は凍京ならではの光景だろう。
眠ることのない街に循環する蒸気と人々の熱気。
幾人もの人間の肩にぶつかりながら三人徒党を組んで歩く者たちがいた。
「うー、……ヒック」
千鳥足の少年は新宿の街を歩きながら周囲に目を走らせていた。
長い髪を後ろで一束ねにし、腰からは刀を下げていた。
足はフラフラ、なのにその息には一切の酒気を帯びておらずなぜ酔っているのかすら不明だった。
「すみれちゃ~ん。未成年が、こんな時間に出歩いちゃ……ダーメだぞー」
「赤阿先輩いい加減にしてください。もうそれ五回目ですよ」
赤阿と呼ばれた男に絡まれていた軍警察高校の制服にロングコート姿の少女、東城すみれはいい加減にしてほしいといった顔で抱き付こうとする赤阿を押しのけていた。
「もう、暑苦しい!! リンってばこいつどうにかしてよ」
「…………」
反応を示さず、隣を歩いていた少女に助けを求めた。
その表情は関心も何も示さなかった。
無表情、人形のような無表情で、その目だけが赤阿とすみれをちらりと見ただけで何も云わなかった。
すみれと違い、その服装は少々独特で四肢は機械化しており、胴体は過負荷で死傷者さえ出した対装甲アーマーを装備していた。
少々特殊な身体的事情を抱えた少女、リン・チャオは何も云わずにただすみれの身体に纏わりつく赤阿の顔を押しのける。
「うぅ……ツレないこというなよ、二人ともォ。お兄さん、泣いちゃうぞォ」
「好きに泣いてください」
「同感」
辛くあたら続け赤阿は涙目になる。といっても本気で泣いているわけではなく、お茶ら気半分の演技泣きだった。そんな中、赤阿のコネリンに着信が届く。
「はい、はーい。伊武赤阿、でっす!! なんすかしょちょー」
『うん。君は相変わらず呑んでもいないのに酔ってるねー。うん、いいことだ。――さてさて、仕事だよ。私の予想は的中バッチバチ。お酒の準備は出来てるかい?』
「アイアイサー」
妙に間延びした返事で赤阿は通信を切った。それと同時に懐に収めていた大吟醸『氷桜』をラッパ飲みをした。
その行為を見ていたすみれとリンは目つきを変えた。
みるみると氷桜が赤阿の胃に収まっていき、透けた一升瓶の中身が真っ逆さまに落ちて行く。
飲み干した赤阿は大きなゲップを着いた。
「ゲッエエオオップ。嗚呼、やっぱり一発で酔うなら氷桜かスピリタスだな」
「それで先輩。この中に混じっているんですか」
「そりゃもちろん。じゃないと俺たちはこんなとこに出向かないさ。すみれちゃん」
赤阿の瞳は今までのとろんとした酩酊したような視線は無くなっており、むしろシラフに戻っているかのようなエネルギッシュな雰囲気があった。
男は行き交う人々の波に瞳を巡らせる。
「こういった集団に紛れ込んだ生死者を探し出すには骨が折れる。『低機能生死者』ならまだしも諜報用に調整された『高性能生死者』は人間の目で探り出すのはまず無理だ」
「じゃあどうやって――」
赤阿はすみれの疑問を遮るようにリンに指差し、問いかける。
「リン。生死者の特徴を言ってみろ」
「……死んでいること。自己意識というものは生死者化後数週間で劣化し、言語機能他記憶能力も著しく低下する。また造り主であるネクロマンサーの命令には絶対服従であり、視覚等の感覚機能はネクロマンサーと共有している可能性があり、生死者一匹とネクロマンサー一人と認識するよりは、ネクロマンサー一人の超個体的構造と見る方が正しいとされる意見がある。またカツオノエボシのような――」
「ちょと待った。リビングデットの授業じゃないんだから。もっと分かりやすく。あいつらは死んでることと、もっと分かりやすい身体的特徴があるでしょ? どう外面を取り繕うと中身までは変えられない部分が」
「生死者の血液は骨髄が停止しているためヘモグロビンが生成されず、赤黒く変色した血液色をしている」
「大正解。片っ端からここにいる人間に血を流してもらえばいいだけの話」
無茶苦茶な発想だが、確かに理には適っている。
だが問題があった。
「問題が一つあります。リビングデットの血液色は偽装できます。無闇やたらに攻撃しても見つけ出すのは至難の業です」
「そうすですよ。赤阿先輩」
リンの言うことは正しく、それに同調するすみれは呆れ顔をしていた。
しかしくすくすと笑った赤阿は一升瓶を逆手に持って、天を見上げて言い放った。
「若人よ。君たちの言っていることは正しい。でもね、惜しいんだ、すっごく惜しい。血液偽装をすことは出来るが、そんなことする位ならもっと外装に手を加えね? それにこんな人通りの多い場所で暴れさせるリビングデットに血液偽装をする必要性がない。血液偽装はそれこそ本当に警備の厳重な軍警察やメガフロート内部の潜入用だ。故に、ここに配備されるリビングデットは――」
赤阿は一升瓶を天高く放り投げた。
一直線に天に吸い込まれるかのように飛んで行く氷桜の瓶が、ホットパイプの点検に走るパイプランナーに衝突し、砕け散った。
降り注ぐガラス片、あちらこちらで痛みを訴える悲鳴や怒号が聞こえる。
広範囲に亘りガラス片が巻かれ、人々は頭を抑えて蹲る。そんな中に一瞬遅れて蹲る集団を赤阿は見逃さなかった。
「見つけた……――生死者追跡者だッ!! そこ退けそこ退け!!」
人々の壁を軽く飛び越えた赤阿。オーダーメイド・ナノ粒子薬品で徹底して磨き上げられた人体殺人機構の最高峰。並の人間なら到底適わないであろう身体能力を手に入れている赤阿は五メートル以上離れたその集団に一飛び出で接近する。
腰に帯だ刀はウーツ鋼性の米国直輸入品であり、この世に数本とない幻の一品であった。
超高純度鉄のように加工性や修復性に富んでいる訳でも無く、柄に仕込まれた装置にて超振動させ切れ味を爆発的に上げている訳でもない。
ただ純粋に硬い。分子構造的にも、単一構造的にもただ硬い。それだけの一品だった。
硬い故に、切れ味は半永久的に落ちず。硬い故に、どんな攻撃からも防ぎ切る事の出来る刀――金剛丸。
刃圏にその集団の一人が入り込んだ。
瞬間、赤阿は金剛丸を抜き放ちそいつのそっ首を胴体より打ち上げた。
辺りに舞い散る赤黒い血飛沫。どろりと腐った匂いが辺りを汚染し、鼻を歪めに掛かっていた。
「グールと認定。再殺開始!!」
迸る黄刃の軌跡が低機能リビングデット、通称をいとも容易く切り裂いていた。
あの酔っ払った雰囲気の少年からは想像もつかない様な動き。
継鵺生死者追跡警備事務所所属、伊武赤阿の異名は《酔剣》。
米中戦争時に負った脳負傷の影響で、素面で酩酊状態の脳反応を示しそして飲酒をすることで、その思考は本来の彼の能力に戻る。
「ガアアアアア」
赤阿の攻撃に潜伏する気が無くなったのか、ネクロマンサーの指示を受けたのだろう。
グールは赤阿の背後より、掴み掛かってきた。
しかし赤阿は防御する動作すら見せず、だらりと金剛丸をさげていた。
彼を羽交い絞めにする僅かな好機。しかしグールの視線は赤阿を通り過ぎて行く。
それもそうであった。何せぐールの首はとうに胴体から千切れ飛ばされていたのだから。
グールの背後から後頭部に掌底打ちを打ち込み、漫画やアニメのように頭を千切れ飛ばした少女。
リン・チャオは腰を深く落とし、地面を蹴り上げた。
敵の一歩手前にて強く踏み込み、拳を握り腹へとその拳を叩き込む。
強化骨格処置を受けていないリビングデットはその衝撃を逃がすべく、背後の皮膚を突き破り、クラッカーの紙テープのように腸を撒き散らし数メートルを腸塗れにした。
「サンキュー、リンちゃん」
「赤阿さん。どうして背後を疎かにしたのですか」
「そりゃぁ、頼れる後輩たちに活躍の場面を譲るためさ」
赤阿とリンは背中合わせにグールを再殺して行く。
金剛丸に血の化粧を施し、鉄の拳を赤く染め上げる。
見る見るうちに減って逝くグールたち。散発的に鳴り響く銃声もある。
通りを俯瞰できる位置に陣取ったすみれは愛用のアサルトライフルでグールの頭を的確に撃ち抜いてゆく。
「ったく。先輩たちったら脳筋ばっかりなんだから。サポートするこっちの身にもなってほしいって、の!!」
民間人に被弾させずグールの頭部のみ狙撃するのは至難の業だ。
しかし、継鵺生死者追跡警備事務所での荒々しい混戦に慣れ切ったすみれには日常茶飯事で、正直なところ朝飯を取るより簡単な仕事だった。
片手の指で数えれるほどグールの数は減りった。そんな状況でコネリンに着信があった。
送信者は軍警察であり、それは凍京にいる生死者追跡者全員に行き渡る出動アラートだった。
悲鳴の渦で声もまともに届かない中ですみれは大声で叫ぶ。
「先輩ッ!! 出動アラート着てますよ!! 荒川周辺に大規模リビングデット警報!!」
「ええ!? 何だって聞こえなーい!!」
赤阿はすっとぼけたように返答するが、大体の予測は所長の継鵺官凪に聞いていた戦況予想の通りだった。百発百中の戦場預言者の加護で慌てず焦らず、敵を再殺することが出来ていた。
そして今、荒川は地獄になっていることも聞いていた。このままでは凍京は壊滅するだろう。
しかし焦る必要はなかった。
なにせ継鵺生死者追跡警備事務所には切り札がある。
――チャック・ノリス・ファクト並に理不尽極まる切り札が。
地獄、地獄、どこまでも続く地獄。
薄暗い群青色の空とそれとは対照的などす黒い赤と白が彩る地。
紅いフードの少女は走り、追いかけてくるリビングデットから逃げていた。
手持ちのショットシェルはすでに十を切っており、背中に張り付くそれらはバックショットでは装甲を破ることが出来なかった。
ハッハッハッ、っと聞こえるイヌのようなリビングデットの声。
イヌのようなと例えてはいるがその実、見た目はイヌそのものだ。
ジャンクとなったスクラムドックの装甲を利用し、骨格を調整された高性能生死者で、雪中でもその機動力は失われず、追いつかれれば強靭な顎で頭蓋諸共噛み砕かれてしまうだろう。
すでに出動アラートで出張ってた生死者追跡者は半数以上がこのHi-Fiの餌食になっていた。
――アオオオオオオオオウゥゥ――
遠くより聞こえる狼の雄叫びのような遠吠え。
それはこの騒動の中心にいるネクロマンサーの声だった。
フルフェイスタイプのエクスブレインを装着しており、そのエクスブレインの形状はまるで狼の生首のような形状をしていた。
少女の、イングリット・グラウゼンが追い狙うネクロマンサー《人狼》の手懸りかもしれなかった。
しかし手懸りよりも以前に現在進行形で命の危機が迫っていた。
死んでしまう。じいさまとの約束も果たせないまま無意味に。
「やああああガアアアアッ!!」
目の先の角より飛び出してきた男が狼型Hi-Fiに喉元に喰い付かれ血の泡を吹きながら崩れ落ちる。飛び越え、逃げようとした。
が、不運はどこにでも転がっているものだった。
「うっ、ワぁッ!!」
片足を捕まれ倒れこんでしまう。
足を掴んだ相手は飛び出してきた男で、イングリットに助けを求めようと彼女の足を掴んだのだ。
しかし、男の状況は誰も目から見ても助かるはずも無かった。
喉笛は食い千切られ、幾匹ものHi-Fiに腸を貪り食われ半身はとうの昔に無くなっていた。
たんぱく質で出来た足枷が突如掛けられ、その場から動くことが出来なかった。
不運はどこにでもある。理由なんて存在しない、ただそれに廻り合ってしまった私に「運」が無かっただけなのだ。
足枷を掛けられ抵抗を封じられる不運。だが、死に逝く分まではまだ廻り合っていなかった。
不運はどこにでもある。そして幸運もどこにでも訪れる。
足枷が飛び出てきた曲り角から足音が聞こえた。
雪を踏みしめ擦れ合う音。大きく、力強く、一歩一歩その足音が近づいてくる。
イングリットの経験則から、こんな足音をさせる者はよほど精神的余裕があるか、絶対的な強者。
もしくは――その両方。
それを見た。
大きな背丈、二メートルに届こうかという大柄の男。
灰色のロングダウンコートを着て前は開け放っていた。黒のアーミーズボンを穿き、下には電気刺激的筋肉補助スキンウェアを装着していた。
肩にまで掛かる伸びきった髪。白髪と黒髪が疎らに入り交じっていた。
顔はどこか虚ろで、目元には色濃く隈が刻まれていた。
そして、その脇に控えているのは人の形に見える歩く人形であった。
首が無い、手が無い。
足が生え自立する胴体だけの真っ黒なマネキンがその男の隣を歩いていた。
男がぼそりと言った。
「申請。TFD-20フルオート二挺、百発装填弾帯を出力」
その声に反応したのか脇に控えていたマネキンの胸部がバックリと開いた。
中身を曝け出すかのように開いたマネキンの内部には、二本の銃床とグリップが生えていた。
男はそれを掴み取る。
マネキンの内部から生えて出てくる弾帯装備のアンチ・マテリアル・ライフル二挺。
オガサワラTFD-20というライフルでポリイミド樹脂を部品に用い、強度を保ちつつ計量化も果たした日本銃業界の革命銃だった。
男は両手にそれを握り、銃口を狼型Hi-Fiへと向けた。
「…………」
静かなる眼。まるで何も感じていないかのような顔で引き金を引いた。
爆発の嵐。二十ミリのライフル弾がHi-Fi目掛けて連射された。
あまりにも乱暴なやり方だった。オガサワラTFD-20は典型的なライフルのセミオート仕様であり、あのようなフルオート改造を施したモノにすればあの弾帯を使い切る頃にはフレームは歪んでいるだろう。
そして何より不思議だったのは。あの銃を二挺、しかも連射しているのになぜ男の肩が壊れていないのかということだった。
いくらナノ薬品で強化されていようと物理法則には従順であり、許容範囲外の衝撃などが肉体に与えられれば容易く壊れてしまうものだ。
不可能な要因が重なった二重苦であるにも拘らず、男はその発射される弾丸を的確にHi-Fiに撃ち込んで行く。
超高密度セラミック製を使用しているHi-Fiの装甲がバキバキと音を立てて砕け散る。
飛び散る赤黒い血が白雪の大地を汚して、染め上げてゆく。
空気が震え、降り積もる雪に取り込まれてる銃声。総計して二百発の弾丸が、イングリットを追っていた狼型Hi-Fiを文字通り『粉々』にしていた。
オガサワラTFD-20を投げ捨てた男。眼を閉じて、耳を澄ませた。
響き渡る巨大な足音。二本の足ではない。足音から察するに六本は生えている。
白霧の先より現れた巨大な影。
四メートルを軽く超える蜘蛛のような姿。それは最早生物と呼ぶにはあまりにも形状がかけ離れ、言うなれば多脚戦車。戦車級リビングデットだった。
背に跨っていた人間。灰色の毛皮のコートを着ており、顔には狼の生首のようなエクスブレインが装着されていた。
「《軍狼》の残党か……《グループ:ワーウルフ》と認定した」
男はつぶやいた。
戦車級リビングデットに跨るネクロマンサーは僅かにだが身体が硬直したような雰囲気を露にする。
ありえないものお見ているような戦慄く手で、男を指差し。そして咆哮する。
狼の遠吠えのような長く、そして寂しげな咆哮。
戦車級リビングデットは走り出す。鋭利な足先に付いた棘で男を突き刺そうと振り下ろす。
飛び退き避けるが、振り下ろされた衝撃の余波はイングリットまで届いた。
骨の芯まで届くような衝撃に、平衡感覚が失われてしまいそうだった。
「……濃縮劣化ウラン装甲か。厄介な」
戦車級リビングデットの背中に備え付けられたミニガンが連射され、雪を舞い散らせる。
常人には避けるのは困難を極める。しかし男は常人ではなかった。
黒いマネキンのうなじに着けられた取っ手を握り、空へと跳んだ。
その高さはナノ薬品の賜物どうこうの話ではない。天へと墜ちていくような、そんな飛翔だった。
戦車級を悠々と飛び越えた男は背後を取った。
ドスンと重々しい着地音を響かせ、小声で言う。
「申請。六五口径用炸裂ホウ素弾1発」
男の言葉に反応し、マネキンは首からスピードローダーが生えてきた。
ロングコートを振り上げ、腰に収まったそれを引き抜いた。
まるで鉄塊。巨大、拳銃である必要がないほど、巨大。
黒鉄の六五口径リボルバー。原子再配列高圧縮タングステンを銃全体に利用した対Hi-Fiリビングデット殲滅兵器。
その重さ、その威圧感が遠目からでも伝わってくる。
あんなもの撃てるのか? イングリットはそう思った。
あんなに巨大な銃。持つ事も儘ならない筈だ。その上あれを撃つなど、撃てても射手自身がその弾薬の衝撃で粉々になる。
理解出来ない。いや、理解出来てはいけない。
イングリットの動物的直感がそう警鐘をならしていた。あれを理解したらバケモノになる。
まっすぐ戦車級に銃口を構えた男は、静かに引き金を――引いた。
「―――――――」
衝撃。
至近距離で手榴弾が爆発したみたいな圧力。空気が体中に叩き付けられ。
マズルフラッシュの熱が肌を焼き焦がす。
耳を劈き、積もりに積もった雪が再度空へと舞い上がっていた。
その衝撃の強さは凄まじく、周辺の凍結したビルの窓ガラスを割り、分厚く垂れ下がった氷柱を粉々に割っていたほどだった。
そのあまりにも強い衝撃に、イングリットは目の前にいた筈の戦車級の存在を忘れてしまうほどだった。
そしてその戦車級は。気づいた頃には消滅していた。
その破片が当たりに散ったとか、粉々になって周辺に撒き散らされたとかそう言ったレベルの話ではなく、戦車級リビングデット本体は六五口径用炸裂ホウ素弾1発威力で、原子単位にまで引き裂かれ粉々にされたのだ。
ドサリとどこからともなく墜ちてくる胴体。
それは戦車級を操っていたネクロマンサーの胴体だった。
僅かながら息があり、砕けたエクスブレインから顔が覗いていた。
「ジェヴォ……ダ……」
「ディンゴか……コヨーテに取り残されたのか」
「あぁ――はぁ――」
まるで息の抜けるような吐息と共にネクロマンサーは息を引き取った。
静かに膝を折った男はネクロマンサーの見開かれた瞳を閉じた。
イングリットはその男がまるで手負いの狼に見えた。罠に掛かり暴れ、傷つき血に塗れ仲間を失い一人になってしまった哀れな狼に。
雪積もる白。逝き積もる屍。
踏みしめ歩む道のりは純白と真紅の這いずり道。
生きて歩む者は死に平伏し、生き返り歩む者は地に懺悔を乞う。
「……はぁ……」
鉛色の空に向かい白い息を吐き掛ける。
生者と死者の混在するこの凍りついた土地で男は眠れぬ人生を歩む。
腕に握る六五口径のリボルバーは自在性質物質へと還元される。
仁楼は死体の地平を目尻に歩き始めた。
「待ってくれッ。待ってくれーッ!!」
ふいに呼び止められ仁楼は足を止めて振り返った。
死体に足を取られていた少女だった。この凍京では見ない生死者追跡者だ。恐らく新米か、来日したばかりだろう。
「……なんだ」
仁楼は無機質に答える。
相手にするだけ無駄だ。すでに答えは突き放す用意しか為されていなかった。
しかし、彼女の問いが俺の、大亥綉 仁楼の人生を廻す発条となるのだ。
「お前は、あなたは――人狼という殺人鬼をしっているか?」
歪な音を立てて回りだす歯車の運命。
血で錆び、すでに動くことを止めていた人生がこんな時に限って動き始めた。
凍え尽いた世界の中ではじまる。
血と硝煙の、血で染められた紅い血の物語が。




