病院エッセイ 料金未納
病院の仕事を舐めていた。
と、言えば嘘になる。というか、基本的に、事務仕事を舐めていたというのが本心だ。
就職活動の頃、よくある自分のやりたい事というのが、明確に定まっておらず、これと言ってやりたいことは、小説を書くことだったりするので、特にやりたい仕事というのを決めていなかった。それもあってか、病院事務という仕事が決まったのも、大学卒業後、3月30日という、ギリギリの新社会人生活スタートだった。
それもあってか、僕としては仕事についての熱意とかそういうのは最初はまるで持ち合わせていなかった。事務の仕事を選んだのも、いわば、楽そうだから、という一言につきる。エアコンの効いた部屋に座ってパソコンをかたかたと使う仕事。
それが、僕の事務に対する仕事のイメージだった。
もちろん、そのイメージは、すぐに崩されることになったのではある。
まさしく、病院の事務というのは何でも屋だ。受付から保険請求、そして、備品の発注、営繕、なんでもかんでも事務の仕事である。というのも、病院の主役というのは誰かを考えればわかる。
病院の主役は、看護師や、介護職員、コメディカル、そして、医者だ。
事務はそれを補佐するのが仕事なのだ。
つまり、各方面から「これに困っている」というSOSが飛ばされる。
事務の仕事を舐めていた。
「今日も連絡無いですか」
僕は電話をかける同僚に聞いた。
「そうなんですよ。本当に困りました」
事務の仕事をしていて、一番厄介なのは支払い催促の電話だ。頻繁にあるとは思えないのだが、無いというわけではなかった。ほとんどの場合、忘れていたりするのだが、厄介な家族というのはいるものだ。
野尻という患者の家族がそれだった。
この家族は、入院当初こそ、頻回にお見舞いにきていたのだが、半年ほど前から見舞いにも支払いにもきていない。その結果、毎月あたり十万円の入院費が発生しているので、累積として六十万円ほどの支払いが現在滞っている。
一度、野尻の家に訪問したことがある。野尻がにっこりと笑みを浮かべて、ローンを組んで購入した家であるという家であった。ローンを完済した時に、脳溢血で倒れ、入院生活になったそうだ。
立派な家で、今も野尻の娘家族が住んでいるというのが、ありありと伝わってきたが、インターホンを押しても反応はなかったのを、覚えている。
「本当に困ったものです」
「催促の郵便は送っているんですよね」
「もちろんです。毎月毎月送ってますよ」
同僚はため息を吐き出す。
「これで二回目ですよ。滞納」
「そうでしたね。前はいつでしたっけ」
「去年ですね。二ヶ月ほど滞納されて、支払ってくれました。そのときも、何度も何度も電話して、やっと払ってもらったんです。それから、半年、もう、六十万も滞納してます」
ため息が再び出て、同僚は課長に相談に行った。
「これは、役所に相談しなければね」
課長はずばりと言い放った。
「入院費を支払わない。ということは問題だけども、それよりも問題なのは、患者さんの年金をどう扱っているかという所。患者さんはたしか年金をもらっていたはずよ。それを家族がネコババしているということが考えられるわ」
「ネコババですか。それは経済的虐待に当たるのでは」
「そうなるわ。ともかく、警察ではなく、役所に相談しないと」
課長の提案で、すぐに同僚が役所に連絡を取った。
役所の対応はあまり機敏とはいえなかった。
というのも、同僚の勘違いが原因だった。うちの病院があるのは県庁所在地であるK市であるのに対して、野尻が住民票を置いているのは隣のN市であった。そして、同僚が電話したのはK市であり、まるで、お門違いだったのである。
しかし、K市はN市にすぐさま連絡を取り合った。
それから数日後、N市から電話がかかってきたのである。
電話の相手をしていた同僚であるが、どうにも、具体的な解決策は提示してもらえなかったらしい。あくまでまだ動く前段階として、いくつかの確認をしたいと言うことらしい。
別段、それはかまわないが、とくに見に来ようとか話を聞こうという事は無かった。
役所からの連絡は常に電話で行われた。
実際に見に来たのは、初めて連絡をした日から一月ほどであった。
連絡は事前にあったのだが、それにしても急の話である。一週間後に現地に見に行きますと言われて、対応にすぐにとれというのは酷な話ではないだろうか。最も、役所というのはそういうものであると言われれば、それはそれで納得はできる。
当日、やってきたのは三人。一人は上司らしい男。そして、二人は女だった。
対応したのは、同僚と上司だった。僕は事の顛末を、後から同僚から聞かせてもらっただけに過ぎないのある。
役所からの職員は、一人がK市の職員で、二人がN市の職員であった。というのも、先に述べたとおり、本来の管轄はN市の職員であるからだ。K市の職員が一人がきたのも、通報を受けた後始末ということらしい。
結局、経済的虐待にあたるかどうかは、今この場で判断をしないということだった。
「今日来たのも実地の調査という形ですから」
そう言って男は笑ったという。
詰まるところ、役所は迅速に動けない、というものだった。
それは、上司をきっとがっかりさせただろう。いや、上司のことだから、きっと、役所がそういう答えを聞かせるというのは予測していたかも知れない。ともかく、この訪問に即効性はなかった。
結局の所、今の結論としては、再び、電話を毎日かけるという日々が続くということだ。
役所の人間が、訪れてから一週間近く経過した。
その間、ずっと電話をかけていた。毎日一度、契約者の家族と、保証人に電話をかける。毎朝と、毎晩。始業時と終業時に電話をかける。時折、時間を変えて電話をかけるが、どれも同じ電子メッセージが聞かされるだけであった。
しかし、その日々も終わりを告げるときが来た。
入院していた野尻が亡くなったのである。
これは非常に困ったことになった。
遺体の引き取り手がいないのだ。
家族に何度も連絡をとっているのだが、一向に連絡がとれない。
役所に連絡をいれるも、役所の対応としては一貫していた。
「家族様に連絡をとってください」
ということであった。
しかし、家族とは連絡がとれず、このまま、病院の霊安室に置いておくことも困難だ。
そういうときは、葬儀屋に相談するものである。
「でしたら、どうですかね。うちで預かりますよ」
葬儀屋の腰は軽い。
仕事だからだろうか。
結局の所、野尻の家族はそのまま、病院に何の連絡もよこさなかったし、死亡診断書などもを取りにも来なかった。
野尻の遺体は役所が適切に対応したと聞いている。
無縁仏として葬られたのか、それとも、きちんと野尻家の墓に葬られたのかはわからない。 一つ、確かな点としてわかっていることがある。
野尻の家族は、今もまだ、ずっと同じ家に住んでいるという。
父親が作った家に、今も。