第1章 Sudden Sunrise
登場人物
呉崎 才人 【くれさき・さいと】
明峰 舞依 【あけみね・まい】
明峰 笑美 【あけみね・えみ】
大東 健吾 【おおあずま・けんご】
「なぁベティ。始業式開けてすぐゴールデンウィークに入るならさ、ゴールデンウィーク開けるまで春休みやればいいよな?」
「今日はしっかり休んで、明日に備えましょう」
大型連休の真昼時。才人は完全に暇を持て余していた。
普段の休日なら健吾と遊びにでも行くのだが生憎と彼は彼で旅行に行ってしまっているのだ。
「ベティ、今日何かイベントはない?」
「本日5月3日はみどりの日です。外に出て緑と触れ合うのがいいかもしれません」
「じゃあ今日のニュースは?」
「今日話題のニュースは日本各地でオーロラが観測される、です」
不意に聞かされた大ニュースに身体を飛び起こす。
「ちょ、それ!それ詳しく!」
「はい。太陽の活発な運動により発生した太陽風が本日地球に到達します。さらに今日は新月になるのでオーロラを観測する条件は揃っています。才人の住んでいる地域なら20時ごろに観測できると思いますよ」
「まだあと8時間近くもあるのか。ベティ、オーロラを見るのに必要な条件って何?」
「今回のオーロラを見るのに必要な条件は場所です。オーロラを見るためには暗く、上空への視野を遮るものがないことが条件ですよ。この周辺のオーロラが観測できる場所を合わせて検索しますか?」
「いやいい。そういうので出る場所って混みそうだし」
出かける準備をしてタブレットを手に取る。
その表情は期待の笑みを浮かべていた。
「お出かけしますか?」
「あぁ。穴場スポットを見つけにな」
当然だが穴場スポットというのはそう簡単に見つからないから穴場スポットという。
「全然見つからないな・・・」
デパート内のベンチに座り自販機で買ったコーラを傾ける。
あれからオーロラが見えそうな心当たりのある場所を歩き探したがベスティにことごとくダメ出しをされ、気が付けば彼は隣町にまで来ていたのだった。
「なぁベティ。この辺でオーロラが見えるところってどこなんだ?」
「この辺りで今日オーロラを見るには近くの天文台へ行くといいですよ」
当然才人に天文台へ行くつもりはない。
今日も家には誰もいない。
つまり彼はいつも通り夜には散歩へと出かけるのだが、どうせならと思い違う場所を探しているのだった。
「あれ、呉崎じゃん」
「明峰・・・ってなんだその恰好」
不意にかけられた言葉に顔を上げると以前のように肩口まで伸ばした髪を揺らし両手にバッグを持った少女が近づいてくる。
「なんだって買い物してたの。そういう呉崎こそ家こっちのほうだったっけ?」
「いや違うけど」
「それじゃなんでこっちのほうにいるのよ。こっちにアンタらが用ある施設あった?」
食材がいっぱいに詰まったバッグを下して隣に座る。ふわりと流れ込む女の子の匂いに気まずそうに目を反らす。
「ほら、今日ってオーロラが見えるっていうだろ?でも人ごみは嫌だからどっかにいいとこないかって探してたら、こんなところにまで来ちまっただけだよ」
「そんなのアンタのAIにって、人ごみが嫌ね」
「この辺りに住んでるならそういう場所知らないか?」
「うーん。そうだ」
何か思い付いたのか立ち上がると才人のほうを見てにっこりとほほ笑む。
当然才人には嫌な予感してしなかった。
「私の荷物運ぶの手伝ってくれたら答えてあげる」
こういう時の予感は得てしてあたるものなのだ。
結局才人は舞依に代わって両の手にバッグを持って隣を歩くことになった。
「そういえば、AIとの生活ってどうなの?」
「なんだよ急に」
「ウチの学校でもアンタくらいでしょ?だからやっぱり気になっちゃって」
「どうと言われても」これまでに何度となく聞かれた質問に「便利だけど、やっぱ人間には敵わないよ」と、同じように返す自分こそ機械のようだと苦笑を浮かべた。
そんな自虐的な感情も「私が聞きたいのはそういうことじゃなくてさ」と続けられた言葉に断ち切られる
。
「私が気になったのは、寂しくないのかなって」
これまでにはなかった返事に思わず言葉を詰まらせる。
「どうなの?」と催促する声に「なんで寂しいって思うんだよ」などと言って誤魔化さずにはいられなかった。
「そっか。AIと生活してるからってとりわけ変わったことがあるわけじゃないよね」
若干の影を落としているその言い方にどうしても才人は応えなければいけない気がした。
「俺が子供の頃から親は共働きで家を留守にしちまうからさ。それでベティ、AIを買ってくれたんだよ。そりゃ当時は話しかできねぇし学習しきってなかったからその話さえもちぐはぐになってよ。寂しいっていうよりつまんねぇって思ったりはしたけどさ、もうそういう歳じゃないしな」
才人がこうして身の上話を誰かにしたのは初めてのことだった。だからじっとこちらを見る舞依の視線に「なんだよ」と顔を赤くしながら言うしかなかった。
「ううん。呉崎って悩みとかなく人生過ごしてるように思ってたからさ」
「別に悩んでここまで来たわけじゃねぇよ。何も考えずにこれまで人生過ごしてるだけだからな」
そこまで言って再び照れた表情になり「とか言って俺もお前もまだ高校生だし、そんなこと考えて生きてるやつなんてそういねぇよ」と顔も見ずに茶化していた。
もしここで舞依の表情を見ていたのなら、もしくは彼女の呟いた言葉を聞けていたのなら何か変わっていただろう。
二人の間で流れる何とも言い難い空気を明るい性格の声より、一回りも高い声が後ろから吹き飛ばした。
「お姉ちゃんが彼氏連れてるー!」
舞依に似た顔立ちでも背丈は一回りほど小さい。一つ結びにした髪を揺らしながらこちらへと近寄ってくる。
「ちょっと笑美!彼氏とか言わない!」
今度は舞依の方が顔を赤くしていた。
「えー?でもだってその人が持ってるのお姉ちゃんの買い物鞄でしょ?買い物帰りに荷物持ってくれる男の人なんて彼氏以外になんて言うの?」
「パシリっていうんじゃねぇの?」つい口に出した言葉にキッと舞依から睨まれると静かに目を逸らした。
「お姉ちゃん・・・」と呆れ混じりの声にはさすがに睨みを利かせることもできず「違うってば!」としばらくはあたふたしていたが咳払い一つで落ち着きを取り戻した。
「えっと、コイツは同じ部活の呉崎。でこっちは妹の笑美」
「はじめまして呉崎さん。いつも姉がお世話になっています」
「こちらこそ・・・?」
年下の女の子にたじろぐ才人にいつしか舞依の視線に呆れた色が入っていた。
「それで呉崎さんはどうしてお姉ちゃんの荷物を持っていたんですか?」
「あ、あぁってそうだよ。俺は明峰にオーロラが見れる場所を教えてもらうためにこんなことしてたんだ」
「私ですか?」と首をかしげる笑美に「違う、姉の方」と冷静に返すことができた。
「にしてもオーロラが見れる場所なんてお姉ちゃん知ってるの?」
「知らないわよそんなとこ」
「はぁ!?」
あっさりと言われ思わず素っ頓狂な声を出す。
「お前、答えるって!」
「知ってるかって聞かれて答えるって言ったんだから、別にその答えが知らないでも文句ないわよね?」
「お姉ちゃん、それはないよ」
「明峰、お前ってやつは・・・」
呆れた視線が2つになって舞依へと向けられた。
「な、なによ。別に嘘はついてないじゃない」
「荷物は私が持ちますから、呉崎さんは行っていいですよ?」不安そうに向けられる小さな視線に「やるって言った手前だし、俺が持つよ」とやはり苦笑混じりに答えた。
「お姉ちゃん、いい人を捕まえたね」
「だからそんなじゃないって!」
仲睦まじい姉妹の姿に才人は先の質問の意味を考えずにはいられなかった。
「寂しくないのかなって」
なぜ彼女はそんなことを気にしたのだろう。
純粋な興味だったのかもしれない。これまで出会った人の誰もがその事を気にかけなかっただけとも考えられる。妹の世話をしているから敏感だった、とも。
聞くわけにもいかない、考えたってわからないと自分の思考に区切りをつけて遠く前で呼ぶ姉妹の元へと急いだ。
才人が舞依の方を見ずに茶化した時、彼女はこう呟いたのだった。
「私は考えちゃうんだけどね」
どこか寂しそうな表情で。
「今日はありがとね」
住宅地の中、一軒家の前。表札には明峰の文字。
「いいよ。いや、騙したことはよくねぇけど」
「騙したとは人聞きが悪い。頭を使ったのよ」
「完全に悪知恵だけどね」
終始呆れっぱなしの笑美に「別にいいじゃない」と口を尖らせる舞依。
「上がっていきませんか?お茶くらい出しますよ?」
「女の子の家に上がっていく度胸はねぇな・・・」
勘弁してとでも続くかのように言うとクスクスと1つ結んだ髪を揺らしていた。
「そういえば・・・えっと、笑美ちゃん?って何歳なんだ?」
「女性に年齢を聞くのは失礼ですよ?」
「女性っていうような歳かよ」と言うのはぐっとこらえた。姉に対しての態度からするにそう言えば揚げ足を取られるのが目に見えていたからである。
そうしているとわざわざ「女性って気どる歳じゃないでしょ」といい「女性と言えば女性でしょ」なんて撃沈されている姉の姿も見えた。
「笑美は13歳よ」
拗ねた風にバラす舞依ともう少しからかう気だったのにと茶目っ気を覗かせる笑美。「ませすぎだ」と言わずにいられない才人だった。
明峰家を離れてしばらく。
穴場を求めて彷徨い続けたが見つけられないままに日が傾き始めていた。
街の中を歩く途中でふと空を見れば、真っ赤な太陽と夕と夜のグラデーションを効かせた空に紐のような線が漂っていた。
「おいベティ」
「どうしました才人」
「ここからでも見えるじゃん!」
「何が見えますか?」と言うベスティをよそに才人は動き出した。
未知への期待が胸を高鳴らせ帰り道を走らせていた。
時刻は18時27分。
あと1時間半ほどしかなかった。
結局辿り着いた場所はいつも独りで来る神社だった。
それでも見える景色は初めて目にするものだった。
道中ではうっすらと存在していた糸がここまで来ると美しく輝く布となって空を舞っていた。
その光が才人の時間を止めた。
「ベティ、カメラ!」
我に返って時間を動かし慌てた声で叫び、ただそれだけが響いていく。
疑問に思ってタブレットを取り出すと、いつもならば女性型のキャラクターを映しているウインドウで砂嵐が起こっていた。
仕方なく思い手動でカメラを起動させ風景を切り取った。それでも無意識の内に手を下ろし肉眼に今日の空を映した。
何度となく画面の向こうに見た光景が今だけは自分の目の前に広がっている。
駆け抜ける風は興奮する身体を冷やすには足りなかった。
それでもすっと凍っていく背筋は何を予感したのか。
ただ今は神秘との対面に心を震わせていた。
次の日の朝、ベッドの上で一人首を傾ける才人の姿があった。
昨晩家に帰った後タブレットを見ればベスティが表示されるはずのウインドウは真っ黒のまま起動中の文字を浮かばせていた。
そして今もまだ画面が変化することはなかったのだ。
これまでもシステムのアップデートなどで度々再起動することはあったが一夜越えてもなお終わらないということは初めてだった。
修理屋にでも見せようかと立ち上がったところでようやく画面が変わる。
「おはようございます才人」
「ベティ、お前大丈夫なのか?」
「システムエラーチェック開始。問題ありません」
やはりおかしいと眉をひそめる。
毎日健吾が聞いていたものと質問の内容はさして変わっていない。それなのにこうも回答の内容が異なるとは。再起動したからだろうか。
「なぁベティ。今日って何日だっけ?」「今日は5月4日です」
「俺の名前は?」「呉崎才人です」
「昨日の出来事は?」「一緒にオーロラを見ました」
明らかな異常だった。あの時ベスティは再起動中だったのだ。そしてそれ以上に今の言い方である。
独立型AIは不気味の谷を越えられない。一線を引いてその後ろに立つように設定されている。
それなのにまるで人間のように、一緒にと言ったのだった。
不意に、才人の頭を一つのフレーズがよぎる。
これまでに何度も聞かせ何度も言わせたフレーズ。
「・・・やっぱり、寂しいよな。ベティ」
今なら、何と答えるのだろうか。
「どうして、寂しいのですか?」
完全に言葉を失った。
およそ6年間。両親のいない日の数だけ口にし同じだけ変わらぬ返事をし続けていた。
「才人、なぜ寂しいのですか?」
今、全く違う返事となって才人に向けられている。
まるで答えを求めるように。
その声は普段と変わらず平坦で感情があると思わなせない。それなのに強い意志を感じた。
「なぜですか?」「お前がAIだからだよ」
「AIといるのが寂しいのですか?」「人間じゃねぇからな」
「人間とは何が違うのですか?」「感情だろ」
こうまで質問するのは何年ぶりになるのだろうか。
計り知れぬほどに呉崎才人を学習したベスティは既に聞く必要のある質問をほとんど有していなかった。
それが一夜にして多くの質問をするようになったのだ。
「わかりました」と長く続いた質問に区切りをつけると「それでは感情の学習をします」なんて言って再び画面を暗転させた。
そこにはただ学習中の文字が浮かんでいた。
「なんだったんだよ・・・」
長い時間を共にしていた存在が唐突な変化を起こした。
困惑のままに空を見れば青空がどこまでも広がっていた。
「よぉ才人、ってなんだお前その顔。寝不足か?」
ゴールデンウィークを終えて1日目。
休日を満喫した健吾とは対称的に疲れたと雰囲気が物語っていた。
「コイツのせいでな」
タブレットを健吾の前に突き出しがっくりとうな垂れる。
「お、ベスティちゃんじゃん。元気?」
「あまり元気とは言えません」
今までにない返答に驚きつつも健吾はすぐに言葉を繋げた。
「どうかした?」
「才人に元気がありません。なので私も元気が出ません」
今度は完全に言葉を詰まらせた。
何があったのかと才人を見ても首を振って答えるだけだった。
「これはまた・・・頼もしいことを言うようになったな」
「だろ?」
もういいからとポケットにしまうも中からは「ありがとうございます」なんて声が聞こえた。
「何があったんだよ。随分と変わっちゃってるじゃん」
「こいつもオーロラにやられたらしい」
日本でも観測できるほどのオーロラはただ美しい光景として姿を現しただけではなかった。
それだけの威力を持った太陽風は同じだけ強力な電磁波として地球を覆った。
その結果は世界中でAIにバグが発生するという事件に繋がった。
バグの程度が軽度であった為に大混乱を呼ぶことはなかったが今でも時折バグの弊害がニュースとして知らされることがある。
「修理って言っても金かかるし、使えなくなったわけじゃないからいいんだけどさ。なんかガラッと変わっちまってこっちがついていけねぇって感じ」
「6年来の彼女が突然ってわけね」
実際ベスティはここ数日で一気に学習し変化した。さも感情があるかのように振る舞い話すのだが、それが却って才人との距離を遠ざけさせていた。
どうしても以前の姿と比較してしまう。そうするとやはり今の姿がおかしく見える。
不意にタブレットが震えた。
取り出してみれば寂しそうな表情をしたベスティが
『初期化しますか?』
と吹き出しを表示させていた。
首を振りポケットに押し込んだ。
怯える仕草をするAIなんて聞いたことがない。
だが何よりも馬鹿らしく思えたのは長い間共にしてそんな事をする人間だと思われていたことだ。
呉崎才人は愛着を持つと手放せなくなる性格だった。
ホームルーム中。
才人は前で話す教師の声を聞き流し考え事に耽っていた。
ベスティが時折見せる機械的な部分が人との違いを考えさせていた。
登校中の初期化を提案したこともそうだし、今朝もそうだった。
才人の声色から睡眠の浅さ、そしてその原因を判断すると
「感情の学習を停止しますか?」
などと聞いてくるのだ。それもまた、怯えた様子で。
そもそも提案しなければいい。否定的に提案することで才人は実行できない、という学習をしたのかもしれない。
どちらにしたってベスティに何らかの意思、あるいは目的がなければ説明がつかない。
才人にはもう人のように振る舞う機械なのか、機械のように振る舞う人なのか、その境界がわからなくなっていた。
そんな延々とした思考も身体を揺すられて断たれた。
「大丈夫か?」と親友に声をかけられてクラス全員の視線が集まっている事に気づく。
「わ、わりぃ。ちょっと意識飛んでた」
「しっかりしろよ」と大人の声がした。「今度の学園祭、このクラスの代表はお前になったから」と、肩に手を置く教師。
最初から話を聞いていなかった才人はおうむ返しで怪訝そうな顔をした。
「どっから意識飛んでたんだよ」と隣で突っ込まれたが無視することにした。
「さて、呉崎の意識も帰ってきたわけだしここから先は代表に仕切ってもらおう」
「いや、ちょっと待って先生!なんで俺が代表!?」
ようやく状況を理解すると慌てて席を立ち抗議する。
「推薦があったからな。それに呉崎は最近サボり癖が付いてきていると聞くし、何かに一生懸命になるのもいいだろう」
抵抗も虚しく受け流された。
「健吾、てめぇ・・・」
「そう言うなよ才人。みんなお前ならいいって満場一致だぜ?」
ニヤニヤとする親友に報復を誓いながら、逃げ道が無い事に腹を括らされ渋々と前に立った。
「えーっと、まず代表補佐決めるから、誰か立候補」
ヒソヒソと話しだす女子にガヤガヤと騒ぐ男子。代表と補佐は男女の組みであることが条件なので、既に彼らは役職に就かずに済んでいるのだ。
当然のように決まらないまま時間が過ぎる中1人が手を挙げる。
「私、明峰さんを推薦するっ」
「お前じゃないのかよ」というぼやきは周囲の
声に掻き消された。
乗り気でない舞依も周りから持てはやされ観念し
「あーもうわかったわかった。私がやる、やりますよ!」半ばヤケになりながら席を立って前に来る。
「お前も大変だな」
押し出されてきたところにそう呟くと「アンタよりマシ」と言われ「その通り」なんてため息と共に口を出た。
ようやく役割が決まったところで話が進む。
「それじゃあ何するか決めるんだけど、全員知っての通り2年は舞台での発表だ。それじゃあやりたいことある奴は挙手」
10分も経つと挙がる手は無くなった。
黒板には女性らしい字で劇、歌、ダンス、とだけ書かれていた。
そろそろ潮時かと思った矢先、ポケットの中で主張するように振動が起きていた。
「先生、AIに聞いてもいいですか?」
数秒悩んで出た言葉はあっさりとした承諾に認められタブレットを手に取る。
画面ではキャラクターがしきりに手を挙げていた。
呆れながら教壇に置いてマナーモードを解除する。
「ベティ、何か妙案があるなら言ってくれ」
「はい。既に出た意見から私はミュージカルを提案します」
ベスティの声にクラス全体がざわめいた。
「劇だけではクラスメイト全員に役職を与えることが困難ですし、歌やダンスだけでは所要時間を補ません」
もっともらしく、かつ今までに無い意見は次第に賛同の渦を呼んだ。
「落ち着けお前ら。ベティ、ミュージカルって具体的にどうするんだ?」
ベスティを中心にまとまっていくその光景に何故か、才人は不安を抱いていた。
その日の晩。
才人はパソコンを睨んでいた。画面には自動で文字が出ては消えを繰り返す。
ベスティが台本を書いているのだ。といっても新しく作るのではなく、既にあるものを学園祭用にアレンジするのだ。
そしてそのベースになった話は誰もがしる童話、ピノッキオの冒険。
意志を持つ人形が苦難の果てに人間になる物語を意志を持ち始めたAIが作り変える。
どうしたって皮肉にしか感じられなかった。
「なぁ、ベティ」
画面から背を向けた。こうすればベスティの作り出す表情を見ずに済む。
「どうしました?」「お前はAIだよな?」
もう確かめずにはいられなかった。
今日のホームルームのときのように人間に溶け込み、人間のように振舞うベスティは完全に不気味の谷を越えているだろう。
否、完全にとは言えない。どれだけ人間のように振る舞おうとそこに実態はなくタブレットの中にしか存在しない。体温も呼吸も無機質な箱の中に閉ざされている。
そのことが才人との間に大きな谷を作っていた。
「お前はAIで、自我なんて持ってないはずだろ。それなのになんでお前は意思があるみたいにしてるんだ?」
いつだったか健吾に言われたことだが、ベスティとの生活で質問する癖が才人についていた。
もしここではっきりと「お前はAIだ。自我も意思もない作り物だ」と断言していれば、あるいは断言できるような性格であればこうはならなかっただろう。
相手が常に答えを持っていると無意識のうちに思っていたのだ。
だから「わかりません」と答えるベスティに戸惑いを隠せなかった。
「私はAIです。ですが他のAIとは違うという自覚があります」
AIが自覚なんて、という嘲笑も「私はAIでいいのですよね?」の前に消えた。
ベスティはきっと自分を考えるようになっていたのだ。
却って自分はどうだろう?何をするでもなくただ時間を過ごす。
あの日自分が口にした言葉が振り子のように戻ってきた。
考えて生きている奴なんてそういない、と。
まだ高校生、ではない。時期なんて関係ない。
何も考えずただ惰性で生きている自分と己の存在に疑問を抱きながらも考え続けるベスティ。
どちらの方がより人間らしく、機械らしいのか。
「それはお前が決めることだよ」
その答えはただベスティに向けられただけの言葉ではなかった。
いい加減自分も考えなければならない頃なのだ。人間とAIの違い、自分と彼女の違い。
その答えは一朝一夕に出るものではないし、一生かけても出ないかもしれない。
だがそうやって自らに問い自ら悩み考えることが人間の生き方だと。
ちょうど目の前にいい題材がある。
「なぁ、ベティ」
二度目の問いかけにはあてもない冒険へと赴く少年の声色だった。
「俺にもその台本作り、やらせてくれないか?」
ここからはじめよう。考えることから逃げて怠けていた自分も今から人間になっていくのだ。
強い決意を胸にしてパソコンと向き合う。そこには長い付き合いの彼女がいた。
彼女と一緒なら問題ない。不格好で未熟でも2人ならば乗り越えられる。
心地よい承諾を受けて、才人の手が動き出した。