記憶の底
「君は誰かに憎悪とか、復讐とか激しく黒い感情を抱いたことは有るかい?」
今となっては、この言葉の主の顔を私は全く覚えていない。
ただ、今でもはっきり覚えているのは激しく降る雨と涙の味だけだ。
私は――宮本姫奈は、この頃はまだ普通の少女だった。
変わったところと言えば剣道を愛し、周りからは剣道から愛された少女と称されるくらいだろう。
変わっているかもしれないが、今の自分から見れば十分に平凡な少女だろう。
小学生の頃の自分は、ただひたすらに剣道で強くなりたいと思うだけの少女だった。
「嘘は良くないな。僕には分かるよ。その腕、もう動かないんだろう?」
女子で剣道がめっぽう強い。
それも、普通の剣道からは少し離れた二刀流という変わった流派。
勿論、私の周りで二刀流を扱う物なんていない。
私は、もっと幼いころに見た二刀流の試合映像を見てそれに憧れて、見よう見まねで二刀流を極めたんだ。
才能の塊。
周囲の人間、特に大人たちはそう持て囃した。
褒められて悪い気分になる者はいないだろう?
だけど、決して忘れてはいけないことがある。
褒められる者がいれば、それを妬む人間がいることを。
まだ、幼かった私は人の悪意なんて知らなかったんだ。
「僕は、こう見えても魔法使いでね。君の腕を直すことくらい造作も無いんだよ」
才能への嫉妬。
何より、女である私が周囲にいる男の子の誰よりも強いことが許せなかったのだろう。
酷く時代錯誤な考えだと思うよ。
でも、そんな古い考え方しかできない人間はまだまだ大勢いるものだ。
私が強くなればなるほど、周りは私から二刀流を取り上げようとした。
二刀流を生かす道が、防御に徹し引き分けを作る戦いだと言って、私の戦い方を取り上げようとした。
それでも、私は抗い続けた。
それがいけなかったのだろう。
私の夢は、腕と共に儚く折砕け散ってしまった。
「復讐を願うなら、力をあげよう。消える事の無い、黒い炎を」
きっと、直ぐによくなる。
私の周りの人間は皆、口を揃えてそう言う。
でも、私は知っていた。
彼らが、裏では私はもう剣道が出来ないと口を揃えて言っていたことを。
私は耐えられなくなった。
張り付いた嘘の笑顔に。
土砂降りの日に、私は一人で病院を抜け出す。
その時に、出会ってしまったんだ。
悪魔の様な男に。
「本当に、腕が治るの?」
「ああ。けど、勿論タダって訳じゃない」
「ごめんなさい、私は今お金を持っていないの」
「お金なんかじゃないさ。これを貰ってくれれば、それでいい」
今思えば、怪しすぎる取引だ。
男だという事しか覚えていないが、彼からは何か不気味な物を感じ取っていた気がする。
それでも、例え悪魔に魂を売ったとしても、その当時の私はまた剣道をやりたかったんだ。
「何でもいい。お願い、私の腕を直してっ」
「そう、焦らなくてもいいよ。君の腕はもう『治っている』んだから」
彼が不気味に言葉を発すると、何故だか私の動かない筈の腕に熱い物を感じる。
それに動揺した私は驚くように腕を動かした。
これまで、ピクリとも動かなかったはずの腕を。
「代償は、この子だ。君の負の感情をエネルギーにする機械。使い方は、この子が教えてくれるよ」
彼は、真っ黒に染まった得体のしれない不気味な黒い球体を私の頭に押し付ける。
黒い球体は、まるで沼に沈んでいくかのように私の頭の中に入っていく。
ユックリと黒い球体が私と馴染んでいく。
馴染む程に、私の体は燃えるように熱くなる。
実際、少し燃えていた。
漆黒の炎がほんのりと周囲を照らす。
炎があたりを照らしている間、私は私でない様なスッキリとした気分になる。
憎しみや悲しみ、恐怖や喜び。
私の感情を燃やしているかのように、漆黒の炎を使っている間の私は何の感情も抱かなかった。
「今度は、ソードロードという競技で君を『待っている』よ。もし、ソードロードに来たなら……。そうだな、"弍焔"という名を君に与えよう」
この日の記憶は、ここで途切れている。
あの後、中学に入るまで私は私で無かったのかもしれない。
私は、私の夢を壊した者への復讐をしていた。
漆黒の炎は、私の憎しみに比例して強く燃えていく。
私はもう後には戻れない。
子供ながらに理解していたんだ。
壊すことで快楽を得る私を止めてくれたのは、ウサミミの恩人で名前は――。
「夢を、見ていたのか……?」
随分と昔の、嫌な夢を見てしまっていたようだ。
試合はどうなったんだろうか。
また、部長が私を止めてくれたのか?
そんなことを思っていると、視界が何時もと違う事。
そして、全身が非常に寒いことに気が付く。
「……氷?」
ああ、やっと思い出した。
漆黒の炎ごと、私は足利に凍らされていたんだった。
いきなり負けてしまって、後のメンバーには苦労を掛けてしまうな。
でも、申し訳ないが今は疲れて眠いんだ。
少しだけ、眠らせておくれ……。




