ぶつかった出会い
高校の入学式当日、僕はいきなり遅刻してしまう。
もし、あの日遅刻していなかったらきっと僕は昔と変わらない普通な世界で生き続けていたんだろうな。
自分の家とか、家族の事を深く知らないままだったのかもしれない。
運命という物があるのなら、きっと僕の遅刻は決められたことなのだろう。
僕は遅刻した日、出会ったんだ。
平穏な世界から僕を連れ出してくれる存在に。
一体、いつから目覚ましが鳴り続けているのだろうか。
目覚ましがずっと鳴り続けているというのに、眠り続けている少年がいた。
彼の名前は御剣剣太郎。
今日から桐木高校の一年生になる筈だ。
けれども、彼は眠り続けていた。
今日が初の登校日であり、入学式の日でもあるというのに。
「まったく、朝からうるさいな……」
彼は、寝ぼけ眼をこすりながら目覚ましを止める。
そして、枕元にあった携帯が何かを知らせるかのように光っていることに気づき何事かと覗いてみる。
<着信40件 新着通知99+>
「朝から、何があったんだよ……」
朝からこんなことをしてくる者に彼は心当たりがあった。
きっと、幼馴染のイタズラだろう。
彼は、どこか余裕そうに携帯を覗く。
けれども、通知の中身を見た瞬間にそれは一変する。
彼は、今の今まで今日が入学式だという事を忘れていたのだ。
「このままじゃ、遅刻じゃん!?」
幸いなことに、今から走ればまだ間に合うかもしれない時間だった。
彼は血相を抱えながら、急いで支度をする。
そして、朝食も食べずに学校へと急ぐ。
「このままじゃ、昨日の冗談が本当になるじゃないかっ」
昨日の夜、彼は幼馴染二人に対してこんなことを言っている。
「入学式に遅刻ギリギリで走って学校まで向かえば、同じく遅刻ギリギリの走ってる女の子とぶつかれて王道ラブコメ展開なんかが出来るんじゃないか?」
二人の幼馴染はそれを一笑に付した。
そもそも、剣太郎がそんな初日から遅刻するなんて度胸があることはできない、と。
彼も、それに同調していた。
そんなものあくまで妄想だと冗談交じりに笑っていた。
昨日の彼は、明日も普通に幼馴染二人と平凡に登校するつもりでいたのだが……。
そんな考え事をしながらずっと走っていたせいだろうか、彼は周囲への注意がおろそかになっていた。
学校が目と鼻の先にまで迫った十字路で、彼は出会ってしまう。
自分の世界を変えてくれる人に。
周囲への注意がおろそかになっていた彼は、目の前から人が出てくることに気付かず、現れた人と正面からぶつかってしまう。
ぶつかられた相手は、剣太郎と同じ制服を着た少女だった。
つい先日まで中学生だったとはいえ、走ってきた男にぶつかられたら、普通ならば少女もただでは済まないだろう。
しかし、少女は何ともなかった。
寧ろ、勢いがついていたはずの剣太郎の方が逆に跳ね飛ばされてしまいそうな勢いだった。
そんな剣太郎を、彼女は優しく抱き留める。
必然的に、彼の頭は少女の胸に埋まる。
その柔らかさから、ようやく女性とぶつかったと察した剣太郎は顔を真っ赤に染め上げて飛び退くように彼女から離れる。
慌てて、ぶつかった相手の顔を見る剣太郎。
黒くて艶やかな長い髪に、やや釣り目がちながらも凛として整った顔立ち。
一言で言えば美人だった。
そんな彼女に、謝罪の言葉を述べようとした剣太郎は焦りから、言葉が詰まってしまう。
狼狽える彼を見かねた少女は剣太郎に声をかける。
「少年、大丈夫か? どこか怪我は無いか?」
「あの……、えっと、……ご、ごめんなさいー」
剣太郎は、ぶつかってしまった事や故意では無いとはいえ胸に顔をうずめてしまった事。
その二つや彼女の美貌、そしておそらくは彼と同じ学校の人間であるという事。
様々なことが混ざって、彼の頭はパンク寸前だった。
とりあえず、どうすればいいのか分からなくなったのか、彼はおもむろに土下座の体制に入る。
しかし、彼女はそれを慌てて制止する。
「君も、故意じゃないのだろう? お互いに急いでいる身なのだしそこまで気にしないでくれ」
彼女は、ぶつかられたことなど一連の事に怒りを抱いてはいなかった。
むしろ、彼が必死に謝る姿を見てどこか寂しそうにもしていた。
彼女が怒ってはいないとはいえ、剣太郎は罪悪感を感じずにはいられなかった。
そして昨日の妄想がまさか現実になったと思い、あわよくば彼女と仲を深めようという下心も抱いていた。
「僕、今日から1年生になる御剣剣太郎っていいます。ぶつかったお詫びもしたいですし、名前だけでも教えていただけませんか?」
最早、下心の方が大きかったかもしれない。
そんな彼の申し出に、彼女は更にションボリする。
「お詫びって、若しかして私はそんなに怖く見えるのか……?」
彼女はどうやら何か勘違いをしているのだろう。
どこか近寄りがたい雰囲気を纏った美人だからか、その手の苦労は絶えないのかもしれない。
剣太郎としては、その口調を直せばだいぶ話しやすくはなるだろうなと思っていた。
口が裂けても、初対面の相手にそんなことは言えないだろうが。
「……ん? 少年は今、今日から1年生と言ったか?」
「はい。でも、それがどうかしましたか?」
彼が、新入生だと気づくと先ほどまでションボリしていた彼女はいきなり元気を取り戻す。
暗くかげっていた顔はいつの間にか、ニコニコと晴れ渡っている。
「おっと、自己紹介が遅れたな。私のは2年の宮本姫奈だ。お詫びとかはいいのだが、一つだけ頼みがあるんだ」
「……頼み?」
彼女は笑顔だった。
満面すぎて返って怪しいくらいの笑みだ。
その表情に、剣太郎は少し訝しげな表情をする。
このままでは、頼みを聞いてもらえないと思ったのか彼女はしゃべり始める。
「イタタタタ……。ブツケタトコロガ、イタイナー……」
大根役者も顔負けな棒読み演技だった。
そして、彼女は痛いと言いながら腰をさする。
ちなみに、先ほどぶつかったときは腰なんてまったく打っていなかったりする。
陳腐な詐欺師の様な行動に、ラブコメの主人公気分でいた剣太郎の気持ちはドンドン冷めていく。
ただ、一応は加害者である彼はその頼みの内容を聞いてみる。
「ちなみに、頼みってなんですか?」
「私がいる部活に入ってほしいんだ」
「何部ですか?」
「………………ソードロード……」
口ごもっていたが、部活の名前は剣太郎の耳に届いた。
けれども、その名前に剣太郎は心当たりがない。
彼は何かの聞き間違いかと思って、もう一度部活の名前を聞いてみる。
今度ははっきりと返事が返ってきた。
「剣道部だ」
「さっき、英語っぽかったですけど?」
「噛んだだけだ。それよりも、放課後迎えに行くからしっかり教室で待っているんだぞ?」
絶対に、噛んだなんてことはありえない気もするが剣太郎からの追及はそれ以上受け付けないとでも言わんばかりに、彼女は学校へと走り去っていく。
「不思議な人だったなあ……」
剣太郎は、昨日の嘘が真になったことに感動し、その場で少しボーっとしてしまう。
ちなみに彼が遅刻間際で急いでいたことを思い出すのは少し後だ。