第五回 西郷隆盛~敬天愛人に隠された梟雄の顔~
西郷隆盛という男を、僕は好きだ。
と、言っても昔から好きだったわけではない。彼に惹かれるようになったのは一年ほど前で、それ以前は「何でこう人気があるのだろう」と、頭を傾げたほどだ。
それが、今では(福岡藩以外で)好きな幕末人物の五指に入る。
では、僕が感じる彼の魅力とは何か?
それは、敬天愛人に隠された、梟雄の顔。
禁門の変・第一次~第二次長州征伐で見せた卓越した謀略の才能、政治感覚、カリスマ性、そして裏の顔を隠す為に演じていた(と、僕は思っている)朴訥として深い人柄。
そうした暗黒面に、僕は惹かれるわけだが、この感覚は三国志の劉備に感じるそれに近い。
彼を引き立てた島津斉彬が、こう評している。
「私、家来多数あれども、誰も間に合ふものなし。西郷一人は、薩国貴重の大宝なり。しかしながら彼は独立の気象あるが故に、彼を使ふ者、我ならではあるまじく候」
ここで注目したいのが、
「彼は独立の気象あるが故に、彼を使ふ者、我ならではあるまじく候」
と、いう一文。
そう、斉彬は「西郷は野心があるので、自分でなければ使いこなせぬ」と言っているのだ。
西郷の一面に痺れると共に、斉彬の人物眼にも感嘆してしまう。
彼は、一代の風雲児だった。
坂本龍馬や高杉晋作がよく風雲児や革命家と語られるが、彼こそ相応しい人物はいないであろう。それは、彼の生き様で判る。
薩摩国鹿児島城下加治屋町山之口馬場に下級藩士である西郷吉兵衛の子として産まれ、攘夷熱が燃え上がろうとする中、島津斉彬に見出され国事に活躍。(以降、すったもんだあり)それが明治となり乱世が収束に向かおうとする中、叛乱分子と共に決起し滅び去った。つまり、乱世を演出し、乱世を自ら終わらせたのだ。
もし彼が生まれた時代が元禄や宝暦であれば、下級藩士か或いは中級で生涯を終えたであろう。乱世であったから、彼は陸軍大将とまで上り詰めたのだ。
もう一つ、坂本龍馬が彼をこう評している。
「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」
これを借りて、僕が評すなら、
「平時に叩けば少しく響き、乱世に叩けば大きく響く」
と、いうところだろう。
幕末という混乱に乗じて成り上がり、その終焉と共に滅びた西郷。
その生き様と、野心。敬天愛人に隠された梟雄の顔こそ、彼の魅力だと僕は言いたい。
西郷隆盛
文政10年12月7日(1828年1月23日)~明治10年(1877年9月24日)
薩摩藩士。倒幕の実質的な総帥として働くが、西南戦争の指導者となり滅びる。