表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

第一回 徳川慶喜~ラストショーグンは維新最大の功労者~

 明治維新最大の功労者は誰か?

 そう訊かれたら、真っ先に名を挙げる人物がいます。


 徳川慶喜。


 徳川幕府最後の将軍、その人です。


 彼を嫌いな人が、どうも多いようです。僕には共感できませんが、その気持ちは理解は出来ます。


 ただ、思うのです。

 幕府を終わらす。武家政権を終わらす。

 長く長くそして重い歴史に幕を引く決断は、並々ならぬ苦労や苦痛があったという事は想像に容易い。それを、誰が非難できようか。

 彼が決断してくれたから、今の日本があるのではないでしょうか。


 大政奉還をしなかったら?

 王政復古に対し、京都を立ち退かず帝を人質にしていたら?

 大坂城で立て籠もっていたら?

 謹慎せずに、奥羽・函館で決起していたら?

 もし、彼より好戦的な将軍であったら、朝廷を敬わない将軍であったら、海外の情勢に詳しくない将軍であったら、歴史は確実に変わっていたでしょう。


 慶喜こそ、幕引きに相応しい「武士」だったのです。


 それは本人も自覚していたのかもしれません。彼はこうも言っております。

「家康公は、日本を統治する為に幕府を開かれた。私はその幕府を葬り去る為に将軍になったのだ」

 この力強い言葉に、彼の志を感じますね。


 彼こそ維新の功労者であり、近代日本の恩人だと僕は断言します。

 その陰で、命を落とし苦労をした人もいる事でしょう。つまり最大多数の最大幸福から漏れた人たちです。

 彼らの縁者や知人が慶喜を恨み、嫌う気持ちは理解できます。それは仕方のない人間の情ですから。故に、そうした犠牲の上にある事は忘れてはいけません。


 兎も角、幕末という時代に、徳川慶喜が征夷大将軍として君臨したのは、命数を使い果たした江戸幕府の〔最後の努力〕だと、僕は思います。


徳川慶喜

挿絵(By みてみん)

天保8年9月29日(1837年10月28日)~大正2年(1913年)11月22日

江戸幕府第15代征夷大将軍。歴史上征夷大将軍に任じられた最後の人物である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ