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幕間 その一 ダガンと銀のナイフ

 俺の名はダガン。十六才だ。もうすぐ誕生日なんだから十六才だ。間違いない。


 もう結婚を考えた家と仕事を決める時期だと親は言っている。だけど、俺はこの街で結婚する事は嫌だと思ってる。結婚したら、もうこの街から出られないんだぜ? 街の外や別の街へ行く事は出来るけど、必ず帰ってくるのはこの街って事になる。そんなの、俺は耐えられない。


 別に、仕事をし続け、結婚し、子供を育てる事には憧れさえ持っているから嫌じゃないんだ。


 い、今は居ないけど、昔は、好きな女の子だって居た。ちっ、思い出させるな。なんであんな男がいいんだか。


 と、とにかく、俺はこの街が嫌いだ。


 ここは、森羅の森の中にあるターナの街。森羅、ってのはこの世の全てって意味なんだってよ。この世の全ての「何」? って聞いたらぶん殴られたけどな。


 この森。いや、森は普通だ。人を襲うモンスターはいっぱい居るけどな。だけど、モンスターの居る森よりもこの街の方がおかしいんだ。なんて言うか、街の住民の半分は人を恨んでいる。なんとか、自分だけが得を出来ないか、っていつも考えているようだ。しかも、そんな連中に限って、黒いモヤみたいな物に頭を覆われている。


 それを誰かに言っても、何言ってるんだ? って感じで相手にして貰えない。どうやら、あのモヤは俺にしか見えないみたいだ。うん、間違いない。


 それを確信したから、それを誰かに言った事はない。だけど、話しをしたりする相手は、そのモヤが付いていないヤツとだけにした。その方がいい、と、俺は何故か確信していたし、間違いもない。


 今日も俺は街の一番外側。木こり衆が木を切ったり、枝打ちしたり、丸太を木材にしている所へやってきた。

 俺にとって、一番安らげる場所だ。普段はくれないけど、大きな丸太を木材にする時なんかは、人手が必要って事で、手伝えば小遣いをくれるんだぜ。

 丸一日やっても終わらないし、汗だくになってフラフラになるけど、街の中にいるよりはいい。ここの連中は頭に黒いモヤが掛かってないし、ちゃんと出来た時は笑って褒めてくれる。失敗した時は残念な顔をして、何処が悪かったかってのを教えてくれるから、もっとしっかりとやろうという気持ちになる。

 そして、それが上手くできた時はそれを褒めてくれる。


 とっても気持ちがいい。だから、俺は木こりになるか、それが出来なければ街を出るって決めていた。


 ターナの街は結界で覆われていて、森のモンスターが入り込めないようになっている。たまに変なのが入り込むけど、その時は木こり衆や狩人たちとで撃退する事になっている。


 仕事柄、木こりってのは森のモンスターの近くで仕事をしているわけだ。その分危険だし、人数が少ないとモンスターの撃退は出来ない。でも、多すぎても、目が届かなくなって危険だって言ってた。


 木こりの誰かが辞めれば、その分の空きで俺が仕事に就ける事もある、って事だったけど、ほとんどは自分の子供に継がせるつもりだから枠がないんだ。


 それは仕方のない事だってのは判ってる。


 もしかしたら? って期待はあるけどな。でも、街の中にいるのが嫌だからここにいる、って事は歓迎されているからそれだけで満足だ。


 木こり衆たちも、それは同じ気持ちだったみたいだ。間違いない。


 俺はそんな毎日を送っていた。街を出るためのアテもない。木こりになるためのアテもない毎日ってやつだ。自分の事ながらへこむぜ。


 だけど、その日はかなり違った。いや、その日から変わったって言っても良い。


 なんか、街の中心で町長がリンチにあっている、っていう話しを木こり衆がしていた。あの町長なら、遅かれ、早かれ、そうなっていただろう、って事で、誰も不思議に思わなかったけどな。

 木こりたちにとってはどうでもいい話しで、話す話題が無いからあんな町長の事でも話してる。


 そんな時だった。


 「鋼虫だ!」


 森の奥からそんな叫び声が聞こえた。木こり衆たちが焦りながら走り回る。枝打ちしていた木こりは、急いで木から下りようとして落ちかけていた。落ちなかったけどな。


 鋼虫が出たんなら、木の上に居るのは危険だ。


 ターナの街の近くに出るモンスターの定番だけど、大人が一抱えするぐらいの大きさがある甲虫だ。デカイ音を出して羽根を羽ばたかせ、凄い勢いでぶっ飛んでくる。

 真っ直ぐにしか進めないらしく、当然木に当たるんだけど、その木はそこからへし折れる事になる。


 大人が一人じゃ抱えきれないぐらいの太さの木をだぜ?


 止まっている鋼虫を斧で叩き切ろうとしても、斧の方が壊れる事もあるし、とんでも無く重いから、森の奥に誘導しようとしても動かす事も出来ない。

 飛んでる時以外は動きは遅いけど、一度捕まると凄い力で押さえ込まれて逃げられなくなる。服一枚犠牲にするだけで助かれば御の字って事らしい。


 もしも捕まったら? あの小さな口で体の表面を削られ、血やら体液やらを啜られ続けるって事になるらしい。そのぐらいじゃ簡単には死なないから、仲間がいれば助けて貰う事も可能かも知れないけど、ただ一人で森で遭遇したら、死ぬまでの数日間、その状態が続くらしい。


 普通の甲虫なら、木の樹液や木の実の汁を啜るモノ何だけど、モンスターってやつは人だろうが、獣だろうが関係ないらしい。まったく忌々しいぜ。


 そんな鋼虫が出たら?


 まず、捕まらないように距離を開けて、出来るだけ後ろに回り込む。そして、羽根を覆っている固い殻、前翅殻って言うらしい、それを広げた時に、その付け根に斧を叩き込むんだ。

 そうすると鋼虫は飛べなくなるし、比較的柔らかい背中が丸見えになる。そこを、寄って集って袋だたきにするんだ。


 大木を三人がかりで切り倒すぐらいの時間をかけて、ようやく一匹の鋼虫を倒す事が出来る。


 モンスターってのは恐ろしいモノなんだ。


 俺は街を出たいと思っているが、モンスターの存在がそれを許してくれない、ってのが酷い現実ってわけだ。


 今回も、木こり衆全員で対応して、鋼虫を倒す事が出来た。被害は森の奥の木がへし折れたぐらいで、後で回収するって言ってた。

 大した被害が出なくて本当に良かった。


 だけど、後から、それだけじゃない、って事を知った。


 なんでも、同じ時間に、百以上のモンスターが出たらしい。主に街の北にある広場の方に出たそうで、今日の鋼虫一匹は、どうやらそのハグレだったようだ。

 しかも、その百匹以上のモンスターを、たった二人の流れ者が倒したらしい、という噂が広がってた。


 俺も好奇心に駆られ、北の広場まで行ってみたけど、確かに森は滅茶苦茶で、相当な数のモンスターが居た事は誰の目にも判る状態だった。

 鋼虫の残骸も有ったらしいけど、興味を持った街の誰かが持ち去ったのを見た者もいたと言う事だ。


 鋼虫の残骸? どうするつもりだろう。確かにあの殻は固い。ナイフに加工すれば、そこそこの物はできあがる。でも、そのナイフ一本を作るために、手持ちのナイフが一本、駄目になる。そのぐらい固いんだ。

 鍛冶屋で打ち直しとか考えても、一度真っ赤になるまで熱すると、とたんに脆くなる性質があって、ナイフにも出来なくなる。


 真っ赤になるぐらい熱しないと、脆くならないんで、倒すのにも使えない方法だけどな。


 鋼虫の残骸を持ち帰ったヤツは、結局はわざわざゴミを持ち帰った、って事だ。


 そんな馬鹿は放って置いて、問題はその流れ者二人だ。


 木こり衆も商人も、森を抜けて王都へ行く事はある。その時は、狩人と協力して、かなりの人数で身を守りながらの大移動になる。それでも、毎回、何人かは犠牲になるし、死人は出なくても怪我人は出なかった事がない。

 そんな森を、たった二人で踏破してきた? 魔法使いなら、箒に乗って飛んでいるのを見た事があるけど、あれって、限られた者が、特別な刻印を刻む事によって出来るようになる、って言ってた。それも、このターナの街でだけ出来るって話しで、流れ者がその刻印を持っているわけがなかった。


 それに、多くのモンスターの残骸も見つかっている。空を飛んで避けたわけじゃなく、倒したんだ。これはとんでも無い事なんだ。

 いったい、どんな化け物なんだ?


 すると、レゼ婆さんとキャス姉さんが、その化け物と一緒にいるという話しが伝わってきた。


 レゼ婆さんとキャス姉さんは、この街出身の魔法使いだ。キャス姉さんは王都の出身だけど、魔法を習いにレゼ婆さんの所に弟子入りしてから魔法を使えるようになった。だから、一応この街出身の魔法使いって事になるんだそうだ。

 ま、大人のメンツってやつだな。


 木こり衆の親方であるノウドさんの息子に、ボードとガードっていう兄弟が居る。ノウドさんの代わりにボードがほとんどを仕切っているけど、実際は頭のいいガードがしっかりと調整しているため、木こり衆は上手くまとまっている。

 ボードはノリや勢いがいいから、それで皆を引っ張っていって、それでこぼれた所をガードが補うって形で全体が上手くいっている、って感じだ。

 この状況に、木こり衆の皆が満足している。


 そのリーダー格であるボードは、実はキャス姉さんに惚れている。


 もう、木こり衆の切り倒した材木だって知っているぐらい有名な話しだ。知らないのはキャス姉さんだけだろうな。でも、あの姉さん、ちょっと抜けた所があるから、当分気付かないんじゃないのか? というのが俺の意見だ。ボードには絶対に言えない話しだけどな。


 それで、ボードたちが、百以上のモンスターを屠ったその化け物に逢おう、って計画した。


 なぜか、精霊樹を気にしているらしく、そこに居れば、探すことなく逢えるだろう、ってのがガードの意見だ。


 俺も気になって、隠れて覗く事にした。街の外に出たい俺としては、それを簡単にやってのける化け物の事は非常に興味がある。


 そして二日後、現れたのは、肩にフクロウを乗せた中肉中背って感じの、何処にでも居そうな男と、同じ感じの、何処にでも居そうな女、それに俺よりは少しは大きいかな、ぐらいの男。この男は肩に小さな小鳥を乗せている。そして、ちょっと人間には見えない感じの大男がいた。でも動きは力強くて滑らかな感じがする。百のモンスターを倒した、ってのは、この大男じゃないのか? 背中には大きな戦斧を担いでいた。

 着ている服装は、ちょっと奇抜って感じがしたけど、よく見ると、体全体が満遍なく覆われていて、森の中でも、下草や枯れ枝でも怪我をしそうもない感じだ。しかも、マダラな色は、あれで森の中に潜まれたら絶対に見つからないんじゃないのか? って感じがする。


 奇抜なんだけど、変じゃない。しっかりと考え抜かれている服なんだ。


 あ、ボードがキャス姉さんの事でからかわれている。ま、判るよなぁ。ガードが代わりに話してる。難し話しなら、始めからそうしておけばいいのに。


 そして十日でこの街の代表者を決めろと言ってきた。


 町長がリンチされてボロボロの状態らしいから、確かに街の代表者が居ない。それを、街の皆で決めろと言っているらしい。

 それに、なんか不穏なセリフも聞こえた。躊躇無く街ごと攻撃する、とか言ってた。


 百のモンスターを撃退する連中だぜ? ここの連中が敵うわけがない。兵士は町長の私兵しかいないし、商人の連れてくる護衛は数人。あと居るのは狩人ぐらいだ。

 モンスターに対抗できるってのは、商人の護衛か、狩人だけだろう。それだって、モンスターが一匹や二匹ぐらいまでの話しだ。


 この街には結界があるから、街の住民は平和に暮らして行けてる。逆に、結界があるから、結界を出てモンスターと戦おうってのはほとんど居ない。

 狩人だって、モンスターを避けて獣を狩ってるだけなんだから。


 つまり、あの連中はこの街を滅ぼす力を持っている、って事だ。そして、それを回避したければ、街の全員の代表を決めて、しっかりと話し合いをするしかない。


 話し合いをすれば、この街は助かるのか? たぶんだけど、とんでも無い要求をされて、それを支払うしかないんだろう。税金が上がって、また、恨みを持った、黒いモヤに包まれた人が増えるのかなぁ?


 町長の自業自得なんだから、街の自業自得って事になるのかなぁ? なんかムカつく。


 そして、それから三日が経った。


 街の代表者決めは全く進まないし、多くの者は意味の判らない文句を言っている。ほとんどは、単純に精霊樹を自分のためだけに使わせろ、っていう酷いモノだ。

 なんか、あの化け物連中の主張が正しく感じてきた。


 ボードやガードも、完全にあの連中が正しくて、あの連中が俺たちを正しい姿に戻してくれる。って言ってた。それもなんか変だな、って考えているんだけどな。

 そんな簡単によその連中がこの街を正してくれるわけがない。むしり取られるだけに決まってる。


 それから二日ほど経ってから、またあの連中がやって来た。


 あの、妙に偉そうな、俺は何でも知ってるんだよ、って感じの男は居ない。なんでだ? あれがリーダーじゃなかったのか? あの大男も居ない。仲違い? 仲間割れか?

 心なしか元気のない、同じ服装のしょぼい感じの男と、前にも居たちょっと美人って感じのする女、そしてレゼ婆さんとキャス姉さんだけだ。

 レゼ婆さんはワシを一緒に連れていた。キャス姉さんは真っ白なオウムだ。でも二羽とも普通の鳥じゃない。大きさだけで俺の胸ぐらいの高さがあるんじゃないのか? 見た目は大きな鳥だけど、絶対モンスターだ。間違いない。でも、慣れた犬よりも従順に従っている、って感じだ。


 あのリーダー格の男は別の仕事が忙しくて、こちらには顔を出せないそうだ。


 そのかわり、街の取り纏めのためにジェンゲルンとレイミーという二人が協力してくれる事になった。もちろん、レゼ婆さんとキャス姉さんも一緒にだ。


 これにはボードが大喜びで、浮かれまくった所為でガードに追い出されたりもしていた。


 キャス姉さんが家の中にいるのに、自分は外に追い出されるなんて、ってことで、普通なら次は大人しくしていよう、と思うはずなのに、ボードは違った。

 木こり衆が休憩する場所にある物置小屋があった場所に、立派な屋敷を建ててしまったんだ。


 鋼虫が倒した木が森中にあって、それを回収しては有ったんだけど、ほとんどは木材に利用出来ない細い木ばかりだった。

 もちろん、太くていい木材になる木も有ったけど、大部分は、家を建てる時に使う足場用にしか使えそうもない物だ。それを、ボードはぎっちりと組み合わせて板状にすると、交互に重ね合わせ、隙間のない壁を作ってしまったんだ。


 ほとんど廃材扱いの物だけで、しっかりとした屋敷を建ててしまったため誰も文句は言えなかったし、ノウドの家でやっていた打ち合わせがボードの建てた広い屋敷で行われるようにもなった。


 「これで、俺が追い出される事もないだろう」


 それがボードが屋敷を建てた本当の理由だった。格好良いよボード。色んな意味で。


 ま、はしゃいだボードが、その屋敷からも追い出されたのは、誰もが予想してた事だけどな。


 追い出されるたびに、新しい小屋を周りに作ったのは予想外だったけど。


 ボードの建てた広い屋敷で話し合いをする頃には、元気の無かった流れ者が妙に張り切りだした。直接街の様子を見に行ったり、街の人の数や地図みたいなのも作り始めた。

 地図? 俺は初めて見た。なにしろ、この街は俺の生まれ育った所だ。地図なんて無くても道に迷う事なんて全くない。だけど、流れ者にとっては、始めて見る街並みなんだろう。


 「これは大雑把に作った街の地図です。これを見ても判るとおり、街は精霊樹を中心に丸く広がっています。そして、精霊樹から少し離れた所から、街の中間程までが邪霊の影響を受けていた場所です。僕たちとしては、まず、この範囲の人たちを注意して行動しなければなりません。

 ですが、邪霊が浄化されて、今はもう何の影響も出ていないはずです。その影響を受けていた人たちも、ゆっくりですが本来の自分を取り戻してくれるはずです。それが、早いか、遅いかという事もありますが、元々の性格として定着してしまった場合もありますので、『治す』という意識ではなく、『変える』というつもりで対応をお願いします」


 そのジェンゲルンって男が何を言っているのかは判らなかったけど、地図に書かれた円形の範囲の事は心当たりがあった。あの、頭に黒いモヤをまとわりつかせている連中の居る範囲だ。


 俺の家も含めて、その範囲の外に居る人たちは頭に黒いモヤが無い連中が多い。


 ま、たまにそう言うのも居るけどな。でも、街の外に近づくほど、モヤが無い連中が多くなっているのは経験的に知っている。


 「あんた、黒いモヤの事を知ってるのか?」


 思わず言っちまった。誰にも言わないで、俺だけの秘密にしておこうと思ったのに。人の頭に黒いモヤがかかってるのが見えるなんて、頭がおかしいと見られるだけだもんな。


 「黒いモヤですか?」


 「え? 知らねえのかよ?」


 やば、先走しっちまった?


 「この範囲に、黒いモヤが発生しているのが見えるのですか?」


 仕方ねえ。とりあえず話しを合わせるしかねえ。


 「ああ、そこら辺に、頭に黒いモヤをまとわりつかせた連中が多くいるんだ。これって、俺にしか見えないみたいだけどな」


 「なるほど。では、最近はいつ、その黒いモヤを見ましたか?」


 「え? ここん所は、この辺にずっと居たから見てねえ」


 「済みませんが、今から、それを見てきてくれませんか?」


 「い、今から?」


 「はい。直ぐにお願いします」


 なんだ? 俺がガードを見ると、ガードが力強く頷いた。なら、絶対に必要な事なんだろう。


 「判った。すぐ見てくる」


 そう言って飛び出した。


 「どうした?」


 飛び出した俺をボードが呼び止める。三つ目の小屋を造ってた。今度は、外で食事する時に使う水屋っていう建物らしい。木こりじゃなく大工になればいいのになぁ。

 ま、新しい家なんて、本当にたまにしか作られないから、大工なんて要らないんだけどな。


 「ちょっと街の様子を見てこい、って言われたんだ」


 「なんだ? 街になんかあったのか?」


 「いや、そうじゃないんだけど。あ、急ぐから」


 説明がめんどいから、そこで切り上げて走り出したら、ボードが一緒に付いてきた。


 「なんかあったんだろ? 走りながらで良いから説明しろよ」


 きっと暇してたんだな。俺は今まで誰にも言っていなかった黒いモヤの事と、それを言ったら、今から直ぐに確認してくれ、って命令されたと説明した。


 「黒いモヤか。なるほどな」


 「なんだ? ボード? なんか知ってるのか?」


 「ああ、まあ、とにかく、街の連中を見てみようぜ」


 説明して貰うならガードの方がいいから、俺もボードには聞かなかった。


 少し距離があったけど、なんとか走りきり、街の中心街へと入った。ここら辺は派手だけど、嫌な連中のたまり場なんだよな。

 そこで、行き交う連中を眺めてみると、いつもと違った風景だった。


 「黒いモヤが無い?」


 俺のつぶやきをボードがしっかり聞いていたようだ。


 「そうか、もっと別の場所で見てみるか」


 そう言って、俺を別の場所に引っ張られて行った。そこでも、今まで見た黒いモヤは無い。


 「モヤが見えねえ。俺が見えなくなったのか?」


 「そうじゃねえよ。もっとじっくり見てみろ。完全に消えてるか?」


 そう言われて、探るようにじっくりと見た。ボードが居てくれたから良いけど、俺一人が他人をじっくり見つめていたら、どんな因縁をふっかけられるか判らなかったな。


 「なんか、覆い被さるようにあったモヤは無くなってるんだけど、モヤのカスみたいなのが体からこぼれ出ているような感じだ」


 「こぼれ出て、それで、減ってるのか?」


 「うーん。わかんねえ。あ、いや、うん、ほんの少しだけど、少しずつ減ってるかな?」


 「そうか。それで、他には何か気付いたか?」


 「わかんねえ。あんなにあった黒いモヤが、こんなに無くなってる、ってだけで驚きだからなぁ」


 「よし。急いで戻るぞ」


 そして、ボードに引っ張られるように走って、木こり衆の休憩小屋へと向かった。


 「そうですか、ありがとうございます」


 いろいろ報告すると、ジェンゲルって男はそう言って、安心したっていう態度を見せた。


 「なあ、なあ、よくわからねえんだけど、一体なにが、どうなったんだ?」


 「ダガン。俺が後で説明してやる」


 ガードが横からそう言ってきた。それなら安心だな。ボードの説明じゃきっと良く判らなかっただろうな。


 「いえ、黒いモヤが見えたという事は、闇か光に適性があるんだと思います。説明は今、ここで僕が行います」


 ジェンゲルンっていうのがそう言って、今までこの街の真下。地面の下にでっかい城並みの建物が埋まっていると言った。

 昔、この街の直ぐ横で起こった大陥没っていう事件も、それが原因だと言う事も。

 そして、その城並みの建物の一番奥に、邪霊という存在が何十年も前から居たんだそうだ。その邪霊を押さえ込むために精霊樹があり、精霊の願いによって、精霊樹は己の身を犠牲にしてまで邪霊を動けなくしていたらしい。

 でも、その精霊樹にも限界が来ていて、そのままだったら邪霊が外に飛び出していただろう、って事だった。そうなったら、おそらく、一番始めに被害に遭うのはターナの街だっただろうとも。


 精霊樹が邪霊を押さえ込んでいたけど、邪霊の影響は少しずつ漏れ出ていて、それが、俺が見た黒いモヤだと思うと言っていた。


 俺にしか見えないんだから、他人がそれを断言する事は出来ない、ってのも言っていた。ま、そりゃそうだ。


 「しかし、邪霊は浄化され、その影響はもう無くなりました。ダガン君が見た残りカスも、その内消えていくとは思います」


 「俺は馬鹿だから良く判らねえんだけどよ、そもそも浄化ってのはなんなんだ?」


 俺と同じ疑問をボードが言ってきた。でも、俺は自分が馬鹿だとは思ってないけどな。


 「それは、邪霊の件から説明しないとならないですね」


 そう言ってジェンゲルンが話してくれた。


 例えば、人に騙されて死んだ人の恨み。強きモノに捕食されて、噛み砕かれながら喰われていく恐怖の中から生まれた恨み。自分は死ぬのに、生きている他人を羨む事から生まれる恨み。人でも、獣でも、モンスターでも、恨みを持つそうだ。そんな恨みも、本人が死んだらそのまま霧散してしまうらしいけど、その恨みが強く、歪んだモノであった場合、霧散せずに残る場合があるって事だ。ただ、その時点では恨みそのものでしかなく、多少、周りの気分を悪くするぐらいなんだけど、それが寄り集まってくるとどんどん力を増してくるらしい。そうすると、周りに与える影響も大きくなり、近づいただけで何かを恨む気持ちでおかしくなってくる。その状態になると、元の恨みの塊に喰われるそうだ。喰われて、それを更に恨み、喰った方はその恨みを自分の恨みにして、さらに力を増した恨みになっていく。


 その力が精霊並みになったものが、邪霊だそうだ。


 影響されただけで、恨んでおかしくなっちまうような精霊並みの化け物。そんなのが、この街の地下にいたって事か。


 「なんで、そんなのがこの街の地下に居たんだ?」


 「逆なんですよ。邪霊を抑えるために精霊が精霊樹を置いて、その結界の力で押さえ込んでいたのが始まりで、その結界のおかげでモンスターが来ない事を良い事に、街を作ったのってのが後の話しなんです」


 「じゃあ、街の連中は、邪霊の影響でおかしくなりつつ、守ってくれてる精霊樹の力を勝手に使わせろと文句を言ってるってわけなんだ? なんだそれ?」


 街の連中の身勝手なやり方に怒りが沸いてきた。でも、ノウド親方やガード、それにボードまでが目を伏せ、黙ったままだった。皆知ってたんだな。


 「精霊はなぜ、そんな邪霊をそのままにして行ったんだ?」


 「精霊にも、それをどうする事も出来なかったそうです。その時は、そこに闇の精霊が居なかったそうですから」


 「闇の精霊? なんか悪そうだな」


 「とんでも無い。とても重要な精霊ですよ。僕たちが夜にぐっすり眠る時も、闇の精霊のかいなに抱かれて眠るんです。邪霊の恨みを闇の中に溶かし、綺麗にして、その魂を魂の原野に返すのも、闇の精霊の務めだそうです」


 「へ~。じゃあ?」


 「はい。今回は邪霊をしっかりと浄化して、その魂を魂の原野に返したそうです」


 「だから、街の連中から黒いモヤがなくなったってことか?」


 「そうかも知れません。それが正解だとは思いますけどね」


 「じゃあ、もう、解決なんじゃね?」


 「いえ。これからが始まりでしょう。街の住民は恨みの影響で、他人を思いやる心を忘れています。自分が良ければいい、という気持ちと、他人が持つ幸せを妬む気持ちの悪い思いの中でずっと育ってきました。邪霊の影響が無くなったからと言って、生き方を急に変えるのは難しいでしょうね」


 「あぁぁ、ああ。なんとなく判る。ガミガミオヤジが急に親切オヤジにはならないよなぁ」


 「はい。そのために、まずは街を守る結界が消えるという危機意識を持って貰って、住民が一体になって解決策を探るという努力をして欲しいんです」


 街の事を考え、話し合い、街の代表者を決めるという街の住民全員での共同作業をして貰って、この街の住民に、この街の住民である意識を持って貰いたい、って事らしい。

 そんなんで良くなるのか? という質問には、一気には無理だけど、続けていけば意識も変わるはずだと言っていた。


 そういうもんかねぇ。


 そこで、街の代表を決めるための準備が始まった。


 本当は、邪霊による被害が出るはずだったけど、それが完全に無くなったために、代表選びに専念出来るって事だった。そういえば、前、百以上のモンスターが街の北に現れたのも、邪霊の影響らしかった。

 街の地下には魔法を使うゴブリンが主だったそうだ。今の街の魔法使いじゃ、相手にならないレベルだってレゼ婆さんが言ってた。


 レゼ婆さんはターナの街の最高の魔法使いの一人だ。


 そのレゼ婆さんがそう言うなら、完全にお手上げ状態じゃね? そう思っていたら、レゼ婆さんはジェンゲルンたちに新しい魔法を教わっていて、一緒に何十匹ものゴブリンを倒してきたそうだ。


 俺にもそんな魔法を教えてくれないかな?


 「ええ、良いですよ。この街の騒動が収まったら、この街の人たちにも魔法を教えるか考えている所でした。邪霊の影響を受けていないダガン君なら、後で教えても良いと思っています。黒いモヤが見えていた事からも、適性はしっかりあると思えますからね」


 「ほんとか? すげえ! これで街の外に出られる!」


 ダメ元でも言ってみるもんだよな。


 「ああ、それは待ってください」


 「え? 駄目なのか?」


 「駄目じゃなく、ちゃんと使いこなせるように何度も、幾日も練習してからにしてください。

 魔法は道具です。使い慣れない道具を持って、森の中へと入れますか? 使い切れなければ、道具の持つ力を発揮できないまま殺されてしまう事も多いんです。

 だから、どんなに焦った時にでも、自然に魔法を打ち出せるようになるまでは、ちゃんと練習する事を約束してください。いいですか?」


 「お、おう。そうだな」


 ま、言ってる事は判る。


 「それに、森へ出るのに、魔法だけじゃ足りません。剣とまでは言いませんが、使い慣れて、モンスターの一匹ぐらいは倒せる装備も持っていてください。その備えがあるか、無いかで、生き残れるかが決まる事も多いですから」


 そう言われて、俺が持っているのが、小さなナイフだけってのを思い出した。無理を言ってオヤジから貰った物だ。実際、果物の皮を剥く時にしか使った事がない。これでモンスターを倒す? 無理だろう。


 「それでは、さすがに無理ですね」


 やっぱり、言われた。判ってるよ。


 「念のため、これを上げます。これだけで何とかなるモノではありませんが、無いよりはマシでしょう」


 そう言って出してきたのは、銀色をした投げナイフだ。細長い葉っぱという感じで持ち手は小さい。投げると回転するから、持ち手の方はわざと小さく作られている。それを三本渡された。


 「いいのかよ。銀色に光って格好いいなぁ」


 「はい。純銀ですので、こまめに手入れしないと濁っちゃいますよ」


 「ぎ、ぎ、銀? た、高いだろコレ!」


 「まぁ。そこそこはしますね。でも、銀の武器じゃないと倒せない敵もいるんです。狼男とかは一番の相手ですね。スケルトンにも多少は効きますし、アンデッド系には、銀のナイフは必需品ですよ。ここら辺にそう言うアンデッドがいるかは知りませんけどね。

 ダガン君がそれを売り払うのも自由です。持ち続けるのも自由です。誰かに見せびらかすのも自由です。その結果をしっかり想像してください。きっと、ダガン君の未来に、直接関わってくるでしょうね」


 そう言って、さっさと行ってしまった。ジェンゲルンがなんで、こんな高値のするナイフを簡単にくれたのか考えてみる。


 あ、判った。ジェンゲルンは俺を試してる。


 売り払って少ない金にして、それで剣でも買ってもいいけど、その時はアンデッドが出た時に殺されるだろう。持ち続けていたら、いざという時の財産にもなるし、それこそアンデッドが出た時に生き残るチャンスになる。

 そして、もう一つ、誰かに見せびらかせる、ってのも言ってた。

 つまり、誰かに盗まれる危険がある、って事だ。間違いない。


 確かに、銀は高値だ。それを、俺みたいな小僧が持っているのを見せたら、あっという間に路地裏に引っ張り込まれちまう。奪われるだけなら良いけど、最悪なのは殺される事だろうな。充分にあり得る。


 このターナの街だけの話しじゃない。


 他の街でも、銀のナイフを持っているのを知られたら、絶対にマズイ。だけど、持っていないと、いざという時にマズイ。自分の武器を気軽に見せるな、というアドバイスと、備えは何でもしっかりやれと言うアドバイスなんじゃね?


 「絶対に見られない所に入れておかないとな。でも、直ぐに取り出せる所じゃないと意味無いよな」


 なんか、自然に独り言が出た。ま、いいか。今は俺一人だ。


 一瞬だけ、木の陰で何かが動いた気がしたけど、じっと見つめても何も居なかったから気のせいだろう。


 「誰にも見られない所で、練習もしないとならないんだよなぁ」


 慣れない道具では実力を充分に出せない、ってアドバイスも貰ったしな。


 俺はまず、投げナイフを使えそうな、信用出来るヤツを探そうと考えた。が、直ぐに諦めた。そんな器用なヤツの知り合いなんていねえよ。

 しいてあげるなら、木こり衆の親方であるノウドか。


 ノウドなら、投げナイフのやり方は知らなくても、いいアドバイスをくれるだろう。


 ノウドに、狩人に渡りを付けて貰うってのもあるよな。


 とにかくノウドと話そう。俺がオヤジから貰った小さなナイフを、投げナイフとして使いたい、って言えば、なんとかなるんじゃないか?


 「なんで急にそんな事を考えたんだ?」


 ノウドに相談した答えがコレだった。やっぱノウドは鋭すぎるよ。銀の投げナイフを貰ったから、なんて言えないしな。もちろん、ノウドが俺の銀の投げナイフを取り上げるとは思ってないけど、どこからそれが漏れるかは判らない。信用してないわけじゃないけど、俺が原因でノウドに迷惑をかけるわけにもいかないしな。


 「別に、急にってわけじゃねえ。俺はここで木こりになれなかったらこの街を出るつもりだった。だから、本当なら剣でも振る練習した方がいいんだけど、剣を買える余裕もねえ。だから、このナイフで生き残れる方法を考えてたんだ」


 「なるほどな。だが、そんなちっぽけなナイフをいきなり投げちまったら、それだけで終わりじゃねえのか?」


 「投げるのは最後の手段さ。その前に木の棒でも、石ころでも、使えるモノは何でも使って、どうしようもなくなったら、ナイフを投げて逃げる。俺はそれぐらいしか考えられなかった」


 「うむ。その考え方はあってるな。もっとも、一人で街を出る、って所が間違ってるがな」


 「ノウドは昔、街を出て、色んな所へ行ったんだろ?」


 「まあな」


 「その時は何人で行ったんだ?」


 「ああ、あの時は一人だったな。年もお前ぐらいだった。小さな手斧とナイフだけでな。毎日毎日死ぬ思いをして、ギリギリで切り抜けて、生き残った。ほとんどが、始めから終わりまで、ただひたすら逃げるだけ、だったがな」


 「なら、俺にその逃げ方を教えてくれ」


 「逃げ方か? 投げナイフのやり方じゃなく? 剣の振り方じゃなく?」


 「別に俺は、モンスターを倒すために行くわけじゃないからな。この街の嫌な連中みたいになりたくなかったから、街を出るつもりなんだ」


 「はっはっはっは。その嫌な連中にしていた原因は、あいつらに退治されたぞ?」


 「あっ」


 どうしよう、俺が街を出る理由が無くなっちまった。


 「はっはっは。そんな事で諦めるなよ、ダガン。俺もな、この街の連中は一度、よその国に行ってみるべきだと常々思っていた。だが、街の結界を抜けたら、森の中じゃ生きるか死ぬかだけだ。そこへ行けなんて、なかなか言えない事だからな。

 それにな。森の現実を知らないガキどもは、モンスターを倒しまくる自分の姿を夢見てやがる。鋼虫に思い切り斧を振り下ろしても、それが無傷で弾き返されるとは思ってもいない。そんな事もしらないで森に出たら、待っているのは確実な死だ。そんな死に方をした若い連中の話も、聞いた事があるだろう」


 俺は神妙に頷いた。俺が未だハナタレだった頃、近所のガキどもの上に君臨する二つ年上のガキ大将が居た。いつもガキたちを使いっ走りにして、優越感を感じて楽しんでいたクズだった。しかも、口から出るのはいつも夢みたいな話しで、ほとんどはモンスターを倒したという法螺話しだった。

 でも、そんな法螺話しを続けていれば、自分でも本当に出来ると思いこむみたいだった。周りのガキどもも、本当なら証拠を見せてみろと言いだして、とうとう森に出て行ってしまった。


 数日経っても帰ってこないという事で騒ぎになり、大人たちが十数人で結界の外に探しに行く事になった。その結果、結界から普通の家三軒分ぐらいの場所で、ズタズタになった食い残し状態で見つかったらしい。


 そのガキ大将の親が錯乱して泣き叫んでいたのがずっと心に残っていた。


 それ以来、ガキどもだけで集まる事も禁止され、自由に遊べなくなったという不満がガキどもの中に広がったけど、ある程度分別が付く頃になると、親の仕事や家事仕事を手伝うのが当たり前だから、遊んでいる暇もないガキも多くなる。そして、ガキどもも、森の外に出たら死ぬ、という意識だけを持って大人になっていくんだ。


 「お前はそれをしっかりと知っている、判っているみたいだな」


 ノウドが俺の目を見て言ってきた。真剣な男の目だと思った。


 「昔語りに出てくる英雄になんてなれない、ってのは思い知ってる。そして、この世の中は狡くて、油断出来ないってのも。えっと、だからってわけじゃないけど、その……。

 と、とにかく、俺はこの街を出たいんだ。でも、出たとたんに死ぬなんて間抜けもしたくない」


 「うむ。なるほど、良く判った。昔の俺よりも良く判ってるみたいだな。いいだろう。暇があれば俺が経験した事を教えてやろう。

 だから、俺のそばで、あの連中の手伝いをしてろ。それならここに居る意味もあるし、暇になる時を見過ごす事もないだろう」


 「ああ、ありがと!ノウド!」


 そして、今は暇だから相手をしてやろうと言われて外に出された。


 「まずは、すばしっこくなれ。おれが木の棒を振り回すから、お前はそれを避けていけ。一応、遠くに逃げてしまっては練習にならないから、この紐を持って、この紐の範囲でやるんだ」


 大人一人分ぐらいの長さの紐の端を二人で持って、俺はその範囲でノウドの攻撃を避け続ける、って事になった。

 ノウドは手を抜いて、ゆっくりと木の棒を振り回しているのは判る。けど、それを紐の範囲で避けるのはかなり大変だった。


 直接俺に当たるようにはしてないみたいだけど、かすらせる事は狙っているようだ。しっかりと避けたつもりでも、何故か肩や太股、脇腹に痛いのが入る。

 かすっただけでも痛いのに、しっかりと殴られたらどうなるんだよ。


 木こり衆が親方を呼びに来るまでそれが続いた。


 俺はなんだか、もの凄く助かったという気持ちになってる。あのまま続いていたら、やばかったはずだ。うん、未だ生きてる。良かった。


 体中がズキズキ痛むけどな。


 そんな訓練が何日か続いた。続いた分だけ俺はボロボロになったけどな。そして、ノウドの攻撃を三回連続で避けきった後、ノウドは俺に小振りの手斧をくれた。


 「練習用としてそいつをやる。いいか? それは練習用だ。どのくらいの扱いをしたら刃が欠けるのか? どれだけ力を入れたら斧が壊れるのか、って事を知るために、その手斧を壊してみろ。

 ああ、叩き壊せと言う意味じゃねえぞ。俺の攻撃をその手斧でさばいていけ。それを続けて、手斧が壊れる見極めをしろって事だ。攻撃を避ける練習にもなるしな」


 確かに、あちこちボロボロな、かなりの中古品だけど、持ち手もしっかりしているし、金属部分の斧もしっかりと固定されている。木こりの斧にはならないけど、鋼虫に叩き込む時に使う手斧だ。


 めっちゃうれしい。けど、コレが壊れるまで練習を続けるって事なんだろ? 嬉しさ半分、怖さ半分ってヤツだな。


 ノウドは、今まで使っていた木の棒の、倍以上も太い木の棒を持って来た。手斧に対抗するんだから当然だろう、って言われた。他人事なら賛成してたんだけどな。実際にそれを振り下ろされる俺としては、越えてはいけない一線を越えてしまった、って気持ちしかなかった。


 ノウドの振り下ろす木の棒、いや、丸太を、小さな手斧でいなせと言われる。無理だろ!


 片手は紐で引っ張られるし、小さな手斧じゃ丸太には力負けする。どうしろって言うんだ。


 結局、短い休憩時間での訓練で、十数回、手斧を弾き飛ばされただけだった。


 手が痛い。


 ジェンゲルンとレイミーさんの所に大男が戻ってきて、皆は選挙のためのチラシを作ってる。選挙って何だ? でも、ボードをからかっていたフクロウの男は戻ってこなかった。なんでも、別の場所でやる事があるらしい。忙しいんだからこっち手伝えよ、ってんだ。


 木こり衆は仕事をそこそこで切り上げて、ほとんどを選挙ってヤツの説明に回ってる。


 選挙とはどんな事なのか、っていうことを、チラシに書いてあるらしいんだけど、この街の住民はほとんど文字が読めない。教えてくれ、って言えば、教えてくれるヤツも居るんだけど、文字が読めたからって役にはたたねえ、ってのがほとんどだ。だから、書いてあるチラシを渡す時に、詳しく説明するんだそうだ。


 説明してチラシを渡す事で、後から聞いてねえよ、って言うのを防ぐって事らしい。


 念のため、とか言ってるけど、どれだけ用意周到なんだか。コレじゃ、文句も言えなくなってるんじゃね? でも、邪霊とかいうのが居なくなったから、その文句も出にくいのかな?


 そうじゃなかったけどな。


 何にでも文句を言える機会があれば文句を言ってくる、ってヤツはいるモンだ。


 その日、もう夕食の時間に近づいた頃、ノウドの所へ四人の男たちが来た。ちょうどノウドと訓練していた所で、外には俺とノウドだけしか居ない。


 なんか嫌な感じがする。


 そう思った瞬間に、四人のうちの三人がナイフを抜いた。後一人は? よく見たら精神集中しているような感じだ。もしかしたら魔法使いか? 魔法使い独特の格好はしてないのは、それを隠すためか?


 「なんだ! てめえら!」


 ノウドが叫ぶ。これは威嚇のためであり、屋敷の中に居る誰かに気付かせるため。


 でも必要だったのかな? 叫んだ直ぐ後には、もともと持っていた丸太を振り回して、一番先頭の男のナイフを弾き飛ばしていた。さすがだぜ。いつも俺の手斧だけを弾き飛ばしているだけはある。


 なら、俺は俺の役割をしないとな。


 ナイフを弾かれた男が、飛んで行ったナイフの所へ向かおうとしているのを、手斧を突き出して牽制する。その間にノウドが二人目のナイフを弾き飛ばした。


 ノウドも俺の動きを見ていたようで、一人目のナイフと同じ方向に二人目のナイフを弾いた。


 俺の役割はこの二人を牽制する事になった。残りの二人はノウドが片を付けてくれるはず。


 すげえぜ、自分でやっておいて感心する。これが戦いにおける連携ってヤツなんだな。ノウドが旅の仲間が出来た時の話しを、しっかり聞いておいて良かった。


 三人目のナイフも飛ばされ、得物を持っているのはいなくなった。一応、魔法使いは居るけど、この状況で魔法を撃つのは無理だろう。俺とノウドに牽制されて、三人とも一カ所にまとまりつつある。そこに魔法を打ち込んだら、五人とも黒こげにされちまう。


 「さあてお前ら。俺に何の用があったのか、じっくり聞かせてもらおうか」


 もう詰みだろう。って思ったのに、何を勘違いしたのか、魔法使いがデカイ火の弾を作って掲げ上げた。


 ヤバイ、嘘だろ。あんなのをぶつけられたら、まず命は無い。俺だっていう区別もつかなくなるかも知れない。一瞬、食い残し状態だったというガキ大将の事を思い出した。俺があの火で死んだら、母ちゃんが同じように泣き叫ぶのか?


 なんか、ゾッとした。血の気が体中から引いていくようだ。寒くさえ感じる。体中から力が抜けていく。


 「見極めて避けるぞ。今までさんざんやって来たんだ、出来るな」


 ノウドの言葉が俺を現実に引き戻した。そうだ、目の前で振り回される丸太を避ける訓練ばかりしてきたじゃないか。あの程度、何を恐れる必要がある。

 改めて見てみると、魔法を放とうとしている魔法使いの腰が引けていた。もう、ヤツ自身は逃げたがってる訳だ。手斧を握る手に力が戻ってきた。


 見極め、避けて、魔法使いをうつ伏せにして押さえつける。やる事はこれだけだ。ちっ、びびって損した。


 「う、おおおおおおおおお!」


 俺は魔法使いを睨み付けて叫んだ。腹から声を出すと、しっかりと力が漲る。


 「はっはっは。魔法使い! もう諦めるんだな」


 俺の叫びにびびった魔法使いに、ノウドが余裕を見せて語りかけた。これで詰みだろう。


 なのに。


 「そんな事できるか~!」


 訳のわからない事を叫んで、魔法使いは火球を俺たち五人の居る場所へ撃ち出した。


 「馬鹿野郎!」


 そう叫んで俺は真横に飛んだ。


 でもノウドは違った。


 ノウドは手の届く所に居た暴漢二人を思い切り投げ飛ばしたんだ。自分の命よりも自分を襲ってきた暴漢の命を守るために。

 そのせいで、徹底的に遅れた。避ける事が間に合わない。


 俺は横に飛び出した姿勢を直す事も出来ていない、そんな刹那に、ノウドは残った暴漢一人に覆い被さった。自分の背中で火球から暴漢を守るために。


 何やってんだノウド! 俺はそう叫びたかったけど、そんな余裕もなく魔法使いの火球が直撃した。


 瞬間、火球が弾け飛んだ。


 ほんの少しの遅れで、ノウドが吹く飛ばされる。


 「ノウドー!」


 やっと声が出たのは、ノウドを呼ぶための叫びだった。周りには火球の熱が充満している。


 俺は立ち上がってノウドの元へと走り出した。もう、周りなんて見ていない。ノウドの無事だけを知りたい。でも、近づいて覗き込んだ姿は、俺の足から力を奪い去った。


 黒かった。炭だ。人の背中が炭になってやがる。


 「うわああああ!」


 俺は訳が判らなくなった。ただ叫んで魔法使いに手斧を投げつけた。ほとんど八つ当たりだ。


 でも、その魔法使いは次の魔法を撃とうと準備をしてやがった。そこに俺の投げた手斧が当たった。でも、元々投げるための手斧じゃないし、俺の投げ方も酷かったせいで斧の刃が食い込む事は無かった。単に鉄の塊をぶつけただけだ。

 それでも、普通に大人に殴られるよりも衝撃があったらしく、大きくよろめいた。戦闘不能じゃない。よろめいただけだ。


 魔法使いはノウドが倒れ、俺だけしか居ない事に余裕を取り戻したみたいだ。イヤらしい笑いを見せて、また魔法の準備を始めた。


 俺は、オヤジから貰った方のしょぼいナイフをとりだして構え、魔法使いの方へと走った。魔法使い相手なら、これでも充分に勝てる。

 そう思ったのに、今度は、ノウドに助けられた暴漢が自分のナイフを拾い上げ、ノウドにトドメを刺すために動いていた。


 「何やってんだテメエ!」


 魔法使いの方に走るか、ノウドの方へと走るか、迷った。直ぐには答えが出ない。どっちも直ぐに取り押さえないとならないのに!


 その次の瞬間、俺はベルトの内側に隠しておいた銀のナイフを取り出し、ノウドの方へと走る暴漢に投げつけた。そして、俺自身は魔法使いの方へと走る。


 間に合うか? 上手くいくか? 全部上手くいってくれ!


 俺の頭の中は、ただそれだけになった。


 だけど。


 投げた銀のナイフは暴漢の後ろに逸れた。俺自身は魔法使いに体当たりをぶちかましたけど、ノウドへと迫る暴漢を止める事が出来なかった。


 ノウドー!


 声に出す余裕もない刹那の時間、心の中で叫んだ。一瞬、ボードやガード、木こり衆の顔が浮かんだ。ノウドを大切に思う人たちの顔だ。その顔が俺を責めるように感じた。


 なんで、守りきれなかったんだ?


 イヤだ! 俺はまた、心の中で叫んだ。


 次の瞬間。


 暴漢がいきなり横に吹き飛んだ。


 「え?」


 倒れたノウドはそのままなのに、暴漢だけがノウドを飛び越して、積んであった丸太に顔から突っ込んだ。


 「ぐっ」


 俺が体当たりした魔法使いも体勢を整えだした。そして、その魔法使いもいきなり吹き飛んだ。


 俺の直ぐ横に居たのに、普通の家、二軒分ぐらいは飛んで行った。


 「な、なんだ?」


 吹き飛んだヤツらの反対方向を見ると、そこにジェンゲルンが居た。


 凄く悲しそうな顔をしている。でも、手を振り上げて何かを言ったかと思うと、もう一人の暴漢も同じように吹き飛んでいった。


 「魔法?」


 そうだ。レゼ婆さんが言っていた、この街の魔法とは違う魔法だ。


 その確認をするかのように、最後に残った暴漢も吹き飛ばされていった。今度は判った。風だ。ジェンゲルンは風を使って暴漢四人を吹き飛ばしたんだ。

 余程の衝撃だったんだろうな。四人は完全に気絶して、しばらく動きそうもなかった。


 その四人を無視して、ジェンゲルンはノウドの所へと歩いて行った。俺も、それに続く。


 「良かった」


 ジェンゲルンがノウドを覗き込みながらそう言った。何処がだ? 何処に良かったとか言える余地があるんだ?


 そう言おうとしていたら、ジェンゲルンがカバンから小瓶を二つ取り出した。


 その一つを開けて、中の液体をノウドの背中にかけている。もう一つの方は、ノウドを起こして、その口の中に無理矢理流し込んでいた。


 なんだ? あれ? ジェンゲルンのやる事だから、悪い事じゃないとは思うけど、訳が判らないのはどうしようもない。


 「な、なあ?」


 どういう事か聞こうと声をかけたら、ノウドが動き出したのに気付いた。


 「ノウド?」


 「あ? ダガンか。おめえ大丈夫だったか?」


 「何言ってやがる。ノウドの方が重症じゃねえか。とにかく家に運んで医者呼ばなくちゃ」


 「ああ? ダガン、何言ってやがんだ? しっかりしろ。大丈夫か?」


 「どうしちまったんだよ、ノウド! しっかりしてくれ」


 なんかおかしいとは思ったけど、とにかくノウドの怪我をどうにかしないと、と思っていたら、ノウドがあっさりと立ち上がった。


 「ったく、酷い目にあったもんだな? ダガン?」


 全くいつもの調子のノウドだ。


 「ノウド! 背中! 背中は大丈夫なのか?」


 「ああ? ちょっとヒリヒリするが、特に痛みはないな。どうにかなってるか?」


 そう言って見せてきた背中は、炭がこびりついているように見えるけど、その下には普通の皮膚が見えていた。手で払ってやると、炭は完全に落ちて、普通の背中が見えている。


 「あ? あの火傷は何処行ったんだよ」


 「火傷? ああ、そう言えば、魔法使いの火の玉を受けたんだったな」


 「何、人ごとみたいに言ってんだよ。俺はノウドが死んじまったかと思ったぜ」


 「服はひでえ状態みたいだけどな。なんか、体は前よりも調子いいみたいでなぁ」


 「あ、ジェンゲルンがなんかしてたんだ。魔法かなんかで傷を治しちまったのかな?」


 そのジェンゲルンは? と、探すと、ジェンゲルンは暴漢たちをロープで縛り上げている最中だった。


 「おっと。俺も縛り上げるのを手伝わないとな。ノウドは着替えて来いよ」


 「おお、そうだな。ダガン。一応言っておくが、手荒な真似するんじゃねえぞ」


 「……判ってる。なんか、その気も失せちまったぜ」


 正直、俺の必死の戦いは何だったのか? ってぐらいに、あっさりと片がついちまった。あれが、レゼ婆さんが言っていた、この街の魔法使いとは比べモノにならない本当の魔法使いってヤツか。


 俺が気を失った魔法使いを、魔法使いの服を切り裂いて作った即席の紐で縛り上げていたら、三人を縛り終わったジェンゲルンが近づいてきた。

 その手には、俺が投げて外した、役に立たなかった銀のナイフがあった。


 少し笑っているような、悲しんでいるような、ちょっと複雑な顔をして、銀のナイフの柄の方を俺に向けて差し出してきた。


 俺は、その銀のナイフを受け取る資格が無いように感じていた。


 銀のナイフを役立てる事が出来なかった。それに、その銀のナイフを受け取ると言う事は、目の前でノウドを失うと感じた時に心を襲った恐怖が、何度も襲いかかってくるという気がしたから。


 怖い。


 有効利用できない自分が怖い。また、大切な誰かを失うかも知れないという怖さも。


 俺は、差し出された銀のナイフを直視出来なくなって、下を向いて目をつむった。


 「怖いです」


 俺はそれだけを、ようやく声に出せた。


 「良かった」


 ジェンゲルンがいきなりそんな事を言った。何が良かったんだ? 俺は怖いって言ったんだぞ。


 「いっぱい、怖い思いをしたんですね。自分が死ぬ怖さ。誰かが死ぬ怖さ。誰かを死なせる怖さ。もっとありましたか?」


 俺は驚いて、顔を上げてジェンゲルンを見つめた。


 「もっと、怖さを知ってください。もしも、ダガン君が傷ついた時に、それを悲しむ人が居るという怖さ。誰かを傷つけた時に、その人の事を大切に思っている人が悲しむという怖さ。この世界は、とても残酷で、そんな怖さを避けられない人が大勢います。

 ダガン君は、そんな人たちを助ける事が出来ますか?」


 「お、俺は、怖くなった臆病者だから……」


 「僕は、その怖さを知っていないと、悲しむ人を助けられないと思います」


 「敵を倒すだけじゃ、人を助けられない、ってのは判ります」


 「はい。そして、ダガン君は、人を助ける事ができる可能性をしっかりと持っていると思います。

 ですが、これからも、怖い思いをし続けなければならないでしょうから、わざわざそんな事をする必要もありませんね」


 俺はジェンゲルンが差し出している銀のナイフをもう一度見つめた。


 「選ぶのはダガン君です。そして、選んだ答えは、誰にも責められません。ダガン君の命です。ダガン君を失った場合に悲しむ人たちも居ます。よく考えてください」


 俺はどうしたい? ただ、この街を出て、他の場所に行きたかっただけじゃないのか?


 俺は、別に、英雄になりたい訳じゃない。モンスターを倒して、他の誰かに崇められたいわけじゃない。わざわざ人助けをしたいわけじゃない。


 って、何を考えてるんだ、俺は!


 俺は見たんだ。


 自分を襲ってきた暴漢をかばって、大怪我したノウドを。


 四人の暴漢をあっという間に吹き飛ばしてしまった魔法使いを。


 見てしまったんだ。


 もう、忘れられない。


 だから。


 だから。


 「お、俺を、弟子にしてください!」


 俺は、全力でこの人に追いつく! そして、ノウドのような男になるんだ。

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