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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
幕間 密かに進む準備
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幕間 悪魔の囁き ―― 『長嶺 鈴』

「――ねぇ、知ってる? C組の永野って男子が暴力沙汰起こしたって話」


「あ、うん。知ってる、よ」


「あの男子って、去年確か鈴ちゃんの事……」


「う、うん。そう、だけど……」


「あ、ごめん……。でもさ、やっぱりそういう男だったんだから、フラれて良かったじゃない」


 苦い笑いを浮かべながら、友達はなんとかフォローしようとしてくれていた。


 そんな奴と付き合わなくて良かった、とか。

 私みたいなボーッとしている子だったら、騙されて遊ばれたんじゃないか、とか。


「――……永野クンは、そういう人じゃないよ」


「え?」


「あ……、ううん。何でもない。ちょっとトイレ行って来るね」


「あ、うん」


 つい言い返してしまった。

 でも、小さな声で呟いたその言葉は、友達の耳には入らなかったみたい。


 慌てて教室を飛び出した私は、廊下を歩きながら溜息を吐いた。











 去年の初夏。

 聖燐学園に入学して少しした頃だった。


 私――長嶺 鈴は、隣のクラスの男子生徒、永野クンに告白して、ふられた。


 彼とD組にいる私はあまり話した事もなくて、今思えば私は、恋に恋していたんだと思う。


 C組にいる、気さくで明るい男子。

 そんな話を、同じ女子バスケ部の友達から聞いた事があった。


「鈴はさー、少し静か過ぎるからねー。永野みたいな男子と付き合ったら意外と性格変わっちゃったりしてね」


 C組の青宮 楓ちゃん。

 楓ちゃんはおっとりとしているというか優柔不断な私とは違って、少しだけ気の強い明るい子。

 そんな楓ちゃんが、ある日部活帰りにそんな事を突然言い始めた。


「つ、付き合うって、私が……!?」


「あれあれー? 鈴の顔少し赤くなってるぞー?」


「へ、変な事言わないでよ……! 私は、別に……!」


「あはは、鈴ってば可愛いー。今度ウチのクラスに来なよ。永野なら多分、鈴みたいな可愛い子には優しくすると思うし」


「もう……、からかって楽しんでるんでしょ……」


 おかしな事を言われて、私は楓ちゃんに向かって口を尖らせながら文句を言った。


 ――そんな話をして数日後。

 私は楓ちゃんに貸していた教科書を返してもらいに、C組に向かった。


 隣のクラスに足を踏み入れるっていうのは、ちょっとだけ緊張する。

 だから私は、C組の教室、扉の前で楓ちゃんに声を気付いてもらえるように、視線を送っていた。

 楓ちゃんのクラスメイトの女子に声をかけて呼んでもらおうかとも思ったけど、何やら話し込んでいて、私には気付いてくれなかった。


「誰かに用事?」


「え……、あ、ハイ! あの、楓ちゃん――じゃなくて、青宮さんを……」


「あぁ、ちょっと待ってな」


 不意に声をかけられて、あたふたしながら答えた。

 情けない姿を見られたなぁ、と思いながらしばらく待っていると、楓ちゃんが声をかけてくれた男子に言われてこちらを振り返り、私を手招きした。


 教室に入れなんて、ハードル高いよぉ……。


 心の中で半ば泣きそうになりながら、私は恐る恐る教室に入って行った。


「ごめーん、返しに行こうと思ったら忘れちゃってたよ」


「もう、そうだと思った……。次の授業で使うから」


 悪気のない笑顔で、楓ちゃんが謝ってくる。

 彼女のそれは、別に私を蔑ろにしたとかそういうものじゃなくて、少しだけおっちょこちょいな部分があるからだ。

 憎めない、というか、そういう部分も含めて楓ちゃんという人だと思う。


 教科書を私に手渡そうとして、受け取ろうとしたら。

 楓ちゃんは私の教科書を握ったまま、離そうとはしなかった。


「か、楓ちゃん……?」


「で、どうだった?」


「どうって、何が?」


「今私に声をかけてきたの、あれが永野だよ」


「え、えぇ……!? どうって言われても……!」


 楓ちゃんの視線の先を追いかけるように、私もそちらを見る。


 ウチの学園にはあまりいない、どっちかと言うとちょっと不良っぽい感じ……?

 髪の毛を染めてたりとか、態度が悪いとかじゃなくて、少しだけ脱力してるような素振りで他の男子と喋ってる。


 こう言うのもちょっとおかしいけれど、ウチの学園の男子は少しだけ物静かなタイプの人が多い。女子が多いからかもしれないし、それなりに偏差値の高い学校だからか、真面目って感じの生徒が多かった。


 でも永野クンは、ちょっとだけ違う。

 そんな気がして、ついぼーっとその姿を観察するように、私は永野クンを見ていた。


「あれあれー? これはもしかして、脈ありなのかなー?」


「へ……? え、あの、そういう訳じゃ……! と、とにかく私、行くからね!」


 横から顔を覗き込んできた楓ちゃんに、私は慌てて答えた。

 楓ちゃんはこうやって私をからかうのが好きらしい。


 思えば、この時からだった。

 私は彼を少しだけ、他の男子に対してとは違った目で見るようになったのは。

 もし付き合ったら、なんて言われたせいで、ちょっとだけ意識してしまうようになってしまった。


 今なら分かる。

 それは恋じゃなくて、ただちょっと意識しちゃっているだけだって。

 私は永野クンの事も知らないし、永野クンは私の事なんて知らないだろうし。


 それは別に、恋なんかじゃなかった。

 少なくとも、当時の私にとって(・・・・・・・・)は。




 ――浮かれた。

 それは多分、淡い、恋の一歩手前の感情だったと思う。


 楓ちゃんにからかわれている内に、段々と私の中で想いは育まれていくようだった。


 今まで人を好きになった事はなかった。

 というより、そういう環境にいなかったからかもしれない。


 女子中で中学時代を過ごしたせいか、恋にはならない憧れ程度の感情が関の山だった。


 だから、浮かれた。

 毎日が少しだけキラキラとしているような、永野クンの顔を見るだけでちょっとだけ嬉しいような、気恥ずかしいような、そんな感情に私の胸は満たされた。


「もうさ、告白すれば良いんじゃない?」


「はぇぇ!?」


 楓ちゃんにいきなりそんな事を言われたものだから、変な声が出た。


 そのままあれよあれよとセッティングされて、校舎の裏に呼び出す形になってしまって。

 自分の気持ちがはっきりと定まってもいなかったのに、告白する場を設けられてしまった。


 わざわざ永野クンを呼び出してもらって、告白の舞台を整えてもらった。

 だから、なのかもしれない。


 告白しなくちゃって、自分にそう言い聞かせた。


 でも――――



「――ごめん、付き合えない」


 ――その言葉を聞いて、私は居た堪れない気持ちでその場を後にした。







「す、鈴……?」


「あ、はは……、フラれちゃったよ、私……」


 酷い顔をして、私は楓ちゃんと待ち合わせていた部室に辿り着き、泣いてしまった。


「わ、たし……、自分が嫌いになりそう……」


「ど、どうしたの? 何か酷い事言われたの?」


 ただ勝手に浮かれて、流されるように乗せられて告白して。


 違うの、楓ちゃん。

 私は、間違っていたの。

 声に出そうとしても、泣いているせいでうまく言葉に出来なかった。


 私は、永野クンの事を好きな訳じゃなかったんだと、ふられて初めて気付いた。


 浮かれて、セッティングされた告白。

 私は本当に好きな訳じゃないのに。

 もちろん、付き合えるならそれは嬉しかったかもしれないけれど、きっとそれじゃダメだった。


 それなのに、永野クンは真剣に考えてくれて。

 どうしようもなく辛そうな顔をして、私にノーと答えた。


 その瞬間、私の浮かされた気分は一気に熱を失って、気付かされた。


 自分がこんなにも単純に、あっさりと、軽々しく口にした好意の言葉が。

 憧れにも似た感情で見ていた相手に、あんなにも辛そうな顔にさせてしまったんだ、と。


 泣きながら戻って来た今になって、私は気付いてしまった。

 私は今になって、本当に永野クンの事が好きになってしまった、って。


 気付くのがあまりにも遅い自分が、本当に嫌だった。


 今更戻っても、もう永野クンはきっと、あの場所にはいないから。

 もしまた私がこの気持ちを告げたりしたら、永野クンはまたあの顔をするって分かってしまったから。


 気付いた初恋は、同時に叶わないものだと知らされてしまった。

 それが辛くて、私は泣いた。




 その後、楓ちゃんは私が酷い事を言われたのだと勘違いして、それを他の子に言ってしまった。

 そのせいでおかしな噂が流れた。


 永野クンが告白した女子――つまりは私に、暴言を吐いたって。


 私はそんな事されてないって楓ちゃんに説明して、永野クンに謝りに行こうって、そう言った。

 楓ちゃんだって噂になるなんて思いもしなかったらしくて、それを同意して永野クンを呼んでくれた。


 面と向かって話すのは、あの告白以来初めてだった。

 心臓が壊れるんじゃないかって思うぐらいにドキドキしていて、それと同時に怖かった。

 彼に嫌われているんじゃないかって、そう思ったから。


 変な噂が流れてしまった事で、私は名前が伏せられているから良かった。

 だけど永野クンは、その名前をそのままに噂が蔓延してしまっている。

 そんな噂の原因になった私を、彼は嫌っているんじゃないかって思った。


 ようやくやって来た永野クンと、ふと目が合った。

 彼は少しだけ気まずそうな顔をしながらも、それでも軽く挨拶をしてくれた。


「ごめんなさい、永野クン……。私のせいでおかしな噂が流れちゃって……」


「あー……、あの噂か」


「待って。元はといえば、私が鈴の事を勘違いして勝手に友達に喋っちゃったのが原因なの。だから、鈴は責めないで」


 私が最初に謝ると、楓ちゃんは永野クンに事情を説明した。

 その様子を見ていた永野クンは、「そっか、そういう事か」と何かに納得したような顔をしていた。


「あの、永野クン。私からみんなに言うから。永野クンは悪くないし、そんな事言われてないって、ちゃんと説明するから……!」


「……そりゃ無理だろうし、やめとけよ」


「え……?」


「学園の全員の前で、自分はただフラれただけだ、みたいに言うつもりか? そんなの言いたくないだろ」


「そ……、それは、そうだけど……。でも、だからって永野クンが責められる必要なんて……!」


「まぁ、放っておけば良いだろ。噂なんてすぐに忘れられちまうだろうし、別に俺は気にしちゃいねぇから。

 それに、俺もちょっと色々高校デビューっつか、少し背伸びしてはしゃぎ過ぎたからな。なんつーか、明るく振る舞うのに疲れてきたトコだったからさ。今みたいに周りから少し疎遠にされてるぐらいの方が、気楽っちゃ気楽なんだよ」


 彼はカッコつける訳でもなく、まるでそのついでだとでも言わんばかりに、私と楓ちゃんにそう言った。

 この事は、誰にも言わないって約束してくれ、と付け加えて、気にする事はないと言って帰って行った。











 やっぱり、あの永野クンが暴力なんて振るうような人であるはずがない。

 男の子だから、怒ってカッとなったりして、ってなったら分からないけど……。

 でも、やっぱりそんなハズはないと思う。


 きっと、何か事情があったに違いないよ、うん。

 それを暴く事が出来たら、この噂もどうにかなるのかなって思うんだけど。


 もし何かが出来たら……。


 一年前のあの一件から、今もまだ私は彼に恋をしている。

 だけどきっと、それはもう伝えられない。

 私にそんな資格はない。


 ただ、あの時永野クンを振り回してしまった私なりの贖罪に、何か力になれれば良いのに。それだけで、あの時に止まってしまった私の時間は動くような、そんな気がする。


 ……結局それも、また私の勝手な気持ちで、永野クンの為とは言えないかもしれないけれど。


「――長嶺さんー?」


「ふぁ……?」


 トイレから教室に戻っている最中、突然声をかけられた私は、声の主を見た。


 少し背の高い、胸の大きい女の子。

 メガネをかけているけど、コンタクトにしたら凄くモテそうな子。


「え、あ、兼末さん。ごめんね、ちょっと考え事してて、気付かなかったの」


「いやいやー、急に声かけてごめんねー」


 今まであまり話した事のない子だった。


 特待生は私みたいな一般入学の生徒とは、ちょっとだけ雰囲気が違うっていうか。

 ウチのクラス以外でもそんな印象があるけど、兼末さんは特にそう。

 あまり周りと話したりしないで、達観しているって言うのかな。

 そんな印象がある。


 いきなりどうしたのかなって思って首を傾げた私に、兼末さんがニヤリと笑った。


「永野悠木クンの事、知ってるよね?」


「え……?」


 不意に彼の名前を出されて、私は思わず声を漏らした。


「彼が今、おかしな噂を流されててるのも知ってるよねぇ?」


 質問の答えと受け取ったのか、兼末さんはニヤリと笑った笑みを崩さずに続けた。


「少し、その噂を払拭する為に協力してくれたりしないかなー?」


 私が、協力する?

 どうやって?


「一年前の事を返す、良い機会になるかもね?」


 不意に顔を寄せて告げてきた兼末さんから、私は思わず目を逸らした。


 一年前の事。

 間違いなく、あの告白の後の事。


 どうしてそれを、兼末さんが知っているの?


 それが良い事なのか、隠さなきゃいけない事なのか、咄嗟に私は判断出来なかった。


「彼の一年前の噂も今回のおかしな噂も、長嶺さんが手伝ってくれるだけで全部綺麗に片付くと思うんだよねー」


 まるで独り言を呟くように、兼末さんが顔を離して廊下の外を見つめて言い放つ。





 ――それはまるで、悪魔が契約を迫る素振りのようにすら聞こえた。




 得意気な言い回しも、その態度も。


 何より、私がつい望んだ贖罪を示すような、その口調そのものが。




「……どう、すれば良いの?」




 私の答えに、兼末さんは口角を上げて振り返った。

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