#007 浅慮な行動
聖燐祭まで、残すところ一週間。
学園内はすでに聖燐祭に向けた準備に取り掛かり、生徒達もどこか浮足立った様子で授業を受けている。
制作段階の看板などが立てかけられていては、気もそぞろになるだろう。
雪那は授業中にそんな事を考えながらも、ノートにシャーペンを走らせていた。
(……最近、悠木クンとゆっくり話せてないなぁ……)
先程まで軽快に滑らせていたシャーペンの動きが、ピタリと止まった。
朝は制作や各出し物の準備作業や、それらの経費を計算し、生徒会へと提出する。
午後は各クラス、部の代表との打ち合わせに充てられ、帰りも遅い。
つい数日前までは食堂で何だかんだと過ごしながら、自分が帰るのを待っていてくれたような、そんな悠木であったが、この数日は顔も見合わせていない。
(八つ当たりばっかりだったから、少し敬遠されているのかしらね……)
自嘲気味に、雪那はそんな事を考えながらも再びシャーペンを走らせた。
同じ実行委員の三神。
彼には当初程付き纏われることもなくなったが、実行委員という立場上行動を共にする事が多い。
さらに仕事の繋がりからか、最近はレイカとも接触しなくてはならなくなった。
それらが雪那の精神的な疲労を蓄積させている故に、悠木や水琴を見るとつい愚痴の一つでも零したくなる。
だからと言って、愚痴ばかり言ってごめんなさいと謝るのも、それはそれで難しいのだ。
自分だけが気にしていて、ただ悠木が悠木なりに忙しいだけであって、もしもそれが自分だけの杞憂であったなら気恥ずかしいだけだ。
大人に近付いたとは言え、まだまだ心は成熟したとは言えない。
そんな小さな外聞を気にする矜持とでもいうべきか、それが邪魔をしてうまく接点を持てずにいた。
(日和祭りに続いて、聖燐祭でまで一緒に回れないなんて。私、よくよく祭りというものに嫌われてるのかしらね)
教師の声が響き渡る教室内で、誰に聞こえるでもない小さな嘆息をする。
実行委員の仕事は多岐にわたる。
その中には学園外からの来客の案内や、イベントの整理スタッフの手伝いなども含まれている。
当然、自分の自由な時間も存在するにはする。
しかし同時に、いつ呼び出されるかも分からない不自由な時間でもある。
下手に悠木を誘って、すぐに呼び出されたりすれば悠木にとっても迷惑な話だろうと雪那は考えている。
――故に、雪那は悠木を誘えない。
誘ってまで失礼な真似をすれば、それこそ人として間違っていると考えてしまったからだ。
その一方で瑠衣が悠木を誘ったという話は、雪那の耳には届いていなかった。
どうせ悠木の事だ。
最悪、暇を持て余したら部室あたりでダラダラと過ごしているのではないだろうか。
そう当たりをつけて、自分も暇が出来たら部室に篭もろうかとも考えている始末であった。
実際のところ、そんな悠長な暇を持て余せるかと訊かれれば答えはノーではある。
それは雪那も理解していた。
今回の聖燐祭は、これまで行われてきたそれとは違う傾向が強く、お祭りと呼ぶに相応しい騒ぎになりつつある。
混乱を招く可能性もあるし、上級生イコール経験者というカテゴリに当てはまらない。
ましてや元々、ここは有り体に言えばお嬢様学園だったのだ。
すでに出し物として提案されてきた内容には、学園祭という枠を飛び出すようなスケールの提案などもあった程である。
かつての女子寮から合同寮に引っ越す際に、家の者を呼んだ生徒達も多い。
それを学園祭でまでやろうとするなど、常識が通用しない生徒も少なくなかった。
その点で、新生徒会長の美堂レイカという存在は大きな抑止力になったと言えた。
彼女がそういった行動をしない、させないと宣言したおかげで、彼女がやらないのならばと追従する形で意見を曲げてくれた生徒も少なくなかったのだ。
平凡な生活水準というものをある程度学んでいる雪那も、何処のマンガの世界だと言いたくもなったが、結果として騒動は収まってくれた。
そういう意味では、レイカの持つカリスマと言うべきか、はたまた威光と言うべきか。
そういったものには感心させられたものである。
――が、雪那とてそれだけでレイカに対する印象を好転させるには至らず、せいぜいが「ある程度常識があるのね」と考える程度に収まっているのだが。
(そういえば、あれから彼も静かになったものね)
悠木に関する点でとやかく言う人物、という共通点から、雪那はふと教室の中でちらりと視線を向ける。
三神奏の姿だ。
あれだけキツい物言いで反論しただけに激昂するかもしれないとは思っていたが、意外にも大人しいものだ。
雪那はそんな三神の態度に安堵していた。
――それは、雪那に対して見せている態度だったに過ぎないのだが、それを雪那が知る由もなかった。
◆ ◆ ◆
「単刀直入に言う。櫻さんをくだらない部活に連れ込むのは辞めて欲しい」
「……は?」
聖燐祭まで一週間となった、金曜日の放課後。
俺はかつて雪那と一緒にいたキザ風な男に呼び出され、そんな言葉を告げられた。
何が悲しくてこの蒸し暑い中、よりにもよって校舎の裏なんていう昭和のヤンキー魂溢れる場所に連れ込まれたと言うのか、問い質してやりたい。
日陰とは言え、まだまだ暑いんだぞ。
しかも、女子からの告白ではなく男子からの文句。
まったくもって胸が踊らない。
「彼女はくだらない部活に時間を費やして良いような、そんな存在じゃない。だが、彼女に言ってもそれを聞いてはくれないからね。しょうがないから、こうしてキミみたいなヤツに、わざわざ忠告しに来たんだ」
俺みたいなヤツってどんなヤツだ。
カチンと来るな、この言い方。
「アイツが何をしたくて何がしたくないのかなんて、選ぶのはアイツだろ。何でお前がとやかく言う必要あるんだよ」
俺の言葉に、キザ男は明らかに苛立った様子で顔を歪ませ、自分を落ち着かせようと嘆息した。
「……失礼だな。初めて会ったのにお前呼ばわりなんて。そういう程度の低さを少しは改めるべきだろうね」
余裕ぶってる割に顔が引き攣ってるぞ、キザ男クン。
分かりやすいな、このキャラ。
「あぁ、悪いな。俺は温室育ちのお坊ちゃんとは違うんでな。じゃあせめて言い方を変えるか。
アンタが雪那の事を、しかも俺に言うなんて意味が分からん。言いたい事あるなら雪那に言えば良いだろうが」
「言ったさ! ……だけど、彼女はどうも納得してくれなくてね」
「だったら俺に言ったって意味ねぇだろ……」
「いいや、違う。彼女はきっと、キミ達のような人間に毒されてしまっているだけなんだ。キミ達から距離を取ってさえくれれば、それだけで彼女は救われる」
…………。
「……何お前。頭湧いてんの?」
「な……っ!?」
「救われるとか救われないとか、新手の宗教か何かみたいなご高説聞かされてもな」
「彼女の為にならないと言っているんだ!」
「……それこそ、他人が決める問題じゃねぇって言ってんだよ――」
誰かの為とか、そんな建前で自分のワガママを正当化しようなんて反吐が出る。
――「悠木の為を思って言っているのよ」
嫌な記憶が蘇る。
そこまで苛つく必要もないのに、あの時の言葉を思い出して無性に苛立ってきた。
「――雪那の為とか言いながら、結局はお前が気に喰わないだけだろうが」
睨み付け、吐き捨てるように言葉を告げる。
別にキザ男クンに恨みがある訳じゃない。
けど、言っている言葉や内容が、あの女が俺に告げた言葉と全く一緒の内容に聞こえてきて、胸の内をかき乱すような気分だった。
気圧されて後退るような態度だったキザ男クンが、それでも負けじと踏み留まり、俺を睨み返した。
「……去年、長嶺 鈴を傷付けたのはキミだったな」
その名前が出てきて、俺は思わず目を瞠った。
長嶺 鈴。
去年の春から初夏にかけて、だったか。
告白してきた女子を俺はこの場所で、ふった。
モテたいとは思っていた。
さながらラノベやマンガ、アニメのように。
それは酷く浅く、ただ好意を寄せられたいというような、稚拙な希望だったとは思う。
でも、付き合うとか。
そういう関係に至るのを、俺は避けた。
いざ目の前に、そんな話が持って来られた途端に、怖くなったんだ。
俺は臆病にも逃げただけだった。
その結果が、噂だった。
長嶺の友達が吹聴しているらしい、というのを俺も知った。
というより、長嶺がそう言って謝ってきた。
責めたりは出来なかった。
自分から誤解を解く為に言うと告げた長嶺に、それをするなと告げた。
俺に告白して、フラれて。
その上、他人の為に「自分は普通にフラれました」と公言しろなんて、言える訳もなかった。
俺にとってもそうだった。
長嶺は俺にとって、いきなり付き合ってくれと告白してくれただけの他人。
でも、やっぱり嬉しかったのは事実だ。
見た目だって悪くないし、付き合っても良かったのかもしれない。
けれど俺は彼女をふった、
好きじゃない相手とそういう関係にはなりたくなかった、と言うべきかもしれない。
なんだかんだで、俺は潔癖症なのかもしれない。
「だったら何だって言うんだよ」
「彼女のように、キミみたいなヤツはいつか櫻さんを傷付けるはずだ。彼女の友人達は今もキミの事を恨んでいたよ」
「……わざわざ聞いて回ったってのか?」
「もちろん。それに、他のメンバーもそうだ。
特にあの一年生、宝泉さんだったかな。彼女は何でも、周りから好かれてそれを鼻にかけて――がっ!」
言い切る前に、俺はキザ男の胸ぐらを掴んでいた。
「おいお前。瑠衣の事まで知らねぇクセに、偉そうに知った風な口聞いてんじゃねぇよ……!」
雪那に対して執着しているなら、一緒に行動している俺に対して文句を言われるのは構わなかった。
俺の噂がどうとか、そんなのは正直どうでも良い。
今は『読書部』の連中と遊んでいて、雪那と話して、瑠衣をからかって。
巧と篠ノ井に呆れて、水琴の傍観者ぶりに笑って。
そんな日々が楽しい。
生徒会云々になって俺が離れるなんて、俺だって乗り気じゃなかった。
それでも瑠衣に話したのは、心のどこかで止めて欲しかったからって部分もあるかもしれない。
だから、本気じゃなかった。
元々、乗り気じゃなかったしな。
あの『読書部』での変化を。
巧と篠ノ井の変化を心から歓迎してなかったのは、他でもなく俺だ。
終わってしまうような、そんな気がしたから。
だから、こんなヤツに潰されて今の毎日が終わるなんて、我慢出来るはずもない。
それに、瑠衣は良い子だ。
コイツに貶される謂れなんてあるはずがない。
「ぼ、暴力を振るったな!」
「は? まだ殴っちゃいねぇだろうが」
「なら恫喝だ! こんな真似をして、タダで済むと思っているのか!」
ギャーギャーと喚き出したせいで、何事かと徐々に人が集まってきた。
胸ぐらを掴んでいる俺の姿を見られ、ヒソヒソと話している生徒達がいる。
苛立ちと、まずいという焦燥感に顔を歪ませた俺を、キザ男は嗤った。
「これで『読書部』は終わりだな」
「……何だと?」
「フッフフッ、暴力沙汰を起こした生徒なんて、ウチの学園で認められる訳がない」
最初から狙っていたかのような、そんな言い方だった。
俺はその口ぶりを聞いて、自分の浅慮な行動に気付かされた。
――やられた。
この場所で、こんなにすぐに人が集まるはずなんてない。
最初から俺はここに呼び出され、ハメられたんだろう。
あらかじめ、何人かの生徒を目撃者として呼び出して。
俺を挑発する為だけに、コイツは瑠衣の話題も出したんだろう。
力なく手を離した俺の横を、キザ男が勝ち誇ったような笑みを浮かべながら歩き去って行った。