#003 雪那の怒り
頭脳明晰、眉目秀麗。
そういった周囲の評判に、重圧などを感じた事はなかった。
化粧品メーカー《SAKURA》の社長令嬢。
そういった肩書も、正直に言えば自分の物ではなく姉の物であるというのが雪那の認識であった。
もしもこれが、どこぞのお嬢様さながらに毎日リムジンなどで学園に通っていようものなら、そういった周囲の評判や自覚なども芽生えたものではあるが、寮で暮らす雪那とはあまりにも遠い世界の話だ。
だが、どうしてもそういった評判というものは流れてしまうらしく、聖燐学園――つまり、それなりに良い家柄の者達が通う学園では、やはり家柄はステータスと扱われてしまうことも珍しくはないようだ。
「――そういう訳だから、櫻さん。キミは『読書部』なんかに在籍して良い存在じゃないんだよ」
「……別にアナタにどうのこうの言われる筋合いはないと思うのだけど、三神クン」
聖燐祭実行委員に、不本意ながらに抜擢されてしまった雪那。
そんな雪那が聖燐祭実行委員の集まる空き教室で作業している横で、今日もまた『読書部』を批判する男子生徒――三神 奏という少年がゴチャゴチャと語り続けていた。
彼もまた、冒頭で言った通りの家柄の息子であり――悠木が言うところのキザそうな男そのものである。
「だいたい、何だいあのパッとしない男子は。馴れ馴れしく櫻さんと話せるような身分でもないだろうに……」
身分とはまた大きく出たものだ、と雪那は内心で鼻を鳴らす。
親やその親、家族が築いてきた地位や名声を、まるで自分のもののように振り翳すとは、ずいぶんな性格をしているものだ。
雪那にとってみれば、そんな立派な家に甘えて育てられてきたと公言しているようにしか見えず、恥ずかしい言葉だとしか思えない。
かと言って、聖燐祭を控えたこの時期に、真正面から堂々と言ってしまって機嫌を損ねられても面倒臭いのである。
だから雪那は、最低限の反応しか見せず、基本的には聞き流すという選択をしていた。
――とは言え彼女もまだ十七。
それを徹底出来るかと言えば些か疑問であり、その結果が昨夜の食堂での愚痴に繋がったのは仕方のない事ではあるが。
「もしかして、悠木――永野クンのことを言っているのかしら?」
「そんな名前があるなんて知らなかったけどね。頭の悪そうな男だったよ」
「あら、そう。あれでも彼、テストでは毎回5位以内には入ってるわよ」
「僕らは1位と2位じゃないか。差があるよ」
万年2位のアナタが差を言うか。
そんな心境で雪那は手元の聖燐祭の企画書に目を通していた。
三神 奏。
実際、彼は成績が良く、見た目もそれなりに良いと女子の間では高評価を得ている。
多少性格には難があるが、女性には優しく接するという点で女子からの人気は高いのだ。
そんな彼が、どうして悠木を目の敵にしているのか。
それが自分に対する好意から来るものであるとは露とも知らず、雪那は嘆息する。
「……三神クン、あまり人のことを馬鹿にするような発言は感心しないわ。それに、悠木クンは私にとっても親しい友達よ。彼のことを馬鹿にするような言葉を聞いていて、私だって良い気分はしないわ」
迂遠な言い回しで、内心では「黙れ」と言いたくなる気持ちを呑み込む雪那であったが、そんな雪那の気持ちを一切汲み取ろうとはせずに、三神は嘆息した。
「……櫻さん、キミはもっと自分の立場を理解するべきだよ」
「立場……?」
「キミと、今度の生徒会長――美堂さんは目立つんだ。そんな立場にいる人間が、付き合う相手も選ばないようでは評判が落ちてしまう。僕はそれを心配して言っているんだよ」
――美堂 レイカ。
まさかここでまで彼女の話題が出て来るとは思っておらず、雪那は思わず思い返す。
あの『日和祭り』の夜、彼女が自分に対して言った言葉を――――。
――――――
「今日は突然名指しで呼び出すような真似をしてごめんなさい」
あの『日和祭り』の夜。
美堂コンツェルンの主催パーティーでレイカに連れられた雪那に向けて、レイカは謝罪を口にした。
とは言え、それはあくまでも社交辞令といったところだろう。
その顔は特に悪びれる様子も感じさせず、あくまでも建前の謝罪だと見て取れる態度だった。
「いいえ、別に問題はないわ」
本来なら問題ばかりで問い詰めてやりたいところではあるが、それを口にして両親や姉の顔に泥を塗る訳にはいかない。
今は聖燐学園2年生の櫻雪那としてではなく、あくまでも『SAKURA』の社長令嬢として振る舞うべきだと考え、取り繕ってみせる。
「なら良かったわ。今日はあの日和町でもお祭りがあるみたいだし、もしかしたら、誰かと行く約束でもあるんじゃないかと思っていたのよ」
まるでそれを見越した上で呼んできたかのように聞こえる台詞に、雪那の眉がピクリと動いた。
「……どうして私をここに呼んだの?」
「パーティーのこと?」
「えぇ。学園でも同じクラスなのだし、わざわざこんな場に呼び出す必要があったとは思えないのだけど。確かに向こうでは会話する程に至ったことはないけど、アナタの行動力から察するに、気になっていたなら声をかけるぐらいは出来るんじゃないかしら?」
ここに来て、雪那は疑問に思っていたそれを問い詰める。
学園では同じクラスにいる二人だが、その性質が対照的な二人だ。
明るい髪の色も相俟って、美人で気立ての良い女子として。
そして美堂コンツェルンの令嬢として噂に名高く、雑誌などにも取り上げられたことのある美少女、レイカ。
誰に対しても明るく接する上に、身分を鼻にかけない彼女はクラスでも人気がある。
対して、凛とした佇まいで誰に靡くでもなく、堂々とした雰囲気を放ってすらいるのが雪那だ。
確かに話しかけられれば普通に答えたりもするが、特に口数が多い訳ではなく、雑談に興じるような性格でもない。
まるで太陽と月のような、対照的な存在である二人。
他の生徒達からはそんな評価を受けている。
かと言って、これまでまったく関わってこなかった訳ではない。
休み時間や授業の班で関わることもあったが、最低限の会話に留まっていたはずだ。
そんなレイカが、何故この状況でわざわざ呼び出すような真似をしたのか。
それが気になっていたのである。
「どうしても訊きたいことがあったから、かしら」
「それなら、学園でも良かったんじゃない?」
「いいえ、学園じゃ私達は目立ち過ぎる。あまり学園じゃ特定の人間とは二人きりにならないようにしているの」
自惚れと一笑に付せる発言ではあるが、レイカに限ってはそれも自惚れとは言い難い。
それだけ、彼女は目立っている。
「……そう。それで、訊きたいことって?」
「ユーキと雪那さん、付き合ってるの?」
予想もしていなかった質問の内容に、一瞬雪那が目を見開いて息を止めた。
どうして彼女がそんなことを気にするのか。
ただ噂の真相を知りたいという野次馬根性で、わざわざこの場に呼び出したのかと脳裏を過ぎるが、その考えを雪那はすぐに拭い去った。
――それはないはずだ。
だとすれば、真意は何処にあるというのか。
訝しげな視線をレイカに向けて、雪那はゆっくりと口を開いた。
「……付き合ってはいないけれど、どうして?」
「合わない、って思ったから」
「……合わない?」
いきなり何を言い出しているのだろう。
レイカの真意を掴めないまま、雪那はレイカに尋ね返した。
「ユーキはね、アナタが思っている以上に心を塞いでいるのよ」
「どういうこと?」
「きっと、そう簡単に心を開いたりはしないわ。何も知らないアナタじゃ、きっと苦労する」
思わず逆上して怒りのままに言い返しかけてしまいそうになりながら、雪那は静かに深呼吸して怒りを呑み込んだ。
「……ずいぶんな言い回しね。まるで彼のことを私より知っているかのような、そんな言い方に聞こえるけれど」
つい先日会ったばかりなのに、何故こんな事を口にするのか。
それ以上に、まず自分より悠木を理解しているかのような言い方が癪に障る。
ただでさえ、『日和祭り』に行く約束を果たせなかったのだ。
その諸悪の根源――とまではいかないが、そんな立場のレイカに、悠木に関する事にまで口出しされては穏やかでいられるはずもなかった。
苛立ちを顕にする雪那に対し、レイカはいっそ余裕ともとれる笑みを深めて雪那に向かって告げた。
「一学期の間に、ずいぶんと雪那さんとユーキが仲良くなっていたようだから、てっきり付き合ってるのかと思ったけれど……。そうじゃないなら安心したわ」
「安心……?」
「えぇ、まだ私もユーキにアプローチする隙がある訳だし、ね」
レイカの言葉に、雪那の心臓が強く脈打った。
まだ会って数日程度。
それも、ただパーティーの会場でちらりと会話を交わした程度だったというのに、一体何だと言うのか。
雪那にはそれが解らなかった。
「つまり、アナタは悠木クンと私が付き合っているか。それを確認したくて、わざわざこんな場に呼び出したってこと?」
「厳密に言えば、それも一部に過ぎないわ。私はアナタに釘を刺したかっただけ。ユーキと、彼の過去を知らないアナタとでは、合わないってね」
それじゃあ、楽しんでね。
それだけ付け加えて、レイカは雪那の言葉も待たずに会場へと戻って行ったのであった。
――――――
――立場や、合うだの合わないだの。
そんな言葉を、この三神までもが自分に向かって口にする。
「いい加減にして。アナタに何を言われようと、合うとか合わないとか、そんなこと決め付けられるなんて良い迷惑だわ」
ただの三神の戯言だけならば、雪那とて聞き流してみせただろう。
内容は全く違うが、三神とレイカの言葉の表面はあまりにも酷似していた。
それが、雪那の怒りを顕にさせるきっかけとなってしまった。
机の上に強く手を突いてそんな言葉を口にした雪那に、三神も、周囲で仕事をしていた聖燐祭の実行委員達も動きを止めて雪那に向かって視線を向けた。
今更止まれるはずもなく、雪那は乱暴に立ち上がり、書類を鞄の中へとしまい込む。
「正直言って、不愉快よ。アナタに私のことを指図されるのも、彼のことを悪く言われるのも、聞くに堪えないわ」
それだけ言い残して雪那はさっさと教室を後にした。
その場に残された三神が、ぐっと歯を食い縛っている姿など気にも留めずに。
次話 6/3