#004 レイカと悠木
「少し話して来るから」
それだけ言い残してレイカのもとへと歩いて行く悠木を見送って、雪那と水琴は後ろ髪を引かれながらも食堂を後にした。
感情的に言い返そうとしてしまった自分達の代わりに、悠木が言葉を挟んだ。
それよりも、レイカを名前で呼んだ事に対して違和感を覚えた雪那と水琴の二人は、おのずと進む足も遅くなってしまう。
先程の言い合いを思い返しながら、二人は自室へと向かっていた。
「悠木クンと新生徒会長さんって、仲良いのかな?」
「……それはないわ。確か華流院さんの誕生パーティーで顔を合わせた時は、美堂さんって呼んでいたもの」
「ふーん……。でも悠木クンってさ、たっくんみたいにいきなり名前で呼んだりするキャラじゃないよね?」
問いかけに対し、無言で肯定しつつ物思いに耽る雪那へと水琴が視線を向ける。
どうやら雪那も先程のやり取りがずいぶんと気になっているらしい。
――思えば、今日の放課後。
部室でも悠木とレイカが二人きりになる時間があった。
もしかしたらあの時、レイカが悠木に「名前で呼んで」と頼んだのかもしれない。
そう雪那は当たりをつける。
先日会った、雪那の両親が経営する会社の懇親会でも、レイカは同じように自分にも名前で呼ぶように告げたのだ。
その可能性がないとは言い切れるはずもない。
だが、あの場と学園ではあまりに環境が違う気がする。
少なくとも、櫻と美堂の名では困惑を招くからという理由は学園では通用しないはずだ。
「……今頃、何を話しているのかしらね、あの二人」
当然自分達が悠木の部屋に行っていることについて呼ばれたのは承知しているが、それ以外の部分に本音があるような気すらしていた。
雪那がそれを暗に告げるものの、水琴はそんな雪那を横目で一瞥する。
「私達が悠木クンの部屋に行っていた、って事について、弁明してるんじゃないかなー」
「……水琴さん、ずいぶんと気楽なのね」
自分達も当事者なのに、と暗に棘を含んで告げてみせた雪那であったが、水琴はそれを一切意に介さずに笑ってみせた。
「だって、悠木クンだよ?」
「……どういう意味?」
「そのまんまの意味だよー。多分本題から一気に話がずれて、有耶無耶になって終わらせちゃうつもりでしょー」
「それは…………有り得るわね……」
否定の言葉すら浮かばないまま、雪那が同意を示した。
口八丁と言えば聞こえが悪いが、彼は自分の中にある境界線をしっかりと持っていて、それを越えようとすれば上手くするりと逃げてしまうのだ。
そんな節をどことなく感じていた雪那は、水琴が言わんとしているその傾向を否定出来なかった。
「だから、別に心配する必要ないと思うんだよねぇ。悠木クンは私達が来たって事を公言するタイプじゃないし、嘘ついて自分が苦しむのも面倒臭がるタイプっぽいし。ある程度は答えつつ、結局真相は霧に包まれてるって感じじゃないかな?」
聞こえは良いが、有耶無耶にしているという先程の言葉と同じ意味を水琴は口にして足を止めた。
「ねぇ、ゆっきー」
「なに?」
「ゆっきーはさ、このままで良いの?」
「……え? 何が?」
小首を傾げた雪那を見つめ、水琴は少しばかり呆れた様子で嘆息した。
「……なーんかヘコむなー。私だけがそういう視点で物事見てる気分になってきちゃったよ」
「え? どういうこと?」
「ううん。ただ、ちょっとゆっきーはどうなりたいのか、気になっただけだよ~。それじゃ、あとは悠木クンからの報告待ちってことで」
「ちょ、ちょっと……!」
雪那の部屋がある三階へと辿り着き、水琴はひらひらと手を振って自室のある上の階へとあがっていく。
一人何が言いたかったのかと小首を傾げつつ、雪那もまた自室へと戻って行った。
◆ ◆ ◆
「――さっきはごめんなさい、ユーキ。私に告げ口してきた生徒の子がいる以上、ああして糾弾しているフリぐらいはしなくちゃいけないと思って」
人払いされた――という訳でもないが、食後の食堂に生徒の姿はなかった。
というのも、皆二学期が始まって予習や復習やらに、自室に戻ってる……という建前だったりもする。
実際は俺みたいに部屋に戻ってダラダラしたり、自分の時間を楽しんでいる頃だろう。
「……聞いてる?」
「あぁ、聞いてるよ」
まったく関係ない事を考えていたら、レイカにジトっとした目つきで睨まれた。
思考を切り離す。
レイカが開口一番に俺に告げたのは謝罪だった。
いや、謝罪というか、弁明というか。
「つまり生徒会長の本分を全うした、ってトコだろ? 別に恨んじゃいねーから心配すんなよ」
「……そう。話が早くて助かるわ」
俺の答えにレイカがどこか安堵したような様子を見せた。
「というか、今日の夕方に荷物運び込んでたの、お前のだったのか」
「えぇ。急遽こっちに一人残る事にしたの」
「……相変わらずだな」
「えぇ、そうね。あの夏とあまり変わってないかもしれないわね――」
――俺も憶えている。
7年前、雪那と沙那姉とのいざこざがあったあの夏の終わり。
二学期が始まった頃。
俺の目の前にいるアッシュカラーの外国人顔――とは言えハーフなんだが、レイカは俺が通っていた小学校へと転入してきた。
――当時の俺は、雪那と沙那姉のあの一件と家のゴタゴタで、ずいぶんと塞ぎ込んでいた。
別に夏休み前から特別明るい生徒だった訳じゃなかったが、あの夏の出来事は子供だった俺にとって、ずいぶんとショックの大きい一件だった。
今思えば、そこまで塞ぎ込むような問題でもなかったが。
それでも俺は、学校を休むような真似をしたくはなかった。
というより、出来なかったと言うべきかもしれない。
家にいる方が億劫だったというのが本音だ。
活字中毒だった、という訳ではないが、小説を読むのが好きだった俺はしょっちゅう図書室に入り浸っていた。
高尚な趣味があった訳でも、自分が小説を読んでいるからカッコ良いだのと思った事はなかった。
ただ、マンガや小説は、読んでいる間は現実から逃げられるような、そんな気がしたのだ。
小学生じゃ新しい本を手に入れるなんて真似は出来なかった。
何故って、お金がないからだろう。
だから、無料で借りられる図書室や近くの図書館は、俺にとっては楽園のようなものだった。
学校の図書室。
放課後、俺は読み終わった本の続刊を借りるべく、図書室へと向かった。
――そこで、一人の少女と出会った。
「……外人だ」
思わず呟いてしまった。
違うクラスに転入してきた外人がいる。
その噂はウチのクラスでも騒がれていた。
それでも俺は、そんな噂にあまり興味を示そうとはしなかった。
一目で目の色と髪の色。
それに肌の白さまでもが日本人のそれとは根本的に違う相手を、俺は初めて見た気がした。
大人びた印象を受ける顔立ちの、白いワンピースを着た少女。
髪の毛は当時は短くて、丸い不格好な眼鏡をかけていた。
「……はぁ。ホントに失礼な人ばっかり」
「は?」
「外人外人って! 私はハーフよ! 半分は日本人なの!」
後々聞くとこの時、レイカは好奇の視線に晒され続けたことに苛立っていたらしい。
突然怒り出した彼女に、俺は面を喰らった気分で佇んでいた。
「名前だってアシュリット・M・レイカだもん! 日本人の名前だし、日本語だって喋れるわよ!」
「……外人レーカ?」
「っ!?」
「――……懐かしいわね」
「いきなりキレてたからな、お前」
「いきなり外人レイカなんて呼んだのはユーキじゃない」
お互いに懐かしさに目を細めて笑い合う。
確かあの頃、俺はレイカの名前が憶えれなくてそう呼んだ。
お互い、名前のイとウを伸ばし合い、ユーキとレーカ。
そんな風に呼び合った。
「あの頃は日本でも転々としていた頃だったから、私も憶えている人は少ないわ。ユーキは唯一、私を転入生の外人としてじゃなくて、私個人として見てくれてた気がしたから、今も鮮明に憶えてるわ」
懐かしそうにレイカが呟いた。
外人、転入生。
小学生にとって、これほどまでにインパクトの強い転入生はいない。
そのおかげか、レイカはイジメこそされなかったものの、やけに目立っていた。
運動神経も良く、勉強も出来る、とか。
そんな噂ばかりを耳にしていた俺も、そういうレイカの噂を聞く度に、実は泣き虫で本が大好きだと知っている自分が、ちょっとした優越感を抱いたりもした。
「でも、ユーキ。変わったのね」
「変わった、か?」
「えぇ。あの頃のユーキは、ちょっととっつきにくい性格というか……。ずいぶんと冷めた態度だったと思うわ」
「……生意気なガキだった、と言いたい訳か」
「正解」
「おい否定しろよ」
笑いながらレイカが俺を見つめる。
その姿は、なんとなく幼さがあって、でも大人びた今の雰囲気とも重なっていて、つい見惚れてしまった気恥ずかしさに俺は目を逸らした。
「あ、そう。それそれ」
「は?」
「昔もよく、そうやっていきなり視線外したのよ。日本人って視線を外す事が多いけど、本当にユーキはそれが印象に残ってるもの」
「日本人はシャイなんだよ」
「意味解らないわ」
あの頃の俺は、シャイとかそんなんじゃなかった。
沙那姉のあの行為だけじゃない。
俺はもともと女性が――いや、母親が苦手だった。
そのせいだろう。
女性に対する苦手意識があったのは事実だ。
そんな俺に降りかかった、沙那姉と雪那との一件。
あれらは当時の俺にとって、相当にショックだった。
だから俺は、レイカに対しても距離を置くように接したんだ。
なるべく突き放すように。
なのにコイツは、どれだけ不機嫌そうに歩いてきても、俺と図書室で顔を合わせた途端に笑って声をかけてきた。
「でも、そっか。お前春にはまた転校したんだったよな」
「うん。家の都合で、ね。半年ぐらいだったかな、あの時は。他に比べても一番短かったかもしれないわ」
「他?」
「……色々あったのよ」
それ以上は語らない。
そんな事を言外に告げるような口調で、レイカは言葉を区切った。
「そんなことより、ユーキ。雪那さんと付き合ってるって本当なの?」
「は?」
「結構有名な噂よ。さっきの話だって、付き合っているからって部屋に入り浸るのは風紀を乱すから、って言われたんだもの」
「いや、そういう関係じゃねぇけど」
「あら、じゃあ本命はあっちのもう一人の子?」
「水琴かよ……、あれは恋愛云々じゃねぇっての。いくら生徒会長だからって、他人の色恋事情にまで首突っ込むのか?」
「だって、ユーキだもの」
「なんだ、そりゃ」
昔の友人が恋愛云々でゴタゴタやってたからって知りたくなるなんて……あるな。
うん、それはしょうがない。
俺だって知りたいと思うだろう。
「別にそんな関係じゃねぇよ。雪那は小さい頃にこの町で会った友達だ」
「雪那、ね」
「……なんだよ、その言い方」
「別に。仲が良さそうだなって思っただけよ。華流院さんのパーティーでも一緒にいたしね」
「そういえば、何であの時言ってくれなかったんだよ、お前」
「あら、ヒントは出したでしょ? ユーキの名前の漢字を知っているかって聞かれた時、もちろん、って」
そんな事言われたっけか。
思い出そうとして小首を傾げた俺の前で、レイカが立ち上がった。
「決めたわ」
「何が?」
「ねえ、ユーキ。生徒会に入らない?」
「は……?」
「今の生徒会に男子生徒も入れろって教師が言っているのよ。成績トップの一人である男子はすでに声をかけて、良い返事ももらってるわ。でも女子が4人で、男子が一人。あと一人探してるのよね」
「いや、俺みたいなのはそういうガラじゃねぇだろ。それに、俺なんかが生徒会に入ったら色々と問題だぞ」
去年までの俺の悪評を知らないから、レイカは俺を誘ったんだろう。
俺にまつわる噂話は、今もまだ忘れられてはいないはずだ。
レイカは多分、それを知らない。
「その噂についてなら耳にしているわよ。とにかく、考えておいてね」
それだけ言い残して、レイカは食堂を去っていった。