幕間 茅野 卓の独白
俺の名前は茅野卓。
聖燐学園に通う特待生の一人だ。
なんとか寮制の学園を受験出来るように、お父さんとお母さんに頼み込み、なんとかこの聖燐学園に入学することが出来た。
俺には4つ年上の兄貴がいる。
頭脳明晰で、今ではあの有名な東の大学に通っている兄貴だ。
そのせいで、家にいるのは少しばかり息が詰まる。
兄貴はストレスを溜め込むと、周りに強く当たる。
その標的になるのが俺だった。
何をされたかとかまでは語らないけど、とにかく居心地が悪い家だった。
そんな家庭のせいで、人付き合いは苦手だった。
自分の癇癪で周りに八つ当たりする兄貴が一番近くにいたせいで、自分は周りの機嫌を窺ってしまう癖がついてしまった。
中学時代は特に酷かったかもしれない。
――そんな俺が聖燐学園を選んだのは、先述した通り寮制だったことが大きい。
正直に言うと、元女子高というのも嬉しかった。
あ、でもモテたいとかそういう意味じゃない。
不良みたいな人がいないかもしれない有名校なら、俺みたいなタイプでも嫌な思いをしなくて良いかもしれない。
それが俺にとっては大事だった。
だけど、特待生試験を受けたあの日、俺は一人だけそういうタイプに見える人を見つけた。
永野悠木。
彼は俺みたいなタイプが多い特待生の男子の中で、浮いていた。
別に髪の毛を染めてる訳じゃないし、ピアスが空いている訳でもない。
制服だってちゃんと着てるし、でもネクタイは緩んでいた。
放っている空気が、俺達みたいなタイプとは違ったんだ。
近付きにくい空気を放った男子。
なんだか酷く無気力な、脱力な空気って言うべきかもしれない。
欠伸を隠そうともせずに、でも下手に注意したら反抗しそうな尖った空気があって、正直俺は苦手なタイプだった。
だから、絶対に関わり合いにはなりたくなかった。
――なのに、寮での部屋が隣になってしまった。
本当は無視するつもりだったけれど、それはまるで逃げるみたいで嫌だった。
だから思い切って挨拶しようと声をかけたんだ。
「俺、茅野。今度から隣の部屋になるから、よろしくな」
「……あぁ、よろしく。永野だ」
なんとか虚勢を張りながら声をかけてみたけど、まるで興味なさそうに永野は返事をした。
正直言って怖かった。
不良みたいにポケットに手を突っ込んで、いつも眠そうな雰囲気を放っている。
なのに、別に悪ぶっている訳でもない。
でも、挨拶出来た。
それは俺にとっての一歩だった。
高校デビューって訳じゃないけれど、誰も知らない街なら何か変われる気がした。
永野はある意味、俺にちょっとした自信を与えてくれた。
永野はそれなりに愛想も良くて、クラスでも人気者といった雰囲気だった。
だけどそれは、一年目の最初の二ヶ月程だけだった。
一人の女子に、暴言を吐いたという噂が流れたんだ。
女子だらけの学園で、女子に対して暴言を吐いたという噂はあっという間に流れていった。
永野に告白しようと呼び出した女子に、酷い言葉を浴びせた。
そんな噂が流れ、永野の周りから他の生徒は距離を置くようになったのだ。
女子を敵に回すのは、この学園では危険だ。
それでも一切気にする様子も、弁明する様子もなかった。
だからその噂は本当だと思われ、それ以来少しの間、永野は一人でいることが多かった。
――でも俺は知っている。
その日、俺は校舎裏の掃除の手伝いをして欲しいと先生に言われて、放課後に校舎の裏手にある人通りの少ない道を歩いていた。
そこで、一組の男女が向い合って立っていたんだ。
永野と、確か隣のクラスの女子だったと思う。
「……悪いけど、付き合えない」
永野が女子をフッた瞬間を、俺は見てしまった。
その女子は、それなりに容姿も良くて、女子社会の聖燐学園の中でもそれなりの発言力を有しているバスケ部の女子だった。
それが災いしたんだと思う。
永野は謂れのない逆恨みを買ったその生徒の友達によって、そんな噂を流された。
女子の結束力と情報伝達力は男子のそれとは訳が違う。
あっという間に永野は孤立して、女子勢力の強い聖燐で永野に構う連中はほぼいなくなった。
どうして永野は言い訳をしなかったのか、俺には解らない。
永野はただ付き合えないって断っただけで、それなのに理不尽過ぎると思った。
だから俺は、永野に一度問い詰めたことがある。
寮で食事をしている最中、相変わらず永野の周りには誰もいなかった。
そんな人は、あの美少女優等生の櫻さんと永野ぐらいだ。
だから俺はあの日、永野に声をかけた。
「な、永野」
「ん?」
「一つ聞かせてくれないか?」
寮で隣の部屋になって挨拶をした日以来、初めて声をかけた。
二度目の会話でこんな事を訊くのもどうかと思ったけど、どうしても気になった。
「どうして、ただフッただけだって言わないんだよ」
「……あぁ、それのことか」
永野は、俺が勇気を振り絞って尋ねた言葉をあっさりとそう言い放った。
まるでどうでも良いように。
どうとでも捉えれば良いと言わんばかりに。
「見てたのか?」
「う……、あぁ、うん。偶然……」
「そっか。とりあえず、濡れ衣だなんて誰にも言わなくて良いぞ」
「え?」
予想外な言葉に、俺は思わず尋ね返してしまった。
永野はさも面倒臭そうに、いつも通りに頭を掻いて溜息をついた。
「本人が吹聴してるなら責めることも出来るだろうけど、それを言って回ってるのはあの子の友達らしいからな。俺が無駄に動いたりしたら、あの子が嘘つきだって噂に変わるだけだろうが」
「あ……」
そこまで考えてなかった。
俺はただ、何で黙り続けているのか不思議だった。
なのに永野は、そんな俺とは違って、色々と考えていたんだ。
「まぁ、面倒臭いことになるのが嫌なだけだが」
「っ!?」
永野のその一言で、俺はからかわれたのだと気付いた。
その時は、俺は永野の本音はそっちだと思ってしまったのだ。
でもよくよく考えてみれば、きっと永野の本音は噂が相手の女の子に向いてしまうことを回避する為に、敢えてそうしているのだと思わされた。
特に理由はなかったけれど、なんとなく理解してしまった。
俺にはそれが、男らしくてカッコ良い男に見えた。
それから俺は、永野の動きをよく見るようになった。
いや、決して怪しい意味じゃない。
ただ男らしい男ってタイプを、今までに見たことがなかったから。
少しでも自分も、永野みたいに男らしくなろうと考えていた。
――そうして、もう一年前になる。
去年の夏、永野は『読書部』とかいう部活に入ったのだとぼやいていた。
でもそれは、永野にとって良かったのかもしれない。
夏休みが始まるまで、永野はクラスでは浮いた存在だった。
表立って何かを言われることはなくなっていたけれど、それでも避けられているのかと思ってしまうぐらい、いつも一人だった。
一人だと何処かに行ってしまいそうな永野だったけど、『読書部』に入って笑ってる姿を見るようになった。
確か、あの可愛い女子と、永野とはまたタイプの違う男子の二人がメンバーだったっけ。
その輪の中に、俺も入ろうかと思ったことがある。
だけど、永野に止められたんだ。
曰く、人の恋路に振り回される末路がどうとか。
曰く、言葉が通じない鈍感野郎が面倒臭いとか。
寮で偶然会ったから、なんとなく『読書部』について聞いてみたんだけど、永野はそんなことを言って辞退するように告げてきた。
「いや、ホラ……うん。やめといた方が良いぞ……。えっと、何クンだっけ……」
思えば、俺は一方的に永野を知っているけど、永野は俺には興味ないんだった。
でも、苗字を憶えてもらっていないのは新鮮だった。
うちの両親はそれなりに大きな会社を経営している。
だから、苗字を答えて連想する人も多い。
あまり多くない苗字だから尚更だ。
だけど、永野はそういうタイプとはまったく違うから。
それはそれで、俺も居心地が良い。
――――
あれから、もう一年が経った。
ちょっと派手な、高校生の間にしか出来ないことをしたくて、薬局でブリーチ液を買って脱色してみた。
少しでも変われるんじゃないかって思ったから、試してみたくなったんだ。
でも、結果はボロクソに言われた。
痛いヤツ、だそうだ。
櫻さんにまで言われたのは本格的に落ち込んでしまったけど。
だけど、見た目が変わって気分も変わった。
あ、別に不良ぶれるとか、そういう訳じゃない。
ただちょっと前向きになれるというか、そういう男になれそうな気がするっていうか。
そう、これはただの気分転換。
それだけは成功したと言えた。
だから二学期からは、もっと前向きになろうと思う。
「おっはー、悠木クンー」
「おやす水琴」
「っ!?」
夏休みも終盤に差し掛かり、学園の寮で朝食を食べていると、そんな声がして振り向いた。
「名前に食い込むようになっちゃったかぁ……」
「そうだな。それで、夏休みの宿題なら見せないぞ」
…………。
「ちょ、ちょっとだけ……ッ! ちょっとだけで良いから……ッ!」
「おいやめろ……ッ! なんだそのセクハラオヤジさながらのセリフは……ッ!」
今日も永野が、あの人と親しげに話していた。
二人共、周囲の他の生徒とは少し空気が違うというか。
なんていうか、そんな二人だからこそ、なのかもしれないけど。
「……朝から何をやっているの、あなた達は」
「雪那、聞いてくれ。コイツ、女の武器を使って俺から宿題を見せてもらおうと企んでやがる」
「っ!? 聞こえが悪いっ! べ、別にそんなこと言ってないよ! というか、前は悠木クンだってのって――――」
「――おいやめろ! お前、自分が危険に晒されたからって俺を巻き込もうとするんじゃねぇッ!」
ギャーギャーと騒ぎながら、櫻さんと永野と、あの人が騒いでいた。
――――俺の好きな、兼末さんが。
二学期になったら、『読書部』に入ろう、かな……。