#003 悪役
部屋の中へとやって来た篠ノ井に、得意の烏龍茶を差し出した。
気まずい沈黙が流れる中、部屋の中を見回した。
刃物と呼べる刃物は全て高い棚に隠した。すでに篠ノ井の凶器となり得るものは全てキッチンの上の棚にしまってある。
ぬかりはない。
「……それで、篠ノ井。どうしたんだ?」
埒が明かないので先手を打って声をかけた。
さっきから篠ノ井はベッドに座ったまま、俺が手渡した烏龍茶を膝の上で両手で持って俯いている。
まさかコップを割って凶器にするつもりか……?
「ねぇ悠木クン。私、疲れちゃった」
「……落ち着け篠ノ井。早まったら人生を棒に振ることになる」
「……人生?」
「いや、うん。早まるな、と」
小首を傾げる篠ノ井に、さすがに「人殺しは誰も幸せにならない」なんて言えなかった。
むしろこの状況だと俺だけが不幸に見舞われるんじゃないだろうか。
「悠木クン、好きな人いるの?」
「この世界に生きとし生ける美少女は全てこよなく愛する自信がある」
「……最低な発言だよ、それ」
「うん、俺も自分で言っててそう思ったよ」
ツッコミに力がないせいで、俺が本格的に変態扱いされた。
場を盛り上げようとしたのに、解せぬ。
「というか、篠ノ井。お前昨日、なんだか巧が心配してたぞ。俺も探したんだが」
「知ってるよ。悠木クンの方が私を先に見つけたでしょ?」
「……な、なな何の事だね」
「あの茂みの中から様子も見てたもんね。私、気付いてたよ」
「おい篠ノ井。そこはせめて気付いていても知らないフリぐらいしておけ。むしろ気のせいって思っておけ」
「無理だよ。階段上がってきた悠木クン、私見えてたもん」
「……まぁ、そりゃそうか」
長い階段を上がった先にある境内だ。
あんな人の気配もない所で階段を上がってきた存在があれば、そりゃ気付くか。
虫食われ損も良い所だな、俺。
薬品の匂いを漂わせた昨日の眠りは全然快適じゃなかったんですけどね。
「ねぇ、どうして私があそこにいるって気付いたの?」
「いや、巧が篠ノ井を探してるって言うなら、巧が探さなそうな場所を探すかと思ってな。偶然だ、偶然」
「嘘つくの下手だよね、悠木クン。ホントは何となく想像出来たんじゃない?」
「は?」
「だって、あそこは昔3人で遊んだ場所だもん。私思い出したんだよ」
「……あー……。ってことは、俺が昔遊んでた頃のことも?」
「うん、思い出した。沙那お姉ちゃんに言われた言葉も、全部ね」
……思い出したくないものも、しっかり思い出してしまったんだろうか。
篠ノ井もあの一件――つまりは親の一件は被害者だった。
その罪の重さを知らない篠ノ井と雪那。中学生だった沙那姉。
それぞれの感じ方は大きく異なっていたんだろう。
俺だって憶えてる。沙那姉が篠ノ井を罵倒した言葉。
あの時は幼いながらに触れてはいけない空気を感じていたが、あの異常な空気は止めなきゃいけないと、そう思って沙那姉に声をかけたんだ。
「私ね、今まで忘れてきた分を取り戻そうと思ったの。ゆっきーと話して、少しずつ何とか前進しようって思って、巧に色々昔のことを尋ねようと思って。でも巧は、はぐらかしてばかりいて。それが私の為だって分かってる。分かってるけど、このままじゃ――」
「――落ち着け、篠ノ井。とりあえず烏龍茶飲め」
興奮して声が大きくなり始めた篠ノ井に、烏龍茶を勧める。
危うく病みモードが発病するのかと思ってヒヤヒヤした。
篠ノ井も俺に言われ、烏龍茶をこくりと喉を鳴らして飲んで一息つく。
実に良い感じだ。
この場の空気は俺が支配しているに違いない。
「……巧は鈍感天然だ。篠ノ井が色々な方向に思いを巡らせても、それはお前が疲れるだけだぞ」
「でも……!」
「まぁ聞けよ。まずお前は、巧と幼馴染じゃなくて恋人になりたい。そういう考えがあったから俺の一年近くを無駄に……もとい、俺に協力を求めてきたんだろ? 今でもその気持ちは変わってないんだよな?」
「……わからない」
「は……?」
「なんか、今のままじゃ巧とうまく行くって考えられないの。確かに悠木クンが言う通り、私は巧と……その、恋人に……なりたいよ? でも、なんだかそれが無理なんじゃないかって思えてきちゃった……」
ぽろりと頬を伝った篠ノ井の涙が、ホットパンツで顕になっていた篠ノ井の太ももに落ちた。
口にすることで、それが何となくではなくて確信に変わってしまったんだろうか。
ままならないものだと、ついそんなことを実感してしまう。
篠ノ井にとって、巧はある意味バランスを取る錘みたいなものだったんだろう。
過去を忘れていた頃は、不安定な自分を支える為の大事な錘だ。
細い線の上で、いつ落ちるかも分からないぐらいの不安定な心を持っていた篠ノ井ゆずという少女なんだろう。
「……なぁ、篠ノ井。お前本当に巧のこと、好きなんだよな?」
「え……?」
「まぁ昨日のこと、バレてたんだし言っちまうけどさ。昨日のお前と巧の会話も、今のお前も。本当に巧が好きなのか、俺にはかえって分からなくなってきた」
きっと、雪那と過去について話したことで、篠ノ井の心は少しだけ形を変えてしまった。
これまで依存してきた巧という錘が、今度はその変化に僅かに誤差を生む存在となったのかもしれない。
だからこそ、篠ノ井は巧に対して疑問を抱いたんだろう。
本当に恋心を抱いているのか、ただただ依存してきただけなのか、もしかしたらそれが分からなくなってしまったんじゃないだろうか。
自分の気持ちが揺らいでいるのかもしれない。
もちろん、それが全てじゃないかもしれないが。
「……そ、れは……」
「好きだから一緒にいたいのか、それとも巧がそばにいて欲しいから付き合いたいのか、そこなんじゃねぇかなって思うんだよ。今のお前を見てるとさ、今までがそうだったからこれからもそうしたいって思ってるだけに見える。そこに好きって感情があるようには見えない」
言い淀む篠ノ井に、敢えて俺は篠ノ井が受け止めたくない気持ちをぶつけた。
もしもこれで、好きだとハッキリ言えるなら。
きっとそれは篠ノ井の本音だ。
でも篠ノ井は何も言おうとはせず、言葉を呑み込んで俯いてしまった。
きっと篠ノ井はそこまで考えたりはしなかった――というより、出来なかったのかもしれない。
俺の予想では、病みモードに入るのは「不安」が鍵になっているんだと思う。
これまで篠ノ井が病んだのは、いつも『巧を取りそうな誰か』に対する不安がきっかけになっている。
それを俺にぶつけるなんて非常に迷惑この上ないが、まぁ今は置いておこう。
つまるところ、篠ノ井ゆずは自分に自信がなく、気持ちが揺らぎ易いのではないだろうか。
「お前さ、やっぱり一度巧と距離を取ってみたらどうだ?」
「そ、そんなことしたら、瑠衣ちゃんが……」
「いや、それはないと思うぞ。瑠衣は少なくとも、今の関係を壊そうとか思ったりしてない」
まぁそれは俺の予想に過ぎないんだが。
「……何で悠木クン、いつも距離を取らせたがるの?」
「あぁ、そう言えば俺がお前とこんな話をする時は、いつもそう言ってたな。まぁ全て出来てないんだろうけど」
「う……」
「でも今回ばかりは出来るんじゃねぇか?」
篠ノ井が俺の言葉にわずかに逡巡して、そして頷いた。
「多分、出来る」
「だったらそれが良い。離れてみて、自分の気持ちを確認しろって。もしかしたら巧のヤツが焦って、お前に告白する可能性だってあるんだから」
「そ、そうなの、かな?」
「まぁだいたい鈍感系主人公は、幼馴染がそっけない態度に変わるとそっちに戻るのが王道だからな」
「……? 王道?」
「何でもない」
篠ノ井にはさすがに通じないネタだったか。
そいつは失礼した。
篠ノ井が手に持っていたコップから烏龍茶を一気飲みして、涙の後を腕で拭いた。
ティッシュ使えば良いのに。
「悠木クン、私悠木クンの言葉を信じることにするよ」
「っていうかお前その言い方、今まで信じてなかったことになるって分かってやがるのか、おい」
「えっへへ、ちょっと疑ってた、かな」
「お前何なの。俺のこれまでの数々の名言集を疑って聞くとか何なのお前。っていうか女子って助言とか聞きたがらないクセに相談したがるとか何なのそれ」
「え、いや、助言は聞いてるよー。っていうか、悠木クン、それ私だけじゃないんじゃ……」
「おっと、そうだった。世の男性諸君の気持ちを代弁してしまっただけだ」
思わず口を突いて出た言葉に、篠ノ井がツッコミを入れた。
なんだかんだ笑ってる。
うん、美少女は笑顔が一番だ。間違いない。
「泣きたくなったり話したくなったら、いつでも来いよ。また聞いてやるから」
「……うん。えっへへ、なんか悠木クン、カッコ良いね」
「だろっ!? 今のセリフ俺としても良いと思ったんだ。もう一回、もう一回言って良い!?」
「や、やめた方が良いと思うよ……。今のでなんかガッカリしたから、もう一回言われたら寒い……」
「おい寒いって言うな。俺の会心の出来をいきなり貶めんじゃねぇよ」
俺のツッコミに篠ノ井が笑いながら謝っていた。
あぁ、まったく。残念な俺は相変わらずだよ、ちくしょう。
篠ノ井は何だか吹っ切れたような明るい笑みを浮かべて、お礼を言って帰って行った。
◆
「……で、今度はお前な訳だ」
「え、何が?」
夜になって、今度は巧が俺の部屋へとやって来ていた。
メッセージやらを無視していた俺がどうやら気になったらしく、わざわざ出向いて来たのだそうだ。
時間がズレてなかったら、俺がいきなり間男的なポジションに成りかねないぞ、まったく。
「で、お前は何なの? 相談料とかもらっちゃって良いの?」
「相談料って……。って言うか、昨日はありがとな、悠木。ゆず、見つかったわ」
「あぁ、気にすんな。まぁ俺の言った一言がきっかけになったんなら、俺にも責任はあったからな」
得意の烏龍茶をお互いの前に置いて、俺と巧は向き合って座る。
何故かコイツは俺の椅子を占領するので、俺はベッドの上だ。
「……悠木。昨日、あの川原でゆずと何があったのか教えてくれよ」
「断る」
「……まぁそう言うとは思ってたけど、何でだよ」
「お前が関わる問題じゃない、って訳じゃねぇからな。俺の口から言って良い問題じゃねぇんだよ」
巧が俺の言葉に押し黙り、嘆息した。
「俺が関わる問題って……」
「その辺については、篠ノ井が判断して言う問題だろ」
「訳分かんねぇこと言うなよ、悠木……。俺、お前みたいに器用じゃねぇから、分からないんだ」
「分からないって言うより、分かろうとしてないだけだと思うぞ」
「……え?」
巧がきょとんとした顔をして、俺の顔を見つめた。
「お前ってさ、何だかんだ言いながら篠ノ井のこと見てねぇよな」
「そんなことねぇって」
「あぁ、うん。そう言うと思ってたけど」
巧は確かに篠ノ井を見てるんだろうけど、それは篠ノ井を見ているというより、篠ノ井が見せている部分を漠然と受け取っているだけだ。
まぁそれを俺が口にした所で、きっと巧は納得はしないんだろうけども。
「なぁ巧。しばらく篠ノ井と距離を置こうとしてたこと、お前もあったよな?」
「あ、あぁ。お前が俺を殴ったアレか」
「まぁそのことについては水に流してやろうじゃないか」
「こっちのセリフだけどな!?」
「おい、声が大きい。ちょっと喧しいぞ、お前」
「……な、なんか腑に落ちないけど……ッ! で、それがどうしたんだよ」
声が大きいのを認めないとは、迷惑な。
「まぁ良いや。篠ノ井とさ、ちょっと距離置いてみろよ」
「……いや、だってお前あの時は……」
「あの時と今とじゃ状況が違うだろ? だからとにかく、しばらく距離を置けって」
「でも今距離置いたら、アイツまた自分で自分を……」
「あぁ、それは大丈夫だ。篠ノ井も今日、ここに来てたから」
「は……?」
仕方ない。
たまには悪役にでもなってやるか。
俺は出来るだけ冷たく、巧に言い放つ。
「お前、今の篠ノ井にとっては邪魔にしかならねぇんだよ」
巧は俺の言葉に、大きく目を見開いていた。
5分遅れって、セーフですよね←
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ちょっとやることがあって、少しお時間をもらいます。
ご了承頂ければ幸いです。
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