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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第二部 一章 沙那と雪那
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#006 あの夏の真相 ― Ⅰ

 時は20☓☓年。

 医薬品開発を請け負っていた大手企業、『ラプリス』という会社では、偶然にも一つの新薬の開発に成功した。投与すると同時に、体組織が凄まじい速度で回復する新型薬物だ。

 しかし同時に、心臓などの組織が一切正常に機能しなくなってしまうという異常な効果を生み出すものであった。


 ――にも拘らず、薬品を投与されたモルモットは活動を続ける。


 異変はすぐに起こった。

 そのモルモットは次々に同じ檻の中にいたモルモットに噛み付き、そのウィルスを蔓延させていく。

 異常事態に目を疑った研究者はモルモット達を急速冷凍し、仮死状態に追いやると、体組織に何が起こったのかと解剖を開始する。

 しかし、明らかに仮死状態に陥ったそれは、手袋に覆われていた一人の研究員の指に噛み付いた。

 慌てて手を放した研究員。

 そして、人であろうが動物であろうが次々に襲い掛かるモルモット達によって、あっと言う間に感染は広がる。

 噛まれた者達は、さながらゾンビ化とも取れる様に自我を失くし、人々を襲っていくのであった。

 その数はあっと言う間に、ねずみ算式に膨れ上がっていく――――。




「……ひどいパクリ映画だったな」


 瑠衣と共に映画を見た俺が抱いた感想は、その一言に尽きた。

 ああしたゾンビ系のパニック映画っていうのは、どれもこれも二時間前後の一本の映画で終わるような代物にしてはあまりにも終わりが雑というか、どうにも後味が悪いものが多い、というのが相場なのだが……特にこれはひどかった。

 命懸けで逃げ延びていた二人が最後の最後で救出されたかと思えば、最終的に町の外にもゾンビが溢れていて終わるという、続編すら期待できない内容である。


「ひどいです……あのサプライズはひどいです……!」


 瑠衣が批評しているのは、どうやら映画の内容ではないらしい。

 映画が終わると同時に映画館の中に現れたスタッフの悪ふざけ――ゾンビ系の特殊メイクをしたスタッフ一同――を見て身を竦め、すっかり腰を抜かしてしまった瑠衣の嘆き。

 映画内容云々よりもそっちに全てを持っていかれた節がある。

 よくよく看板を見てみれば、今日はイベントが行われると告知されているそうなのだが、どうやらそれだったらしい。


 そんな訳で、瑠衣の状態が落ち着き、これから遅くなってしまった昼食に向かう予定ではあるのだが……。


「おい瑠衣。そろそろ放してくれるかね。お前が握ってるおかげで俺のシャツのごく一部にシワが目立ってしょうがないんだが」

「だ、ダメです放さないです……!」


 ホント、どうしてこの映画をチョイスしたのかと問い詰めてやりたい。


「しかし、ホラー物ならまだしも明らかにパニック映画だったな。意外とグロい描写もあったし」

「うぅ……、ゆ、油断してたですよ……」


 涙目の瑠衣が嘆く。


 ……ちょ、ちょっと何処かにゾンビ系の被り物でも置いてないだろうか。

 今なら被って振り返るだけで、瑠衣の素晴らしいリアクションを拝めそうな予感がする。


「ゆ、悠木先輩。今私の事驚かせたりしたら恨むですよ……」

「お前のその読心ぶりが俺を驚かせたよ」


 どうやらやってはいけない方向らしい。


「とりあえず、そろそろ飯にするか」

「あ、はい。だったらあそこにファミレスあるですよ?」

「あー……、まぁいいか」


 お前が指差しているのは、俺と巧の言い合いとなり、水琴が危険人物であるという確証を与えたファミレスなのだぞ、と言ってやりたいところである。

 まぁ、特に騒動らしい騒動を起こして店に迷惑をかけた訳でもないし、別に入っても問題はないだろう。

 結局瑠衣を連れて、そのファミレスへと足を運ぶ事になった。


 夏休みというのは学生だけの長期休みである。

 世間に出ていらっしゃる大人様がたはお盆前のこの時期に休みとは言えないようで、ファミレスの中は意外と閑散とした印象を受ける。

 店員に案内されて、比較的に周りにも客のいない窓際のテーブルについた俺と瑠衣は、お互いに向かい合って腰を落ち着け、メニューを開いた。


「うー……」

「どうした? あぁ、お子様ランチAセットとBセットで迷って……痛たたたっ、おい瑠衣。脛を蹴るんじゃねぇ」

「この、このっ……! お子様ランチなんて頼まないです!」


 メニューと睨めっこしながら唸り続ける瑠衣に助言を与えてやろうかと思ったら、弁慶の泣き所をひたすらに蹴りながら全否定されてしまった。

 冗談だと言うのに、瑠衣は子供扱いされる事に怒りやすいな。

 それがかえって子供っぽいという事実を口にしてはいけないのかもしれない。


 ともあれ、店員を呼んでお互いにメニューから注文。

 料理が運ばれて来るまでに映画の話をしていた俺達だが、食事が一段落するに連れて瑠衣の口数が減っていく。


 なんだかんだで――きっと瑠衣は三日前の事を気にしているのだろう。

 ずっと訊かずにいてくれた瑠衣だ。それの糸口を探しているといったところらしいのだが、さっきから目線が泳いだり困惑したりと、面白い表情を浮かべている。


 まったく、不器用なヤツだ。

 覚悟を決めた俺は瑠衣を見据え、口を開いた。


「なぁ、瑠衣。この前のプールの時の事、悪かったな」


 気分は汚職を公表され、マスコミに発表している政治家の気分である。

 明言を避けてきたが、さすがにいつまでもこのままではいられない。シャッターを切って明滅するフラッシュの代わりに、瑠衣の視線が突き刺さっている。


「……聞かせてもらっても、いい、ですか?」

「全部説明すると、結構長い話になるけどな」

「大丈夫です。ちょっとだけ、聞きましたから」


 瑠衣はゆっくりと口を開いた。

 どうやら水琴も俺達の事を心配していたらしく、瑠衣と状況の摺り合わせを行っていたらしい。水琴が雪那から話を聞いて、それを瑠衣に伝えたのであろう。


 俺と雪那、それに沙那姉の間に起こった、あの夏の出来事。

 その一部始終とはいかないまでも、どうやら雪那目線で見ていた過去を水琴から聞かされたらしい。


 ……勝手に人の過去を知るな、と怒るべきなのだろうか。

 そんな事を考えてはみるものの、瑠衣と水琴には悪気などないだろう。

 どうやら瑠衣もそれを気にしていたようだが、これは単純に俺の動揺が招いた不和であって、そこを責めるつもりなどない。


 そんな心情を告げると、瑠衣は安堵したかのように話を続けた。


「――……と言うのが、私が聞いた話なのです……」


 汗をかいたメロンソーダの入ったグラスを手にした瑠衣が、そんな言葉で締めくくる。


「……うん、ちょっとコーヒー取りに行くから待っててくれ」

「え、あ、はいです」


 ドリンクバーに向かって歩きながら、どこまで話せばいいものか思考を整理する時間を作る。

 沙那姉の存在を見られた事も考えるなら、隠していてもしょうがない気がする。

 だからって、全てを瑠衣に話してしまっても良いものか、それが判断できないというのが本音だった。

 ドリンクバーでコーヒーを入れて、ガムシロップとミルクのポーションを手に席へと戻った俺は、それをコップに入れてかき混ぜながら口を開いた。


「……七年前。あの夏に起こったそれを、雪那はまだ知らねぇんだよ」


 ゆっくりと口を開いた俺に、瑠衣は真剣な目付きで話を聞こうと姿勢を正して座り直した。







 ◆ ◆ ◆







 突如として晴天は一転。

 空には灰色の雲が流れこんで来て、少しばかり薄暗くなった懐かしい我が家。

 私――櫻雪那――と対峙していた姉さんは、雨が降り出しそうな気配を察すると、先に一声かけて縁側の窓を閉めに動き出した。


 ちょうど窓を閉め始めると同時に降り出した雨粒が窓に線を走らせる。

 地面に打ち付け始めた雨が、夏の陽射しによって熱せられた熱を押し流すように降り注ぎ始める中、姉さんは私の向かい側に腰を下ろして――ゆっくりと口を開いた。


「……ツケが見事に回ってきたって感じね」


 小さな声で呟き、姉さんは嘆息した。


「篠ノ井さんの娘さんと雪那が和解している事も、悠木くんがこの町に帰って来ていた事も、本当に誤算だったとしか言いようがないわ」

「誤算……?」

「えぇ、誤算も誤算。でも、本当に誤算だと言えるとしたら、ゆき。あなたがこの町に、聖燐学園に進学したいと言い始めた事そのものが、そもそもの始まりだったと言うべきでしょうね」

「……やっぱり、あの夏――七年前、私が知らないところで悠木くんと何かが……?」

「えぇ、そうよ。あなたは知らないでしょうけれど、私はあの時――悠木くんを騙して、裏切った」


 ――それを隠し通すつもりだった、とは思えない。

 水琴さんと話していた時に出てきた、まるで見せつけるかのように姿を現した姉さんのやり口。水琴さんに言われてようやく気付かされたのは事実だけれど、姉さんの頭の良さや要領の良さを知る私だからこそ、改めて――“有り得ない選択”だと強く実感した。


 逃げも、逃しもするつもりはない。

 言下にそんな思いを込めてまっすぐ姉さんを見つめる私を見て、姉さんは苦笑を浮かべた後に沈痛な面持ちで続けた。


「……ゆきは、まだ小さかった。裏切られて、それがどれだけお父さんとお母さんを傷つけたのか、ゆきは知らなかったでしょうね」

「それは……」


 当時の自分に、果たして両親の気持ちが理解できたのかと問われれば、私は姉さんが言う通り理解なんてしていなかっただろう、とも思う。

 私が篠ノ井さんの一件を知らされたのは、引っ越して二年半以上も過ぎた、中学生になる頃だった。父さんと母さんも、まだ四年生だった私に全てを知らせるのは酷だと、そう考えていたらしい。


「お父さんとお母さんが、篠ノ井さんがやっていた事に気付いたのは、あの年の七月。偶然、ゆきが寝た後にリビングで話してる声を聞いたのは、その頃だったわ」


 当時、すでに中学生だった姉さんはテスト勉強の為に遅くまで起きていたらしい。

 水を飲んで寝ようとリビングに向かっている最中に、父さんと母さんの話し声が聞こえて、思わず近づいてしまった。

 そうして、姉さんは見てしまったそうだ。


 いつも冷静で温和な父さんが傷つき、母さんが泣き出してしまいそうな表情を浮かべながら、篠ノ井さんの行った行為――つまりは“明確な裏切り”に、傷つき、嘆いていたその姿を。


 姉さんは思わず言葉を失って、その時に母さんに見つかってしまったらしい。

 部屋に招かれ、事情を説明されたそうだ。


「――きっと、お父さんとお母さんは私にそれを受け止めて欲しかったんでしょうね。でも、当時の私にはそんな事を受け止められるだけの器なんて持っていなかったわ」


 私が話を聞かされたのは、確かに当時の姉さんと同じ中学一年生の時。

 私は単純に、あくまでも過去の話として受け止める事ができた。

 そこに怒りはなくて、篠ノ井さんのお父さんが亡くなったという話も聞かされていたからこそ、ただただ純粋に、事実を事実として受け止めた。

 でも、その事実を後から知った私と、父さんと母さんの苦悩を目の当たりにしながら全てを知った姉さんとでは、当然ながらに考える事は違ったらしい。


「……私には、許せなかった。“裏切り”はこんなにも人を傷付けるんだって、初めて知ったような気がしてならなかった。それと同時に、誰も彼も信用できなくなってしまったの。あれだけお父さんとお母さんと仲が良かった篠ノ井さんが、あっさりお金の為に裏切った。人間はそうやって簡単に裏切るんだって理解した。――ううん、正確に言えば、理解したつもりでいたのね。そして私は、最初の、そして今でも消せない過ちを犯した」


 姉さんが言葉を区切って、改めて私を見つめた。

 後悔しているだろう事は、姉さんの表情からも確かに読み取れた。


「あの時の私は、突然告げられた人間の汚さを前に押し潰されてしまいそうだった。だから、裏切った張本人である篠ノ井さんや、その娘であるゆずちゃんがどうしても許せなかった。周りの人間も、いずれ自分をあっさりと裏切るんじゃないかって疑心暗鬼に駆られた。そして、家族以外の全ての人間が怖くなった。信じられなくなって、悲劇のヒロインでも気取るかのように、心は塞ぎ込んでいってしまったわ……。幸い、そうなる頃には学校もテストを終えて長期の夏休みに入った。そのおかげで、ゆっくりと休む時間があったのは確かね……」


 多感な年頃の、中学生の頃の姉。

 なまじ全てを理解できてしまう頭の良さがあるからこそ、姉さんの心は崩れてしまったのだろう。


 そうして――姉さんは、どこかに行き場のないその感情をぶつける事にした。


 ――――悠木くんという、一人の少年に。


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