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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第二部 一章 沙那と雪那
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#005 瑠衣の呼び出し

 悠木くんが突然帰ってしまった、あの日から三日。

 私――櫻雪那――はまるで一年前にそのまま戻ってしまったかのような、ほぼ毎日を一人で過ごすという日々を過ごしていた。


 悠木くん達と接触を決めて読書部へと踏み入れた春、あの日を境にこうして一人きりで行動する頻度はずいぶんと少なくなった。

 食事だってそう。いつも自分の部屋で簡単なものしか食べようとしなかったけれど、寮が合同になって、朝と夜は食堂に行けば悠木くんがいるから――私も食堂で食事を済ませるようになった。


 けれどこの三日、悠木くんとは一度も顔を合わせていない。

 というのも、悠木くんが食堂に来ないから、という訳ではなくって、私自身が何も知らないままだと彼を問い詰めて――追い詰めてしまいそうだから、食堂に顔を出さないようにしているに過ぎないけれど。


 そうして、ようやく今日を迎えた。

 私はあの日、水琴さんとの話し合いの後、すぐに姉さんに連絡した。

 忙しいから数日ほしいと言われて、思ったよりも時間がかかってしまったけれども、今日になって懐かしい我が家で会う約束をしている。


 子供の頃に出て行って以来、一度も足を踏み入れていない場所。

 一年前もお墓で合流こそしたものの、避けるように足を伸ばそうとはしなかった実家。

 記憶通りの道を通り抜けて、見えてきた垣根の向こうに佇む大きな日本家屋こそが、私の実家。まるで時間が止まってしまっているような光景を前に、込み上げてくる懐かしい記憶。


 戻らない過去と現在の違いを物語るように、我が家の門の前には――七年前からずいぶんと大人になった姉さんの姿があった。


「やあ、ゆきちゃん」

「……姉さん」

「もう。せっかく私が久しぶりにちゃん付けしてるんだから、昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれてもいいのに」

「そういうのはとっくに卒業したじゃない」


 聖燐高校に進学して以来だから、こうして正面から顔を合わせるのは一昨年の春休み以来。

 七分のジーンズに白いカットシャツ。ふわりと揺れるミルクティー色の髪。見た目も大人らしくなった姉さんは、何も答えようともせずにじっと顔を見つめている私に対して、苦笑すら浮かべようとはせずに何食わぬ顔をして立っていた。


 ――……気のせい、じゃない。

 なんだか姉さんが、今の私には酷く遠い存在に見えた。


 七年前の突然の引っ越し。

 当時、いまいち状況を理解できなかった私は唐突な引っ越しにも、“ゆずちゃん”に別れを告げる事も許されず、傷ついた。あれ以来、私と両親の間に生まれた僅かな――確かな溝は、時が過ぎても修復される事はなく、いっそ広がりつつあると言っても過言ではない。


 そんな私と両親の間を取り持ってくれていたのが、姉さんだった。

 だから私は、姉さんに対して絶対的な信頼のようなものを抱いていた。


 けれど――それが今となっては、酷く薄っぺらいものに見える。


 結局のところ、狭い世界でしか生きていなかった私の視野が狭かっただけ。

 エスカレーター式の小中一貫校で育ち、友達らしい友達をあまり作らなかった私が、ただただ盲目的に姉さんだけを信頼していたのだと、今の私にはよく分かる。


「――ゆきは、変わったんだね」

「え?」


 嬉しそうに呟いた一言。

 聞き取れなかった一言を訊ね返す私を無視して、姉さんはかつて私達が暮らしていた家へと振り返った。


「懐かしいよね、この家」

「……そうね」

「去年はここに来れなかったからね。ゆきも去年はここに泊まらなかったんだって? お墓参りしてからさっさと寮に戻っちゃったって聞いてたけど」

「えぇ。そうしたわ」

「そっかそっか。今なら帰ってきても大丈夫だって、そう思ったのかもしれないね。――ねぇ、ゆき。家の鍵預かってるから、中に入ろう」


 私の返答を待つ事もなく、姉さんはさっさと木造の扉に鍵を挿して門を開けると、荷物の入ったスーツケースを引っ張って中へと足を踏み入れてしまった。そんな姉さんを追いかけるように、私も門を潜って敷地に入る。


 懐かしい庭。

 日本らしい庭園は祖父の趣味でもあったらしくて、小さい頃はこの庭でさえも物凄く広く感じたものだった。

 門から続く敷石の一つ一つは、子供の頃は大股で歩く必要がある程だったのに、今では跨ぐのも楽になっている。


 一つ一つの情景に懐かしさを覚えながら、それでも過去と現在の違いを明確に理解していく。


 ――「俺達は少しばかり大人になったんだから」。

 篠ノ井さんの一件で塞ぎ込んでいた私に、悠木くんが告げた言葉。

 それを今になって改めて実感したような気がして、ついつい頬が緩む。


 姉さんはさっさと家の玄関を開けたようだった。

 家の中からは籠もっていた日本家屋特有の木々の匂いが鼻を掠め、懐かしさが胸の内に広がる――と同時に、思わず私は口元を押さえた。


 梅雨が抜けた頃から、掃除と換気を頼んでいると聞いた事はあるけれど……それでも湿気の多い日本の夏だ。湿度の高さもあってか、篭っていた臭いが少しばかり鼻につく。

 そんな私を放って、姉さんはさっさと縁側に向かっていたらしい。

 雨戸を開け、窓を開け放って空気を入れ替えていた。


 畳もこの夏に合わせて張り替えてあったのか、真新しい畳の色。

 家具の一切もろくに残ってはいないが、古い和式の家具などはこの家の中に置かれており、今も十分に使えそうだ。


「飲み物とかも買ってきたし、少しゆっくりしようか。ブレーカーあげてくるから、ちょっと待ってて」

「うん」


 姉さんに言われ、かつては客間として扱っていた縁側に近い広い一室で私はそっと腰を下ろした。


 姉さんは……何故か嬉しそうでもあり、同時に悲しそうでもある。

 それが、さっきから姉さんを見ていた私が抱いた、素直な感想だった。


 水琴さんの言っていた通り、もしも姉さんが悠木くんを口止めする為じゃなくて、何か目的があったのだとしたら――もっと焦りもしそうなものだ。

 聡明な姉さんが、三日前の事が単純に私にバレていないと考えているとは思えない。

 だとしたら、さっきから姉さんが纏う奇妙な空気は一体何を意味しているのだろう。


 そんな思考を巡らせていると、姉さんが玄関に置いていたスーツケースを引っ張って戻ってきた。


「よっと、おまたせー」


 戻ってくるなり、姉さんは机を挟んで私の向かい側に座って、持って来ていた大きなスーツケースから服やらを取り出し始めた。


「どうして荷物まで持ってきたの?」

「うん、予定変更して、今日からここで夏を過ごそうと思ってね。お父さんとお母さんもそうするって言ってたし、ゆきもそうしたら?」

「私はいい。寮も離れてないし」

「悠木くんも寮にいるから、って? はいこれ、お茶ね」


 悪戯に目を輝かせる姉さんに嘆息しながら、渡されたペットボトルを受け取って感謝を告げる。


「……ねぇ、姉さん」

「うん、そうだよ。三日前に悠木くんと私は会った」


 私の質問を遮るように、姉さんはさも当然とでも言いたげに続けた。


「悠木くんから、何を言われたか聞いてないの?」

「聞いてない。何があったのかって訊いても、悠木くんは何も教えてくれないし……」

「……そう。わざわざ私を呼び出したのは、それを訊く為だったってこと?」


 僅かに目を見開いた後で、姉さんは――困ったように頭を掻きながら苦笑した。


「……まいったわね。てっきり私は、ゆきに責められると思っていたんだけれど」

「責める……?」

「えぇ、そうよ。きっとゆきが全てを――あの夏の事も、私が三日前に悠木くんに話した内容も全て聞いた上で、そうしてくれる(・・・・・・・)と思っていたんだけれど……アテが外れちゃったみたいね」


 それはまるで、“自分を責めてくれる事”こそが狙いだったとでも言いたげな、そんな言葉だった。


「……どういう事、なの? お姉ちゃん、教えて。本当はあの夏、何があったの? どうして姉さんは、三日前に悠木くんに接触したの?」


 意を決して、私は真実に触れるべく言葉を発した。







◆ ◆ ◆







 なんだかんだで、逃げるようにプールから帰って三日が過ぎた。

 あれ以来、気まずさも相俟って誰とも会わずに過ごして来たのだが、そんな俺に呼び出しがかかった。


 呼び出しの張本人は、まさかの瑠衣である。

 何やら俺の事で色々と心配してくれていたのか、あれから瑠衣からの連絡は結構な頻度で届いている。


 沙那姉についての事は触れないでいてくれるのがありがたいんだが、俺としても現状を現状のまま放っておく訳にはいかないと、そう思っているのも事実だった。


 そんな訳で、瑠衣の呼び出しに応じて気分転換を図り、色々と吹っ切るつもりでいた。

 ジメジメとしているのはこの陽気だけで十分だしな。


 まったく、湿度なんて大嫌いだ。




 瑠衣との約束の時間に合わせて、待ち合わせしていた駅ビルの中にある本屋へと向かう。

 夏の暑さは相変わらずで、この数日のクーラーを利用した引き篭もり生活のおかげですっかり暑さに耐性を失ってしまったのか、晴天というのはかなり酷だ。


 ようやく駅ビルに辿り着き、本屋を覗き込む。

 さすがに、学生である俺達にとっては夏休みであっても、社会人やら世間一般にとってみればまだまだお盆前。

 当然、本屋の中は閑散としている。


 そんな中で、赤基調のチェックの短いプリーツスカートにミュール、上着は袖の短い黒を基調にしたシャツを着た瑠衣が、ラノベのコーナーで右往左往している姿が目についた。


 そっと視界に入らないように近づいて――咳払いもなく口を開く。


「お客様。万引きは犯罪です」

「うにゃっ!? ゆ、悠木先輩! 開口一番に人聞きの悪い言葉をぶつけないでくださいっ! 冤罪です!」


 情けない声と共に振り返った瑠衣がツッコミを叫んだ。


「おいおい瑠衣。本屋では図書館と同じく、静かにしなきゃいけない、みたいな暗黙の了解というものがあってだな。それをぶち破るのはどうかと思うぞ」

「た、確かにそういう節もあるですけど、絶対悠木先輩のせいです……! というか、図書館以外でも大声は失礼な気がするですよ……!」

「奇遇だな。俺もそんな事に気付いたところだ」


 公共の場で叫ぶのは確かに迷惑だろうしな。

 瑠衣め、なかなか的確なツッコミを入れてくるではないか。


「あ、そうだ。悠木先輩、この前ウチの部室に置いてある本の新刊が発売したみたいですけど、題名覚えてるですか?」

「あー……、何だっけか。確か瑠衣が読んでたヤツだよな? お前、自分で読んでたんだから分かるだろ?」

「……そ、それが、長い題名だったので憶えてないです……」


 ……………………。


「おい瑠衣。確かに最近は長い題名のものが多い気もするが、新刊を待ち望むクセにそれってどういう了見だ」

「そ、そう言われるのは痛いところです……」


 瑠衣が見ている視線の先には、確かに長い題名の本が溢れていた。

 題名詐欺みたいな本が多いせいで、俺にもよく分からん。

 ジャンルも似てるし。


「でも、しょうがないですね……。今度部室で調べておくですよ……」

「だな……」


 違った本の途中を買ってもついて行けない可能性は否定できないしな。

 一応は部費で申請するのだが、さすがに新シリーズをその為だけに買う訳にもいかないし。


「それで、今日はどうするんだ?」

「あ、ちょっと行きたい所があるですよ」

「デートだな?」

「……悠木先輩と一緒にいても、そういう気分にならないのは間違いないです。部活の延長な気分です」

「……そうか」


 まぁ、瑠衣も巧ハーレムの構成員だからな。

 デート、とか言ってみたものの、そういう雰囲気は感じられない。

 まぁ女子と二人きりで出掛ける、という時点でデートだと自分に言い聞かせる事ができない訳でもないんだが。


 悔しくなんてない。

 完全否定を前にすると、悔しさなんかよりいっそ清々しい気分だ。

 悔しくなんて、ない……!


 本屋への冷やかしも早々に、瑠衣に連れられて映画に付き合わされる事になった。


「……なぁ瑠衣」

「はいです」

「俺の記憶が正しければ、お前はホラーとかは苦手だったと思うんだが」

「そ、そそそんな事ないです! 夏と言えばホラーは外せないです!」


 何を観るのかと訊ねてみて返って来た返答は、ホラー映画の立て看板に突き付けられた人差し指。

 その威勢の良さとは裏腹に指が震えているのは気のせいなのだろうか。


「お前、もしかしてアレだろ。ホラー系の特番とか見たがるクセに、見た後で何するにもビクビクしちゃうタイプだったりするんだろ」

「っ!? な、なんでそれを……!?」

「それで見なければ良かった、とか思うクセに、特番やるって知るとチェックしちゃうタイプだろ……って、おい瑠衣。何処に行くつもりだ。まさか図星で逃げようとしてるんじゃ……」

「は、放してください……! 私はただ……、ほ、ほら! 悠木先輩、コーラでいいですか!? 夏ですし暑いです! 買ってくるです!」


 言及から逃れようとする瑠衣の腕を掴むが、瑠衣が俺から逃れようと売店コーナーに向かおうと抵抗する。

 なんなんだ、こいつは……。


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