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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第二部 一章 沙那と雪那
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#003 亀裂

 雪那に連れて行かれたウォータースライダーは、どうやらカップルが楽しむ為に作られているのか、二人一組で滑るか一人で滑るかを選ぶような類のものだったらしい。


「……悠木くん、その、私は後ろでいい?」

「……そうだな。あぁ、前よりは多分マシだと思う」


 直接的な刺激がなくて助かる、とは言えない。

 雪那は想像以上の急さと高さに怖くなってしまったようだが、俺はむしろこの布面積で密着しながら滑る事に恐怖を感じているなど、きっと雪那は知らないだろう。


「はーい、じゃあ彼女さんはしっかりと彼氏さんにこう、抱き着いてくださいねー」


 係員さんの言葉に反論などできるはずもなく、先に座った俺の背に、どうも顔を真っ赤にしているらしい雪那がそっと抱き着いてきた。

 ……落ち着け、俺。

 背中に当たっている柔らかい感触も、素肌に触れる雪那の肌も、今は何も考えてはいけない。この状態で元気になったら、色々とまずいのだ……!


「はーい、じゃあ行ってらっしゃーい!」

「へ――?」

「きゃ……!」


 雪那の背中が押されたらしく、そのまま俺達は――なんの心の準備もへったくれもなく、抗えない速度で滑っていく。

 どうやら雪那は俺に抱き着いて肩に顔を埋めているらしいが、このスピードに喜ぶ余裕なんてなかった。抗えないまま流れていくせいで、密着している嬉しさやら感動なんてものは吹っ飛び、あれよあれよと言う間に滑り落ちていくという恐怖しかない。


 そうしてしばらく滑り続け、俺達は抗う事などできるはずもなく着水した。


「けほっ、けほっ」

「雪那、大丈夫か?」

「え、えぇ、大丈夫……。思ったより怖かったわ……」

「あぁ、でも……」

「そうね……」

『――楽しかった』


 お互いに終わってみれば楽しさが込み上がってきて、ついつい顔を合わせて笑い合う。

 青春の一ページに相応しいのではないだろうか――と考えているところで、無粋なプールの監視員に「早くあがってくださーい」と言われて、俺達は慌ててその場を後にした。


 プールを上がって、一人ぼーっと佇む。

 雪那はお手洗いに行くと言うので、そのまま待っていたのだが――――


「おぉ、あの少年だ!」

「有難うございました」


 ――聞き覚えのあるむさ苦しい声が聞こえて、視線を移す。

 どうやらさっき俺の代わりにナンパ男達を撃退したらしい監視員だったようで、こちらを指差しているかと思えばサムズアップしてきた。


 監視員の男に言われ、こちらへと歩み寄ってくる女性。

 白いビキニで腹部の中心を通った布と腰が繋がり、そのまま首まで伸びている水着を着た、ミルクティーカラーの髪色の女性。セミロング程度の髪は毛先にパーマを当てているのかふわりと揺れていた。

 サングラスをかけているせいか、いまいち顔は判然としないが、ずいぶんと整っているらしい。


「さっきはありがとう」

「あぁ、いえいえ。お気になさらず」


 声の調子からさっきの女性だろうと当たりをつけていた俺に、その女性が声をかけてきた。

 雪那達なら日頃から話しているからまだしも、水着姿の女性と話すなんてハードルが高い。ついつい会釈を返しながらそっと視線を顔へと移すと、女性はサングラスを外した。


「――久しぶりね、悠木くん」


 その蠱惑的とも言える瞳、その声にその呼び名。

 サングラスを外したその顔は、俺がここ数ヶ月、毎日のように見ている雪那と似ていて――思わず俺の全身から、血の気が引いた。


 ――目の前に立っているその女性を、俺が見間違えるはずもなかった。

 あの頃とは違う髪色に、薄っすらと化粧をしているだろう事が窺える。

 南国をイメージしたプールサイドで目眩を感じ、すぐ傍に立っていた椰子の木に傾いだ身体を預けながら、俺は彼女を見つめる。


 ――どうしてここにいる。

 いや、いるかもしれないと、雪那から会いたいかと問われた時から、薄々感じてはいたのだが……何故、今日ここにいるのか。


「……沙那姉……」

「懐かしいわね、そう呼ばれるのは」


 ――まさか、雪那が教えたのか?

 俺と接触させる為に、雪那が――とそこまで考えて、その考えは間違っているだろうと振り払う。そもそも、雪那は俺が嫌がっているのを知っていて、それでも敢行するような性格はしていないのだから。


 だとしたら偶然――なんて事があるのだろうか。


「……どうしてここに?」

「どうして? おかしな質問ね。むしろそれは、私があなたに言うべき言葉、じゃないかしら?」


 会いたいと思っていた相手。

 それでいて、会いたくないと思った相手。

 彼女は俺の驚きに見開いた目を、まっすぐ見つめて口を開いた。


 半月を描くように開かれた唇から、言葉が紡がれた。


「私、言ったよね(・・・・・)――?」


 相も変わらず、寒気のする笑顔を浮かべて彼女は続けた。


「――二度とゆきに近寄らないで、って」







◆ ◆ ◆







「あ、雪那先輩」

「あら、瑠衣ちゃん。どうしたの?」


 巧先輩やゆずさん、水琴先輩と遊んでいた私――宝泉瑠衣――がお手洗いに入ったところで、さっきから見かけなかった雪那先輩と鉢合わせた。


「悠木先輩と雪那先輩を探すついでに、お手洗いに。もうすぐお昼ですし、いつの間にかどこか行っちゃってたですから」

「あぁ、ごめんなさい。悠木くんならトイレの外で待ってるって言ってたけど……」

「トイレの外、ですか? 会わなかったですよ?」


 いくら人が多いって言っても、悠木先輩なら私を見たら声をかけてくるはず。

 それに私も探しながら歩いていたし、いたら見かけているはずだけど……。


「おかしいわね。悠木くんが勝手にフラフラとどっかに行くなんて思えないのだけど……。少し探してみようかしら」

「ちょ、ちょっと待っててほしいですっ」

「えぇ、外にいるわね」


 用を済ませて外に出ると、雪那先輩が周りを見回しながら立っていた。

 お昼休みだし、人の通りは少ない。私も雪那先輩に近づきながら周りを見てみるけど、悠木先輩の姿は見当たらなかった。


「いないわね……」

「どこか行っちゃったですか……。あ、もしかしたら悠木先輩もトイレかもですよ? 雪那先輩が言う通り、悠木先輩が雪那先輩を置いて勝手に何処か行くとは思えないですけど……あっ」


 悠木先輩だ――と思うと同時に、そんな悠木先輩と話しているらしい一人の女性が見えた。

 ま、まさか悠木先輩がナンパ!? もしくはあれは、俗に言う逆ナンというやつ!?


「――どう、して……?」

「えっ?」


 雪那先輩の声を聞いて顔を見上げると、雪那先輩は……なんだか驚いたように目を見開いて、言葉を失っているような……はっ!


 ――こ、ここ、これは修羅場というやつではっ!?


 雪那先輩と悠木先輩、なんだかんだで仲もいいですし、二人は付き合ってないとは言っても、二人の態度を見る感じだと明らかにお互いを意識しているように見える。


 でも、雪那先輩の信頼を裏切るような真似をするなんて、悠木先輩はそんな事をする人だとは思えない。


 私がどう声をかければいいかあわあわしていたら、悠木先輩が話していたらしい女性はどこかへ歩いて行ってしまって、雪那先輩が突然悠木先輩に向かって駆け出した。


「雪那先輩っ、走ったら危ないですよっ!?」


 私も転んでしまわないように、けれど置いていかれないように小走りで悠木先輩達のところへと駆け寄ると、雪那先輩が悠木先輩の腕を掴んでいた。


「ね、ねぇ! 今の、今の姉さんよね!?」

「…………ッ」

「お姉さん、です……?」


 ようやく追いついて、聞こえてきたフレーズ。


 姉さんって、雪那先輩のお姉さん……?

 まさか、悠木先輩が雪那先輩を気にしているように見えて、悠木先輩の本命は雪那先輩のお姉さんだった……!?


 思わず悠木先輩の顔を見て――私はそんな考えが間違っていると、すぐに気付かされた。

 いつも無気力というか、どこか真剣味に欠ける悠木先輩の表情は、どう見ても苦々しい、何かに耐えるような表情を浮かべて、雪那先輩から目を逸らしている。


「答えて、悠木くん……! 今の、今のは――!」

「落ち着けよ、雪那。違うって。ほら、さっき運営スタッフのキレキレのお兄さんを通して助けてもらった人、だよ。わざわざお礼を言いにきたみたいでさ」

「それはそうかもしれないけれど、でも今のは……!」


 尋常じゃなかった。

 悠木先輩が辛そうに、何かを隠そうとする姿も、いつも冷静な雪那先輩が声をあげてまで悠木先輩に詰め寄る姿も、いつもの――私の好きな二人のやり取りとは、違った。


「なんで……ッ! ねぇ、悠木くん……! 嘘言わないでよ……」

「嘘じゃないって」

「嘘よ……ッ! 悠木は、そんな顔してまで無理に笑ったりしないじゃない……ッ」

「――ッ」


 ――辛そうだった。

 悠木先輩も雪那先輩も、いつもなら噛み合うような二人のやり取りが――今は全然噛み合っていなくて、なんだか私が泣きたくなるような、そんな光景だった。


 涙を浮かべながら、雪那先輩が詰め寄るのに――悠木先輩はそれに答えているようで、答えようとはしていない。

 何も答えようともせずに目を伏せた悠木先輩から手を放して、雪那先輩が悠木先輩と話していた女性――多分、雪那先輩のお姉さんを追いかけて、再び駆け出してしまった。


「……悠木、先輩……。雪那先輩が……」

「瑠衣。雪那の事、頼むわ。調子悪いから先に帰る」

「……あの、どうして、です……?」

「……悪いな。巧達にも伝えといてくれ」


 力なく笑う悠木先輩を、私には引き留める事も、いつもみたいに声をかける事もできずに、ただ歩いていく後ろ姿を見送る事しかできなかった。


 立ったまま佇む私のところに、雪那先輩が周りを見回しながら戻ってきたのは、それから一分と経たなかった。


「雪那先輩……」

「……瑠衣ちゃん、悠木くんは?」

「えっと……体調が悪いみたいで、帰るって……」

「……そう……」

「そう、って……。止めなくていいんですか……?」


 私の問いかけに、雪那先輩は何も答えようとはしないで、首を左右に振った。


 ……私には、分からないけれど。

 でもこのまま、二人がすれ違うような光景は、どうしても見ていたくなかった。


「お、おかしいです……。ダメですよ、こんなの……」

「……ごめんなさい。これは、瑠衣ちゃんには関係ない問題だから」

「そんな……。なんで、なんでですか? 何があったですか?」

「……言えないわ」




 笑い合えていたはずなのに、それができなくなってしまう。

 そんな漠然とした直感に、私はただ言葉を失ってしまったのであった。


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