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#006 擦れ違う

『悠木くんに会ってみたいんだけど、ゆき、手伝ってもらえないかな?』


 ――姉さんから届いたメール。

 私――櫻雪那――は目の前に佇む悠木くんに向かって、意を決して口を開いた。


「……悠木くん、姉さんと会いたい?」


 姉さんからの突然の申し出。

 そんな言葉に付け加えるかのように、悠木くんの意思を確認してほしいとも付け加えられていたその内容に、私は以前覚えた違和感を再び抱いていた。


 例えば姉さんが、あの夏――七年前の出来事を謝罪したいと、そう言うつもりだとしたら、私はそれをするべきだと思っている。

 何か、私が知らない何かが二人の間にあったのだとしたら、篠ノ井さんと私の問題を取り持ってくれたように、今度は私が悠木くんと姉さんの問題の力になりたいと、そう思っている。


 だからこそ、話してほしい。

 悠木くん、あなたは一体、何を私に隠しているのか。


「なんで、沙那姉が……? 確かこの町から離れてるんじゃ……?」


 悠木くんの表情は、引き攣った笑みを浮かべていて……明らかに動揺しているのが見て取れる。

 彼らしくない取り繕うような表情に、ちくりと胸に何かが刺さったような痛みを感じる。


「……悠木くんも知っている通り、私達は小さい頃にこの町にいたの。この町にあるのは父方の実家なのだけれど、そもそも篠ノ井さんのお父さんの一件がなければ引っ越す予定も特になかったの。それで、お墓もこの近くにあるから……」

「――……ない」

「え……?」

「会いたくない」


 悠木くんの口から紡がれたのは、拒絶の言葉。

 苦い表情を浮かべながら視線を外して呟かれた一言だったけれど、だからこそ、それが彼の本心なのだと、私には理解できた。


「……どう、して……?」


 ――どうして、隠そうとするの?

 私が問いかけたのは、どうして会いたくないのかではなくて、何かがあったのなら、どうして話してくれないのかという疑問だった。


「あ、いや、ごめん。別に会いたくないって言うか、なんだろうな……。ちょっと驚いてさ。ほら、俺は基本的にイエスマンだけどさ、ここぞって時にノーを言える人間っていうか、そういう方向で行きたい訳で――」

「ねぇ、悠木くん」


 ――それ以上、そんな薄っぺらい言葉で、そんな風に私を誤魔化そうとしないでほしい。

 私には、そういう態度を取ってまで逃げずにいてほしい。


「……お姉ちゃんと悠木くんの間に、何があったの……?」

「――ッ!」


 ――分かってしまった。

 悠木くんは、本当に何もなければそんな顔はしないもの。

 そんな風に、困ったように眉を寄せながら、辛そうに表情を歪めたりもしないもの。


「……何もないって」

「そんなの嘘よ。姉さんも、悠木くんがいるって知った時に動揺していたわ」

「そ、れは……あれだろ。昔、俺がこの町に来てたのは、婆ちゃんの病気で一時的に来てただけだから驚いたとか……」

「それだけなら、驚いても動揺はしないわ」


 問い詰めているのも分かっている。

 本当なら、私にはこうまでして問い詰めるような権利はないのかもしれないけれど、それでもこうして訊かずにはいられなかった。


「……本当は何があったの? 私が知らない所で、あの夏に。あの日和祭の約束以外に何か――」

「ごめん、雪那。そこから先は、今は訊かないでくれ」


 ――今の言葉は、私に向けられた拒絶だった。

 悠木くんなら、もしかしたら呆れたように、引こうともしない私に根負けして話してくれるのではないかと、そんな風に思っていただけに……ショックだった。


「ごめん」

「ううん、無理に聞こうとしている私が悪いの。私からは訊かないわ」

「……ごめん」

「……お願い、謝らないで……」


 思わず溢れそうになる涙を、拒絶された痛みをぐっと堪えるように、俯きながら答えた。

 そんな奇妙な空気は、私達が寮に到着するまでずっと続いていた。







◆ ◆ ◆







「――うん、確認も完了したし、今データ送っておいたわ」


 机の上に置いたノートパソコンを操作していた“Sana”さん……というより、ゆっきーのお姉さんである沙那さんが、私――兼末水琴――に向かって微笑を湛えて作業の終了を伝えてきた。

 データを入れたUSBメモリを返してもらって、私は思わず安堵のため息を漏らした。

 ようやく夏コミに向けての自分の役目が終わったのだと思うと、今更ながらに疲れを実感してしまう。


 八月の中旬頃に行われる夏コミまで、およそ三週間。

 こんなにギリギリのタイミングになってしまったのは、偏にサークル側の作業が滞ってしまって、その皺寄せが私に押し寄せてきたからだ。

 せめて私がもう少し内側に――サークルに直接参加しているのなら、流れをもう少しぐらい把握できたのだろうけど、まぁいい経験になったと思って忘れよう。


「沙那さんもお疲れさまでしたー。結構スケジュール押してましたよね?」

「まぁそうね。でも、私は好きでやってる事だしね。疲れとか苛立ちとかより、どちらかと言えば達成感というか、そういう気分の方が強いかしら」


 コーヒーを口に運びながら、余裕のある言葉。

 なるほど、大人の女性はこういう風になるのかぁ……私には無理かなぁ。


「そういえば沙那さん、オタクっぽさというか、こういう系に興味なさそうな見た目ですよねぇ」


 デキる女って感じの沙那さんと、二次元との組み合わせにはどうにも違和感が拭えない。

 表向きはそういった空気を出さないようにする、いわゆる“隠れオタク”と呼ばれているような人もいるけれど、沙那さんの場合はなんていうか、根本的にそういった趣味とはかけ離れ過ぎているのだ。

 まぁ、それを言ったらゆっきーが読書部にいるっていうのも、なんていうか似合わないんだけどねぇ。


「正直に言うと、私は二次元とかそういったものには、実際のところは興味ないわ」

「へ? そうなんですか?」

「私の立場は……そうね、マネージャーといった所かしら。スケジュール管理や色々な方面への出品の段取りとか、そういった面で手伝っているだけなのよ」


 見た目からは予想通りというか、想像できるけれど……もし会う前だったら、そう言われても疑ったかもしれない。

 私が個人で投稿している絵の投稿サイトを通して連絡してきたのは沙那さんだったし、てっきりサークルの中心人物というか、リーダー的な立ち位置にいるものだと思っていたから。


「どんなジャンルであっても、納期を抱えたクリエイター達や運営側との手続きだったり、そういう部分にそこまで大きな差はないはず。そう考えて、見識を広めるために勉強させてもらう意味で参加しただけなのよ。サークルの子達はもちろん友達だけどね」


 想像とは違ったが、デキる女。

 そんな印象が、ここに来てより一層強くなったと感じるなぁ。


「それより、水琴ちゃん。気を付けなきゃダメよ?」

「え?」

「ネットで学校名とか駅名とか、字では打ってなくても写真に外観は載っちゃってるしね。好奇心から学園の名前だって推測されたりもしてるでしょ?」

「あははー、そうなんですよねー。そのせいで、『お嬢様学園、聖燐学園に通う女子イラストレーター』とか云われたりもしちゃってますもんねー」


 正直に言えば、ちょっとは聖燐学園というネームバリューを利用するつもりがなかったと言えば、嘘になるかな。


 知る人ぞ知る名門、お嬢様学校。

 そんなキーワードは、ある意味では二次元の創作物では舞台になりやすいし、そんな場所にいるともなれば、良くも悪くも注目を浴びやすいかもしれないと考えたからねぇ。


「いつ何処で、何を利用されるか分からない時代なんだから、そういうのは気を付けるようにね。それに、一歩間違えたらストーカーとかだって出てくるかもしれないんだから」

「いやー、私みたいな女にはそんなのつきませんよー」

「あら、そうかしら? 背も高いし胸も大きいし、化粧はしていないみたいだけど、それでもパーツは整っているもの。自覚がないだけじゃないかしら。もしかしたら、もう写真とか撮られてたりして、ね?」


 ……なんていうかこう、そう言われると浅はかだったと思うね、うん。

 沙那さんの物言いもゆっきーと似てるけど、笑いながらこういう事を言ってくるあたりはゆっきーとは少し違うかもしれない。


「ま、冗談はこれぐらいにしておきましょうか」

「もー、脅かさないでくださいよー」

「ふふ、ごめんなさい。ただ、そういうのは注意しないとね。利用されちゃうから、ね」

「こわいなー。あ、そだそだ。ゆっきー呼びます?」

「ううん、今は忙しいからまた今度にするわ。それと、あの子には私と会ったって事、内緒にしてくれるかしら?」


 予想だにしていなかった提案に、思わず小首を傾げる。

 疑問に思う私に気が付いたらしくて、沙那さんは苦笑を浮かべて続けた。


「お墓参りにこっちに来る予定になってるんだけど、あの子にちょっとしたサプライズでもしようと思ってて」


 ウインクを添えて告げられた提案に、ついつい私もノリノリだった。

 サプライズするなら、無粋な真似はできないしね。


「水琴ちゃん、雪那とは同じクラスなの?」

「いいえー。部活が一緒なんですよー」

「部活? 確か雪那の入学案内に書いてあったと思ったけど、特待生って部活に入る義務はないんじゃなかったかしら?」

「よく知ってますねー。入る義務はないですけど、参加するのはオーケーなんですよー。私も特待生ですけどそこに入ってますし、あと、男子の悠木くん――って言っても分からないですよね。男子の特待生も一人、そこに入ってるんです」

「ふーん、そう、なのね。特待生は部活に入る人が多いの?」

「いやー、少ないですねー。それに、ウチの部活は部活って言うよりも、ただのお喋り会っぽい部分もありますからねー」

「それはそれで楽しいじゃない。部員は結構いるの?」

「あー、いえ。あと三人いるだけですよー。同い年の二年生が二人と、後輩の一年生が」

「そう。楽しそうね」


 うーん、やっぱりゆっきーに似ている。

 ゆっきーの方が凛とした空気を放っているような印象だけれど、沙那さんは柔らかく微笑む中にもゆっきーに似た空気を感じられる。

 他者を寄せ付けようとしないゆっきーは孤高の人って感じだけど、沙那さんは柔らかな空気の中に、他人には気軽に近づけないような空気がある。


「ねぇ、水琴ちゃん。雪那に恋人とかいないのかしら? 例えばその、同じ読書部の悠木くん、かしら?」

「あー、どうなんですかねー。仲がいいのは間違いないですけどねぇ」

「あら、あなたからはどう見えてるの?」


 私はまだ読書部との付き合いも浅く、確定的な事は言えないけれど。

 そう前置きして、私はその後も沙那さんと色々な事を話した。







◆ ◆ ◆







 雪那との間に生まれた、重い沈黙。

 我ながら、急に沙那姉の話が出てきて、しかも会いたいかと訊ねられて返した言葉は、なんというか……女々し過ぎて苦笑が浮かぶ。

 そう思いながらも、何を言えばいいのか分からないまま、俺達は寮に着いてしまった。


「ごめんなさい、悠木くん。さっきの事は忘れてくれていいから」


 悲しそうに目を伏せて、雪那は俺にそう告げた。

 そんな顔を見たい訳じゃない。

 でも、俺が感情のまま真実をぶち撒けて、そんな事をしたら雪那はどうなるのか。

 それを考えると、俺の口から言葉は出てこなかった。


 くだらない事を饒舌に話せるのに、大事な言葉は出てこない。

 そんな自分の不甲斐なさと、女々しいのか頑固なのかと訊かれれば前者であろう俺の弱さに、俺は「ごめん」の一言だけしか告げられなかった。


「明日は楽しみにしててね。水着」

「あぁ、うん」

「……それじゃあ、おやすみなさい」


 元気づけようとしてくれたのか、水の流そうとしたのか。

 そんな雪那に乾いた返事を返すと、雪那は顔を伏せたまま階段を駆け上がって行った。




 日の長くなった夏の夕刻。

 薄っすらと暗くなった自室へと戻った俺は、ベッドの上に身体を投げ出した。

 考える事はさっきまでとなんら変わらない、沙那姉との事について。


 あまりにも唐突な話に、俺は明確に拒絶するという選択を選んだ。


 この町にやって来たのは、ある意味では過去の――自分自身との決別という目的がない訳じゃなかった。

 都合良く記憶から消して、「あぁ、この町だったのか」なんて馬鹿げた話がある訳もなく、俺自身が選択して、掴み取って、この町にやって来たのだ。


 決別したい、清算したい過去の一つには、当然沙那姉とのあの夏の事がない訳じゃない。

 なのに――あの時、雪那から唐突に沙那姉の事を口に出されて、あまりにも急な名前の登場に頭が真っ白になってしまったというのだから、情けない話だ。


 くだらない言葉を並べて有耶無耶にしようとして、それに失敗して――結局俺は、沙那姉だけじゃなく、雪那さえも拒絶した。


 ――それ以上訊くな。踏み込んでくれるな、と。


 自分に苛立ち、歯噛みする。







 なんだかんだで、うまく噛み合っていた俺と雪那の関係。

 読書部へ来て以来、ぶつかる事もなく過ごしてきた日々だったのに。






 ――後にして思えば、この一件からなのだろう。

 俺と雪那の間に、明確な擦れ違いが生じてしまったのは。


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