幕間 茅野 卓という少年
聖燐学園、学生寮。
そこに、茅野 卓という男子がいる。
今日は彼について、俺――永野悠木は少しばかり彼について語ってみようと思う。
――茅野卓。
彼は一言で言うならば、お調子者の類だろう。
俺にとっては面白いイジりキャラポジション、ナンバーワン。
ナンバーワンであり、オンリーワン。
トップランカーであり、独走者である。
もちろん、これは男子としては、という話。
女子では瑠衣というちびっ子が存在するが、今回はあのちびっ子については割愛する。
そもそも、俺とそんな彼との付き合いは、何でも一年以上に及ぶそうだ。
残念ながら、出会いについてはしっかりと記憶してはいない。
俺は、男についてあまりに興味を抱いていないのだから、こればっかりはしょうがない。
彼が言うには、俺の隣の部屋に住んでいる男子だそうだ。
二年生になって初めて知ったのは、彼にとってはきっとショックな出来事であろう。
しかしそれは、触れてやらないで欲しい。
――そんな訳で、一学期が終わって非常に疲れが残った一日。
本当に退屈な、夏休みの初日。
雪那に言われ、一日安静を命じられたこの俺が。
食堂で偶然見かけた彼を、俺なりに考察しながら、かつイジりながら語っていこうではないか。
◆
茅野卓は、実に特徴のない男子である。
そんな言い方をしては失礼だと誰もが思うかもしれないが、特筆すべき容姿の特徴はほぼ皆無。
残念ながら、俺や巧なんかと同じ平々凡々、とでも言うべきだろうか。
ただ特徴を挙げて言うのであれば、ガリ勉の中学時代から、寮暮らしになって間違った方向のオシャレに芽生えたという、ただただ平凡な男子だろう。
高校デビューは罪作りだ。
こうしたものは、やはり但し書き――似合う人に限る――が必要なのかもしれない。
罪な言葉である。
容姿についてはそのぐらいで良いだろうか。
いや、むしろそのぐらいにして欲しい。
勘弁して欲しい。
――――さて、ならば性格はどうだろうか。
俺が印象を受けて初めて彼を認識したのは、男女寮の合同の時だ。
馴れ馴れしくもふてぶてしい態度。
そして、呼び捨てにされた俺の苗字。
あの時の事を怒っているかと訊かれれば、俺は当然「No」のサインを返すだろう。
しかしながら、許してやるか、気にしていないかと問われれば。
それも「No」である。
実に俺は、我ながら狭量な人間である。
それは認めざるを得ない。
「なぁ、永野。風邪ひいて休んでたんだろ? 体調は大丈夫か?」
「大丈夫だった」
「だった?」
「親しくもない相手に呼び捨てにされた事を除けば、いや、そうされる前までは大丈夫だったと言える」
「っ!? え、だって、お前、俺の名前――!」
こうして、俺は彼によって気分を害される事が往々にしてある。
まったくもって空気を読まない馴れ馴れしさ、というべきだろうか。
もしかしてこれは、彼の長所なのかもしれないが、俺にとっては短所にしか見えないものだ。
捉え方は人それぞれ。
残念でならない。
「ちょっと、アナタ!」
「はいっ!」
「今日は一緒に勉強するって言ったはずでしょ!? 何を永野さんと談笑しているのです!」
「え、いや、それは!」
彼女――と言って差し支えない事が判明したのだが、彼女は華流院 園美。
なんでも彼女はどこかの華道家令嬢だそうだ。
あの男女寮の合同以来、彼こと外野くんと何かと行動を共にしている。
名前負けしている、とは決して口にしてはいけない。
権力に楯突く生き方は、損をするだろう。
彼女はかつて、ペットか保護者の方だと思っていたのだが、どうやら瑠衣と同じ下級生である事が判明した。
やはりお金持ちの威厳と貫禄は、DNAレベルで変化を与えてくれるのだろう。
先祖返りは特別な意味合いを持つ事が多いと言われているが、言われてみれば成る程その通りである。
あの握力ならば、きっと赤い果実も片手でいけそうだ。
何が、とは問わない。
問うてはいけない。
何もかもが情報で溢れ返った現代だからこそ、こうした事については蓋をするのも必要だ。
そうして取捨選択をして、俺達は大人になるのだろう。
茅野卓と華流院園美は、テストの成績では二十位前後をキープしているらしい。
俺も一緒に勉強するかと、あの華流院さんは有難いお言葉をかけて下さった。
「体調悪いからパス」
「あら、そうですか」
こうして、丁重にお断りさせて頂いた。
俺はちゃんと、それはもうしっかりと空気を読んでいる。
彼が心配してこちらを向いて口をパクパクさせていた気がするが、案ずるな。
そんな心配はしなくていいのだ。
俺は空気を読めるのだから、ヘマはしないのだ。
「そういえば今日は、櫻さんはどうしたのです?」
「あぁ、買い物に出て行ったよ。それより華流院さん、茅野くんが早くって呼んでるよ」
「あら、ホントですわね。それでは、永野さん。ごきげんよう」
まったく、本当に。
こういったセリフはやはり、金髪縦ドリルと相場が決まっているのだが。
ドリルもいらずに穴が開けられそうな彼女を見ると、それでも良いのだろうかと思ってしまう。
例えばここが工事現場なら、きっと華流院さんは掘削作業ではなくコンクリートを押し固めるタイプが一番だと思うのだが、それについては言及するべきではない。
適材適所という言葉は、実に罪な言葉ではないだろうか。
今日は何とも、罪な言葉を知ってしまう一日である。
◆
「おう、おかえり、雪那」
「ふふ、なんか変な感じね。ただいま。どうして食堂にいるの?」
「あぁ、たまには部屋じゃなくて、ここで勉強しようかと思ってな」
気が付けば昼食の時間。
買い物を終えた雪那が帰って来るなり、俺に向かって声をかけてきた。
相変わらず、どこか心なしかふんわりとやわらかい匂いがするのは、きっと気のせいではないだろう。
早いもので、この寮内に残っている生徒は既に半数以下。
多くの生徒が実家に帰省した。
そんな中で帰ってきた雪那は、もともとの気品や立ち振る舞いも相俟って存在感が強い。
そんな雪那に、華流院さんも気付いたようである。
こちらにやって来るその姿は、歴戦の戦士を思わせてくれる。
DNAレベルで選ばれた彼女の、その強さを垣間見た気がする。
「櫻さん、お帰りなさいませ」
「あら、お勉強してたの?」
「えぇ、私も茅野君に色々と教わろうと思いましたの。それで、お昼なのですけど、今日は勉強を教わった代わりに、茅野君に手料理を振る舞う予定ですの。宜しければお二人もご一緒にいかがですか?」
どうやら彼女は茅野君に料理を振る舞うらしい。
雪那がちらりと俺を見てきた。
一応、風邪が完治していないおかげで、雪那は俺の昼飯まで用意してくれる予定になっている。
非常に残念でならないが。
まったく、せっかくのお誘いなのだが。
華流院さんの手作りの料理なんて、まったくもって逃し難いのだが。
本当に。
本当に逃すのは惜しいとは思うのだが。
ただちょっと、タイミングが悪かった。
それさえなければ、基本イエスマンのこの俺である。
きっと答えは「No」と返したに違いない。
「あぁ、俺達に気を遣わなくてもいいよ。ありがとう、華流院さん。せっかく勉強を彼に教わってるんだから、その名誉は彼だけにあげると良いんじゃないか?」
「ふふ、永野さんはなかなかどうして気障なお方ですのね」
………………。
「さて雪那。ちょっと風邪をぶり返したみたいだ。寒気がしてきたから部屋へ戻ろうと思うんだ」
「……そ、そう……。じゃあ、華流院さん。私も戻るわね」
「えぇ、分かりましたわ。お大事に、永野さん」
こうして俺は、一人の淑女を傷付けた居た堪れなさに背を押され。
何者かの怨嗟の声を耳にしながら、雪那と共に自室へと戻って行く事にした。
結局その夜、食堂へと様子を見に行った俺の前に、彼は姿を現さなかった。
きっとたくさん食べて満足したのだろうか。
空気を読んであげたのだから、少しぐらい感謝して欲しいものである。
こうしてここに、俺の夏休み初日。
暇な一日を潰すべく始めた、茅野卓にまつわるお話は、一度の終幕を迎える。
またいつか、彼と会える日が来ると、そんな願いを込めよう。
その終幕に、少々寂しさを感じた気がした事を、俺は誰にも語らないだろう――――。