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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第四章 俺達の問題
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#004 失敗と成功の選択

「悠木くん、なんだか物盗りに押し入られたような惨状なのだけれど……」

「あぁ、うん。片付けないで出て来ちまったからなぁ……」


 ようやく帰って来た俺と雪那。

 散乱したまま飛び出したせいか、見事に部屋は荒れたままだ。


「……何があったの?」


 何もなかった、とは到底言えるような部屋の状況ではなく、当然と言えば当然の流れで、俺と巧の間に起こったちょっとした諍いを、だいぶオブラートに包んで話していく。

 ……雪那さんや、なんだか目の温度が冷めているような気がするんだが。


「どうして……私の為にそんな事、しなくてもいいのに」

「俺が気に食わなかったから殴った。後悔はしていない」

「……ばか」


 短くぽつりと呟かれると、なかなか反応に困る。


「……いいわ。とりあえず部屋の片付けは私がやってあげるから、着替えちゃって」

「あ、あぁ、サンキュ」


 呆れながらも微笑んだ雪那に言われて、俺は服やら何やらを手に洗面所に入り、扉を閉めた。


 勢いに任せて川に飛び込んだものの、帰り道はどちらかと言えば最悪だった。

 水も滴るいい男だとか、そんな事を考える余裕もなく、さすがに濡れたまま帰るのは身体が冷えたらしく、夏の本番は間近に迫っているというのに、寒気がした。情けなくて雪那には何も言ってなかったが。

 服を脱いでようやく人心地。


「ねぇ、悠木くん」


 くぐもった声が、閉じた扉の向こうから聞こえる。


「あ?」

「片付けが終わったら、私も一回部屋に戻ってシャワー浴びちゃうね。私も歩き回ってたから汗かいてるし」

「あぁ、分かった」

「だから、悠木くんもシャワー浴びて。さすがにこの季節は暖かいけれど、濡れたまま歩いている最中、顔が蒼かったわよ」

「あ、はい」


 バレバレであった。

 しかしまったく。健全な男子たるもの、女子の口からシャワー浴びるとか聞くと胸が高鳴ると言うのを、雪那は分かっていないな。

 思わず明後日の方向に伸びかけた妄想力は、一般男子の標準装備(デフォルト)だというのに。


「痛……ッ」

「――それと、手の怪我もあとで手当てしてあげるから。下手な事はしないようにね」

「……おう」


 服を脱いでいる最中、巧を殴ったせいで痛む手に思わず声が漏れたかと思えば、雪那からすかさず指摘された。

 雪那さんや、そこにいられるとなんとなく服が脱ぎにくかったりするんだが――なんて考えていると、ちょうど雪那が遠ざかっていったらしい。

 さっさとシャワーを浴びよう。


 シャワーを浴びてから部屋に戻ると、綺麗に片付けられていた。

 俺の秘密の品々と呼べるような代物は基本的にパソコンに入っているし、掃除中に見つかるような事故は起こらない。


 ベッドに腰掛け、早速俺は財布とスマホを机の上に置いた。

 まぁ……紙幣は全滅らしい。アイロンでもかければどうにかなる、と思いたい。

 スマホの方は防水と謳っているだけあって、特に壊れている様子もなかった。


 巧と篠ノ井に関しては、今の俺から何か言える事なんてない。

 問題は瑠衣だな。

 アイツは雪那にはなんだかんだで懐いていたみたいだから、雪那が来なくなってからは少しテンションも下がりがちだったし、ツッコミのキレも劣化していたしな。

 早速アプリを開いて瑠衣に連絡してみる。


『お疲れ。今忙しいか?』


 それだけ送って首にかけたタオルで頭を拭いていると、返事を通知する機械音が鳴り響いた。


『お疲れ様です。だいじょぶです。どうしたですか?』


 アイツは語尾に『です』をつけるという、ちょっと特殊な敬語……? を使っているが、文面だとどうにも片言の外国人が日本語で喋っているように見えるな。


『この一週間の件も含めて、雪那達の事。巧か篠ノ井から何か聞いたか?』


 ――再びの返事。


『何も聞かされてないです。除け者なのです酷いのです』


 思わず文面を見てくすりと笑ってしまった。

 アイツらしいと言えばアイツらしい反応だ。


『悪い。瑠衣も同じ読書部のメンバーだからな。知っておいてもいいかもしれないと思うんだがな。色々と昔の事が色々絡んでて、さ。そう簡単に言える内容でもなかったんだ』


 話題が話題だからな、さも世間話よろしく言えるはずもなかった。

 今だって、実際に瑠衣に話すべきか否か、正直に言えば迷ってはいるのだ。

 結局のところ、何が正しいのかなんて俺にだって分かりゃしない。


 それでも話すべきだと俺は思う。



『細かい話は、巧なんかにも話していいか訊いてからになると思うが、悪かったな、この一週間。嫌な気分だっただろ』


 続けざまに送ったメッセージに、瑠衣の反応が少しの間止まった。

 そのまま頭を拭きながら待ってみると、それでもそう時間はかからずに返事が来た。


『ホントです、除け者です。でも、悠木先輩は鬼で悪魔ですけど、本当に傷付く事はしないですから。何か理由があったのかな、とは思ってたですよ』

『偉いな。今度身長が伸びるツボを教えてやろう』

『死ねばいいです』


 おい、ツッコミに対するレスポンスの早さはどういう了見だ。

 相変わらずのキレの良さに苦笑していると、また通知音が鳴り響いた。


『ありがとです』

『お? やっぱり身長のツボが知れるのは嬉しいのか?』

『違うのです! 悠木先輩は話の腰を折りすぎなのです! そうじゃなくて、一応気にしてくれてたみたいですから』


 ……なんかこういうの見ると思うけど、瑠衣って意外と素直でいい子なんだよな。

 巧の野郎に懐いていなければ、鋼鉄の意思を持つ俺であっても靡いてしまったかもしれない。


『おう。ステキな先輩に感謝しとけ。とにかく、細かい説明するにしても、明日には連絡するから』

『ステキな先輩はともかく、了解なのです』


 さて、あとは巧達や雪那の承諾してもらう必要がある、か。


 外野でしかない俺達に、できる事なんて何もない――俺はそう巧に言った。

 けれどそれは、あくまでも俺達が外側にいる人間でしかないから、だ。


 やるべき事をやる為に、頭の中で構想を固めていく。








◆ ◆ ◆







 私――篠ノ井薫――の大事な娘であるゆずは今、一生懸命過去を取り戻そうと戦っている最中。

 いつも私の帰りを待ってくれていた笑顔がないのは寂しいけれども、こうして家に帰ってくる度に私の顔を見に来てくれるのだから、ゆずは我が娘ながらいい子だと思う。


 正直に言えば、真実を告げるかどうするかずっと迷ってきた。

 当時はまだゆずは小学生だったし、あの人が大好きだったゆずが、それを受け止められるかと悩んだのもある。

 いつかは教えなくてはいけないと思いながらも、その機会を明確に定めようとしなかったのは、ある意味では正しかったのかもしれない。

 あの子が自らの意思でそれを知ろうとしてくれたのと、私が単純に真実を告げたのでは、あの子の苦しみはもっと違うものになっていただろうから。


「あ、たっくん」

「おばさん、手伝います」


 洗い物をしている私に、ゆずの部屋から降りて来た巧くんが声をかけて台所に並び立った。


 ゆずが小さい頃から、隣の家に住む風宮さんとは親しくしていた。

 運良くゆずと同い年の巧くんにゆずは凄く懐いていて、あの人は結構複雑な表情をしていたのを思い出す。

 それでもこういう時、私や先に亡くなったあの人の代わりにゆずを支えようと一緒にいてくれるのだから、あの人もきっと頭が上がらないだろう。


「ゆずはどう?」

「今は落ち着いてます」

「そう……。って、その口どうしたの……?」


 ふと横顔を見て、今更ながらに気が付いた。

 横に立った巧くんの唇の端が切れているし、頬も内出血のせいか青と赤が入り混じったような、そんな色をしているのだ。


「……その、ちょっと友達に殴られて……」

「な、殴られた……?」


 一体何があったのかと思えば、まさかの思春期の男の子らしい展開だった。


「……そいつ、今回の事を知ってたんです。俺も今朝、ちょっと気が動転しててそいつに詰め寄ったんですよ。どうして話してくれなかったんだ、って」


 苦笑しながら巧くんが語ってくれたのは、名前は出て来ないけれど、ゆずも時折口にしていた名前――悠木くん、という男の子の事だと思う。


「悠木くん、だったかしら? 雪那ちゃんと仲がいいんですってね」

「え……?」

「さ、たっくん。そっちに座って。ケンカの傷は男の子にとっては勲章かもしれないけど、ちゃんと消毒しましょ」

「え、いや、これぐらい……」

「いいからいいから。ほら、こっち来て」


 強引に椅子に座らせて、消毒液とガーゼで手当てしながら巧くんを見る。

 こういう時に少し恥ずかしそうにして、それでも邪険にしたりしない態度に、今更ながらにこの子達は大人に近づいているんだなって、実感する。


「雪那ちゃんの事は櫻さんから聞いていたの。聖燐に通う事になった、って」

「え……?」

「櫻さんはね、ずっとあの人の事で負い目を感じているみたいで。今でもずっとお金の面では援助してくれてる。私は返すって突っぱねてるんだけど、せめてゆずの養育費の足しにって」


 そう、櫻さんと私の関係は、今も続いているのだ。

 あの人達は、私の主人に対して負い目を感じているようだけれど、正直言ってそれはお門違いだと私は思っている。

 驚きに目を見開く巧くんに、私は手当てを続けながら言葉を紡いでいく。


「それに、ゆずからも部活の事は聞いているもの。たっくんと関係していて、事情を知っている。それで、たっくんが殴られるような相手、ってなったら、きっとその悠木くんぐらいしかいないでしょう?」

「あ、そっか……」


 手当てを終えて、改めて私は巧くんと向かい合うように腰を下ろした。


「それで、何があったの?」


 巧くんは私の問いかけに、どこか居心地悪そうに視線を泳がせてから、やがて観念したかのようにゆっくりと口を開いた。


「……俺、悠木に詰め寄ったんです。どうして全部話してくれなかったんだ、知っていたのに、何食わぬ顔して俺達と接してたのかよって。でも、櫻さんはてっきり、俺達がおじさんの死んだ理由を知ってるものだと思っていたんだって悠木に言われて。俺達が知らないって分かって、言える訳がないだろって」


 ゆずの心の病の事を、雪那ちゃんや悠木くんは知らなかったのだろう。

 そんな状態で知り合って、親しくなって――そのせいで、真実を知ったゆずや巧くんは複雑な気持ちを抱えてしまったのかもしれない。


「それで……あんなにゆずが傷付くなら、櫻さんもこの街に戻って来なければ良かったのにって。俺、そう悠木に言おうとして。そしたら、その、これです」


 自分の頬を指差して苦笑を浮かべる巧くん。

 巧くんが口にしようとした言葉の重みを、きっと悠木くんは理解していたのだろう。


「いい友達ね」

「え?」

「悠木くんよ。たっくんが全部を言う前に、殴ってでも止めるなんて。うわべだけの付き合いだったら、きっとそうまでして止めたりしない。同調して、気分を害さないように答えたりもできるもの」


 きっと悠木くんは、巧くんやゆず、それに雪那ちゃんの関係を知って、敢えて巧くんのやり場のない気持ちが雪那ちゃんに向かってしまわないように、自分から悪役を買って出たのだろう。

 雪那ちゃんが昔通りの子だったら、きっとそんな気持ちでさえ受け止めようとしてしまうから。巧くんの言葉に傷ついて、二度と巧くんやゆずの前に姿を現さないようにしようとしてしまう。

 そうなったら、関係の修復はできなくなってしまうから。


 ――良かった、と思わずにはいられない。

 雪那ちゃんの傍に、そんな頼もしい男の子がいてくれて。

 巧くんやゆずの近くに、そうやってバランスを保ってくれる人がいてくれて。


「ねぇ、たっくん。櫻さん――雪那ちゃんのお母さんがね、言ってたの。もしかしたら、雪那ちゃんはあの時失くしてしまった物を取り戻したくて、この日和町に、聖燐学園に進んだんじゃないかって」

「失くした物……?」

「そう。ゆずとの関係だったり、きっと他にも色々」


 きっとそれは当事者じゃなきゃ分からない。

 あまり実感が湧かないらしい巧くんに、私はゆっくりと続けた。


「私達大人にとって、時間はあっという間に流れていく。でも、まだ子供のたっくん達にはそうじゃない。雪那ちゃんもね、あの一件の被害者の一人。私はそう思ってる」

「……ッ」


 そう、あの一件で唯一の加害者と言えるのは――あの人と、あの人の傍にいながら、あの人を支えて、止める事ができなかった私だけ。櫻さん一家もゆずも、等しく被害者でしかないのだ。


「大人の問題に子供が巻き添えにされる。それはあってはいけないと思う。ゆずはもちろん、雪那ちゃんも、それに沙那ちゃんも。あの一件でいっぱいいっぱい傷付いた。そのまま櫻さん達は遠くへ引っ越した。私達大人は、それが子供達の為だと思った」


 私達に取れたのは、そんな選択肢だった。

 雪那ちゃんと沙那ちゃん、それにゆずの為を思って――という大義名分を盲目的に信じて、私達は当時、関係の修復ではなくて、お互いに距離を置くという先延ばしを選択してしまった。


「確かに当時はそれしかなかった。でもね、今のたっくんやゆず、雪那ちゃん達を見ていて、あの時選んだ選択は、当時は正しくても、今となっては過ちだと思うわ」

「どういう、意味ですか……?」

「私達は、子供の為って言いながら蓋をしてしまったの。雪那ちゃんには日和町から離れさせて、ゆずには過去を教えないままで。そうやって、何も解決させずに先延ばしにしてしまった。それは当時――あなた達がまだ幼かったからこそ、正しい選択だったと思う。でもね、こうして自分の意思で、自分達で道を切り開く事ができるあなた達にとっては、間違った選択なのよ」


 時間が必要だったのは、私も同じだ。

 でも時間が経って、こうして巧くんやゆず、雪那ちゃんが大きくなり、自分の意思でこの町にやって来て、当時に改めて向き合わなくてはならないのだから、正しくもあり、間違いでもあるのだと私はそう思う。


 それらを含めて、私は――巧くんに頭を下げた。


「お、おばさん……!?」

「お願い。私達に出来た事は、距離と時間を稼ぐ事だけだった。良くも悪くも、それだけ。だからね、たっくん。ゆずと雪那ちゃんを、支えてあげて。私達大人じゃ、情けない話だけれど、どうしても手が届かないから」

「えっと、と、とにかく頭をあげてもらえませんか!?」


 慌てる巧くんに言われて、私は顔をあげて――そのまま続けた。


「私達はどれだけ批難されてもいい。だけど、あの子達は本当に、ただ巻き込まれてしまっただけ。だから、乗り越えて欲しいの。今回の事は確かにたっくん達にとっても辛い事だと思うけど、私にはこうやってお願いする事しかできないの……。だから、お願い」


 ――どうか、私達の過ちを正してほしい。

 大人としては失格だと、そう知りながらも――私にはただ、こうしてお願いする事しかできなかった。


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