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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第四章 俺達の問題
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#003 七年前と今

 フラフラと何かから逃げるように歩き続けていた私――櫻雪那――が、ようやく腰を下ろした場所。

 そこは、七年前の夏を過ごした川。

 つい最近では、悠木くんを連れてやって来た事もある――私にとっては馴染み深い場所だった。


「……ここは何も変わらないのね」


 小さく呟いた雪那の声も、穏やかに流れる川のせせらぎと蝉の鳴き声にかき消される。

 時刻はどれぐらいだろうか。

 スマホの電源を切ったままで、正確な時間は分からない。

 ただ分かるのは、まだ夏の始まりだと言うのに鳴き始めたひぐらしのカナカナと鳴く声と、燈色に染まった風景が夕暮れを告げているという事だけ。


 あの夏の中でも、最も記憶に残っている場所。

 考え事をするには、もってこいの場所だ。

 膝を抱え、懐かしい景色を見つめていた私はやがて、膝に顔を埋めた。


 ――……甘かったのかしら、私は……。

 思考の海へと意識を沈ませながら、小さく嘆息してしまう。




 ――あの夏は私にとって、どうしようもなく苦いものだった。

 知らされた篠ノ井家の不幸な出来事と、その後に悠木くんを傷つけてしまった、あの夏。


 忘れられない、あまりに多くの出来事が詰まった夏の日々。

 それまで続いていた日々が終わり、人を疑い、遠ざける日々が始まった。

 元々内気であった私の、心から笑えない日々の始まりだ。


 それを苦いと言わずになんだと言うのだろう。


 しかし、小学校を卒業し、中学生となり――やがて来る高校生活を意識し始めた頃、私に一つの考えが浮かんだ。

 五年という月日は物の捉え方を変えるには十分な時間だったし、それは私にも言えるし、篠ノ井さんだって言える事だと、そう考えたのだ。


 ――今ならば過去は過去として、篠ノ井さんもまた、それを乗り越えているのではないだろうか。

 もしもそうであれば、一度でも話せないだろうか。

 かつての友達であった、“ゆずちゃん”と。

 人見知りであったものの、私にとっても“ゆずちゃん”は大切な友達だったから。


 あの夏以来、友として接する相手は作らずに生きてきた。

 それは偏に、あの夏の別れが心を塞ぎ込ませるだけのショックを与えたからだと、今更ながらに私は思う。


 悠木くんとの擦れ違いは、もはや嘆いた所で何もしようがない。

 元々悠木くんは、あの町に住んでいた訳ではなかったのだ。

 何処にいるかも、一切手掛かりは掴めなかったし。

 それでも、今ならあの夏に失ってしまったもう一つの自分の過去――“ゆずちゃん”との関係だけでも、どうにか改善できるのではないか。


 ――そう考えたからこそ、私は聖燐への進学を心に決めた。


 両親の反応は予想されていた通りだった。

 篠ノ井家との問題は片付いたものの、今更触れる必要はないものだったし、当然と言えば当然の流れで、私が聖燐へ進学する事には難色を示された。


 両親は篠ノ井さんの父親、篠ノ井和人(かずと)を恨んでも憎んでもいなかった。

 むしろ悔やまれる結果であったに違いない。

 お金につられてそんな行動をするぐらいならば、相談さえしてくれればいくらでも応じるつもりであっただろうし、両親は程度で見放すような狭量な人間ではなかったはず。


 そんな言葉は今となっては詮無き事だけれど。


 それでも私達――櫻家が日和町を離れたのは、櫻家側が提案したからだ。

 篠ノ井家と私と姉さんの事を考えた結果だったのだと、父さんは苦々しく語った。

 そこに裁判所命令などが絡んでいる訳ではない。

 それでも自分達――櫻の人間が近くにいれば、おば様や篠ノ井さんがどんな感情を抱くか。

 事情を理解していたとしても、感情が追い付かない。

 そう考えると、私が聖燐へと進学するのを止めたのは、ある意味では当然だと、私自身もそう思う。


 ――それでも私は折れなかった。


 両親と何度衝突しようとも、それでも曲げる事はなかった。

 姉さんに止められても、頑として聞こうとはしなかった。

 頑なな私の態度に、ついに両親は折れる事になった。

 代わりに、二つの条件を示して。

 寮を使う事が出来る特待生となる事はもちろん、成績は常に上位五位以内に。

 そして入学しても寮からはあまり出ずに、篠ノ井家にはなるべく関わらないように約束してほしい、と。


 前者はともかく、後者に関しては聞くつもりなどなかった。

 それを告げた所で、再び互いの意見がぶつかり合う袋小路が待っているだけ。

 だから私は、本音をひた隠してそれを承諾した。


 そんな私が悠木くんと、そして篠ノ井さんと再会できたのは、よもや、ただの偶然とは言い難かった。

 七年前に擦れ違った三人が、こうして再会を果たす。

 それはまさに、運命であるとすら感じていた。




 ――でも、まさか篠ノ井さんが真実を知らなかったなんて。




 どうしていいのかも分からずに、抱え込んだ膝に顔を伏せる。

 相も変わらずに鳴き続けるひぐらしの鳴き声と、川のせせらぎだけが耳に届いている。


 ――そんな私の耳に、また一つの音が届いた。


 ジャリジャリと粗い砂を踏み締める足音が近付いて来る。

 この場所に人が来るのは珍しいなと思いつつも、どうにも億劫で、顔をあげる気にはなれなかった。


 やがて足音は自分の真横で立ち止まった。


「……ほれ」

「ひゃっ!?」


 突如腕に触れた冷たい感覚に、思わず声をあげてその声の主を見上げた。

 いかにも部屋着のまま飛び出して来たかのような、黒いシャツとジャージのハーフパンツに身を包み、汗だくになった少年。


「……悠木、くん……?」

「だぁぁー……、あっちぃ。つか死ぬ、疲れた……」


 きょとんとした私の横で膝に手をついたまま中腰の態勢を取って、悠木くんが口を開いた。







◆ ◆ ◆






 ほぼ一日、町の中を駆け回った先でようやく雪那を見つけた俺は、手に持っていた先程買ったばかりのペットボトル飲料水を雪那の腕に当てた。

 怒るかと思いきや、きょとんとしたままこっちを見上げる雪那の横に、膝を曲げて腰を下ろす。


 あぁ……汗だくだ。

 走り回ったせいで汗まみれになって、その上部屋着のまま飛び出したおかげで服装も微妙。

 なんつーか、カッコつかねぇな……。


「……どうして、ここに?」

「お前なぁ……、お前を探して来たに決まってんだろうが。見ろよ、この汗まみれの格好。新陳代謝がいいとかって話じゃねぇぞ、これ」

「……ごめんなさい」


 ……暗い。

 まぁ、無理もないか。

 雪那にとってみれば、どうしようもなくショックな事があったんだ。


「ほれ、これやるよ」


 雪那の腕に当てた、汗をかいたペットボトルを手渡す。

 ペットボトルを受け取った雪那がまじまじとそれと俺を交互に見つめている。


「……一応言っておくが、間接キスとかそういうの狙ってる訳じゃないぞ。見ての通り蓋も開けてねぇし」

「……何それ」

「いや、ほら。まじまじと見てるからつい? 俺鈍感系じゃないからそういうの気にしちゃうタチだし?」


 思わず本音がこぼれ出た所で、雪那がくすりと笑いながらペットボトルの蓋を開けて、一口飲んだ。


「おいしい……けど、悠木くんの方が水分必要だと思うけど?」

「あー、うん。まぁどっかで買うからいいよ。それはやるって」

「これ、飲んで」


 そう言って、俺が渡したペットボトルを今度は雪那が差し出した。


「いや、あのな、雪那。俺はさっきも言った通り、そういうのは気にしちゃう訳だ。むしろ俺としては気付かないフリをして実行したいのはやまやまなんだが、それはもう今更だと思う訳でだな……! それに加えてだな――」

「私が口をつけたのじゃ、嫌ってこと?」

「バカ言うな、喜んで飲みたいに決まってる。って、何言わせんだ、お前は!」


 完全に自爆した気がするが、雪那は力なく笑っているだけでツッコミがない。


 これはあれだ。

 俺、もしかしてからかわれてんだろうか。


 雪那からペットボトルを受け取り、ニヤリと口角を吊り上げる。

 こうなったら仕返ししてやる。


「……フッ、フハハハハ……! さぁ、飲むぞ、飲んでやるぞ!」

「えぇ、飲んで。熱中症になったら大変だもの」

「おい雪那さんや。そこは空気読んで恥ずかしがる所だろうが。俺としては見事に滑った気がして凄く恥ずかしいんだが……!」


 収拾つかない大滑りをした気分だ。

 顔が熱い。


「別に……悠木くんならいいわよ」

「ごめん、今の言葉をもう一度、出来れば頬を赤くして言ってくれ。ついでに動画を撮影させてくれると嘘ですごめんなさい」


 ジト目で見られ、心に大ダメージを受けた。

 なんだろう、完全に滑ってる。


 そんな俺から、雪那はゆっくりと川へと視線を戻した。

 やかましいぐらいにひぐらしが鳴いている、オレンジがかった世界。


 昔は、この時間になるとどうしようもなく寂しかったな。


「ねぇ、悠木くん?」

「あ?」

「私ね、このまま篠ノ井さん達と距離を置こうと思うの」


 川を見つめたまま、雪那が続けた。


「私が聖燐に入ったのは、篠ノ井さん達と話す為だった。あの夏に失くしたものを、今なら――少しは大人になった今なら取り戻せるんじゃないかって、そう思ったから」


 滔々と、雪那は続ける。


「でね、そんな私の前に悠木くんが現れたの。もうね、運命なんじゃないかって思った。あの夏に失くした、私の大事なものを。その両方を取り戻せるチャンスなんじゃないかって。でも、両方は無理だったみたい……」


 泣き出しそうなぐらいに声がか細くなっていく。


「……私、もう私達は子供じゃないって思ってた。乗り越えて、進んで来たって思ってたの……! だけど、だけどね……、現実はそうじゃなくて……。どうにかする事もできなくて……!」


 感情が溢れ出る。

 涙をボロボロと零しながら、雪那はそれでも続けた。


「分からない、分からないの……! どうにかしたいのに、どうにかする方法も思い浮かばないよ……! 私、どうすればいいのか分からなくて……、この一週間ずっと考えて、答えが出なくて、逃げただけで……!」


 この一週間、ずっと一人で考えて。

 結局俺には何も話そうとせずに、ただ普段通り振る舞って。


 ――それって何て言うか、肩が凝るって言うか、息が詰まる。


「なぁ、雪那」

「……?」

「子供の頃、この時間になると何だか寂しかったんだ。帰らなくちゃなーって思って」


 立ち上がり、川を見つめてそう告げる俺を、雪那は涙を拭おうともせずに見つめていた。


「だけどさ、今って俺達の門限は二十時な訳で、もう少しぐらい暗くなっても遊べる訳よ」

「え……? ちょっと、悠木、くん……?」


 困惑する雪那を他所に、俺は小石や砂利が広がるその場所を踏み締めて駆け出した。


「こんな事しても、別に誰かに責められたりもしないしさ!」


 川に飛び込み、服のまま水に浸かる。

 汗にまみれた身体、一日走り回ったせいで焼けた肌に、冷たい川の水が染み込む。

 熱が冷まされて、火照りが取れていく。

 ウダウダとこの数日考え続けていた事とかが、清流に流されていくような、そんな気分で雪那へと振り返ると、雪那は目を大きくむいてこちらを見ていた。


「……なぁ雪那。あの頃できなかったとしても、今ならできる事なんてのは、もっとあると思う」

「え……?」

「話そうぜ、篠ノ井と。で、ケリつけてさ、また前みたいに遊べば、それでいいじゃねぇか」

「でも……!」

「俺も付き合うからさ! 俺も一緒に、巧も、ついでに瑠衣も巻き込んで! 『読書部』全部巻き込んで、みんなで話して、納得できるようにしよう!」

「…………ッ」

「せっかくこうして、皆で会えたんだからいいじゃねぇか! 巻き込んで、もし篠ノ井が許せなくても、今みたいな中途半端よりよっぽど良いっての! だから――!」


 ビショビショに濡れたまま、雪那の元へと戻って行く。

 相変わらず膝を抱えたままの雪那は、俺を見上げたままだ。


 あの頃、俺の知ってる“ゆき”は手を引っ張らないと自分から動こうとはしなかった。

 だから、手を差し出す。


「このまま諦めんなよ。お前が前に言った通り、俺達は少しばかり大人になったんだから。あの時を悔やむなら、あの時にしなかった事をすりゃいいだろ?」


 話さずに終わった事が悔やまれたなら、話して納得すれば良い。

 それはどうしようもなく不安で、どうしようもなく怖いって事ぐらい分かってる。


 それでも、俺は手を差し伸べるだけだ。

 無理矢理引っ張り回したあの頃とは違う。

 俺はただ、手を差し伸べるだけ。

 掴むのは、雪那だ。


「……大丈夫だ。雪那だって、もうあの頃の“ゆき”じゃねぇんだから」

「……でも……」

「やらなきゃ、変わんねぇだろ。変わる為に、聖燐に来たって自分で言ったじゃねぇか」


 俺の手を見つめて、雪那がゆっくりと手を動かす。

 それでもまだ、掴み取ろうか迷ってるみたいだ。


「もしそれでダメでも、俺がなんとか篠ノ井のことは説得してやる。まぁ病まれたら巧に丸投げするけどな」

「……何それ。なんかカッコつかないよ」

「うっせ。余計なお世話だっつの」


 雪那が、指先で涙を拭って俺を見上げた。

 ゆっくりと、少しずつ伸ばされる手が、ようやく俺の手と交わる。


「……悠木くん、意外と熱い男なのね」

「そんな事、いちいち指摘すんじゃねぇよ。黒歴史もいいトコだ、ホント」


 笑いながら、雪那の手を握って立ち上がらせる。


 あの夏にできなかった事が悔やまれるなら、俺達は諦めちゃいけないんだと思う。

 巻き込まれるばかりじゃなくて、ちょっとは自分で進もう。

 篠ノ井の方は、アイツ()がどうにかしてくれるはずだ。


 いい加減、ウジウジとするのは俺も嫌だからな。


 さぁ、面倒な過去を終わらせよう。

 夏休みぐらい、巻き込まれずに過ごしたいからな。


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