#001 損な役回り
一晩明けて、俺は食堂で飯を食いながら考え事をしていた。
篠ノ井と巧に知られた事は、雪那に話すべきだろうか。
それとも、俺から巧に会って話してみてからの方がいいのか、俺は迷っている。
不幸中の幸いにも今日は土曜日って事だろうか。
いずれにせよ月曜日までは少し時間が空くし、学校でいきなり顔を合わせるよりは幾分かはマシだと思う。
――やっぱり、巧とは話すべきだろう。
朝起きてスマホを見たが、巧からは何も返事がなかった。
昨日の夜に知ったなら、もしかしたら朝まで篠ノ井と一緒にいてやったりもしたのだとは思うが……まぁ、俺から声をかけられる内容ではない。
「永野……くん」
「おぉ、なんだ、がやのくん」
「混ざってるよッ! 濁音がいらないよ!」
今まではひたすら親しげに呼び捨てしてきた割に、ついに俺をくん付けして呼ぶようになってしまったらしい。
まったく、軟弱なヤツめ。
「おいおい。俺をくん付けして呼ぶ必要なんてないだろ? 呼び捨てにしてたじゃないか」
「お、お前があんなこと言うから俺だって! 俺だって気にしてたんだよ!」
「え、何それ。ちょっと女の子に言われたら嬉しい展開になりそうなセリフを男に言われるとか。そんな愕然とした気持ちにさせる為に嫌がらせとしてそのセリフをチョイスするとか、どんだけ高等技術なの」
「あああぁぁぁッ! 意味が解らないこと言うなよっ!」
とりあえずカルシウムを摂る事をお勧めしておきたいぐらい、彼は怒りやすいらしい。
まったく。人が真剣に考えてる時に嫌がらせするなんて、なんてヤツだ。
「え、何その目ッ!? 責められてる気分なんだけどっ!」
「気にするな、間違いではないが」
「ッ!?」
「それで、奇声を発して休日の朝から好奇の視線に晒されている外野くん。何か用か?」
「お前のせい! お前のせいだから!」
ふむ、意味が分からんが。
俺と外野くんの間にある熱量の差に、彼はきっと気付いていないのだろう。
「はぁ、はぁ……ったく。そうじゃなくて、人が来てるんだよ」
「人?」
「あぁ。あの幼馴染カップルの男の、風宮くんだったっけ」
………………マジか。
「おい外野くん。そういう大事な用件は早く言うべきだと思うんだ」
「言おうとしたんだよッ!」
外野くんを放置して、食器を返却棚へと戻す。
まったく。伝言の一つもすぐにこなせないとは、これだから外野くんはまったく。
寮の入り口に向かうと、きっと眠っていないのであろう巧がそこに立っていた。
テンションは言わずもがな、暗い。
想像はついていたが……なるほど、思い詰めてのご登場ってところか。
俺に気が付いたらしい巧は、いかにも怒りを湛えた瞳で睨みつけるように俺をまっすぐ見つめてきていた。
「……悠木、ちょっといいよな?」
「……はぁ。わざわざやって来てんだ、断るつもりはねぇよ。部屋に行こうぜ」
――まぁ、俺がやるべき事はすでに決まっているしな。
そんな事を考えて、巧を連れて俺の部屋へと向かっていった。
「烏龍茶ぐらいしかねぇぞ?」
「あぁ」
さて、なんだろうな。
間男を罰しに来た本命彼氏よろしくな空気を醸し出されている訳だが、ともあれ俺は外野くんのおかげでいつも通りに振る舞える。
さすがに朝食を食べている最中に突然やって来ていたりしたら、俺もこう冷静ではいられなかったかもしれないと思うと……たまには役に立つ男だな、外野くんも。
飲み物を手渡し、俺の椅子に座った巧と向かい合ってベッドに座り込む。
寝ていないせいか、巧の表情はそれはもう酷いものだ。
考えるだけ考えて、詰まって、それでもどうしようもなくて俺の所に来た、といったところだろう。
まったく、この幼馴染ペアは似たような事をしやがって。
真夜中と朝っぱら、美少女と男。圧倒的に篠ノ井の方が許せる状況だ。
「……なぁ、悠木。櫻さんとゆずの事、知ってたんだろ?」
「正確には、雪那の親と篠ノ井の親の事、だろ。……昨日もメールした通り、知ってたよ」
敢えて、雪那と篠ノ井自身は関係ないと強調させると、巧は僅かに顔を顰めた。
頭では理解できていても、気持ちが追い付かない――そんなトコなのだろう。
だからって、そのまま結び付けるような考え方を許容するつもりは、俺にはないけれども。
「……で、櫻さんはその事を理解してたってこと、だよな……?」
「まぁ、俺も雪那から聞いたからな」
「……どうして、教えてくれなかったんだ?」
教えようとはしていたさ――なんて言ったとしても、きっと巧は理解できないだろう。
今の気炎を上げる勢いの巧や、現実を知ったばかりの篠ノ井じゃ、そんな冷静な判断ができるとは思えないし。
「お前が知って、どうにかなる問題でもねぇだろ」
「分かってる……。分かってるけど……!」
「分かっちゃいねぇよ、何も」
キッと鋭く睨み付ける巧に、俺はあくまでも淡々と告げる。
「お前が雪那の親と篠ノ井の親のいざこざを、その死んだ真相を知ったところで何がどうなる?」
「だからって……! 普通じゃねぇだろ! 確かにゆずの親父さんが死んだのは、自業自得なのかもしれねぇけど! そんな事があって何食わぬ顔でゆずと一緒にいられるなんて、おかしいだろ!」
激昂する巧を見て、敢えてそうなるように挑発した俺だからこそ、余計に冷めた視点で巧の心情を推し量れた。
恐らく巧は、自分でも何をどうすればいいのか分かっていないのだ。
巧はただ篠ノ井が真相を知って傷付いた姿を見て、それが許せなかった。
その悲しみを怒りにして、ぶつける矛先を探している。
……損な役回りだな、ホント。
俺もコイツも。
今回ばっかりは当事者でも何でもないんだから。
現実を突き付けられて、それでも納得なんてできなくて。
やり場のない、どうしようもない八つ当たりにも似た感情のその矛先を、雪那に向けようとしている。
――そんな真似を、させる訳にはいかない。
◆ ◆ ◆
――気が重い。
私――櫻雪那――はこの一週間、毎朝そんな事を思いながら目を覚ましていた。
篠ノ井さんが真実を知らないという、予想だにしていなかった真相に気付いて読書部を離れてから、一週間が経とうとしている。
事態は一切好転せずに、私はまるで読書部に入る前の頃に戻ったかのように、ただただ毎日を過ごしていた。
不幸中の幸いは、部活に参加さえしなければ風宮くんや篠ノ井さんに顔を合わせずに済んでいる事だろう。
今の私は、どんな顔をして篠ノ井さん達に会っていいのか、まったく分からないのだ。
いっそ罵ってさえくれれば、お互いにお互いを無視できる。その方がまだ気楽だと言いたく鳴るような、真綿で首を絞められているような気分ですらある。
――……いけない。買い出ししてなかったから……。
いつもは金曜日にまとめて買い溜めするのに、昨日は買い物に出かけられるだけの気持ちのゆとりもなかった。
町に行けば篠ノ井さんや風宮くんと鉢合わせる可能性も高い。
そう考えると、どうにも足が重い。
――でも、篠ノ井さんと風宮くんは朝は弱いみたいだし、この時間なら会う可能性も低いわよね……。
そう自分に言い聞かせて、私は悠木くんにメールを送ろうとした所で手を止めた。
悠木くんの性格を考えると、この時間には起きているだろうし、言えば買い物にだって付き合ってくれると思う。だからと言って、付き合わせてもいいのだろうか。
いつの間にか、当たり前かのように頼ってしまいがちな自分。
それが悠木くんの負担になるのではないかと思うと、メールを送る事はできなかった。
――……大丈夫。まだ悠木クン以外、知らないはず。
再び自分に言い聞かせる。
もしも篠ノ井さんに会ったとしても、知らないままでいてくれるだろう。
そう考えて、私は重い足取りのまま部屋を後にした。
階段を降りて、二階に差し掛かる踊り場へと着いたその時。
ちょうど悠木くんが、風宮くんを連れて部屋に向かって歩いていく姿を見つけ、思わず私は身を隠した。
ただ偶然見かけただけなら、わざわざ気に留める光景ではないのだけど……それにしても今はまだ朝の八時過ぎ。
遊びに行くような雰囲気ではなかった二人が、どうしても気になってしまった。
ふとその足取りを追って、二人の後をついて行く。
悠木くんの部屋の扉は締まりきっていなかったようで、僅かに半開きになっていた。
盗み聞きするのは趣味じゃないのだけれど、それでもさっきの二人の空気が、どうしても気になってしまった。
私がそっと扉を開こうと決意してドアノブを握り締め、その戸を引いた――その時だった。
「――普通じゃねぇだろ! 確かにゆずの親父さんが死んだのは、自業自得なのかもしれねぇけど! そんな事があって何食わぬ顔でゆずと一緒にいられるなんて、おかしいだろ!」
――……え……?
その言葉は事態を雄弁に物語っていた。
風宮くんが、知ってしまった……?
なら、もしかして篠ノ井さんも、全てを知ってしまった……?
冷や汗が頬を伝い、恐怖に身を強張らせる。
知られた。傷付けてしまったに違いない。
そんな考えが脳裏を過ぎる。
知られたくなかった。
接触を避ければ、知られる機会も減るかもしれないと、心の何処かで願っていた。
わざわざ読書部を離れたのは、自分の立場を言い訳にした逃げだった。
混乱しながらも、早くこの場を離れなくてはとゆっくりと扉を押して締める。
何も考えられないまま、雪那は私はそっとその場を離れた。
◆ ◆ ◆
相変わらず睨みつけてくる巧は、まるで飢えた野犬のようだった。
今にも掴みかかってきそうな程の荒々しい目つきも、怒りのまま声を荒らげるその仕草も、まさに野獣といったところだ。
このまま放っておけば、この矛先は確実に雪那に向かう。
そんな真似をさせるつもりはなく、敢えて俺は淡々と――挑発するように口を開いた。
「……それで、お前は雪那を責める為にここに来たのか? ハッ、笑わせんじゃねぇよ。そもそも、だ。篠ノ井が知らなかったなんて、それこそ雪那が知ってたと思ってんのか?」
「――ッ、それは……」
篠ノ井が忘れてしまったというのは、ストレスか何かによる副産物だろう。
よくある話とまでは言わないが、そういった病気があるのは耳にした事があるし、あのヤンデレっぷりを見れば精神的な脆さは想像がつく。
だからって、それを雪那が知っているとは限らないのだ。
巧も俺に言われて、ようやく少しは周りを見られるようになったのか、気勢が削がれたように言葉を尻すぼみになった。
「というか、だ。何も知らないままだったお前と篠ノ井が、今更になって真相を知った。それで? だからなんだってんだよ」
「……なんだよ、それ」
「何も知らずに、知った途端に悲劇ぶってんじゃねぇっつってんだよ。それに、もう終わった事だろうが。俺やお前はこの件について外野だ。騒いだ所で変わらねぇよ」
――あぁ本当に、損な役回りだわ。
巡り巡って俺にまで突き刺さりそうな言葉を、敢えてこうして口にしなくちゃいけないのだから。
「あーぁ、黙ってりゃ気付かれないと思ってたんだけどなぁ」
「……ッ、どういう意味だよ……!」
「あ? そのまんまの意味だろ。知らなかったなら知らないまま、せめて高校卒業するまではそうあってほしかったってのが本音だからな、俺としては」
巧の顔が、怒りに歪んだ。
「お前……ッ!」
「なぁ、そう言えば満足するんだろ? 真相を知っていたのに、言わずに隠して騙そうとしていた。そういう立場の、あまりにも明確な悪役がいれば怒りだってぶつけられる。これでお前と篠ノ井は晴れて悲劇の主人公だ」
怒りが振り切れたのか、立ち上がった巧が勢い良く俺の胸ぐらを掴んできた。
「お前、本気で言ってんのかよ、それ……! ゆずは、本当にショックだったんだぞ!」
「そりゃそうだろうよ。自分の父親が、自分の犯した罪のせいで死を選んだんだから。そこにショックを受けない方がどうかしてる。で、お前はなんなんだ? そんな可哀想な幼馴染見ていられなくて、息巻いて、喚き散らして自己満足ってか?」
「ッ、俺は……!」
「悲劇の主人公様はいいな、巧。喚いてキレて、それだけで悦に浸れんだろ?」
「そんなつもりじゃねぇよ!」
「だったら! だったらテメェはどうすりゃいいってんだよ、あぁ!?」
巧の胸倉を掴み返して、強引に顔を寄せて俺も叫んでいた。
「雪那は知らなかった。この前の土曜日までは、篠ノ井もお前も過去を乗り越えて、それでも雪那を招いたと思い込んでた。でも実際はそうじゃなかったんだよ! お前らが知らないって気付いて、自分から名乗れると思ってんのか!? アナタのお父さんは私のお父さんを裏切って、自殺しましたって。そんな事、言えると思ってんのか!?」
「――ッ」
「テメェがやってんのは、ただ結果にイチャモンつけて喚いてるガキのそれでしかねぇだろうが!」
シン、と一瞬にして沈黙が部屋の中を支配する。
――そう、俺達は本当に、この問題に関しては外野でしかないのだ。
でも、本来その俺達って括りの中には、雪那も篠ノ井自身も含まれている。
七年前の悲劇の被害者である事に、雪那と篠ノ井になんら違いなんてものはないのだから。
そして俺と巧に至っては、ハッキリ言って関係すらしちゃいないという現実がある以上、そもそも俺達の中で、誰かが誰かを批難してどうにかなるような問題じゃないのだ。
「……分かってる……、分かってるよ……ッ! でも……ッ!」
力なく俺の胸ぐらから手を離して、巧が嘆く。
「……こんな事になるなら、いっそ櫻さんだって、この町に帰って来なければ――!」
「――おい」
巧の言葉を遮って立ち上がり、頬を殴りつける。
鈍い音と、それに続いてコップが倒れる激しい音が鳴り響いた。
後ろに倒れ込む巧が机に足を引っ掛け、後ろ向きに倒れたのだ。
机の上に置かれたコップも見事に倒れ、注がれた烏龍茶が飛び散った。
「お前、それ以上は気の迷いで済む言葉じゃねぇぞ……ッ!」
殴られた事に動揺して――いや、むしろ我に返ったんだろうか。
巧の表情が唖然としたものになっていた。
殴られて口切ったのか、口元を腕で拭っている。
「……俺、は――」
「帰れ」
自分が口にしかけた言葉を思い返し、巧の言葉が震える。
そんな巧に、ただ一言告げる。
「頭冷やせよ、巧。俺らがこんな事してたって、何も変わらねぇ。何も解決もしねぇし、ただただ悪化するだけで、意味なんてねぇんだよ。今お前がやるべきなのは、篠ノ井を独りにしない事ぐらいだろうが……!」
「……ッ」
「さっきの言葉は、聞かなかった事にしてやる。だから帰れ、巧」
言葉を失ったままゆっくりと立ち上がり、何も言わずに部屋を去って行く巧が扉を閉める音を聞いて、俺は俺で倒れたコップや烏龍茶の後始末もせずに、椅子に腰かけた。
あぁ、ホント――損な役回りだ。
拳はメチャクチャ痛ぇし、気分は最悪だ。それなのに、ここまでしたって何も事態は好転すらしない。
ただただ振り回されて、なのに解決策は見つからない。
……雪那に、伝えなくちゃな。
そんな事を思いながらスマホを見て――俺は気付く。
『知られたのね。迷惑かけてごめんなさい』
……マジかよ。
あまりに短いその文面から、またも嫌な予感は冴え渡る。
どうやら、雪那にまでこの不運は襲い掛かったらしい。