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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第三章 雪那とゆずの過去
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#009 真実を知る二人

「……うん。風宮くん、篠ノ井さん、追試は無事に合格ですー」


 間の抜けた声と共に、これで心置きなく夏休みを迎えられる事を告げられて、俺――風宮巧――はゆずと顔を見合わせ、お互いに満面の笑みでハイタッチした。

 全て完璧にとはいかなかったものの、悠木がまとめ上げてくれたプリントと櫻さんに教わった要点のおかげで、見事に二人は難関を乗り越えたのだ。


 櫻さんが部室に顔を出さなくなって、もう四日。

 この四日間は、悠木も部活に顔を出しこそしたものの、早々と帰ってしまったりと、なんだか部活そのものが火が消えたような静けさに包まれていた。


 けれど、これで俺達の問題はとりあえず片付いたのだ。


「あ、巧。今日お母さんの帰り早いんだ。だから、前に言ってたアレ、付き合ってもらってもいい、かな……?」

「あぁ、うん。おばさんが早く帰れる日ってあんまりないしな、早いに越した事はないだろうし」


 悠木には追試が終わったら付き合うように言われていたけれど、ゆずんトコのおばさんの都合を考えれば、どちらを優先するかは迷わなかった。

 とは言っても、一応忘れてる訳でもないので悠木にメールを送信しておく。


『追試無事合格! サンキューな。それと、この前言ってた件だけど、今日はちょっと用事があるから明日でいいか?』

『お疲れ。これからはちょくちょく追い付かないとな。夏休みはしごいてやるから覚悟しとけ。それと、用事の件は了解。時間はそっちで決めてくれ』


 悠木から返ってきたメールにげんなりしつつも、とりあえず悠木との件はこれで落ち着いた。

 ゆずの方は、ようやく前に進もうとしているんだ。

 この三ヶ月の間にも色々とあったけれど、ゆずがようやく自分の足で前へと進むと決めたのだから、俺はそっちを優先してやりたい。


「よし、行こうか」

「……うんっ」



 きっとゆずも緊張しているんだろう。

 俺達はいつもよりも少しだけゆっくりとした足取りで、ゆずの気持ちを落ち着かせるように時間をかけながら帰路についた。




 普段は、ウチでゆずがご飯を作ってくれて、そのままウチで二人で飯を食うって事が多い。

 けど、今日はおばさんが早めに帰って来れるって事もあって、俺がゆずの家にお邪魔する事になっていた。

 とは言っても、俺にとってはゆずの家も俺の家も、あまり違う家って感覚はなかったりするけども。


「たっだいまー」

「おっかえりー」


 玄関から響き渡る明るい声に、ゆずも明るく返す。

 おばさん――篠ノ井 (かおる)――が帰ってきたらしく、ゆずが玄関までわざわざ迎えに行くので、俺もそんなゆずについて行く。


 結婚する前から雑誌の編集者として活躍していたおばさんは、六年程前から職場に復帰して、今ではそれなりのポストに就いているそうだ。

 普段は夜遅くまで働いていて、ゆずが眠る頃に帰宅するのが普通なぐらいだ。

 こうして早い時間に帰って来ると、ゆずもつい嬉しくなってテンションが上がるらしい。


「あれれ? ゆずちゃん、もうたっくん来てるの?」

「うん」

「おばさん、お邪魔してます」


 走って行ったゆずに追いついて玄関に顔を出せば、おばさんはにっこりと優しく微笑んだ。

 こうして見ると、やっぱり三十七歳っていう年齢とは思えないんだよな。

 むしろ十代前半とすら間違われる事が多い容姿は、持ち前の性格の明るさと若々しい髪の色のおかげだ、とはおばさんの言だ。


「たっくんに会うのもなんだか久しぶりねー。って、私がいないだけかな?」

「ゆずはよくウチに来てるけど、俺はあんまりお邪魔しないから」

「あー、そっかそっか。それよりたっくん、おばさんはやめてよねー。薫ちゃんって呼んでちょーだいっていつも言ってるのにー」

「……あはは……、勘弁してよ……」


 相変わらず、おばさんのテンションは高いらしい。

 さすがにゆずのお母さんなのに名前にちゃん付けで呼べるはずもないし、なんだか呼びたくはない。


「それよりお母さん、お風呂沸いてるから入っちゃいなよ。御飯も出来てるから」

「あーらら、またゆずちゃんに作らせちゃったのかー。私が早く帰る時ぐらい、私が作るのに」

「お母さん疲れてるでしょ。ほら、早くー」

「はいはーい。ゆずちゃんみたいな娘がいてお母さんは幸せでございますー。そうだ、たっくん。一緒に入る?」

「またそれ……。いいから入ってきなよ」


 しっしっと手で払うような素振りをしながら、おばさんにそっけなく返す。

 この手の冗談は、顔を合わせる度に子供の頃から言われている。いい加減聞き飽きているのだ。


「ちぇー。じゃあゆずちゃん、たまには一緒にどう?」

「もうー、子供じゃないんだから一人で入りなさい」

「フフ、大人だから誰かと入るのよ?」

「お母さん!」

「ちぇー、二連続でフラれちゃうなんて悲しいなー……って、ちょ、ちょっとゆずちゃん! 引っ張らないでー、堪忍してー」

「バカな事言ってないで、早くするっ」

「はーい。じゃあたっくん、お先にいただくわねー」

「いやいや、お先も何も俺はウチで入るから……」


 嵐のように去っていくおばさんとゆずの二人を見送って、思わずため息が零れた。




 お風呂から上がってきたおばさんと、なんだかんだで風呂に引きずり込まれるはめになってしまったゆずが和気藹々と話しながらダイニングへと戻ってきた。


 食事は既に出来上がっていた為、あとは皿に盛り付けてテーブルに並べるだけ。

 風呂から大きな声が響き渡っていた為、俺も状況を理解して予め準備を始めている。 


「あはは、お母さんに無理矢理お風呂に連れ込まれちゃって」

「ごめんね、たっくん。たまにはスキンシップしたくなっちゃって」

「気にしてないよ」


 苦笑を浮かべる母娘に返事をする。

 そんな俺の横をすーっと抜けて、おばさんが冷蔵庫に直行――早速ビールの缶からコップにビールを注ぎ、とりあえず一気飲みした。


「ぷあー……っ、ビール最高ー! ささ、たっくんも一杯」

「未成年だから」

「なーに言ってんのー。お酒のデビューは早い方が良いよー」

「おかしいから、それ……」


 おっさん化しているおばさんに苦笑しながら、こうして久しぶりにおばさんを交えた食事が始まった。


 食事中の会話は至って普通。日常に関する話題だった。

 学校はどうとか、部活はどうとか、そんな他愛もない会話で、それでもゆずとおばさんの間でなかなか話す時間もないのか、ちょっと前の話題だったりが上る事が多い。

 学校の話をするゆずに相槌を打ちながら微笑むおばさんは、そんなゆずを嬉しそうに見つめていた。


 そうしてようやく食べ終わり、片付けも終わったところで、ゆずが俺に向かって声をかけてきた。


「……巧、いい?」

「うん」

「お母さん、話があるの」


 改めて、ゆずが切り出した。

 並んで座る俺達を見て、おばさんもまた何かあるのだろうと察したらしく、真剣な表情をしてから、向かいに腰掛け――先んじる。


「お母さんは反対しないわよー。それで、何ヶ月なの?」


 ………………。


「え?」

「え? 違うの? てっきりたっくんと二人で話があるって言うから、子供ができちゃったのかなーって思ったけど」

「んなぁッ!? わ、わわわわ私とた、巧に子供なんて出来る訳ないじゃないッ! そ、そそ、そういうのはまだ、その……!」

「お、おばさん……、そういうのじゃないって」

「あら残念。これで名実共に息子になると思ったのにー」


 名実共に、の意味がまるで違う気がするのだが、慌てふためくゆずを見てケラケラとおばさんが笑う。

 これは……からかわれた、かな?


 そうしてひとしきり笑った後で、おばさんがすっと母親らしい表情へと変えてゆずを見つめた。


「それで、どうしたの? 改まって話があるなんて、大事な話なんでしょ?」

「う、うん……」


 緩急をつけるかのようなおばさんの態度に、改めてゆずが俺に向かって視線を向け、机の下で手を伸ばされた。

 震えているゆずの手を握り締めて、ゆずに小さく「がんばれ」とだけ告げると、ゆずは小さく頷いて、空いていた左手を胸の前にキュッと握り締めておばさんへと口を開いた。


「……あのね。私、今までお母さんと巧にいっぱい甘えてきた。それは凄く嬉しくて、贅沢で。とても楽しかったよ」


 小さな声で紡いでいくゆずの言葉。


「でも、そのせいで私はいつまで経っても甘えてばかり。巧がいないと不安だし、お母さんが笑っててくれないと、素直に喜べない。今までは、今まではね。それでいいと、そう思ってたんだよ」


 握られた手に力が入るのを感じて、俺もそれに応えるかのように手を握り返す。

 おばさんは特に続きを急かしたりも茶化したりもせずに、ただただ静かに頷いていた。


「もう、甘えてばっかりも、守ってもらってばっかりも嫌なの。私は、ちゃんと自分の足で立って、歩いて行きたい。もう、高校生なんだもん。子供じゃないんだよ?」


 大きな瞳に涙を溜めて、それでも笑みを浮かべてゆずは続けた。


「だから、お母さん。……教えて……。……私が小学四年生の時。お父さんが死んじゃった、あの夏の事を……」


 その瞬間、おばさんは目を僅かに見開いた。

 いつも、どんな時も快活に笑っていたおばさんがそんな顔をするのを、俺も初めて見たような気がする。


「ゆずちゃん……」

「ごめんね、お母さん……。ずっと私が逃げてたから、お母さんは一人だったんだよね……。一人で、あの夏の事を抱えてたんだよね……。今まで聞こうとしなくてごめんね……」


 ゆずが涙を浮かべて、ようやく告げた言葉。

 おばさんはゆずの変化を知ってか、しばらく瞑目して考え込むように黙っていた。


 カチカチと鳴る時計の音だけが鳴り響く中で、おばさんがようやく目を開けた。


「……聞いて、後悔するかもしれない。傷付くかもしれない。それでも、いいの?」


 しっかりと、確認する。

 おばさんはあくまでもゆずの心を、本心を確認しようとしてくれている。

 流されているとか、一時の気の迷いだとか、そういった疑いもなく、言葉を尽くしてまで語ったゆずが、本当に知りたがっているのかを。


 ――そんなおばさんの想いを受け止めるかのように、ゆずもまた頷いてみせた。


「……そう、ゆずの気持ちは分かったわ。それで、たっくんはどう思うの?」

「俺、ですか……?」

「私がこれから言う言葉は、残酷で、美談でもなんでもない、ただの現実。それをゆずと一緒になって聞いたとして、あなたはちゃんとそれを受け止める覚悟はある? 逃げずに、ゆずが現実を受け止めるその瞬間を、一緒になって迎える覚悟はある?」


 ――おばさんらしくない、とさえ思った。

 あっけらかんとしていて明るいおばさんではなく、仕事をしているかのような凛とした空気を纏って問いかけるおばさんの姿に、俺は思わず息を呑んだ。


「……俺には、あります。そうじゃなかったら、ここにはいません」

「……そう」


 ふっと小さく微笑んで、おばさんは一度言葉を区切った。

 そうして――目を細めながら虚空を見つめて、おばさんは――その言葉を口にした。


「……あの人はね……、自殺、したの」








 ◆ ◆ ◆








 巧の追試は無事に合格に終わったが、俺にとってこの状況はあまり喜ばしいものではなかった。

 篠ノ井と巧のここ最近の前向きさを見ていると、どうにもなんらかの形で真相を知ってしまうのではないかと、気が気でないのだ。

 それは俺の考え過ぎであって、杞憂であってほしいのだけれど――何故かそんな予感が胸を騒がせるのだ。


 そのせいか、俺はその日はどうにも眠れず――既に時刻は深夜0時を回っていた。


 雪那も相変わらずだが、とりあえずは明日。

 明日になってさえくれれば、巧には話す事ができるのだから、さっさと寝てしまえばいいとは思うのだが――何故か胸騒ぎがして寝付けない。


 寮内は静けさに包まれ、俺もそろそろ眠ろうかと思ったその時だった。


 一件のメールが、俺のスマホに届いた。

 こんな時間にメールをしてくる人間は限られている。

 恐らく雪那だろうと、そんな事を思いながら、何も考えずにスマホを見つめた俺は――そのメールの内容を見て、愕然としていた。


 ――送り主は巧だった。


『悠木。お前、櫻さんとゆずの事、知ってたのか?』


 その短い文面から、俺は全てを悟った。


 ――最悪だ。

 こんなタイミングで、きっと巧と篠ノ井は全てを知ってしまったのだろう、と。





 俺は、誤った選択をしてしまったのだろうか。


 せめて今日、無理にでも巧を引き止めていれば。

 そうすれば、こんな事にはならなかったんじゃないだろうか。


 俺はその文面に愕然としながら――そして、一つの決意を胸にメールを送り返す。




『知っていたよ』




 ただの一言。

 それだけを伝えた。





 夏休みを迎える俺の前に、片付けるべき問題が立ちはだかった。


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