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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第三章 雪那とゆずの過去
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#006 疑惑

 俺の言葉に硬直した四人が、口を開けてこちらを見ている。

 さすがにいきなり「帰る」なんて言えば、そりゃあ驚くのも無理はないのだろうけど。

 そんな中、端を発したのは巧だった。


「な、なぁ。ちょっと待ってくれ。いや、むしろ見捨てないでくれ」

「えぇい、捨てられる女かお前は……! 放せ、この……ッ!」


 いきなり昼ドラっぽい雰囲気を作り出しつつあった巧にズボンを引っ掴まれ、それを振り解きながらジタバタと動く。

 そういうのは男にやられたくない。


「おいやめろ、巧。このままじゃ俺のズボンが落ちる……! 女性ならラッキースケベかもしれないが男では誰も喜ばんだろうが!」

「いや、何をストレートに感情を吐露してるんだか知らねぇけど!」

「ねぇ、悠木くん。諦めるってこと?」


 俺達のバタバタを前に、相変わらずの冷淡な声がかけられた。

 俺は巧の腕を手で振り払い、嘆息する。


「いいや、賭けに出ようと思う」

「賭け?」

「あぁ、ここまで落ちてるとなると、追試までに完全に理解して問題を解けるようになるのは無理だ。これは冗談じゃない、本気だ。いつもの俺だと思うなよ」


 キリッとした顔で篠ノ井と巧を交互に見やると、全員がサッと視線を逸らした。

 珍しく真剣モードになったというのになんと失礼な態度を取るんだ、こいつらは。


「ゆ、悠木くん。ちょっと顔がわざとらしくて、その……っ」

「ぷふっ、悠木先輩の顔が濃ゆくなったです……っ!」

「おいお前ら。俺の真剣な顔を見て笑うとはどういう了見だ」


 まぁ、無駄に眼力入れてみたのは確かだが。

 ……というかそもそも、真剣な顔ってどうやるんだっけ……。

 一息吐いて、改めて雪那を見つめる。


「まぁ、このままじゃ追い付かないだろうし、いきなり詰め込んでも二人がついて来れないんじゃどうしようもないって話だ。そこで、得点が絡みそうな暗記のまとめを作って、無理やり頭に詰め込ませる」

「成る程ね。追試なら範囲も変わらないし、問題は似た系統が出て来そうだもの。このまま教え続けても間に合わないかもしれないっていうのも理解できるし、その方が効果はありそうね」

「だろ。だからとりあえず、今回の試験範囲に関係するだろう問題をピックアップする必要があるからな。そうなると、教えている場合じゃなくなる。寮に戻って作業した方が効率的なんだよ」


 寮なら俺が持っている問題集なんかもあるし、出題傾向を考えるだけの資料があるが、今あるものから考えるのは難しい。巧が問題集なんかをしっかりと持っているとも思えないし。


「まぁ問題となるのは、数学系の暗記が一切通用しない問題だな。そっちは公式も含めて基礎からやり直す必要があるだろうし」

「だったら、私はもう少し残って前のテストに似た問題の解き方を徹底して教えるわ。悠木くんは問題作りに集中してくれた方が効率も良さそうだし、分担しましょう」

「え、俺一人で帰るの?」

「え?」

「いや、なんでもないですお願いします」




 まさか俺だけが帰る事になるなんて――と、若干微妙な気分を感じつつも帰路につく。

 まぁ雪那は雪那で、せっかく来たのだからそれなりに教えるべき事は教えたいっていう考えなんだろう。

 いずれにせよ、雪那と俺が問題作りを一緒に行う必要もない訳だし、効率を優先するっていう意味じゃそれは正しいかもしれない。


 それにしても――我ながら変わったな、と思う。

 つい数ヶ月前の春までは、巧と篠ノ井の為に力を貸すとか、そんな風には考えなかったし、そもそも俺はあの二人とは部活関係以外ではあまり関わり合いにならないようにしていた。

 まぁ、俺があの二人のラブコメに付き合いきれないっていうのもあったが、そもそも俺があまり関わると、あの二人にとって(・・・・・・・・)もよろしくないと判断していた、というのが本音ではあるのだが。


 ――そんな事を考えている内に、気が付いたら懐かしい川へとやって来てしまった。


 舗装されていないくたびれた道から続く、砂利や小石が敷き詰められた川辺。

 穏やかに流れる川の向こう側は、人の手が入っていない小山が、自然のままに佇んでいる。

 巧の家からまっすぐ寮に帰るのではなく、わざわざ少し迂回してまでこの場所にやってきたのは、少しばかり思う事があったからだ。


 ――雪那は、知らない。

 この前、ここで話した時。奇妙な違和感があった。

 どこか俺と雪那の間には、確実にあの夏の――日和祭のあの日に対する齟齬があった。


 ――「アレに雪那は関係ないだろ?」

 俺の指した言葉と、雪那が気にしてきた内容のそれが、明らかに。確実に擦れ違っているものだと気が付いたからこそ、俺はあの時、話題を変える事を選んだ。

 きっと雪那は、俺が約束を破られたからあんな喧嘩をして、それで裏切られた事を根に持っていると思っていたんだろうけれど――ただあれだけ(・・・・)の事で、雪那が俺を傷付けたと思っているなら、悪い事をしたかもしれない。


 ……あの一件の全貌が、そんなに単純な事だったなら――そもそも俺は、わざわざこの町にやって来る事もなかっただろう。

 ただ――あの人は正真正銘俺を騙し、嘲笑った。

 俺はあの顔を、あの言葉を今も未だに覚えていて――きっとそれを、雪那はまだ知らないのだろう。


 沙那姉の裏切りは――俺が根に持っていると言っても過言ではない、その裏切りはそんな簡単に消えるものじゃない。

 まぁもっとも、ガキだった俺が、しかもあの頃は色々な事情が重なってしまっていたからこそ、というのもあったんだが……まぁそれはさて置いて、だ。


 未だ心の何処かで、沙那姉にあの夏の真意を訊きたいとすら思っているんだから、我ながら愚かだと、そう思う。


 ――思考の海に沈んでいた意識を引き上げ、帰路をつく。

 そういうのは、表に出て来なくていいし、雪那に知られてしまう訳にはいかない。

 いつも通りの俺でいつも通りに振舞っている方が、俺自身も気楽だしな。


 そんな風に頭を切り替えて、再びぼっちな気分を味わいつつ、俺は寮に向かって歩いて帰っていった。







◆ ◆ ◆








「ゆっきー、お昼にしよー……」

「そうです……。休憩は大事です……」

「右に同じ……」


 悠木くんが帰った後、私――櫻雪那――へと向けられたのはそんな言葉だった。

 時刻はもうお昼なのだし、確かに頃合いだろうけれども。

 まぁ、風宮くんと瑠衣ちゃんはともかく、篠ノ井さんの場合はむしろ朝食も兼ねていそうだけれども。


「しょうがないわね。だったら御飯にしましょ」

「助かった。もう腹が減って我慢できねぇわ……」


 実際私もそろそろお腹が空いてきたし、そもそも勉強が苦手だったり嫌いな人に長時間の勉強を要求しても、どうせ頭に入りはしない。

 特に無理をするつもりもなく、お昼はどうするのかと口を開こうとしたところで、瑠衣ちゃんと篠ノ井さんがお互いに視線をぶつけ合った。


「だったら先輩、台所借りてもいいですか?」

「あぁ、いいけど」

「瑠衣ちゃん、私も手伝うよ。一品ずつ作ろっか」

「そうですね……。でも、せっかくなら勝負にしたいです!」

「勝負?」


 瑠衣ちゃんがびしっと篠ノ井さんに向けて、人差し指を向ける。

 あれって結構失礼なんだけれど、瑠衣ちゃんは敢えて挑発でもしているつもりなのかしら。


「料理勝負なのです! これから私とゆずさんで一品ずつ料理をして、味の判定は巧先輩にお願いするですよ!」

「あぁー、なるほどねー。ふふん。いいの、瑠衣ちゃん? 私はこう見えて、巧の好き嫌いとかもしっかりと把握してるし、瑠衣ちゃんが不利なんじゃない?」

「それぐらいはいいのですよ。むしろ食べ慣れている味に飽きている可能性を心配した方がいいんじゃないです?」


 売り言葉に買い言葉といった形で、篠ノ井さんと瑠衣ちゃんがお互いにお互いを挑発し合う姿に、思わず笑ってしまう。


「雪那先輩! 雪那先輩も参加しないです?」

「結構よ。食べる側なら参加してもいいけど」


 私は別に風宮くんを手料理でどうにかしたいとかなんて思ってもいないし、そもそも悠木くんがこんな状況で、私まで手料理したなんて知ったら、なんだか血涙でも流しそうな気がするし……――って、なんで悠木くんの事を気にしてるの、私ってば……!


 うん、落ち着こう。

 私は風宮くんに料理を作る気はない。うん、それだけよ。

 それに、もしも万が一、私が高評価を得てしまおうものなら、私まであの三人に巻き込まれる可能性もあるのだし……そんなの、百害あって一利なしだわ。


 そんな形で始まった料理対決だけれど、なんだかんだ言いながら篠ノ井さんが調理道具の場所とかを瑠衣ちゃんに教えているし、中途半端な意地悪はするつもりもないみたいだった。

 というか、他人の家なのに熟知しているっていうのもずいぶんとおかしな話だとは思うのだけれど……まぁ、あの二人だし放っておこう。


 どうやらお互いにテーマは中華にまとまったらしく、篠ノ井さんは麻婆豆腐を。

 そして、瑠衣ちゃんは炒飯を担当するらしい。


 机に肘をつきながら、そんな二人の様子を見てまさにラブコメの王道を目の当たりにしている気分で眺めていた私のもとへ、風宮くんが麦茶を入れたコップを差し出してくれた。


「ありがとう」

「いや、お礼を言うのはこっちの方だよ。悠木もそうだけど、わざわざ休日に勉強教えてくれて助かってるんだから」


 そう言いながらも、なんだか楽しそうに篠ノ井さんと瑠衣ちゃんを見守る風宮くんは、先程まで悠木くんにこってりと絞られていた面影もなかった。

 というかあそこまで露骨にアピールされて気付かないって、どういう神経しているのかしら。自分に対する好意には疎いという度合いを超えているような気がする。


 篠ノ井さんと瑠衣さんを見ている内に、ついつい話題は季節の事から部活の内容へと切り替わっていた。


「――そういえば、櫻さんが来てから、なんとなくだけど悠木も変わった気がするなぁ」

「悠木くんが?」

「うん。前まではいつも、部室にいたって退屈そうに本を読んでるだけだったりして、周りをシャットアウトしてる感じだったんだよな。そういう姿、なんか“昔の悠木とは全然違ったから“、聖燐入ったばっかりの頃はちょっと戸惑ったりもしたんだけどな」


 思わず、麦茶を飲み終えて机にコップを置こうとしていた手が止まった。


「……昔?」

「あれ、悠木から聞いてない? 俺もゆずも、悠木とは小さい頃に遊んだ事があるんだよ」

「え……? それって、いつ?」

「小学生の夏だけだったんだけど、確か四年の時に。ちょうど、ゆずの親父さんが亡くなった年だったから、今も覚えてるんだ」

「……そ、れって……」


 悠木は元々、都会に住んでいて、この町には祖母のお見舞いという名目で来ていたと雪那は知っている。それからはこの町に来た事もないし、実際に小学四年生と言えば、まさに雪那と悠木が知り合う事になった、その年の話であった。


「アイツ変なヤツでさ。ほら、日和祭で賑わう狛山神社。俺とゆず、しょっちゅうあそこで遊んでたんだけど、その頃さ、アイツ一人で退屈そうに座ってたんだよ。んで、声かけて遊ぶようになってさ。昼になるといつも慌ててどっかに行っちゃってたんだけど」


 私と姉さんが川で遊んでいたのは、午前中に勉強が終わった後。

 つまり、決まって午後に差し掛かる時間からだった。


「聖燐で会ってからは他人みたいで驚いたよ。いつも無気力って言うか淡白って言うか、あんまり感情を表に出そうとしなくて。だから、同じクラスにはいたけど、あまり話もしなかったんだ」

「話をしなかったの?」

「話しかけても、他人行儀っていうか、さ。アイツはまぁ、ちょっと一年の時から変な噂もあったりで、自分から周りにも距離置いてたっていうか」


 ……私は、そんな悠木くんを知らなかった。

 むしろ私は悠木くんがいると知って以来、悠木くんを避けていた時期もあって、彼の情報を積極的に得ようとはしなかったのだから、ある意味では当然と言えば当然かもしれない。

 ついつい、無口な悠木くんの姿を思い浮かべて苦笑する私に、風宮くんは更に続けた。


「だからさ、櫻さんが来てから悠木も何となく明るくなったって言うか、そんな感じがするんだよ。変わっちまったのかと思ってたけど、何だかんだ言いながら悠木は悠木なんだなって思って。だから、櫻さんが来てくれて良かったって、そう思うよ」


 特に気にする様子もなく、風宮くんは屈託のない笑みを浮かべてそんな言葉を口にした。

 だからこそ、私は気になった。


「……ねぇ。あなたは私を怨んでいないの?」

「櫻さんを? 感謝する事はあるけど、怨む事なんて何もされてないけど?」


 ――その答えは、おかしい。

 父さんと母さん、それに篠ノ井さんのお父さんとの間にあった騒動を、幼い頃から一緒にいたというのなら、風宮くんが知らないはずがないのだ。

 たとえ、あの頃の私達が幼かったとは言っても――それでも、どこかからウチの両親と篠ノ井さんのお父さんの間に起こった騒動も、その結果として篠ノ井さんのお父さんが亡くなった事も、耳に入っていてもおかしくない。


 なのに――私に対してその答えがまっすぐ出てくるのは、何か違和感を覚える。


「……何を言ってるの……? 結果的に篠ノ井さんのお父さんはウチの――」

「――できたです!」


 瑠衣ちゃんの言葉にはっと我に返って、私は言葉を呑み込んだ。


 ――どう、なっているの……?

 ――風宮くんは篠ノ井さんのお父さんと私の家の問題を知らない……?

 ――じゃあ、篠ノ井さんは……?


 談笑する三人を見つめながら動揺せずにはいられなかった。

 そんな私に気が付いたのか、篠ノ井さんがこっちを見て、小さく笑みを浮かべて麻婆豆腐を見せてくる。


 ――篠ノ井さんは、お父さんの死の真相を……知らない……?

 確かにそう考える方が自然だとすら思える。

 一年前の再会からの親しげな篠ノ井さんの態度は、子供の頃のそれと全く変わっていなかった。

 私はてっきり、親の問題は親の問題として篠ノ井さん自身も自分の中で整理をつけているからこそ、そんな態度を取っているのかと思っていたぐらいだ。


 でも――本当に、そうなのだろうか。


 湧き上がる疑問。知らないままでいた現実。

 それら全てが心を蝕むような、そんな感覚に陥りながら食べた昼食の味を、私は覚えていなかった。


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