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幕間 雪那の追憶

 聖燐学園――入寮式。

 その日、私――櫻雪那――は聖燐学園の優待制度を利用して入学する事が決定し、寮と学園の案内があるからと春休みの数日を利用して聖燐学園へとやって来ていた。


 私達の代から共学化するという事もあって、先輩達の男子を見る目は厳しい。

 普通に考えれば、上級生も女子生徒ばかりの針の筵とでも呼ぶような学園に、好んでやってくるなど無謀もいいところだと思う。少なくとも、もしも私なら絶対にこの学園は選ばないだろう。


 そんな事を考えながら、ついつい今年から共に新一年生となる優待制度を利用した同級生達に目をやって――私は、彼を見つけた。


 ――……悠木……?

 真面目そうな男子達の中に混じっていた、一人周囲とは違った空気を放った男子生徒。


 偏差値の高い聖燐学園の中でも、更に上位の成績を要求される。

 いかにもガリ勉風な見た目をした真面目そうな生徒や、内向的な性格をしていそうな特待生の男子十名の中に、いかにも無気力そうな男子がいたのだ。

 周囲の見た目とは異なった悠木の存在は、なかなかに際立っていた。


 だからこそ、私は気付いた。


 そこに立っているのは、紛れも無く自分が知っている少年。

 幼い頃――ただ一度の夏に出会い、共に遊んだ少年だと。


 ――そんな悠木が、視線に気付いたのか不意に雪那を一瞥する。


 もしかしたら悠木も自分に気付いてくれるのではないだろうか。

 そう思いながら小さく控えめに手を挙げて挨拶しようとしたけれど、彼からは何の反応もなく視線を逸らされてしまった。


 所在なく彷徨う手を握り締めて――私は今更ながらに、自分には彼に親しげに話しかけるような、そんな資格はないのだと思い知る。


 小学四年生の夏。

 何度もやり直したいと願ったけれど、そんな事はできない。

 自分と姉が一人の少年を酷く傷付けた、苦い記憶が原因であったのだから。






 ◆






 私には、三つ年上の姉――(さくら) 沙那(さな)という名の姉がいる。

 控えめな性格をしていた私とは対照的な、快活な女子。

 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能でありながら、それらを鼻にかけない明るい性格をした、太陽のような人だ。

 両親からの信頼はもちろん、妹である私から見ても自慢の姉だった。


「ねぇ、ゆき。遊びにいこ」

「うん」


 そう言って、引っ込み思案の私を連れ出してくれる姉が、私は大好きだった。


 ――――小学校四年生。

 その年は、色々な意味で寂しい一年だった。

 姉さんが中学生になって、いつも一緒に通っていた学校への道程も一緒に通うことはなくなり、いつも一人で通っている。

 公立校ではなく私立校に進学していたせいか、家の近所にも友達らしい友達はいなかった、というのもある。

 元々明るい性格ではなかった私は、当時は実際に塞ぎ込んでいたと言えるだろう。


 唯一の友達と呼べる存在と言えば、家族ぐるみで付き合いのある同い年の少女――篠ノ井ゆず。それでも、友達として接する方法が分からずに、つい遠慮がちに付き合ってしまっていたけれど。


 学校での生活も似たようなものだ。

 家が離れているせいか、学校で話をする程度の付き合いならそれなりにあった。しかしそれ以上に発展するかと言えば、当然ながらに行動力のない子供ではそれも難しい。

 そんな私を気遣い、遊びに連れ出してくれたのが姉さんだった。


 夏休みになって、午前中は一緒に宿題を。午後は遊びに出かけたり家で遊んだりと、いつも一緒に行動してくれる姉さんの存在は、私にとってかけがえのない存在であった。




 その日は、家から自転車で三十分程の場所にある、川へ遊びに行こうという話になった。

 子供にとってはちょっとした遠出に、遠足にも似た気分で私は胸を弾ませた。


 目的地である川は、小さい頃から家族とたまに遊びに来た事がある川で、流れも穏やかな綺麗な小川だった。

 毎年夏になると、たまにそこに家族でバーベキューをしたりする。

 そんな時は篠ノ井家も一緒だったりもする。


 こうして自転車を走らせて子供だけで遊びに来るのは初めてだったけれど、姉さんは何度か一人で来たりしていたらしい。慣れた様子で前を走り、時折振り返っては疲れてないか聞いてくれる。

 ジリジリと照り付ける太陽、忙しなく鳴き続ける蝉の声の下での、そんな姉さんとの楽しい遠出だった。


 ようやく川辺について、自転車を走らせ続けて火照った身体のまま、私と姉さんは川へと向かって歩いていく――そんな時だった。


 姉さんが、偶然その場に居合わせるように近くに立っている一人の少年に声をかけた。


「あら、初めて見る子ね。こんにちは」

「こ、こんにちは……」


 相変わらずの持ち前の行動力と愛嬌の良さを発揮した姉さんが、少年に声をかける。

 その少年は姉さんに見惚れているようで、私は思わず姉さんを取られるような気がして少し不機嫌になって、姉さんの服を引っ張った。

 けれど姉さんは、「まあまあ」と私を宥めて少年に向かって続けた。


「この辺りに住んでるの?」

「……ううん。ばあちゃんが身体悪いからって、この夏の間だけ遊びに来ただけ」

「そっか。私は沙那。こっちは雪那。キミは?」

「悠木。永野悠木」

「へー、悠木クンか。じゃあゆきと悠木クンでゆきゆきコンビだね」


 少年――悠木と呼ばれた彼と私は、姉さんによって唐突にそんな呼び名をつけられ、互いに目を合わせた。

 男子との交流は私にとっても珍しかった。

 学校でもどこか自分より幼く見える男子に苦手意識を抱いていたせいか、慌てて目を逸らし、姉さんの手をギュッと握り締める。


 そんな私に、悠木は気恥ずかしそうに声をかけた。


「よろしく」

「……うん」


 これが、正面から初めて二人で話した記憶だ。




 姉さん曰くのゆきゆきコンビである私と悠木くんは、姉さんを中心に会話が進む事が多かった。

 姉さんが悠木くんに、そして私に話を振る。それに私達二人が答えるといった感じであったけれど、それでも私は悠木くんと徐々に打ち解けていった。

 最初の内は私を気遣ってくれていた姉さんも、徐々に私と悠木くんだけでも会話するようになると、今度は二人の希望に応えるように努める。

 きっとあの頃、姉さんにとっては一人弟ができたような感覚だったのだろう。


 私が抱いた印象は、悠木くんは今まで抱いていた男子の印象――ガサツで乱暴なそれとは違い、行儀の良い少年という印象だった。

 どちらかと言えば物静かというか、どこかいつも遠い目をしているような、そんな少年だった。

 それからは、ほぼ毎日のように午後から小川で待ち合わせして、遊ぶ日々が続いた。


「――日和祭?」

「そう。今度の土曜日にここの近くの神社でやるお祭りで、出店とかもいっぱい出るんだ。良かったら悠木くんも、私とゆきと三人で行かない? 夕方からなんだけどさ」


 八月の初旬に行われる祭の話に至って、姉さんが悠木くんにそんな話をした。


「悠木くんも一緒にいこ?」

「んー、沙那姉も行くなら行きたい」

「あはは、うんうん。一緒に行こうか」


 どうやら悠木くんは姉さんがお気に入りなようで、そんな悠木くんに対してか、それとも自分だけ除け者にされるような感覚に対してか、私としてはあまり面白くない反応だった。


 もっとも、そんなやり取りでさえ、当時の私達にとっては至って普通だったのだ。


「でも、あんまり時間遅いと、怒られるかな……」

「だったら、私が悠木くんのお父さんとお母さんに挨拶するよ」

「ホント?」

「うん、もちろん。今日はもう遅いから、明日一緒にいこ」

「うん!」


 その約束に、悠木くんは嬉しそうに頷いた。






 ――けれど、その約束が果たされる事はなかった。






 悠木くんをお祭りに誘った、その日の夜だ。

 私達が、篠ノ井さんのお父さんが亡くなったと聞かされたのは。


 ここ日和町ではちょっとした噂ですら伝達しやすい。

 元々は田舎町であった為に、良くない噂は口から口へと次々に伝播していく。

 そのため、私の両親は、私と姉さんに、しばらくの間は外出を禁止するようにと言い渡した。


 今にして思えば、父さんや母さんの言わんとする事も分かる。

 篠ノ井さんのお父さんとウチの両親との間に何があったのかも分かっているし、そんな当事者の娘である私達に、心ない大人が何の気なしに告げた言葉に傷付かないようにと。


 そうこうしている内に、引っ越しの準備も、姉さんはともかく私の知らない内に着々と進んでいた。

 当然、私はそれに従わざるを得なかった。


「ねぇ、お姉ちゃん。悠木くんとの約束はどうするの?」

「……それは、どうしようもできないよ」

「どうして……?」

「電話番号を知ってたらどうにかできたかもしれないけど、そんなの知らないもの」


 姉さんならどうにかしてくれると、私はそう思い込んでいた。

 でも、姉さんは私の問いかけに対して、厳しい表情を浮かべてピシャリと言い放った。


 そんな姉さんの姿を見たのは、初めてだった。

 いつもの姉さんなら、困ったように笑いながら理由を説明してくれたりするはずなのに、この時の姉さんは――今にして思えば、切羽詰まっていたのかもしれない。


 結局家を出られないまま日々は過ぎて行き、いつも川で一緒に遊んでいたのに、急に行けなくなってしまってから、悠木くんとは一切会う事もなくなってしまった。


 けれど、このまま塞ぎ込むのは良くないとそう判断した母さんが、姉さんと私を連れてm日和祭に連れて行ってくれる事になった。


 私はただ、それだけで悠木くんとの約束を守れると思っていた。

 その時の私は、悠木くんを酷く傷付ける事になるかもしれないとは気付いていなかった。




 私としては、上機嫌だった。

 もしかしたらお祭りには悠木くんも来ているかもしれないし、運が良ければ会えるかもしれない。

 そんな考えを胸に抱きながら、お母さんと姉さんと共に、浴衣姿で日和祭に向かった。


 幸い、お祭りの喧騒の中で私や姉さんに誹謗中傷が届く事もなく、お祭りを楽しむ事が出来た。


 そんな時だった。

 人混みの中で、一人の少年が自分達を見て、愕然とした表情を浮かべている姿が視界に飛び込んできた。


 ――悠木くんだった。


 私は事情を説明しようと、そう思っていた。

 けれど、悠木くんはそんな私の声など聞くよりも早く、怒りを露わにした。


「……なんだよ、それ……!」

「違う、悠木くん! 待って!」


 駆け出してしまった悠木くんに、姉さんが声をかける。

 いきなり駆けて行った悠木くんの反応、その理由が――私には分からなかった。

 あの子はあんな風に怒るようなタイプじゃないと思っていたし、私は困って、姉さんに縋るように視線を向けた。


「お母さん、ゆきをお願い! ちょっと私行かなきゃ!」

「え、沙那、どうしたの?」

「知り合いの子がいたんだけど……、ちょっと話しておかなくちゃいけない事があるの。大丈夫、ゆきはお母さんと待ってて。悠木くんには、私から伝えるから!」


 駆けて行く悠木くんを追いかけて、雑踏の中に消える姉さん。

 何事かと困惑する母さんと共に立っていた私は、ただただ呆然としながら、悠木くんが怒っている理由を考えていた。


 ――きっと、自分の事を無視して遊びに行った事を怒っている。

 でも、姉さんが説得しに行ってくれたから、きっと大丈夫。


 そんな風に自分に言い聞かせながらも、それでも居ても立ってもいられなかった。


「……ッ、ゆき!」

「ごめんなさい!」


 母さんの手を振り切って走る事など、これまでになかった経験だ。

 それでも私は、一言謝りたくて走って行く。


 怒ってるなら、謝らなきゃいけない。

 事情を説明しなくちゃ、とそう思いながら。


 そうして私が追いついた時には――すでに姉さんしかいなかった。


「……お姉ちゃん?」

「……ごめん、ゆき。悠木くんに、酷い事しちゃったね」

「……悠木くんは?」

「帰ったよ。多分、もう二度と会えないと思う」


 理由は、私には分からなかった。

 あの後の姉さんはすっかり落ち込んでしまって、悠木くんの事を話そうともしてくれなかった。


 次の日からあの小川に行っても、悠木くんの姿を見る事はなかった。


 そしてそのまま、夏は終わってしまった。


 悠木くんは、今も自分達を憎んでいるのだろうか。

 そう考え続けていた私には――今こうして再会を果たしても、声をかける事はできなかった。







 ◆






 ――そして、入学して一年後。

 私は意を決して、とある教室の扉を開いた。


「――失礼します。入部したいのですが」


 努めて冷静に、真正面に悠木くんを見据える。

 気付いていないのか、それとも他人のフリをしたいのか、判断に困りながら。


 この一年、ずっと気にかけてきた悠木くんの存在。

 読書部に置かれている分野にライトノベルが多いと知って、慣れない分野の本やそうした知識を詰め込んで。


 全ては、悠木くんと再び話をする為に。


「……風宮 たく――」

「――あ、それあっちなんで」


 いきなり悠木くんの名前を口にするのは憚られ、幼馴染とのラブコメ展開で有名な風宮くんの名前を出そうとした所で、名前を知らないと思われたのか言葉を遮られた。

 勘違いされた事に加え、緊張も相まって顔に熱がこもる。


「それと……えっと…………」


 名指ししようかとも、名乗り出ようかとも思ったが、それでも私にはそうできなかった。


 もし気付いていないなら、気付かれたら逃げられてしまうんじゃないか。

 あの時の事を今も覚えていて、嫌われて避けられてしまうんじゃないか。

 だったら、このまま初対面のフリをしてでも、少しずつ知り合っていけばいいんじゃないか。


 ――そんな考えが、私の脳裏に浮かんだ。


「ごめんなさい。なんだか期待をして待っているような顔で見つめられているのに凄く言い辛いのだけど、名前を知らないから名指し出来ないわ」

「あ、そう……」





 ――こうして私達は、初対面かのような奇妙な再会を果たしたのであった。





 小さな子供の頃に起きてしまった擦れ違いを、私は後悔していた。


 当時の悠木くんにとっては、きっと酷い裏切りを受けた記憶。

 当時の私にとっては、酷く傷付けてしまった記憶。


 大人になれば理解できる事でも、子供でしかない私達にはそう簡単に割り切れなかった。


 いつか笑って話す事ができれば――そう思わずにはいられなかった。


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